イノセントDays   作:てんぞー

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終わってしまった

 蹴り開けた扉の向こう側から返事はない。反応もない。ただ屋敷の中には人の気配があるのは感じている。つまり誰もいないという事はありえないのだ。ただ単純に黙っているか、あるいは此方が来るのを待っているのだろう。ゼーゲブレヒト当主の性格を考える限り、まず間違いなく待ち受けているのが正しいのだと思う。だから少しだけ息をのみながら、しばらくぶりとなるこの屋敷へと再び踏み入る。

 

 なんだかんだ言って、少々緊張しているのかもしれない。そう思いつつも、気配の場所はしっかりと把握している。オリヴィエと横に並び、他の皆を後ろにつれるようにして歩き出す。足運びは―――ちょっとだけ重いかもしれない。しかし、気にならない重さだ。何故なら今の自分は決して一人ではないから。誰かが一緒にいる、一緒にいてくれる、その事に安堵を感じられるからだ。だからその安堵を胸に抱きつつホールの螺旋階段を上り、そして到着する廊下を進み、自分が良く知る場所へと向かう。

 

 そこは、当主の部屋だった。

 

 執務室とも言える部屋。その前の扉で足を止め、そして体の動きを止める。今更ながら緊張感を感じているようだ。実に自分らしくもない。苦笑しながら扉を開けようとすれば、それよりも早くオリヴィエが扉のノブを握り、それを勢いよく開け放った。

 

 バン、と大きな音を立てながら扉が開くと衝撃が部屋に伝わり、本棚から雪崩の様に本が流れ落ちる。そしてそのまま扉は戻って来て閉まり、地獄絵図だけを残したまま廊下と部屋を完全に遮断した。視線を持ち上げ、やらかしたばかりの姉へと視線を向けると、まるで”やっちまったぜ”と言わんばかりの可愛らしい表情を浮かべているが、それに騙される人間は今、この場にはいない。

 

 とりあえず扉を開ける。

 

 そう広くもない当主の執務室、その中央には机と椅子と、そして傲岸不遜な表情を浮かべる男が―――いたのだろう。間違いなくそれは過去形だ。何故ならそこで待ち構えている筈の人物は今、左右の本棚から飛んできた本に埋もれていたからだ。両足を机の上に乗せ、肘を肘乗せに乗せた黒幕っぽいポーズのまま、オルウェッド・ゼーゲブレヒトは本の下に埋まってしまっていた。完全に待ち構えている姿が、オリヴィエのせいで台無しにされていた。

 

 流石の自分もこれには同情せざるを得なかった。オリヴィエも改めて白目になっていた。そんなオリヴィエを放置し、後ろからひそひそと話し合う声が聞こえてくる。

 

「うわぁ……ヤバイよ、超ヤバイだろこれ。絶対アレだよ、改心は欠片もしてないけど家の人間が来るのであれば上に立つ者としてしかるべき姿を見せるべきとかそんな理論でポーズ決めつつ待ってたのがいきなり台無しにされてしまった完全に威厳とか崩壊してしまったアレだよ。見ろよあの情けない姿。……うっし、写メった。とりあえずツブヤイッターにアップロード完了、っと」

 

「貴様は本当に容赦がないな……いや、しかし待てよ。俺も昔はこう、吸血鬼っぽいファンタジーなふわっとした感じの連中とこう、抗争っぽい何かに参加した様なしてない様な気がするんだがな? そういう時も時で黒幕っぽいやつはどっかで絶対に決めポーズを決めていたような気がするな……昔相手をしたヒーローコスチュームのテロリストはマントがジェットのタービンに引っかかって開幕三秒でミンチになってたぞ」

 

「貴様それはもしかして脳障害ではないのか? ん? 恭也よ、貴様はやはり嫁に薬を盛られている可能性があるから一旦落ち着いて脳みそを取り換えてこい。それよりもあの哀れで惨めな姿を見ろ―――どう見てもおこな感じだろ? ん? おこ? んー……おこっというよりはぷんぷんって感じか……」

 

「兄さんこそ精神病院の隔離病棟で隔離されるべきだと思うんですけどねぇ……ほら、見てくださいよ。おこって感じよりはインフェルノゥ! な感じですよアレは」

 

「なんや、ツッコミは死んだんか。ならウチもツッコミ放棄すっか。とりあえず日本の空港で買っといた甘栗がまだ余っとるんやけど食う?」

 

 背後では急に無言になって甘栗の皮をむき始めるオヤツタイムが始まっていた。お前ら本当に緊張感がないな―――自分も食べたいので是非とも少しでもいいから残しておいてほしいと思う。とりあえず甘栗を剥き始めようとするオリヴィエの腕を引っ張って、視線を部屋の方へと向けると、本のが滑り落ち、首から上だけが見えてきたオルウェッドの姿があった。オルウェッドは見下すような視線を此方へと向けてくる。

 

「良く帰ってきたな、娘よ」

 

「凄い……無かった事にした……!」

 

「いえいえ、オリヴィエ、良く手の方を見てください。ちょっとだけ震えているでしょう? ギリギリで抑え込んでいますが割とインフェルノゥ! な感じですよアレは。あと数発いい感じにブローを決めれば泣き出しそうな感じですね、経験的に言うと」

