翌日。村の朝は早く、日の出と共に始まる。モモンはエンリとネムに案内されながら、村の家々を挨拶して回った。当初はモモンも少しくらいは変な人も居るんじゃないかと懸念していたが、それは杞憂だった。村人たちはほとんどがお互いに顔見知りであり、皆とても親切に接してくれたのだ。
畑で採れた作物をお裾分けしてくれた人がいた。
お昼頃になると家に招いて昼食を御馳走してくれた人がいた。
かつて都会の人口密集地に住んでいたモモンにとって知らない他人との距離が近いというのは煩わしいという印象もあったのだが、ここでは全くそんな気分にはならなかった。むしろ、それがとても心地よかった。
全員分周り終わる頃にはお昼も大きく過ぎ、もう少しで夕方になる頃合いになっていた。
「はー、終わった…。流石にちょっと疲れちゃいました。」
3人は自室に戻り、エンリが疲れた様子でベッドに腰掛ける。
「村とは言っても100人以上いると、全員回るのは時間かかっちゃうよね。」
「モモンさんは疲れてないんですか?」
「うん、平気だよ。」
「すごい…さすが旅人さん…。」
「私もまだまだ大丈夫だよ!」
「ネムは元気だね。エラいぞー。」
「えへへー」
ネムはモモンに撫でられ、ご機嫌そうに目を細めている。
「それじゃ、もうすぐ夕方になっちゃうし、体を拭くのも済ませちゃいましょう。」
「はーい。」
少し休んで回復したのか、エンリがパチンと手を鳴らしつつ立ち上がる。ネムもそれに応え、部屋の外の方へと駆けていく。
「────体を拭く?」
モモンは少し引っ掛かりを覚え、エンリに聞き返す。文字通り考えればそのまま体を拭くだけなのだろうが、何かの言い換えである可能性もある。それか村の生活レベルを鑑みるに、もしかしたらお風呂の事を言っているのかも知れないと思ったので、その確認だ。
「はい。お風呂なんて高価な物は作れませんから、村では川から水を汲んできて、それでタオルを濡らして体を拭くんです。」
「な、なるほど…。」
後者が正解だったようだ。しかし、ここではお風呂に該当する行為が水で体を拭くだけだとは…。鈴木悟だった頃もスチームバスくらいしか入ったことは無かったが、これはあまりにも原始的で少し憐憫を抱いてしまう。
モモンはふと、頭にアイデアが浮かび提案する。
「そうだ、いい事を思いついた!エンリ、ちょっと来てもらって良い?」
「へ?はっはい、わかりました。」
エンリはモモンに促されるままに、先に行っていたネムも連れて家の外に出る。移動した先は家の裏手、ちょうど他の民家の死角になっていて人目に付き辛い場所だ。
「私は生活魔法の
モモンがそこまで言うと、ネムが言わんとする事に気づいたようで、目を輝かせる。
「お風呂!!モモンお姉ちゃん、作れるの!?」
「えっ!?でっでも、ウチにある水瓶は人が入れるような大きさじゃないですし…。」
「それも大丈夫。まぁ見てて。」
モモンは<
モモンは第3位階までしか使えない設定なのに第7位階魔法を普通に使ってしまっているが、2人とも魔法には詳しくないらしいので大丈夫だろう────たぶん。
「すっ、すごい!すごーい!」
「本当…魔法って凄いんですね…。」
2人はそれぞれ異なるリアクションを見せる。とりあえずは気に入ってくれたようで安心する。続いて、桶の中に狙いを定めて
2人とも、初めて見た和風露天風呂に興奮しているようで、「わぁ…!」という声とともに破顔一笑する。モモンはその様子を見て満足気に頷く。これで2人の衛生事情も多少は改善されるだろう。
「それじゃあ私は後で入るから、お先に──」
「え?モモンお姉ちゃんも一緒に入らないの?」
「──えっ?」
モモンは間の抜けた声を漏らす。何となく心の内で危惧していた可能性ではあるが、少なくとも此処には裸の付き合いという文化は無さそうだから、まずそういう展開にはならないだろうとタカをくくっていた。だが、現実は非情にも彼女の推測を打ち砕いていったようだ。
「せっかくこんなに大きいお風呂作ったんだもん!みんなで!一緒に!入らなきゃもったいないよ!」
「えぇ…!?で、でも…そういうのは恥ずかしいから…!」
ネムはどうしてもモモンとお風呂に入りたいようで、彼女に擦り寄り懇願する。不味い。これはとても不味い。一緒のベッドで寝るのはまだ耐えられたが、まだ幼いとはいえ10歳にもなる女の子と一緒にお風呂など完全に事案以外の何物でもない。もちろん傍から見れば女同士で仲良くお風呂に入っているようにしか見えないので咎められる事は無いだろう。しかし、女性的な服装を好むようになったりと多少外見に引っ張られつつあるとは言え、まだまだ成人男性鈴木悟の精神が残るモモンには罪悪感を抑え切れる自信が無かったのだ。
