イノセントDays   作:てんぞー

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満月の下で

 ―――月が浮かんでいる。

 

 丸々と満月が夜空に浮かんでいるのが見える。公園の街灯は壊れていて、光源が満月以外には存在しない。そんな暗い深夜の公園、一人でベンチに座って唯一の光源である満月へと向けて視線を向けている。昼間の太陽の様な暑さはそこにはなく、目をやられるような明るさもない。太陽と違って月は不要なものまでは照らさず、優しい光で照らしてくれる。騒がしく明るい太陽も良いが、落ち着いた雰囲気の月も嫌いではない―――どちらか一方と言われると非常に困る話ではあるのだが。

 

「ふぅ―――」

 

 口から煙草の煙を吐いて視線を空へと向け続ける。煙草はストレス、プレッシャーを感じたいから吸うものだ。少なくとも自分にはそうだ。気持ちが昂り過ぎてそれを適度に落ち着かせたいとき、眠れない時、そういう時に外の空気に触れつつも煙草を吸って自分自身を何とか落ち着かせる。今までもそうやって煙草を吸ってきた―――これは珍しく祖父の山猿ではなく、父から習ったことだった。煙草に依存するな、酒に依存するな。どちらも嗜む程度で済ませるのがかっこいい大人であると。

 

 そういう訳もあって、煙草を吸う回数はかなり少なかった。それでも少しは吸っていたのだが―――グランツ研究所で子供たちと接触する回数が多くなったため、煙草を吸うのはやめていた。近くで吸う訳ではないが、それでも子供たちの鼻は敏感だ。煙草の臭いを消臭スプレーを使っていても嗅ぎ分ける。ヴィヴィオやアインハルトみたいに”逆に安心する”みたいなタイプは珍しい少数なので、意見はスルーしたとして、

 

「一本、吸うか?」

 

「―――貰おう」

 

 音もなくベンチの横に見慣れた男の姿が現れる。ただその姿を、気配を確認する必要なんてない。誰であるなんて、長年の付き合いから理解している。だからポケットから煙草の箱を取り出し、一本煙草を渡し、マッチを一本灯し、それを咥えている煙草に近づけ、火をつける。

 

「今時ライターやジッポーじゃなくマッチ棒か」

 

「かっこいいだろ?」

 

 くっくっく、と笑うと相手も小さな笑いで肯定してくる。だから黙ってベンチにスペースを作り、隣に座る空間を作る。そこに相手が―――クラウスがゆっくりと腰を落ち着ける。

 

 別に、お互い連絡を取り合ってここに来たわけではない。ただなんとなく―――そんな感じで公園へとやってきた。その結果としてこの場へと来て、そして揃ったわけである。特に言いたかった事があったわけでもないし、そもそも言う必要はない。一の動きが千を語る。ティーダやクラウスとは、もうそういう関係だ。だから言葉を語らなくても、既にクラウスには言いたい事が全て伝わっている。伝わっていると信じている。だから改まって言う必要もない。ないのだが、

 

「俺は……お前が羨ましかった」

 

「奇遇だな。俺もお前がずっと羨ましかったよ、イスト」

 

 口から煙を吐き出しつつ、そんな事を互いにぼやく。羨ましい、羨ましかった。だが羨ましい、ではなく羨ましかった。即ち過去形、現在は違うという事だ。間違いなくクラウスに嫉妬していた。そういう時期が自分には存在していた。初めてクラウスを見た時、その時思ってしまったのだ―――この男には絶対に追いつけない。生物としての差が存在していて、それは生まれた時点で決まっていると。そう理解してしまった。だから、クラウスに八つ当たり気味につっかかって、友達になって、

 

「お前もすげぇ大変だってずっと前に気付いてさ、んで思ったわけよ。こいつの事は羨ましいかもしれない。だけど実は思っていたよりもそこまで嫉妬する事じゃないかもしれない。こいつは確かに俺がどんなに鍛えても届かない場所にいるんだろうけど、その代わりに致命的に足りないもの、与えられなかった物があるんだって。多分そん時は見下しちまったんだわ、恥ずかしい話」

 

「そう言ってしまえば俺だってどんな人間をも見下していた。所詮凡人、とな。だが貴様らに連れ出され、遊びまわって、世界が決してあの家の中だけではないって気づかされて、そして俺は変われた。変わることが出来た。もっと知ることが出来た。妹は道具ではないと知って、両親がどれだけ狂っているのかも、それを漸く理解できた」

 

「すげぇ時間かかったな、アレは」

 

