飛行機に乗って十二時間。それから到着して国内線に乗り換える為に空港で一時間過ごし、そして乗り越えた飛行機で国内を一時間ほど移動する。それで漸くドイツの田舎の空港に到着する事が出来る。ファーストクラスからビジネスクラスと乗り継ぎ、エコノミーに乗ってきた乗客よりも遥かに豪華で快適な時間を過ごしたけども、それでもやっぱり窮屈なのは窮屈なのだ。飛行機の中に拘束されていた時間から解放され、荷物受取のコンベアでスーツケースが流れてくるまでの間、漸く得た自由を感じる為にも思いっきり体を伸ばす。そんな事をしながら周りを確認すると、既にクラウスがスーツケースを五つ重ねて担いでいた。
さらっと人間を卒業するのを止めてほしい。ほんと心臓に悪い。アインハルトが執拗にローキックを叩き込んでいるがまるで堪える様な姿すら見せない。やはり鋼の馬鹿は鋼の馬鹿だったらしい。日本よりも寒く感じる異国の空港で着ているコートをもうちょっとだけキツく身に寄せて、近くのベンチへと視線を向ける。
そこには見事に倒れているオリヴィエの姿があった。
結局、飛行機酔いには全くと言って良いほどに勝てなかった、哀れなポンコツだった。見ていれば見ているほど、そして知れば知るほど一人にしておくのが不安になる姉だった。だからこそカリムが付かず離れずで見守っているのだが。だからと言ってオリヴィエのポンコツっぷりがどうかなるという訳ではない。強く生きなくては。いや、というかこの調子で実家は大丈夫なのだろうか。
今一不安になって来るのと同時にどうにかして自分が唯一の家族を守らなくては、と湧き上って来るこの気持ちは使命感というよりも母性に近い気がする。駄目だ、何もかもが狂っているけどそれこそ平常運転だ。つまりこれで何も問題ないことになる。遠慮なく母性に目覚めておこう、きっとどこかで役立つに違いない。母性ロリとか新しい属性かもしれないからだ。
「ヴィヴィオキモイ顔してるわぁ」
「っしゃ、やっぱ母性とかいらないわ! 必要なのは修羅力……!」
「その年で修羅の道に入ってどうしたいんですか。アレにでもなりたいんですか」
視線をアインハルトの指差す方向へと向けると、逆立ちしながら足の上にスーツケースを重ねたクラウスが雑技団の様な動きで足でそれをジャグリングしつつ移動していた。その様子に周りから拍手が飛んでくるが、空港内の軍人に一瞬で見つかり、そのまま両腕を掴まれて事務所の方へと連れて行かれた。それを全員でしっかりと眺めると、恭也とティーダがスーツケースの回収に入り、復帰したオリヴィエを少しだけいたわりながら立ち上がり、そのまま空港の入り口へと向かう。
入口へと到着した所で、カリムが足を止めて空港のタクシー乗り場とは別の方向へと指をさす。
「とりあえず一部を除いたみなさんはお疲れでしょうから、本日はエアポートホテルで一泊してからゼーゲブレヒト家へと向かう事になってます。というわけで空港横のエアポートホテルに向かいますよ」
「ういーっす」
「クラウスは?」
「反省するまで放置で」
「ういーっす」
そういう訳で、ゼーゲブレヒト家へと行く前に色々と整理する時間が与えられる感じとなった。
◆
事前に予約していたおかげで特にトラブルもなくホテルにチェックインする事が出来た。部屋割りも実にシンプルにオリヴィエとカリム、男子三人、そして自分を含めた低学年女子三人という組み合わせになった。エアポートホテル、という名称から実はそこまで期待していなかったが、中に入った感想は普通の高級ホテルであり、色々と贅沢をして過ごしている自分としては割と満足の行くクオリティのホテルだった。
ただジークリンデはともかくアインハルトはここまでの贅沢をするのは初めてらしく、ホテルの部屋に入ってからは目を輝かせながら部屋の中を色々と発掘していた。テレビをつけたらチャンネルを確認し、ミニバーの中には何が置いてあるのかをチェックし、トイレやバスルームの状態やアメニティ品はどれだけ揃っているか、ついでに部屋にこっそり置いてあるコンドームも発掘していた。一応見つけたそれは三人で確保しておく。
