イノセントDays   作:てんぞー

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余所見が出来ない

 パシン、と鋭い音が響く。その直後に感じるのは頬への痛みであり、そしてそこにビンタを食らった、という結果だった。何時もであればそこでありがとうございます、なんてネタや冗談の一つでも言うべきなのだろうが、今に限ってはそんな気力はないし、そういう雰囲気でもない。だから黙って、ビンタを食らわせてきた相手―――カリムの存在を揺るがずに正面から見る。

 

 ビンタを放った直後の姿勢でカリムは動きを止めている。その表情には何時もの微笑は存在せず、純粋に怒りを感じさせる表情を浮かべている。今さっきやった事を考えれば当然のリアクションだろう。感謝される要素が何一つ存在しない。何故ならやった事は実にシンプルな話で、オリヴィエのトラウマを更に酷くさせる。それだけの話なのだから。今までは決して表面化する事がなかったオリヴィエのトラウマ、それが表面に出てくるレベルまで深刻なものにしたのだ。

 

 しかも中身を摩り替えて。

 

「やってくれたわね」

 

「言いたい事はそれだけか? 悪いな、邪魔だから手っ取り早く終わらせてもらったぜ」

 

 そう言うと再びビンタが飛んでくる。それを回避するだけの権利は存在しない為、甘んじて受け入れる―――と言っても痛みはそんなにない。カリムの細腕で出せるだけの威力なんて決まっているようなもんだ。そんなもので全力で叩いても、痛くなるのは此方ではなくカリムの方だ。ただそれを気にする事無くカリムは怒りを見せながら此方を睨んでくる。

 

「オリヴィエのアレに関しては一年間、ゆっくりと時間をかけながら解きほぐして行く予定だったのよ? なんの為に態々日本なんて遠い国に連れてきたと思うの。あの家から離れて心を治療する為よ。この国にならあの家の影響力は及ばないし、ゆっくりと歪んだ価値観を治す為には最適な場所だったの」

 

「なら良かったじゃねぇか。少なくともオリヴィエが家の事で悩む事はもう二度とないぜ。ゼーゲブレヒトなんてクソみたいなもんだって理解しただろうからな」

 

 そう言って笑ってやると、迷う事無くカリムのパンチが顔面に叩き込まれる。流石にそれは痛かったが、それを態度に見せる事もなく、不動のまま受け切って何時も通りの飄々とした様子をカリムに見せつける。それが更にカリムを苛立たせていたのは解る。しかし煽れる時に煽れるスタンスは何時でも貫くものなので、こんな状況でも煽る心を忘れてはならない。というより、なんとか何時も通りの自分を演出しないと興奮しすぎるかもしれない。

 

「いいじゃねぇか。たぶんオリヴィエは実家に帰る事を拒否する様になるぜ、根幹から価値観をぶっ壊してやったし。たぶん自分探しの旅とか始める必要があるだろうけど、それ以外はほんとふつーの少女になると思うぜ。もう二度と見覚えとか出来ないかもしれないけどな。まあ、あんな技能無い方が幸せだ。忘れちまった方が世の為さ」

 

 再び顔面にパンチが叩き込まれる。それを堪え、カリムが腕を引いたところで瞬きを数回繰り返し、

 

「待て、そろそろ殴りすぎじゃ―――」

 

 ハイヒールを脱いで、手に握ったカリムがそれで殴りかかってきた。ハイヒールが額に突き刺さる。流石に痛い。凄い痛い。ちょっと血が出ている。

 

「キレるぞおい……! ヒールは駄目だろ! ヒールは! ちょっと刺さってるじゃねぇか!」

 

「貴方がやった事を考えたらこれぐらい許されるでしょ……全く。おかげで計画が全て台無しよ」

 

「別にいいじゃねぇか―――ゼーゲブレヒトへの服従を俺への恐怖感情に摩り替えた程度なんだから生易しいだろ」

 

「貴方の顔を見るたびに吐くぐらいそれが酷くなければね」

 

 つまりはそう言う事だ。オリヴィエの中のゼーゲレブヒトへの絶対的服従等の多くの制約はオリヴィエ自身のトラウマに基づいている。そしてそれはオリヴィエ自身も気づいていない部分だ。いや、正確には気付いていない。ヴィヴィオはそう言うのをゼーゲブレヒト式の”調教”だとも呼んでいた。ともあれ、かなり根の深いそれをまずオリヴィエを否定する事で露出させ、徹底的に砕く。その上でむき出しになった本能に、それよりも更に濃い恐怖を叩き込む。そうすれば”印象の上書き”を行うことができる。

 