 常識を一つ一つ教えなくてはいけないのだ、この頑固な馬鹿に。その為に隣の州まで連れまわしたりもした。あの頃はなににでも必死になれた、なっていた。何をやるにしても全力ではっちゃけて、そして終わっても全力だった。零から十までの全てを全力で突っ走る毎日だった。疲れたら丘の上に全員で寝ころんで昼寝して、起きたら街の菓子屋までダッシュしていた。そういう毎日を楽しんでいたが、

 

 高校時代で、それは一旦の終焉を得た。

 

 ―――端的に言えば、クラウスの両親がキレた。

 

 何故あのような凡人に、貴族の誇りを、使命を、そういう言葉だ。俺達と遊んでいたクラウスに今までは大人しかったクラウスの両親が怒りの限界を迎え、アインハルトを鎖で部屋に縛り付け、そしてクラウスに対する脅迫の材料として使ってきた。勿論、クラウスが本気を出せば一瞬で両親を気絶させ、アインハルトを助け出す事もできただろう。だが、

 

 親にだけは反抗できない様に、そういう教育が生まれた時からクラウスとアインハルトには施されている。一種の洗脳の様なものだ。漸く普通の子供の様に笑えて来ていたクラウスは笑顔を失い、アインハルトは部屋から一歩も出ることができなくなり、

 

 そして俺達がキレた。

 

「時代錯誤の糞野郎ども、か」

 

「お前の親に送った偽りのない本音さ」

 

「あぁ、そうだな……」

 

 イングヴァルト家に殴り込んだところで勿論問題は解決しなかった。クラウスは親には逆らえないし、アインハルトも連れ出せない。だからこそ、正面からイングヴァルト家の心を折る必要があった。圧倒的に優れた人種、貴族と平民、そういう認識を徹底的に心と共に砕く必要があった。イングヴァルト家にとってはその武、クラウスの肉体、その強さが今代の全てであった。

 

 故にそれを正面から叩き潰し、イングヴァルト家の全てを否定して叩き折る必要があった。

 

 そのやり方を示したのが爺だった。

 

 覇王流を完全にマスターする。

 

 少人数で手段を選ばずクラウスを倒す。

 

 それで数百年間続いたイングヴァルトの歴史を完全に否定する。一番の誇りとするものを簡単に覚え、そして超える。それによって完全に両親の心をへし折り、そしてやっている事の無意味さを知らしめる。そうする事でクラウスとアインハルトをあの家から解放する。それを俺も、そしてティーダも使命の様に感じていた。数年間で芽生えた友情を、裏切る事は出来なかった。たとえクラウスとアインハルトがなんであれ、二人が友達である事は間違いがなかった。それを親の都合で辞めるつもりは毛頭ない。

 

 だから死力を尽くした。

 

 何度も馬鹿をやってクラウスのギリギリのラインというのも知ってたし、自分のギリギリのラインも知っていた。どれだけやればあいつが死ねるか、というのも解ってたりした。だからギリギリ即死しないラインを選んで、そこから手段を選ばない方法でクラウスを倒した。殴って、斬って、刺して、打って、そうやってクラウスを倒した。終わってみればイングヴァルトの家を全焼させたり、骨折した腕で殴ったり、皮膚から突き破った骨を武器代わりに引っ掻いたり、本当に手段を選ばない戦いだった。終われば即入院というコース付きで。

 

 でも、それで後悔を生んでしまった。終わった後にクラウスが呟いた言葉を、呟かせた言葉を自分は一生忘れないし、忘れられない。あんな言葉、吐いて良い筈がない。それを許してしまい、その原因となったのは自分だ。だから、ケジメを付けなくてはいけないのだ。やってしまった事に対する責任を、取らなくてはならない。子供には出来ないが、大人としては実にくだらないと言える程当たり前の事だ。

 

 やらかした責任は自分で始末をつける。

 

「イスト、俺は―――今でも思っている、俺は生まれるべきではなかった。イングヴァルト家が持っている蔵書を俺は暗記している。書こうと思えば知識の全てを完全に書き写すことが出来る。今の様に親が消え、家が燃えた時を想定した時の為だ。だが、その内容はどれも狂っている。正直に言ってこの世にあってはならないものだ。……アインハルトが一冊もまだ読んでいなかったのが今となって良かった、と思える。悪魔の知恵、知識と言えるものがある。それはああいうものだ。家が燃えて知っているのが俺一人となったことに安堵できる」

 

 だからこそ、

 

「その知識を持って生み出された成功例が俺一人で良かった。俺以外にもいたら―――」

 

 クラウスは自身の手を眺め、そしてそれを閉じる。その動作にどういう意味が、思いが込められているかは聞かなくても理解できる。

 

 存在してはいけない、それだけだ。

 

 だが、

 

「そんな結末、俺は断じて認めねぇ」

 

