魔法少女の体を乗っ取った。故意ではない。 作:梔子ナナ(クチナシ)
「知ってる天井だ」
起きて、身支度をした。体が尋常ではなく怠いので、もう一度寝るための準備だ。
体は機械のように動いた。体が覚えてるってやつだ。風呂場の鏡に映った裸体は凄まじく魅力的だったが、俺には興奮するだけの気力が無かった。
冷めた焼きそばだけを頬張って飲み込んで、歯磨きをして、しばらくヘックスを眺めて、ベッドに入る。気が付けばかなりの時間が経っていた。奇妙な匂いがしていた。お腹の中には異物感があった。動いたからか、スッと入眠できた。
―
真っ白な空間。ああ、夢だ。でも空間が狭い。トイレくらい狭かった。
「夢は、魔法少女の力の源」
ぬいぐるみが喋っている。白いぬいぐるみ。
「ぬいぐるみじゃない。私は君。君の体の本来の持ち主」
猫のような、熊のような、判別の難しいぬいぐるみが喋っている。
見つめていると確かに人間の顔に見えてくる。
正直、気持ちが悪い。リアルすぎる赤ん坊の人形みたいだ。
白い赤ん坊の人形が、向かって右に佇む黒いぬいぐるみを指す。こっちは可愛い。いや少し気味が悪い感じもあるが、愛嬌もある顔をしている。いややっぱり黒い方もどこか怖い。鏡を見ているような感じがある。
黒い方がぎょろりとこちらを見た。あ、男の目だ。男だ。見たことがある男の目をしている。俺か? よく見ると黒いぬいぐるみは壊れていた。布地が破れ、綿が少し飛び出ている。中で何かが蠢いている。ぬいぐるみではない何かが。
「あっちの黒いのが厳密なぬいぐるみ、つまり妖精だけど、こうなっては妖精も私も似たようなものだね。妖精は魔法少女のリミッター。妖精を近くに伴わず戦い続けた、だから私の魂は変わってしまった。それとは直接関係無いけど、先の戦いで私がダメになったので自室に置いてたリミッターも連動して壊れた。あれは残骸だね」
手動で魔法少女から人間に戻るのを繰り返した反動で、魂の形が人間のものではなくなっている。妖精によって担われる機能を自身で代用した結果、魂は妖精に近い様相を持つようになった。そして一般人の魂に取り囲まれた時、このうち一人ならば救えると俺は直感して。
あれ? なんだ、これ。知らない記憶だ。首を傾げる。
白い人形が首を傾げてこちらを覗き込む。見開いた目は生きていた。口元は清楚でありながらどこか妖艶な色気があった。
「賢いな? 状況証拠だけでここまで。いや、私の記憶で喋っているのか。なはは」
知っている笑い方だ。俺ではない俺が知っている。鏡の中で知っている。つまり。
私。俺は私。私は俺。意識すると、記憶が流れ出す。溢れ出す。
試しに笑ってみる。
『なはは』
そっくりだ。可愛い。俺可愛い。
「可愛いだろう。なはは」
しばらく笑い合う。楽しい。
ギチギチと音を立てて、目の前の人形が大きくなる。人間と見分けがつかなくなる。そこまで大きくはないが、俺と同じ全く大きさだ。
綺麗で可憐だ。白のロリータを着こなしている成人女性だ。目を凝らせば全部がよく見える。見えないところも見える。なはは。
「見てもいいが、節度は守ってくれよ。それと」
それと、今の状態は俺たち双方にとって危険だから対処法を考えよう。何がどう危険かは分からないが、先ほどの吐き気や悪寒はただ事ではない。純粋な体調不良の線は否定できないが、俺はこの体を乗っ取っているのだ。何か不具合があってもおかしくない。
「そうだ。解決策は一つある。人格排泄を行う」
は?
ああ、ダメだ。『解説します!』と言わんばかりに知っているような知らないような知識が流れ込んでくる。
「安心しろ。オリジナルの君が私の体の中から消えるだけだ」
オリジナル? 何のことだ。
「見たまえ。アレだよ」
にょろにょろした触手が生えたぬいぐるみがこちらを見ている。触手は直視しがたかった。明らかに俺だった。確かに俺だった。ちょっと俺が知ってるのより大きく見える気もするが、俺だった。俺の俺だった。
「かなり難儀したが、私から追い出すことには概ね成功した。私と妖精の繋がりを通じて移動し、今はああして妖精の中に巣食っている。だから妖精ごと排泄する」
俺、俺の俺をトイレに流すのか?
