トレーナーが担当ウマ娘そっくりになっちゃう話   作:なめろう、ご期待ください

2 / 7
続いてしまった


二日目

 にわかに外が騒がしいことに気づく。

 まだ少し眠いが、何かあったのであれば確認しなければならない。そう思いベッドから起き上がろうとしたら、思いの外勢いがついて転びそうになった。

 寝起きで覚醒しきっていなかった為に、先日までの老体ではないことを失念していた。同時に、朝から身体が軽い事に少し感動を覚える。

 

「老いた事に後悔は無いが、やはり仕事をするなら常にこれぐらいがありがたいな……」

 

 トレーナー稼業は体力仕事で、身体が資本。よって常日頃食生活に運動と気にかけていたのでそう酷くはなかったが、老いから来る関節を始めとした各部位のガタがどうしても目立ってしまった。

 それこそ、最近は杖を導入するべきか悩んでいたほどだ。

 

 さて、意識を戻して改めて外の確認をしようと動き始める。ベッドから降りて、念の為部屋にあった姿見で身だしなみを確認しておく。万が一致命的な寝ぐせが付いていれば、自分の担当するウマ娘に要らぬ恥を掻かせる事になりかねない。

 良くも悪くもこの業界は年頃の少女を相手にする都合、常日頃こういう美意識は老若男女問わず求められた。まして担当の為の資料作成で徹夜なんて日常茶飯事だから、隈の状態を確認する意味でも暇があれば鏡を見るのが日常的な行為であるトレーナーが殆どだろう。

 

 軽く見た所で何も問題が無いのを確認したら、改めて外の様子を見る。ふと置き机の上の時計が目に入り、現在時刻が朝5時である事を教えてくれた。

 そしてドアを少し開けて、その先に見える光景を目にして理解する。

 

「……そうか、朝練をする子が集まっていたのか」

 

 学生の寮は基本的に22時から翌5時の間、外出禁止だ。逆に言えば、朝5時からは自由に外出ができる様になる。だから今この時間、朝練に向かう生徒たちが玄関口に殺到するのも当然と言う訳だ。

 

 ちなみに俺が今居るこの宿直室は、通常寮長が門限破りの悪い子を取り締まるためにある。つまり玄関のすぐ近くにあり、門限ギリギリの子を捕まえて注意したり、玄関が開けられるのと同時に入れちがいでさりげなく戻ろうとする子を捕まえてお説教したりするのに便利な配置である。

 それに加えて、今の俺はウマ娘の身体だ。ヒトの時よりずっと耳が良く、それで目が覚めてしまったのだ。さて、随分早起きしてしまったがどうしたものか。

 

 

 

「あれ、さっきアヤベさんがそこから覗いてた様な……」

 

 しかしそう考えている内に、そんな声が外から聞こえて来た。

 この声は聞き覚えがある。アドマイヤベガの友人にして、ライバルでもあるナリタトップロードの声だ。恐らくは外の様子を窺う為に扉を開けた時、偶然視界に入ってしまったのだろう。

 

「いや見間違いじゃねぇの? あの人そういう柄じゃねえだろ、担当トレーナーも大分堅物だしよ」

 

 もう一人の声は、誰だったか。あまり聞き馴染みが無いので面識は無いのだろうが、ナリタトップロードとは親しげなので同室相手か。

 何にせよ、この流れはあまり良くない。一応学生用の寮はウマ娘であれば、立ち入り自体はギリギリ許容される。だが俺は元ヒトで男性、現状立場がハッキリしていないのでグレーゾーンだと思う。

 

 そんな状態で、まさか俺はアドマイヤベガではないと説明する訳にはいかない。まして俺一人で説明するとなると、話がこじれる可能性すらある。

 急いでアドマイヤベガや、寮長で事情を知るフジキセキ辺りを呼ばなければならないのだが、今から呼んで間に合うだろうか?