「わ、私もそう思います!」
エンリが顔を少し赤くしながら主張する。そういう風習がないのも一因だろうが、彼女も年頃の女性として、他の人との裸の付き合いには抵抗があるのだろう。まさに渡りに船だ。「エンリ…!」と、モモンは援護射撃をしてくれた救世主に向かって希望に満ちた笑みを向ける。
「私も──こんな素敵なものを作ってくれたモモンさんだけ除け者にするのは違うと思います!だから…恥ずかしいですけど、私もモモンさんと一緒に入ります!」
「………………」
モモンは笑顔を向けたまま固まった。
──終わった。儚い夢だった。エンリの同意はモモンの言葉に対してではなく、ネムの言葉に対するものだった。彼女は援護射撃と見せかけて、モモンの背中を容赦なく撃ち抜いていった。まさに四面楚歌。モモンには最初から味方などいなかったのだ。自分自身も一度は大きなお風呂に肩まで浸かって堪能してみたいという願望を持っていて、ここぞとばかりに欲望のままに複数人が入れるサイズの湯船を作ってしまったのが全ての敗因だ。自業自得なのだ。もはや諦めるしか道は残されていない。
「わ、分かりました…。」
「やったー!」
(もう、どうにでもなれ──)
今日モモンは此処で、もう二度と男には戻れない一線を超えることになるのだろう。彼女は天を仰ぎ、考える事をやめた。
◆
「本当に…いいお湯でした。」
「…………うん、そうだね。」
「また明日も一緒に入ろ!」
「…………うん、そうだね。」
結論から言うと、お風呂はとても気持ちが良かった。なんなら超満喫した。まだ明るい時間だったので、露天風呂とは言っても大した景色は見られなかったが。この世界では光源が乏しく、地球では見られなかった満天の星空を拝むことだって出来る。明日は天気が良ければ、夜に入るのも良いかもなぁなどと考えているくらいにはとても満足が行くものだった。
お風呂に入る時は、当たり前だが緊張した。自分の体は転移直後以来見ていなかったので最初は抵抗があったが、一度しっかりと見てしまえばどうと言うことは無く、案外あっさりと受け入れてしまった。実際のところは分からないが、もうこの体は自分の体として脳が理解しており、かつ女性になった事で精神的にも女性寄りになっているのが理由かもしれない。
だが──他人は別だ。恥ずかしさと罪悪感が入り交じって非常に目のやり場に困ってしまった。エンリも少し恥ずかしそうにしていたのが余計に共感性羞恥を呼び起こさせてしまう。久しぶりに精神抑制が働き多少はマシになったが、この時ばかりは効果が薄まっていることを恨めしく思った。
お湯に浸かると光の反射で水面下にある2人の体が見えにくくなったため幾分か安心でき、ようやくお湯を堪能出来るようになった。ネムがはしゃいで水面を波立たせてくれたのも逆に有難かった。
緊張が落ち着いてからは、お湯の温かさを全身で堪能した。お湯があると肩までしっかり身を沈めたくなるのは、きっと日本人の精神に根付いた本能のようなものなのだろう。
お風呂から上がった後、エンリの両親にも勧めておいた。とても感謝されたものの、ウチだけこんな贅沢をしていたら村の人から羨ましがられる…最悪、妬まれる可能性もあるかも知れないと懸念していてハッとする。言われてみれば確かにそうだ。普段貧しい暮らしをしているからこそ、そういった行為には敏感になってしまう人もいるのだろう。モモン自身も貧しかったので、その気持ちは何となく分かる。だが、全員分を用意するのはいくらモモンであっても無理がある。
村の人たちには悪いけど、もっと人目につかない遠方に設置場所を変えた方が良いな────
明日は挨拶回りの際に誘いをくれた
【捏造設定メモ】
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原作だと転移世界では椅子が作れるとあるが、ここでは他にもイメージさえ出来れば色々作れるという設定に拡大解釈。但しイメージを再現できるのは外観だけなので、例えばフカフカの布団をイメージして作っても出来上がるのは見た目がフカフカの布団に見える固い素材でできた何かである。もちろん木製の物も“木製風の何か”になる。
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永続光と同様に術者の魔力量で調節出来る温度の幅が変わる。モモンクラスなら凍る寸前から沸騰水まで(つまりほぼ全ての温度)可能。