「そうだ。あれは魔法災害の一種だ。下手打つと予後が悪い。今すぐやる。すでにトイレに移動しているから、踏ん張るんだ。魔法で内側の感覚はほぼ遮断してある。天井を見て踏ん張れ。出したらノールックで流せ。分かったな? じゃあいくぞ、
3、2、1」
―
トイレの天井だ。踏ん張る。音を聴きたくないので声を張り上げる。
「ぁぁああ~~~~ッ」
思っていたよりも声が出なかった。細い美声が出た。最悪だ。
出し切った。音が響いた。勘で後ろに手を伸ばし、レバーに触れる。
「てめえ! このクソアマ、よくぼごぼぼぼ」
真下から声がした。濁っているが俺の声だった。最悪だ。
レバーを力の限り思い切りひねる。水が流れていく音がする。何かが藻掻いている。最悪だ。水が跳ねてきた。最悪だ。
気の遠くなるような体感時間の果てに、周囲から音が消える。否、換気扇の音だけが残った。
「なんで俺はここにいるんだ?」
俺の声ではない俺の声がトイレに響く。綺麗で透き通った声。焦燥と無理解が滲んだ声。
なんだ、今の。頭では理解できるが、受け入れられない。絶対に夢に出る。
『説明を求めているわけではないのは分かるが、把握していないと後々困る可能性があるから説明するよ。殺しちゃ可哀想だと思ったから助けることにした。リスクを承知で取り込んだ。君だったのはたまたまだ。せっかく助けたのにトイレに流しちゃ可哀想だと思ったから、自分の体の中に君の人格を複製した。これは完全に私のエゴだ。心の底からすまないと思う。魔法災害はトイレに流した程度では死なないから、あっちの君も安心だよ。魔法災害は想念であり概念だからね。多分君が一人暮らしをしているアパートのトイレかどこかにリポップしてると思うよ。なはは』
細い足と足の間に置いてある人形が喋った。綺麗な人形だ。可愛い。最悪だ。本来の妖精は流したから、妖精の機能をこいつが代行するのだろう。分かる。俺はこいつだから。
『正直ずっと休みたかったんだ。私はしばらく夢の中で過ごさせてもらうよ。ママも夢の中に行ったからね。だから君は私の体を乗っ取ったままでいい。あ、そうだ! 矛盾点の解消は私の権限でオフにしておいたよ。それじゃ、またね! なははは!!』
人形の目から生気が失われた。強く呼びかければ返事が来る確信、奇妙な繋がりの感覚だけが残された。
廊下に出ると、
寝室のデスクの上には大量のぬいぐるみが並べられていた。
しばらくぼーっとする。色んなことが頭に浮かんでぐるぐるする。
今の俺のこと、排泄されて流された俺のこと。俺ではない俺、この体の本来の持ち主のこと、人形のこと。
薄暗い中でパソコンの画面が煌々と光を放っている。不注意で床のいくつかの缶に足をぶつけ、カランカランと音を立てながら窓際まで歩いていく。カーテンの隙間から外を見ると、ちょうど夜が明けるところだった。今寝たら怖い夢を見そうなので起きていたいが、非常に嫌なことに、スッキリして眠気と倦怠感はピークを迎えていた。
ママのぬいぐるみを枕の近くに置く。俺のものでない記憶で知っている。魔法少女の夢の中は一種のパラレルワールドに近い代物なっている。消えたように思われる存在と、その存在との繋がりとは失われないままずっとそこにあるのだ。夢の中を夢の中と思わずに彼らは暮らしている。だから何も不安になることは無い。
繋がっているという感覚は親しみとして頭の中で解釈され、愛着のような何かに転じ、俺は人形を抱いてベッドに入った。『わぁ、大胆~!』と胸元のあたりから聞こえた気がした。
『大正解。なはは。現状おもろ』と聞こえる。答え合わせだ。布団の中を見ると、生きている目が俺を見ていた。目が笑っていた。人形の口が開く。口の中が生きていた。
『何がそんなに不安なのさ。と言っても、君は私だから、分かるのだけれど』
不安なのは、故意ではないにしろ魔法少女の体を乗っ取った俺と、トイレに流された俺のこれからだ。
『不安になることは無い。これまで、そしてこれからの良縁が君を好い未来へと導いてくれる。君はもう魔法少女だ。だから、そう信じさえすれば――』
どこか聞き覚えのあるフレーズに心を
読んでくださりありがとうございます。感謝を。