 

「私がアヤベさんを見間違える筈がありませんよ。ちょっと心配ですし、見に行って来ますね」

 

「取り越し苦労だと思うけどなぁ、行ってら~」

 

 だがそれ以前に、彼女はほぼ即決する人物であった。判断する余裕も無ければ、助けを呼ぶ暇もない。

 

 ……覚悟を決めるか。

 

「なにしてるのよ、トップロードさん。私ならここに居るわ」

 

「……うぇ!? アヤベさん!?」

 

 しかしそんな覚悟も、救いの手が差し伸べられた事で霧散する。聞き親しんだ担当の声が聞こえるのが、こんなに頼もしかった事も無いだろう。

 そもそも、ウマ娘達がこの時間に集まる以上は彼女もこうなる事態は予想していて可笑しくない。彼女も行動してくれていたのだ、心強い物だ。

 

「そんなお化けを見た様な反応止めて、普通に傷つくのだけど」

 

「あ、ごめんなさい……。いえ、でも。さっきそこから見えたの、絶対アヤベさんだと思ったんですけど……あれぇ?」

 

「ほら見ろ、やっぱ人違いじゃねーか。さっさと朝練行こうぜ、まだ気になるってんなら俺は先に行くからな」

 

 こちらからは外が見えないので表情は分からないが、ナリタトップロードが困惑するのも仕方がないだろう。彼女はアドマイヤベガが色々と抱えていた時、何かと気にかけてくれていた良き友人だ。

 本人の言う通り、ナリタトップロードは決してアドマイヤベガを見間違う事は無いのだろう。

 

 結局、ナリタトップロードは困惑の声を継続してあげて、アドマイヤベガがそれを落ち着かせようと働きかけていた。一緒に居たもう一人は、付き合えないと足早に去ってしまったのが音で分かった。

 そしてもう暫くもすれば、辺りはすっかり静かになる。話し声も扉の前に居る二人分だけになった。

 

 ……とはいえ、遠目でも見間違える事が無い彼女に隠し続けるのは少々厳しいだろうとも考える。

 さっきだって俺は片目が出る程度にしか開けていない、そこから人物を特定できる程に彼女はよく見てしまえる以上はバレるのも時間の問題だろう。

 そうでなくとも、この後トレーナー全体へ通達が行く筈だ。その時に彼女も知るだろうが、今ここで俺を見かけてしまった以上は変な勘繰りをされる前に正体を明かしておいた方がいい気がする。

 

 兎に角、一先ず今は現状の解決だ。実際、水掛け論でアドマイヤベガも少し困っている様子が窺える。良くも悪くも、打ち解けた相手に強く出れない所があるらしい。今までの反動だろう。

 

「……アヤベ、俺は構わん。彼女には話すべきだろう」

 

 だからこそ、俺が助け舟を出す。幸いこの耳のお陰で、扉の前の二人以外には周囲に誰も居ないのが分かる。扉を僅かに開けて、そこから声を掛ける。

 二人とも驚いた様子だったが、幸いにしてアドマイヤベガは直ぐに俺の意図を察したらしい。軽くため息を吐かれはした物の、ナリタトップロードの手を引いて部屋の中に入ろうと動いてくれた。

 

「あ、あの。これはいったい、どういう事なんですか……?」

 

「正直、キチンと説明をするならタキオンさんを連れてくるのが一番だと思うのだけど」

 

「どの道、今日から各トレーナー宛に俺についての情報が共有される予定だ。交流の深い彼女のトレーナーから伝わるならば、遅いか早いかの違いにしかならんさ」

 

 俺の姿を真正面から見たナリタトップロードは、案の定激しく動揺していた。まして彼女も、アドマイヤベガの妹について事情を話した数少ないウマ娘の一人だ。それが俺の姿を見れば、余計に不安を覚えるのも当然だろう。

 そしてアドマイヤベガからも、説明をするのならばアグネスタキオンもという提言も納得できる。確かに事の発端であり、彼女の説明があった方が恐らく早い。

 

 だが、今日からは理事長からトレーナー全体に対して今回の件が早朝から発表される。であれば、かねてより交流のあったナリタトップロードとそのトレーナーは直ぐに情報共有を行うだろう。そこから不用意に生徒間で情報や噂が伝播するのは、俺もアドマイヤベガも不本意な筈だ。

 まして俺が今朝の時点でここに居るのを見られている以上、そこから余計な妄想を広げられても困る。

 

 そういった部分もかいつまんで説明し、事の次第を説明する。幸いアグネスタキオンの名前を出した時点で、話の7割程をすんなり理解されてしまったので思ったほど苦労はしなかった。

 

 ……いや、それで良いのか?