「だろうな。その根性……いや、精神力は俺を含めた誰よりも強いものだからな、……それにだけは勝てないと認めてしまったからなぁ……」

 

 認めない、断じて認めない。悲しい顔をして生まれなければ良かった。そんな事を言っている馬鹿を見捨てるわけがない。愛想笑いだったらやめろ。いやいや言っているならやめろ。その原因は、

 

「殴る。どんな困難であれ、理由であれ、ダチの顔を曇らせる様な馬鹿な理由は殴るさ。跡形なくなるまで殴ってぶっ飛ばすもんさ。所詮俺らの問題ってのは殴ってどうにかなる程度だろ? だったら今も昔も、また同じ様にやりゃあいいのさ―――向き合って、正面から遠慮なく殴り合って、最後まで立ってりゃあそいつの勝ち」

 

「シンプルで良いな」

 

「だろ? ティーダのやつはそれを脳筋スタイルって馬鹿にしてくるんだけどさ、全力で乗っかって来てんだからどうにもなんねぇや」

 

「はっはっはっは―――」

 

 笑い、ちょっとむせながら煙を吐き出し、そして煙草を咥えながら一番言いたかった事を、クラウスへと告げる。

 

「―――勝つぜ、俺はよ。俺達は育って、強くなった。おかげでマジで殴り合えばあの時の様に怪我だけじゃすまない程に。今殴り合えば間違いなく俺かお前、どっちか死ぬだろーよ」

 

「だからブレイブデュエルか」

 

「おう。殺す気で殺しても死なないからな。現実味がないって言っちまえばそれまでだけどよ、もう俺達が全力で殴り合えるのってアレぐらいしかねぇだろ。だから俺はやるぜ。今度は二対一とか、ありったけ不意打ちとかはなしだ。お互い対等に、同じフィールドで一対一で戦う。卑怯だなんだらってのはもうない」

 

 正面から、正々堂々と、

 

「―――お前をぶっ潰す。そして今度こそ、イングヴァルト家を否定する。たった一人の男、そして努力程度に負ける価値もねぇ家で、お前は特別でも何でもない、ってな」

 

「ハ、やってみろ。貴様も知っていると思うが俺は馬鹿だぞ。馬鹿で頑固だぞ。俺は言葉を撤回するつもりはないし、今でも自分が生まれてきたことは間違いだと思っている。こんな理不尽な生き物は、生物として間違っている。否定できるのならしてみろ。覇王としてその挑戦受けてやろう。ただし俺は手加減などしないし、本気で殺すつもりで殴り返す。あぁ、今までにないほど力を出す。奥の手も何もかも全部出しきる、そして勝つ」

 

 それが、

 

「友達だもんな」

 

「あぁ、友達だからな。全力でやるなら全力で返さなきゃ失礼だ」

 

「世の中マジでめんどくせぇな。間違い一つ正すのに数年かかるんだから。んで犯した時以上に努力しなきゃ正す事ができねぇからマジめんどくせぇ。おい、これ俺が勝って終わったらお前なんか奢れよ。そうでもなきゃ割に合わねーから」

 

「はぁ? 貴様こそ俺に負けて泣く覚悟は出来ているんだろうな? そもそも身体能力を五分に持ち込んだところで貴様の勝ち筋ゼロだから! ゼロだからぁ! そこに俺の本気を叩き込んだとして勝率はゼロを超えてマイナス百パーセント行くからな!」

 

「コメントしづらい計算してんじゃねぇよ!」

 

 視線を横へと向けて軽くにらみ合い、ガンを飛ばしあって、息を吐いて笑い声を零す。

 

 ぶっちゃけた話―――これは意地の問題だ。

 

 俺が後悔を失くせるかどうか、それだけの話。

 

 ケジメを付けれるかどうかの話だ。

 

 誰かの人生が別に変わるわけじゃない―――。

 

「さって、そろそろ帰るか」

 

「そうだな。あまり遅いと愚妹に心配させてしまうしな」

 

 そう言葉を残し、煙草を握りつぶしてから灰皿に捨て、立ち上がり、

 

 背中を向けて歩き出す。

 

「そんじゃ、まあ―――」

 

「―――また明日」

 

 そのまま振り返る事もなく、月光に照らされつつも明日を迎える為に、帰るべき場所へと帰る。




 この後、帰ってきた所をハルにゃんに捕獲されて滅茶苦茶説教された、

 友情って良いですよねぇ、それが益に繋がるかどうかはまた別の話ですけど。この連中の友情には意味があったのかなかったのかなぁ、等と思いつつ今回は少ししんみりしたBGM聞きながらで執筆。

 次回、阿鼻叫喚のトーナメント開始……!

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