 つまり、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトは心底イスト・バサラという男を一生恐怖する事になる。それこそトラウマとか生易しいレベルではない。顔を見れば吐くし、思い出すだけで狭心症を患うような、そういうレベルでの恐怖を直接本能として、脳に叩き込んでやったのだ。当分は部屋から出ることすらできないだろう。

 

 まぁ、その間に暁町から離れておく必要があるだろう。

 

「まあ、一応勘違いをしているかもしれないから訂正しておくけど、俺は決してオリヴィエの為にやったって訳じゃないからな。愛も恋も友情だって一時期の感情かもしれねーけど、それと違って後悔は一生のもんさ。その清算に邪魔だったから”当たり障りのない結末”を選んでやったんだ。俺が一番楽できる形でな」

 

「それぐらい理解しているからこうやって怒ってるのよ」

 

「んじゃあ諦めろよ。もうどうしようもねぇよ。二度とオリヴィエに会わない事も約束してやるし。なんかこの件に関して責任をとる必要があったら喜んで取ってやるよ―――今度な」

 

 そのままカリムの横を抜けて通路の奥へと歩いて進んで行く。カリムの気配は追ってこない。つまりこれ以上何か言うつもりもないのだろう。それでいいと思う。実際、この勝負で勝ったおかげで次はクラウスとの勝負が決まっている。いや、その前にクラウス対ゼスト、という勝負が存在しているだろう。だからと言ってどうした、という話だ。クラウスをこの世で一番良く理解している他人は自分だって理解している。アインハルト以上に俺はあの馬鹿を理解している。だから断言する。

 

 勝負は一撃で終わる。

 

 そして俺とクラウスも勝負も、また必殺の一撃を先に通した方が勝利する。

 

 クラウスや俺の様にある程度技量が極まっているレベルに入ってくると、牽制やフェイントの全てが必殺になってくる。小手調べの為の一撃で相手を沈める様になる。そんな訳で、クラウスの敗北はありえない。ゼストという男のスタイルも、強さも知っている。それでいても絶対クラウスには勝てないと確信している。何故ならそうだ、

 

「アイツを倒せるのは俺だけだからだ―――」

 

 今、背後奥ではクラウスの試合の真っ最中だろう。その結果がまず絶対にクラウスの勝利で終わるであろうというのは間違いがない。故にその勝負には一切の興味を持つことなく、自分の次の出番―――決戦に備えるためにも歩き去る。

 

「あと少し……か」

 

 

                           ◆

 

 

 武芸というものは奥が深いようで浅い。例えば槍という武器を見れば取れる動作が実に限られているというのが解る。突く、薙ぐ、そして叩く。究極的にはこの三つの動作に集約される。故に武術とはこの動き一つ一つをどこまで自分の動きに最適化出来るか、という所に落ち着く。動作にどれだけ自分のクセを乗せ、それを読ませない様にし、そして無駄をなくす。無駄をなくし過ぎると逆に読みやすくなってくる。故にそこにクセや考え、戦術を混ぜる。そうやってひたすら鋭く、受け難い基本動作が出来上がる。

 

 それを組み合わせ、組み上げるのが武術というものだ。時間をかければかけるほど完成度が上がって行く。そこに敵対する存在がいるからこそ終わりはない。武術の鍛錬に終わりなど存在はしない。ひたすら練磨し続けるものであって、極みに到達する事は人であっても、人以外のものであっても不可能なのだ。故に一撃一撃には歴史の重みが乗っている。自身の人生の技術が集約されている。多くの技術を一つの動作に乗せる事は不可能ではないし、逆に一つの技術を極限まで鍛え続ける事もまたアリだ。

 

 目の前の相手は後者―――ひたすら一つを鍛え続けた結果としての存在だろう。

 

「―――」

 

 踏み込みと同時に槍を前へと突き出す。あらゆる動作から無駄を省いた、スペックが許せる百二十パーセントの速度を相手は事前に回避に入っている。いや、回避ですらない。踏み込みの場所を変えただけだ。しかしその残像を残す様な素早い動きに音がついてこない。ただ風を引き裂く様な動作に、攻撃が入り込んでくる。槍を突き出している此方の姿へと目がけて蹴りが繰り出される。無造作に繰り出される蹴りは一見、そのまま防御すればいいだろうと思えるほど普通の蹴りに見える。しかし、それは擬態だ。それを見た目だけで判断してはならない。

 

 それは必殺の塊だ。

 

 一撃で敵を粉砕する技術、それをひたすら鍛え、凝縮し、鍛え、更に凝縮させている。故に蹴り一つが致命を通り越して即死に繋がる。全身がそういう類の生物になっている。半端に武術に身を浸かっている存在では見抜けない。それほどに自然に体が馴染んでいる。普通ではありえない姿だが、歴史と、意識と、そして技術が合致して完成している。おそらく殺されるその瞬間まで殺されたと気付けない程の自然さを持っている。しかし、それを察知出来るほどには長年の鍛錬が体を動かす。