 

 

 

「なるほど、それで今日はこちらで寝泊まりしていたんですね。……えっと、エーレンフリート、さん?」

 

「呼び方は任せる。どうせ妥協した名前でもあるしな」

 

「……どの辺りが妥協なの? 思い入れがあるとか言ってなかったかしら」

 

 ある程度の説明も終わり、最後に名前の話もしてやれば早速呼んで来た。まぁ元の名前でも良いし、トレーナーでもなんでも好きに呼んでくれて構わないのだが。

 ……アドマイヤベガはやはり気になるのか、やけに突っかかってくる気がする。

 

「元のスペルに対し、読み方が少しな。本来ならばエーレンフロイントか、エーレンフロイトの方が正しい発音に近いのだが……フロイトという響きがどうにも苦手でな。思い入れのある言葉ではあるのだが、それとは別の事情で仕方なくそれらしく変えたといった処だ」

 

「……そう。何処かの国の言葉みたいだけど、なんていう意味なの?」

 

 俺の説明に、若干態度が和らいだ気がした。まぁ、思い入れがあるだの、古い友人だのなんだのと言っておいて、その上妥協と言った俺も言葉選びが悪かったかも知れない。

 何ともちぐはぐな事情の上で、この名前は成り立っている。それを彼女達に語る日は来るかは分からないが、教えても面白い話ではない。必要に迫られない限りは無いだろう。

 とはいえ意味ぐらいであれば、教えても良い。知られて恥ずかしい物でもない。

 

「ドイツ語で、尊敬する友人という意味だそうだ。かつての友人達から、贈られた言葉でな。俺自身は、そう大した人間では無かったのだが……」

 

「そう? アナタはそうやって必要以上に謙遜……いえ、過小評価する所があるから信用ならないわね。アナタがそんなに気に入るって事は、それぐらいその友人達からの贈り物が嬉しかったんでしょうね。それと同じくらい、その友人達も本気だったと信じてあげなさい」

 

「……善処する」

 

 しかし、やはり言うべきでは無かったかもしれない。知られて恥ずかしい事ではないのは確かだが、アドマイヤベガからは俺の自己評価が低いと思われている為、結局こういう妙な所で指摘を受ける。それが少し恥ずかしく思う。

 本当に俺は大した人間ではないのだが。むしろ周囲の皆の方が、過大評価しているだけなのではと思っている程だ。

 

「そうして欲しいわ。自分のトレーナーが普段からそうだと、アナタに救われた私が惨めになるもの」

 

 ……まったく手厳しい。

 今の担当にはすっかり、こちらの手の内を知られてしまったらしい。老い先短いからとなあなあにしていたが、今の姿ではその言い訳も通用しないだろう。

 

「はは、降参だよ。わかった、俺ももう少し前向きに生きてみよう」

 

 彼女の要望通り、前向きに自分を評価してみるとしよう。過ぎた事で悩み続けるのは、それが現在まで他者にも迷惑をかけている場合だけで良い。

 

 

 

「……お二人って、実はお付き合いされてました?」

 

「「付き合ってない(わ)」」

 

 不意にナリタトップロードからそんな言葉を投げ掛けられ、反射的にそう返す。

 奇しくもアドマイヤベガとタイミングが重なったが、なにぶん声がほぼ同じな為にどちらがどう言ったのか判断に迷った。内容は同じなのだが、まぁトーンだったりの違いなんかだ。

 

 ……今後、アドマイヤベガとは言葉を少しずらさなければな。なまじ今の声が彼女と似ているせいで、女性らしい口調が自分の中に入り込みやすい気がする。

 現在進行形でウマ娘として生きる為の外堀が埋まっている以上避けようは無いが、元男性というアイデンティティを誇示出来そうな部分がもはや口調しか無いのも悩ましい。

 

「すごく息ピッタリじゃないですか……。まぁ話を戻しますけど、とりあえずエレンさんで良いですか? フロイトが苦手なら響きの近いフリートも避けた方がいいかなって」

 

「ふむ、エレンか。悪くない」

 

「そうね、変にエーレンとか言うよりは呼びやすいし。それで良いと思うわ」

 

 ……なにやら彼女の発言に遠慮が無くなっている気がする。今までの彼女ならば俺がいる手前、発言に多少気を付けていた印象があったのだが。

 

 しかし考えようによっては、姿が似た為に今までよりずっと親しみやすくなったとも考えられる。変に遠慮されて本音を隠されるよりはずっと良いだろうと、これといった指摘はせずにおく。

