「―――というわけで、姉ちゃん。クリスマス実家で過ごす事にしたわ」
「そう? じゃあ実家に行こうか」
姉、ゼーゲブレヒトとの会話はそれだけで終了した。
◆
数時間後、気が付けばチケットとスーツケースを片手に成田空港にいた。
空港とはいえ、タクシーから降りて駆け足で入った空港の中は寒かった。あるいはエントランスだから寒いのかもしれない。少しだけ扉から離れてチェックインカウンターの方へと移動すると少しだけ、空港全体を暖めているヒーターの温かみを感じる事が出来た。はぁ、とスーツケースを片手に温かみに軽い安堵の息を漏らし、どうしてこうなってしまったかと一瞬だけ考えると、特に難しい話でもなかった。
―――そりゃあお姉ちゃんも実家は嫌いだもんね。
本当に何を考えているかはわからないが、それでもオリヴィエが実家を嫌っているのは良く理解している。自分と同じ感情ではないだろうが、少なくとも二度とかかわりあいたくはないと思っているだろう。個人的な感想で言わせればオリヴィエを除いたゼーゲブレヒト家の者は全員ミンチにしたくなる程度には殺意を抱いているのが事実だ。だから直接会いに行って、そしてもう二度と関わらないと宣言し、そして現実を叩きつける。オリヴィエと自分の様子を直接目で見ることがあれば、間違いなく自分達を放置すると思っている。
「チェックインカウンターは……えーと、Cですね」
「久しぶりのヨーロッパですね―――あ、荷物はちゃんと運んでくださいね」
「アイ、マム」
後ろからオリヴィエとカリムがやってくる。そしてそれに続く様に黒服姿にサングラスをかけたクラウスとティーダ、そして恭也の姿があった。その横を抜けてアインハルトとジークリンデもやって来て、人数と戦力的に凄まじいインフレを起こしているが、それはとりあえず無視して、実家に行くのは良いとして、どうしてこんな数にインフレしてしまったのだろうかと思う。たぶん、というかほぼ確実にイストも姿が見えないだけでこの空港のどこかにいるのだろうし。
ともあれ、追いついて来た野郎共のポケットからはみ出ている分厚い札束を見るとなんでいるのか一瞬で理解できた。
やっぱ世の中金だな。
「ではさっさとチェックインを終わらせてくださいね。全員の席をファーストクラスでとっといたのでチェックインもファーストクラスの列使えば一瞬で終わりますし、まずは手荷物を減らすところから始めましょうか。ほら、動け奴隷共」
「アイ、マム!」
「我ら金の亡者、札束で頬を叩かれれば―――」
「―――働くのみ……!」
「見ていますかジークリンデ、アレがかっこ悪い大人です」
「絶対あんな風にはなりたくないね。まあ、ウチはヴィクターの家でニートしてるだけやから別になんでもええんやけど」
「いい加減働けよゴクツブシ」
アインハルトがジークリンデの首を掴んで揺らすが、ジークリンデは笑い声を上げながらアインハルトに成すが儘揺らされている。それを数秒間見ていると、ティーダがやって来て自分のスーツケースを回収し、そのままチェックインカウンターへと向かって行く。意識高いなあ、なんて思いつつ親友達に近づく。
「と言うか何やってんの」
「え、カリムさんにタダでドイツ行きませんか? って誘われたので」
「ウチもドイツで正月をすごさへんか? って誘われたからホイホイのっかっちゃったわ」
この親友共もカリムに釣られたクチらしい。まあ、なんだかんだでカリムは戦術というか戦略というか、考えが”ガチ思考”みたいなところがある。やるなら確殺装備で、オーバーキルじゃないならアウト、みたいな認識があの女には存在するのだ。だから、こんな街一つ吹っ飛ばしそうな面子を集めてしまったのだろう。そしてやっぱり、カリムの事だからイストの事を把握しているんだろうなあ、なんてことを思いつつチェックインカウンターでチェックイン作業中の連中と合流する。
割とこのチェックイン作業、面倒なのでそういうのは全部大人連中に任せるとして、
「個人的に忍者さんがいるのは驚きだったんだけど」
「だから俺は決して忍者ではない。ジャンル的には剣士なんだあなぁー……。いや、まあ、うち……というよりは俺と親父は元々護衛稼業みたいな事をやっていたからな。俺自身は初めての経験ではないし、頼まれたら普通にやるぞ。大抵の状況や相手だったらなんとかなるが―――」