ともあれ、大人しい系のアインハルトとしては割と珍しくはしゃいでいた。しかしアインハルトの背景を知っているとそれも割と納得がいくし、イングヴァルト家は別にゼーゲブレヒト家みたいな資産家ではない。日常生活だって中流家庭レベルの生活を送っているのだ、人生で初めてのファーストクラスや高級ホテルでも上位に入る部屋に泊まれればこうもなるだろう。そういう気持ちが自分が共有できないとこ、ちょっと世間からズレているようで個人的に悲しく感じる。
まあ、それもこの冬で最後だ。クリスマスは実家で過ごすことになるだろうが―――新年は日本で、もう二度とゼーゲブレヒトと関わることなく過ごしたい。心の底からそう考えている為、明日一日で全てに決着をつけるつもりでいる。本気を出せばそれぐらい問題ないだろうと思う。
そもそも姉、オリヴィエとは違って自分は精神的な部分を除けばゼーゲブレヒトの理想としては完成している。故に人間一人を洗脳したり、心を再生不可能な領域にまで打ち砕くのはそんな難しくはない話なのだ。なので”言葉の暴力”を持って自分よりも性能的に劣る父や母を精神的に完全破壊してしまえばそれで話は終わる。
自分が本気を出して徹底的に心を壊せば、それを修復できる存在なんてこの地上には存在しない。
だからゼーゲブレヒトはそれで終わる。
「―――ヴィヴィオさん、ヴィヴィオさん」
「うん?」
気づけば輝いた目でアインハルトが自分の袖を引っ張っていた。その片手にはメニューが握られており、ルームサービスで頼む事の出来る料理が書かれている。しかしその中に描かれているのはどれも高級料理ばかり―――つまりはこの部屋に泊まっても全く問題がない人向けのメニューなのだ。今回の旅の支払い、これは全部カリムのポケットマネーで行われている訳なので、カリム以外の懐は全く痛まない。
しかしカリムのこのお金は一体どこから来ているのだろうか、実際気になる所だ。
「ヴィヴィオさん、見てくださいよこのメニュー、見た事のない料理ばかりですよ! しかも今日は私が料理しなくてもいいんですよ? 私が料理してないのにこれだけいいものを食べていいんですよね? 食べてもいいんですよね……? も、もしかしてこれだけは別料金とか、私達だけ厨房借りて自分の分を作らなきゃいけないなんて……!」
「いや、ない。ないから。ねーからそれ! というかハルにゃんの日常生活むなしくなって来るからそういう語り掛け止めようよ。偶にハルにゃんウチに呼びたくなっちゃうでしょ!」
「ツンデレきしょ」
迷う事無く袖の中に仕込んでおいた五百円玉を弾丸としてジークリンデに指ではじき飛ばす。しかしそれをジークリンデはベッドの上で取り出したラップトップを弄りながら、足の指で見事にキャッチする。流石エレミア、どんな状況でも対応できるのは純粋に凄いと思うが、足の指でコイン回しをするのはやめてほしい。とりあえず五百円の奪還はあきらめるとして、メニューを片手にはしゃいでいるアインハルトを放置し、
部屋の外へと出る。
部屋の外に出て、そこに立っていたのは緑色と赤色の大男のコンビ―――即ちイストとクラウスの二人だった。イストも完全にSPの服装、上下黒のスーツ姿であり、サングラスまでかけていた。本当に何時のまにやって来たんだ、とその姿を見て思い、溜息を吐く。それを見たイストが唇に人差し指を当て、しーっとジェスチャーを取る。そのまま歩き始めるのだから、おそらくついて来い、という事なのだろう。
黙ってついて行くが、相変わらず大男のくせして二人に気配が欠片も存在しないのが怖い。
◆
そんな事もあり、二人について行くとホテル一階のバーに入る。外はまだ明るいが、それでもバーは既に開いていた。オリヴィエに関しては飛行機酔いの件でどうせ部屋から一切でる事はないだろうから安心して二人とバーで話す事が出来る。
そう思った矢先、カウンター席に座った二人はウィスキーをロックで頼んでいた。早い。
「マスター、ノンアルコールのカクテルください」
「別にアルコール入りでもいいんだぜ」
「海鳴ならともかくここだとなー……。まあ、とりあえずお兄さんもやっぱり来てたんだ」
「こいつは一つ前の飛行機に乗ってたからな。先にこっちに到着していたぞ」