 どの道、俺の予想が正しければあの理事長の事だ、俺を学生として扱う等と言い出しかねん。いや流石に無いと思いたいが、なにぶん前例が無いので肯定も否定も出来ない。厄介なことこの上ないな。

 

「さっきも言ったが、呼び方は好きにしていい。今日はこの後、理事長室で諸々の手続きがある。アヤベは普段通り授業に出てくれて構わん、終わる頃にはこちらも話は纏まる筈だ」

 

 ……恐らく。

 

「……正直、あの理事長の事だから妙な事をしそうだけれど。まあそっちはアナタに任せるわ、私がどうこうできる話でもない事だし」

 

「ああ、暫くは面倒をかける」

 

「……暫くで済むと良いわね」

 

 やはり理事長に対する認識は、俺とアドマイヤベガで共通らしい。残念ながら不安しかないのは、諦めて受け入れるべきなのだろうか。

 

 しかし、本当に遠慮がない。というより、彼女も諦念を抱き始めているのだろう。

 俺が元の姿に戻る事もそうだが、俺が今後ウマ娘として生活せざるを得ない事により起こる各種弊害。それらに対して、ある種の諦めを抱いて受け入れようとしているのかもしれない。

 その一環として、俺に対して他のウマ娘や友人と同じような扱いをしようと心がけているとも取れる。

 

 

 

 さて、何であれ時間は進んで場所も変わり、今は理事長室に居る。

 俺の目の前には幾つかの書類が鎮座し、軽く目を通すだけで俺の戸籍情報を変更する為の物である事が分かる。よく見ると書類の各所に役所のみならず、シンボリにメジロ、URAに俺が契約している各種金融機関の名前が見える。

 

「説明! その書類は、此度の君に合わせて用意した物である! 君ならば書類に目を通した際に気付いていると思うが、メジロ・シンボリ・URAによる全面協力体制を敷いている!」

 

「今回のトレーナーさんが極めてレアケース、かつ可逆性は絶望的であるという現実的観点から戸籍含め、トレーナーさんが契約中の金融機関や各種行政サービスの類を纏めて変更してしまおうという流れと相成りました。それに当たり、メジロ家・シンボリ家お抱えの興信所及び弁護士団、URA財務部の協力の下、この書類が作られた形になります」

 

「……随分と話が大掛かりな事になっているのだな。で、結局この書類で何が出来るのか聞いても?」

 

 俺が書類を見ていれば、理事長の秋川やよい、続いてその秘書である駿川たづながこの書類が用意された事に関しての経緯を話してくれた。

 今しがた言ったが、本当に大掛かりだと思う。ましてシンボリにメジロなど、俺は接点が殆ど無い。総務委員会に所属するアドマイヤベガの付き添いで、精々生徒会長のシンボリルドルフと顔を合わせた事がある程度だ。

 

「はい。簡単に言ってしまえば通常各契約先や金融機関、その他多くの各種変更の為の書類記入業務を、今回用意した書類のみで完結させる事が出来ます」

 

「それは、凄い事なのではないか?」

 

 普通、こういった書類はあっちへ行ったりこっちへ行ったりして書いて行く物だ。それがこの場にある書類だけで片付くだと?

 

「うむ、事実凄い事であるぞ! とはいえ、その実態は今回の書類に貴殿が記入し、同意のサインをする事で各種変更手続きの業務委託をメジロ、シンボリの弁護士団が全て引き受けるという物だ! 多用出来る物では無いという事を理解いただきたい!」

 

「なるほど、ちゃんとカラクリがあるのだな」

 

 いつの間に行政機関がこんなに便利な物を作っていたのかとも思ったが、単に業務委託の書類であったか。

 まぁ完全に個人情報の類だ。通常は本人が行わなければならないが、こんな姿になってマトモに作業が進むとも思えない。まして今の俺は性別からして本人と違う以上、下手に真っ当な手段を使うと何もできない可能性の方が高い。

 であれば、多少無理にでも絶大な権力を誇る名家や組織の力を借りて、各種処理業務を委託する名目で書き換えた方が早い。

 

「ですので、今回トレーナーさんに記入していただきたいのが目の前、戸籍情報変更の為の真ん中の書類と、その右隣の金融機関の名義変更の書類。そして左隣の、各種サービス・契約の名義変更書類となります。トレーナー契約、及びライセンスの名義変更に関してもそちらに集約されていますので、記入漏れや書き損じにご注意くださいね」

 