 

 ……触れた瞬間に負けるな、これは―――いや、勝てないな。

 

 彼我の実力差、そして相手が秘めて見せない闘志を察し、結論付ける。最近生意気になってきた娘に父としてはかっこいい所を一つぐらい見せようかと思ったが、どうやら運が悪かったらしい。トーナメント一回戦で敗退する姿を見せてしまいそうだ。しかしだからといって、

 

「負ける気で戦う等ありえんがな」

 

 槍を引きもどしつつ回転させる。それが向けられる蹴りを横から殴りつける。しかしまるで鋼鉄の様な体をそれで止める事は出来ないのは解っている。故に飛ばすのは相手ではない、自分の体だ。相手の足にひっかけた槍で自分の体を持ち上げ、回転する様に相手の足を乗り越えて回避する。一種の見切りの極意。それを持って蹴りが決まるよりも早く回避に成功させる。そのまま体を動かし、槍で薙ぎ払う。その動きを、

 

 思念、クラウス・イングヴァルトは正面から受け止める。そこには回避も防御もない。体で攻撃を受け止める暴挙はしかし―――クラウスの最も得意とするスタイルである。その身で攻撃を受けた瞬間は、それがコンマ以下であったとしても絶対に攻撃の動きが停止する。攻撃から攻撃の繋ぎに肉体という抵抗が入る。故に最大の勝機、最悪の好機。肉体任せの防御に一撃必殺のカウンターなんてそもそも戦術ですらない。圧倒的信頼、実力、そして才気から来るダメージの計算、それで即死しないと理解しているから出来る行動。

 

 つまりブラフの類は通じない。そして即死以下の攻撃はただ勝機を与えるだけになる。

 

「―――」

 

 刹那の駆け引き。武器を手放して防禦の為に姿勢を取ろうとする。しかしその前に相手の軽いジャブが入る。しかし、それすらも必殺の領域に入っている。たった一撃食らっただけでも体が浮かび上がり、後ろへと向かって吹き飛びかける。それを瞬間的に体を硬化させ、そして足に力を入れつつ衝撃を逃がす事で一撃目を耐える。しかし、そう、一撃目。

 

 耐えるために硬直した一瞬は付け入る隙だ。クラウスは耐えられた事に驚愕や疑問を持たずに次のストレートを叩き込んでくる。

 

「ふんっ―――!」

 

 両腕を交差する余裕はあった。それをもって二撃目のストレートを耐える。保健用の≪食いしばり≫が発生し、LPが1だけ残る。ここで確実にカウンターを叩き込めれば勝機は存在するのかもしれないが、

 

 ―――ふむ、これは駄目だな。

 

 二撃目を何とか耐え抜き、そして三撃目が迫る。その動作にクラウスが既に入り終わっている。そしてそれを回避する余裕はない。それ以上に、相手の気迫が凄まじい。もはや殺意を超えた覇気さえもその一つ一つの動作には感じられる。しかもそれは此方へと向けられていない。自分を超えた向こう側に向けられている、そういう風に感じられる。

 

 それは眼中にないという事であり、少々不服に感じる事もある。しかし自分もいい大人だ。若者の青春に道を譲るのも悪くはないかもしれない。そんな大人も、ちょっとかっこいいのではないだろうか?

 

「仕方あるまい、また今度再戦を挑ませてもらおう」

 

「済まない、とは言わん。が、その申し出は受け入れよう」

 

 三撃目が音を超えて叩き込まれる。体が吹き飛ぶ感触と共に、少々羨ましさを感じる。

 

 炎の様に燃え上がるその闘志はまさに今を生きる青春の証だ。果たして自分やレジアスこんな風に燃え上がる青春を過ごせただろうか。そんな事を考えるのだから歳を取っているのだろう。

 

 まあ、とりあえず、

 

「次の試合に期待させてもらおう」

 

 

                           ◆

 

 

 そうやって、二人の試合の時は刻々と迫っていた。

 

 まるで他の試合も他人の都合も些事であるかのように蹂躙し、そして君臨する。それが注目を浴びるのは必然の事だった。

 

 片や圧倒的技量で攻撃そのものを無力化し、必殺を叩き込む男。

 

 片や圧倒的直感と能力で圧倒し、必殺を叩き込む男。

 

 やっている事は対称的ながら結果としては全く同じところへ落ち着いている。その面白さも相まって、自然と話題に上がり始めるその勝負。

 

 ―――その開幕は遠くなかった。




 というわけで次回、クラウスとナグリアウヨー

 そろそろ真面目に書こう。そして進めちゃおう。待たせたな!

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