恭也の視線がクラウスへと向けられる。それを受けたクラウスが急にボディポージングを開始する。それを見たアインハルトが恥ずかしそうに目を逸らしてから、素早い踏み込みからのボディブローを腹へと叩き込む。凄まじい音、そして衝撃波が発生するがクラウスは一切揺らぐ事もなくボディポージングを再開する。
「アレは無理」
「アレを倒せる人類は存在しないらしいんで」
「失礼な。人類最強のタイトルは敗北した三日後にパイルドライバーから覇王流最終奥義”お前が死ぬまでというか死んで死体がこの世から消え去るまで殴るのをやめない”を叩き込んで再取得したわけだが、一応人類に敗北したから俺は化け物卒業して人類に再転職したぞ」
「兄さん兄さん、人間がまるでジョブチェンジ可能な職業の様に話すの止めません?」
そう言いつつアインハルトがクラウスの腹をぽかぽかと恥ずかしそうに殴る。普通それは微笑ましい光景なのだろうが、流石女で若いとはいえイングヴァルトの血筋、そのぽかぽか一発一発がすさまじい音と衝撃を放っており、周りの警備員が凄まじい視線を向けている。凶器の一切は所持してないし、どう見ても兄妹のじゃれあいでしかないので合法なのだ。合法、一応は。
こうやって海鳴や暁町から離れると改めて解るあの街の異常性というかぶっ飛び具合。あの環境の外に出て”動物って喋るよね”と言えば間違いなくキチガイを見る様な視線を向けられる。やっぱりあの一帯は色々とおかしい。まあ、そのおかしさがいいのだが。
「これでチェックイン完了ですね。ヴィヴィオ、これボーディングパスなのでしっかり持っておいてくださいね。あとパスポート、はい。大事な物ですから絶対なくしちゃ駄目ですよ?」
「寧ろ私的にはポンコツ具合がヤバイ姉の方を心配したいんだけど。あ、カリムさんこのポンコツのパスとパスポートお願いできない? たぶんこの姉の事だからトイレに行っている間に置き忘れてそのままなくしちゃそうだから……」
「えぇ、勿論よ」
「アレ、私信用されてない……?」
寧ろ最近の私生活を知っている人間からすれば今のオリヴィエのうっかりというかポンコツ具合は安心できないというか、まあ、大体そんな感じでちょっと面倒をみないとヤバイかなあ、と個人的には思っている。というかそこまでボケてしまっている姉の存在もそれはそれでなんというか、若干不安になるものがあるのだが、それはオリヴィエ自身がどうにかしないといけないことなので、勝手に治るまで持つしかない。それまではなあなあで自分が手伝うとする。
まあ、家族なのだし。
◆
「しっかしファーストクラスかあ、何気に初めてなんだよなあ、ファーストクラス。アメリカから日本へ来る時はエコノミーだったし」
「エコノミーってどんな感じなんです?」
オリヴィエが首を傾げながらそう言うと、ティーダがちょっとだけ呆れたような表情を浮かべる。
「あぁ、そう言えばお嬢様だったな。まあ、基本的にはファーストクラスよりも狭くて、サービスが悪くて、んで煩いって思えばいいさ。そういやあ小さい飛行機や国内線だとファーストクラスがなくてビジネスクラスとエコノミーしかなかったりするんだよな。俺達がアメリカから出る時は国内線も全部エコノミーだったわけだが。あ、話題間違えた」
「ぐおー……」
「お、オリヴィエ―――!」
オリヴィエが胸を押さえながら椅子に倒れ込む。幸いチェックインも荷物検査も全部終え、ゲートで待機中の時であるため、特に問題は発生せず、そのまま開いている横の椅子に倒れ込むだけで済むが、ティーダは一切悪い気を感じていない様で、あっはっは、と笑いながらオリヴィエを完全に見下していた。
「はーっはっはっは苦しめ苦しめぇ! それで少しは俺の―――痛い、あの、カリムさん、踏んでる足が痛いっす。超痛いのでちょっとだけ、足を退かせてくれませんかねぇ。えぇ、そうしてくれると非常に助かるというか痛みから解放されるんですけどね……!」
「貴方は欠片も相手を労わるって事が出来ないようですね」
カリムの笑みにひぃ、と漏らした所で、オリヴィエが再起動を果たす。むくり、と勢いよく起き上がったオリヴィエが片手を前にだし、待ってくださいと言う。そのまま片手で胸を押さえながら、少しだけ苦しそうにしながらも、口を開く。