「補足! 左右に振られた名義変更書類には、戸籍情報変更の書類に記載した新しい君の名前を記入する様に! 先に戸籍情報周りの処理を進め、それが完了次第名義変更に取り掛かる形になるのでな!」

 

「分かった、気を付けよう」

 

 注意事項を聞きつつ、一先ず書類に目を通す。

 おかしな点がない事を確認して、もとの名義と先日考えた新しい名前を所定の欄に記入していく。

 

 そして書き終えたそれを、たづな秘書が確認する。様子を見る限り不備はないらしく、最後にニッコリと笑みを浮かべてこちらに振り向く。

 

「はい、問題ありません。エーレンフリートさん、ですね? 今後はこちらの名前で呼ばせていただきます」

 

「ああ。長いようなら、エレンでも構わん。今朝、アヤベとトップロードにそう呼ばれる事になった所だ」

 

「ではエレンさん、残りの書類もお願いします。書類とは別に、今後の打ち合わせ等もありますので」

 

 俺はそれに頷いて、黙々と同じように作業を進めていく。内容の確認を挟む都合、どうしても時間が掛かるが大事なことだ。

 それを理解しているのはやよい理事長とたづな秘書も同じだ、伊達でその地位にいる訳じゃない。なれた様子でお茶をいれたりと、こちらの邪魔にならない範囲で時間を潰していた。

 

 ……頭の上のあの猫は、重くないのだろうか。

 

 

 

「お疲れさまでした、エレンさん。あとはこちらで処理いたしますので、必要記入分はほぼ終わりとなります」

 

「いや、覚悟していたよりずっと少量で拍子抜けした程だ。そのうちメジロやシンボリには礼に出向かないとな……」

 

 最後の確認事項を読み終え、これまた最後の必要事項を記入し終える。これで一段落、ウマ娘として生きていくための基盤が一通り整った。

 しかし「ほぼ」というのが気になるな、やはり理事長の突飛な発想だろうか。何かあると身構えた方がいいな。

 

「いえ、それについては先方から不要の連絡を受けています。エレンさんからのそういった連絡や届け物も、全て受け入れないとも」

 

「それはまた随分と、思い切りましたね」

 

 一切の礼を受け付けないと来たか。

 こちらに気を回してくれているのだろうが、なんともむず痒い。

 

 そうしていると、やよい理事長がパッと扇子を開いた。今回は、検査と書かれている。

 なんの検査だろうか、そう思うのと同時にあの扇子は結局何なのだろうかとも思う。いや、こちらは毎度思っているのだが。

 

「さて! エレントレーナー、君には病院で各種検査を受けて貰う!」

 

「……ふむ、肉体の変異後の検査ですか。アグネスタキオンが先日提出した俺の観測データでは、不足する事でもあったでしょうか?」

 

「肯定! 彼女の提出したデータでは、現在のエレントレーナーの肉体年齢が不明だ! 外見だけ若返っているのか、中身も全て若返っているのか。それらの確認とも言えるな」

 

 なるほど、確かにそこはハッキリさせておきたい。もちろん今朝の事もある、恐らく中身も若返っているのだろう。

 だがそれがウマ娘になり、向上した身体能力ゆえにそう感じるだけかも俺には判断できない。

 そういう意味では、この検査の申し出は願ったりかなったりという奴だ。

 

「了解した、そういうことならば断る理由もありません」

 

「うむ。車は手配してある、たづなに案内を任せているのでそちらにしたがって欲しい」

 

 やよい理事長がそう言うと、たづな秘書が立ち上がって誘導を始める。俺もそれに続き、彼女の後を追う。

 ……改めて、立ち上がる時にさほど時間を要さずに済むのは素晴らしい。こうも劇的に変わると、長い時間をかけて慣れて行った老いがどれだけこの身体を蝕んでいたのかが分かった。

 

  あまり良くない傾向ではあるが、それでも少しだけ戻るのが惜しく思う。

 

 

 

 とはいえ、現実問題としてそもそも戻れるかと言えば否である。

 現に今、病院に来て検査を一通り受けた後。担当医から、本当は言わない方が好いんだろうけどもと前置きを受けた上で。

 