そんな話聞いてない。本当にこの連中―――というか姉を抜いてカリムを入れた大人連中はこそこそ動くのが好きだったり、人を驚かすのが得意だったりする。まあ、元々イストが付いてくる、あるいは絶対どっかで一緒に行動するのは解っていたことなので、ここにいる事自体に対しては驚きはない。ただ、まあ、色々と疑問が存在する事は否定できない。ノンアルコールのカクテルを受け取り、地上最強コンビがウィスキーを貰う姿を見ながら、改めて質問する。
「お兄さんステルス状態でついてくるみたいだけどそれで仕事になるの?」
「あー! 舐めてるな! 俺のことを舐めてるな!? 言っておくけどお兄さんは凄いんだぜ? ジャングルや山の中に放り込まれても生き残れるだけのサバイバル力があるんだからなぁ! いや、うん、ふざけるのはやめるから豚を見る目やめねぇ? っとな、お兄さん自分で言うのもアレだけどマジで万能魔人だからね。姿消す方法の三つ四つは当たり前の様に出来るし、変装だってもちろんできるし。直ぐ横にいながら気づかれない事だって出来るんだぞ。恭也と会ったおかげでまだまだ成長できるって実感したし」
「うむ、覇王の成長に終わりはないのだ」
どうやら成長期が終わってないのはイストだけではなかったらしい。何気にクラウスの成長がまだ終わっていない、という怖すぎる情報が手に入ったが、それで困るのは自分以外の人類なので気にしない方向で利用するとする。
「だけどお兄さん達がいるって事は割と安心だなぁ」
「割と安心していいぞ! 割とな。流石に重火器装備で同時に百人とかやられるとこの世に主人公補正とかヒーロー補正なんて存在しないからマッハで蜂の巣になって死ぬっきゃないんだけどな、そんな事にはならない限り俺達で何とかなるよ」
「その場合に備えて既にティーダと恭也が武器の現地調達を始めているしな。スポンサーがいると実に動きやすい」
もしかしなくても怒りのランボーごっこでもする気なのだろうかこの連中は。いや、それでゼーゲブレヒトが滅んでくれたらいいのだが、恩人が刑務所行きなのも激しく嫌なのでそういう手段が取られないことだけを祈っておく。
「まあ、多分私とお姉ちゃんが話すだけで終わると思うよ」
「本当にそれだけで終わってくれれば嬉しいんだけどな。というわけで絶対ぶん殴るマン、クラウスよ。お前のその天性のカンは一体どういうお告げをくれる感じ?」
「ふっ、この覇王占いを利用するとは貴様も成長したものだな……しばし待て」
「そんな便利な機能があったのか」
クラウスが人差し指を天へと向けながら目を閉じ、そのまま動きを停止する。そうやってクラウスが目を閉じている間に、イストがウィスキーで指を濡らし、素早くカウンターに”こいつ馬鹿だろ”と書き、それをナプキンでふき取る。自分でネタを振っておきながら即行で梯子を外しにかかる辺り、実に何時も通りな友情だった。
と、そこで別次元へ意識を飛ばしていたクラウスは目を開き、そして指を下ろす。
「やっぱり無理だった。三万な」
「ボッタクリってレベルじゃねーぞオイ」
「仕方がなかろう、基本的にニートである俺は思考するだけでも労働扱いなのだ。故に俺に何かを挑戦させるという行動はアルバイトと全く変わらないのだ。ん? カリムは気前よく百万ポンとくれたぞ? ん? 我が友人である元人類最強のイスト君はそれぐらい払えないのかな? ん?」
イストがクラウスの目に十円玉を突き刺した。
カウンターでクラウスがピーナッツをイストの額に突き刺した。
ピーナッツって額に突き刺すと血を流せるものなんだ、と妙な事に感心しつつ、立ち上がったイストとクラウスを見る。
「貴様ァ!」
「野郎……ぶっ殺してやる!」
そのまま互いの襟首を掴みあいながらバーの外、ホテルの外へ仲良く横へスライドする様に消えて行く二人を眺め、その姿が視界の端から消えるのを確認してからバーのマスターへと視線を向ける。
「すいません、支払はXXX部屋に請求しておいてください」
「お嬢さん、苦労してるんだね……」
寧ろ困らせているのは此方なのだが。
―――まあ、しかし、クラウスとイストが激しく何時も通りなのだ。
つまり、この先もそういう事なのだろう。未来に対して少しだけ、自信が持てた。
ポンコツになってからオリヴィェ……の人気が少しずつ上がっている気がしなくもない。実際ポンコツでぐだーってやっている方が可愛い気がする。
男子連中はほんとおちつきねぇな。