「確かにあの人がやった事は本当に手段を選ばない雑なやり方ですが、それでも私は”助けられた”と考えていますよ。……実際の、話、今までの私は非常に……あれ、……と、言いますか……まあ、聖人すぎるというか―――ぶっちゃけ言葉を選ばないと気持ち悪いというか。まあ、間違いなく黒歴史直行な時代なわけなのですが―――それから脱却する機会を呉れた馬鹿に関しては感謝はしているんですよ」
そこでオリヴィエは言葉を止め、一度を天井を見上げてから視線を戻す。
「訂正、感謝半分、怒り半分で。たぶん」
「そこでたぶんとか言っちゃうからポンコツって言われるんだよこの姉は」
そう言われるとオリヴィエはだって、と言葉を置く。
「だって、だって……仕方がないじゃないですか。私にどうしろと言うんですか。やり方は凄いアレですけど、助けられたってのは事実ですし。だけど此方の事は本当に小石を見る程度の価値しかないような感じでしたし。本当に”邪魔だからついでに治した”って感じでしたし。感謝したくてもこれじゃあ全くできませんよ。寧ろ怒りたくなってきますよ」
苦しそうに胸を押さえ、
「……所詮はこの程度って……思われるのって、悔しい、じゃないですか」
聖人だったオリヴィエ・ゼーゲブレヒトはあの日、あの時死んだ。それは間違いがない事だ。
だったら今、目の前にいる人物はなんだろうか、と思う事はあった。実際に自分の事は今でも偶にだが悩む。アインハルト・ストラトスという少女に滅多滅多に負けてしまい、それで認めて、ゼーゲレブヒトである事しか価値を与えられなかった自分が、自分達がそれを失ってしまったら、一体どんな価値が残るのだろうか? ここで一般人であれば”ヴィヴィオが残る”や”自分が残る”なんて言葉を残してくれるのだろう。だけどそんなのは絶対に嘘だ。
答えは簡単で残酷だ。無だ。何も残らない。何も残りはしないのだ。
でもその何も残らない状態こそが、全てがなくなった瞬間が、それが何よりも気持ちよかった。心地よかったのだ。まるで今まで無駄な重りを担いで生きてきたのを、横から殴り飛ばされて吹き飛ばされたような、そこから漸く立ち上がったような、そんな気分だった。空気が旨い。世界がもっと色鮮やかに見える。体が軽い。そんな風に自分と世界が全く別の物に見えてきたのだ。それが姉にはなかった。理解できなかった。理解できているようで感じた事すらなかった。
そして解放されて漸く、姉、オリヴィエはそれを理解した。永遠に変わってしまって、もう戻れないところへと来てしまった。だから今まで口だけだった悔しみや怒りに本当の感情が乗っている。ゼーゲブレヒトの力で悔しみを解析し、理解し、そして正しいタイミングで発言したのではなく、体の底から生じた悔しいという感情に身を任せているのだ。
だから思う。こういう姉だったら大歓迎であると、助けてあげたい、と。
「ちょっと疲れちゃいましたので休んでますねー……」
そう言うとオリヴィエはぐでー、とした様子で再び横になる。その姿を見て溜息を吐くと、男共が互いを見回し、しょうがないといった様子で溜息を吐いてから姿を消す。
「その自然すぎる隠形を貴方達止めなさいよ」
カリムが呆れた様な表情を浮かべ、溜息を吐き、そしてオリヴィエの世話を見る為に近づく。
その間に集団から離れ、アインハルトとジークリンデと少し離れた場所で円陣を組む。
「ぶっちゃけウチ、ほとんど関係ないんやけど」
「知ってました。しかし我々にとって問題は別の所にあります」
「うん―――お兄さんがほぼ間違いなく変装して近くに常にいるという事……!」
円陣を組んだまま、お互いの顔を確認して頷き、
「海外旅行は人を開放的にする……」
「性癖や年齢制限にも開放的になる筈……!」
「クリスマスを彼氏持ちになって乗り越えるんや……!」
ぶっちゃけ実家への里帰りは本当についでになるのかもしれない。
空港で偶にひたすら文句をチェックインカウンターに言っている人がいるけど、十分後ぐらいに軍人さん来て連れて行かれる光景はちょっと笑った。アジア系はそういう光景が割と良くある。
というわけで決めたら即座に行動、聖王に逃走はないのだ。
なおツイッターのアカウントがスパム報告されて一時凍結されるというビックリ腹筋崩壊事態を先日経験しました。更新報告の場所変えるべきか。