「正直、よく死なずにその姿になれたなって思いますよ。外見的には整ってますけど、内面は滅茶苦茶でしたからね。ほら見てください、これが胃なんですけど、これがですね……その、子宮です。新しく出来た子宮に押しつぶされてます。ここもよく見ると精巣らしき物が残ってるので、余計に圧迫されてますね。たぶんその姿になってから全くお腹空いてないでしょ? この圧迫と、たぶん神経周りも今滅茶苦茶になってると思います。そのせいですね」

 

 なんて、とんでもない事を捲し立てられた。本人に言わせれば、これでもまだ言い足りないのだという。

 その上で、万が一にも元に戻る方法があるかと聞いてみたのだが。

 

「少なくとも同じ薬品によって戻ろう、って考えは捨ててください。今はウマ娘のバイタリティがあってほぼ健康体を維持できてますが、ヒトの……それも70代目前ともなると負担に耐え切れずそのままなんて可能性があります。かと言って外科的に元に戻るのも、現状の医療技術では困難を極めるでしょう。単に男性にするのであれば可能性は無い訳じゃないですが、元の年齢にとなると……」

 

 という話であり、完全にお手上げらしい。

 まぁそんな事だろうとは思っていた。たかだか薬品でここまで姿が変貌するのに無茶が起きていないわけが無い、案の定俺の内臓は滅茶苦茶になっていたらしい。

 生命維持に問題は無いが、当分は固形物を食べない様にとのお達しが出た。流石に栄養やカロリー、水分は取らないと死ぬらしいので幾つか提供して貰ったので早速腹に収めておく。

 

 ついでに、物を入れた胃の状態も見てみるかと聞かれたので、お言葉に甘える事にした。

 なんだかんだでこういうのを見る機会は無いし、場合によってはゼリー飲料等でのエネルギー摂取後の運動に関するヒントを得られるかもしれない。俺という個人の好奇心もあるが、トレーナーとしても見ないという選択肢は無かった。

 

 とはいえ結果として、医者も予想外な事が起きたわけだが。

 まさか摂取されたエネルギーや水分を丸ごと使って、周辺の内臓が凄まじいスピードで最適化されて行っている等と誰が予想できようか。

 どの道急激な内臓や神経の自然治癒による再建がどの様に肉体へと影響を及ぼすかが不明だった為、その働きを用いるのは通常の食事間隔にしようという話に落ち着いた。

 

 ……この辺りの説明をアドマイヤベガ達にもしなければならないと思うと、少し気が重い。

 

 

 

───☆☆☆───

 

 

 

「————と、言う訳だ。思いの外、ギリギリだったらしい」

 

 午前の授業が終わり、丁度理事長室から帰ってきたトレーナーから話を聞いていた。

 内容は何というか、簡単に言って良い物だったのだろうかと疑問を抱くものだった。医者も医者だが、彼も彼だ。

 

「あのねぇ。実は死にかけてました、なんて話を食事の最中にされる側の気持ちを考えてくれる?」

 

 とりあえず、目下の不満を提言して置く。流石に食事中に、どうやら内臓が滅茶苦茶になっていて生きているのが不思議なぐらいだと言われてきた、なんて言われれば食欲も落ちる。

 まして体調を崩すなりで食欲を失ったのなんて、皐月賞を前にしたあの日以来だ。嫌な事を思い出させてくれるなこのトレーナーは。

 

「……すまん、配慮が足りていなかった」

 

「ま、まあまあ。エレンさんも自分で思っているより動揺してるのかもですし、多めに見てあげましょうよ……」

 

 私の指摘に素直に謝る彼と、そんな彼を庇う様に私を宥めようとするトップロードさん。

 まぁ彼女の言う通りだろうというのは分かっている。

 

 ウマ娘になりました、元に戻れない可能性が高いですなんて言われれば先ず動揺する。そこに加えて実は死ぬ一歩手前でした、なんて言われれば余計に動揺する。いっそ錯乱を起こしても可笑しくないだろう。

 昨日の今日の事で割り切れるとは思ってはいないから、本人にしてみれば畳みかける様にしてという形だろうし。

 

 まぁそこはこの際仕方あるまい。変に希望を抱いて裏切られるより、最初から諦めさせられる方が幾らかマシだと思うとした方が精神衛生上良いだろう。

 問題は、彼が病院から戻ってすぐの事。理事長室で言われたらしいという、今後の方針に付いての方が私としては重要だった。

 

「まぁいいわ、アナタが微妙に配慮が抜けてるのは今に始まった事じゃないし」

 

「……心当たりが無い、とは言えないのが辛いな」

 

 当然だ。直接苦言を呈したのは今回が初めてだが、彼の配慮の足りなさは事実今に始まった事じゃない。一周回って、そこは気を遣う所だろうと笑ってしまえる程度には酷い。

 

 今は関係無いから、頭の片隅に追いやっておくけれど。

 

「それより、理事長はなんて? たぶん、あんまり愉快な内容では無さそうだけど」

 

「うむ、その事だが……俺も学園の生徒になる事が、な。……決まったんだ」

 

 

 

 ……は?

 

 

 

「……可笑しいわね、聞き間違いかしら。決まった? 生徒にしようとしている、ではなく? 検討されている、しているでもなく?」

 

「残念ながら聞き間違いではない。これは決定事項なんだ。俺も耳を疑ったが、病院で検査をして知りたかった事を知ったからと踏み切ったらしい」

 

 頭痛がしてきた。彼も同じように頭痛に苛まれているのか、こめかみを抑える様な仕草で苦虫を嚙み潰したような顔をしている。

 あの理事長はなんだかんだで突飛な人だが、順序立てや説明は疎かにしない人だと思っていた。しかしそれは思い違いだったらしい。

 

 ……いや、流石にそれは早計かも知れない。話を全て聞いてから判断しても遅くは無いだろう。

 

「先ず、何を知りたがっていたの? そして何故、アナタを学園の生徒にしようとしているのかは教えて貰えたのかしら?」

 

「知りたかった事は、この身体の年齢だったようだ。結果は先ほども話したが……外見通り、アヤベと同じ17~8歳程度だった。細胞に関しても、概ね若返っていると形容出来る状態だから……要は寿命が延びたという所だな」

 

 なるほど、確かに生徒として迎えるには先ず年齢は必須だろう。

 実年齢もまぁ重要だろうが、肉体年齢から押さえる辺りうちの理事長はちゃっかりしている。

 

「で、他には?」

 

「それについては、是非トレーナーの視点で学園生活を送って欲しいとの事だ。ウマ娘を指導する者から見て、この学園で行われる授業や行事について生徒視点での意見が欲しいのだとか」

 

「いえ、それってだいぶ今更なのでは? 私のトレーナーさんも、過去に授業参観に近い形で視察をしてましたし。そもそも同じクラスですし、アヤベさんのトレーナーさんだってあの時一緒に居ましたよね?」

 

 トップロードさんが驚いた様に、彼の言った事に疑問を投げた。私も全く同意見であり、それに頷きながら彼の様子を見る。

 しかし彼が浮かべるのは、やはり困惑の表情。同じ顔だからか少し変な気分だが、何であれ彼自身も私達と同じ気持ちなのはそれだけでよく分かった。

 

「恐らく、この場にいる全員が同じ気持ちだろう。……理事長の思惑が分からん。何故俺を生徒にしようとしているのか、皆目見当がつかない……」

 

「……まぁ、生徒想いのいい人ではあるし、悪いようにはしないでしょう。それに」

 

 一つだけ、思い当たる事が無いわけでも無い。

 

 そう言おうとして、けれどこれはなんというか、彼にとって酷だと思い踏み止まる。

 医者からも元に戻るのは絶望的とされ、完全に退路を絶たれた彼には一つしか道はない。今回理事長が下した決定は、その道にある程度の導線を作る行為に他ならない。

 

 理事長の思惑は、彼がウマ娘として新たな人生を歩むための基盤づくりだ。

 彼もきっと、もう少し冷静になれば自分で気付くだろう。自分のために用意された、新しい道なのだと。

 

「————少なくとも、アナタの為なのは間違いない筈だから」

 

 最終的に彼が何を選び、進むのかは分からない。けれど、少なくとも今回敷かれた導線は彼の役に立つだろう。

 何を選んだとしても、トレセン学園を卒業するという実績は大きい。もちろん彼がトレーナーである事に変わり無いから、在学中も継続するのかも知れないけれど。

 

 そしてもし、彼が興味を持ってくれたのならば。

 私は喜んで、彼にあらゆる事を教えてあげたいと思う。

 

 

 

 貴女には悪いと思うけれど、それでもやっぱり諦めきれない憧れが私にもあるの。

 ……少しだけ、お姉ちゃんの我が儘を見逃してくれると嬉しいな。




お爺ちゃんの参考キャラがバレてしまう
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。