 

「黙れグラシア」

 

 何故だかオルウェッドの姿が妙に哀れに見えてきた―――結局は運のつき、というやつなのだろう。基本的にイストやティーダ、クラウス達を中心とした連中に関わってしまうと、真面目な話を真面目にできなくなってしまう。……例外として本人たちが真面目でいればシリアスも続くのだろうが、今回は彼らはどう足掻いてもシリアスを続けるつもりは無いようだ。だから今日、この場でまじめな話をしても、それがずっと続く陰鬱な風に終わる事はまずない。

 

 なぜならこの馬鹿達はハッピーエンド主義者だからだ。だから自分もその流儀に則る。両手をポケットの中に突っ込んで、そして軽くかがんでから視線を持ち上げ、視線をまっすぐ、オルウェッドの瞳へと向ける。

 

 ―――それはどこからどう見ても狂気を孕んだ人間の目には見えなかった。

 

「ちっすゴミカス。帰省しろしろ煩いから顔を見に来てやったぞ。ゴミカスの分際で成し遂げた事って私を生み出す程度だけど、それだけは感謝しておいてあげる。たぶん。というわけでちっす、それ以外に関しては赤の他人サン」

 

「お久しぶりです父さん。甘栗食べます?」

 

「食べるか! ……ち、信じたくはない話だが、本当に貴様ら腑抜けたな。オリヴィエにはかつての必死さを感じない。ヴィヴィオからはかつては存在した危険さを感じない。なんだ貴様らは。まるで年頃の娘の様ではないか。失望したぞ」

 

 そう言ってオルウェッドは見下すような視線のまま、此方へと視線を送り、

 

「―――貴様らはどう足掻いても益にならん。どこへとでも消えろ。興味もない。二度と顔を見せるな」

 

「父さんは―――」

 

「―――知れた事。俺がゼーゲブレヒトだ。金がなくなろうとも、妻が逃げようとも、味方が消えても俺がそうである事には変わらん。祖父の前から受け継がれて来た土地を放り出す事は出来ん。貴様らのせいで破滅はした―――ならば最後の一人として責務を全うするだけだ。消えろ」

 

 

                           ◆

 

 

 ―――たった、それだけだった。

 

 それ以降、オルウェッドは視線を向ける事すらなかった。喋らず、視線を向けず、ひたすら死んだように動きを止めていた。死んでいない事は間違いがなかった。しかし、本当に興味がないのか、それ以上オルウェッドが此方にする事はなにもなかった。そしておそらく、まず間違いなくあの男は死ぬ、その瞬間まであのボロボロになって行く屋敷の中で残りの人生の全てを過ごすのだろう。

 

 母だった存在がオルウェッドを置いて消えた、なんてことは初めて聞いた。しかしそんな事に驚きはなかった。それよりも驚いたのはオルウェッドの姿だった。

 

 ゼーゲブレヒトはまず間違いなく滅ぶ。だというのに、あの苛烈さ、意思の強さというものは欠片も揺らいではいなかった。狂気ではないのだ、アレは。カリムは狂ったと表現していたが、それは間違いだ。あの男はただ”ゼーゲブレヒト”であった事を貫き、そしてそれが不可能となった状況でも自分の生まれに対して真摯に向き合っていただけなのだ。故に、あの男は絶対に投げ出さない。金も力も人もいない。残ったのが土地であるならば、滅ぶ瞬間までそれと共に。

 

 それで、あの男の物語は終わる。

 

 ―――長年苦しめられたにしてはあまりにもあっけなさすぎる終わりだった。

 

 拍子抜けと言ったっていい。たったこれだけの為に今まで苦しんだのだろうか? たったこれだけの為に今まで時間をかけて覚悟を決める必要があったのだろうか? それに対する正しい答えはおそらく存在しないだろう。だから解るのは、

 

「―――あのクソも被害者だったのかな」

 

 ゼーゲブレヒトの屋敷から帰って来て、真っ先に向かったのは見晴らしの良いホテルの屋上だった。そこからフェンスに寄り掛かる様に外を眺めていると、自分の良く知る気配がすぐ後ろにいた。だからその存在に確かめる様に言葉を投げかけると、後ろから声が―――イストが答えてくる。

 

「さてな? 俺は全く興味もないし、全く知らない相手の話だからな。ゼーゲブレヒトの歴史の被害者だっていうなら間違いなくそうだろうさ。何故ならそういう教育しか得られなくて、”そういう風”に育っちまったんだからな。凝り固まった思想ってのは年を取ればとるほど解けないもんよ。だから被害者って言いたければ被害者って言えるぜ。だからってやって来たことが欠片も正当化されるわけでもないがな。だから加害者って言えば加害者さ。重要なのは加害者か被害者、じゃなくてどっちの比率を重く感じられるかの―――」

 

「―――個人的な解釈、かぁ」

 

「そういう事さ、リトルプリンセス。世の中人がどうこう、思惑がどうこう、みんながこう! つっても無駄なもんだよ。自分で考えて、納得する答えで満足するっきゃないのさ。それで満足できるならそれが個人にとっての正解さ」

 

 振り返り、イストを見つけると、イストが頭を撫でてくれる。また子ども扱いされているな、と思う反面こうやって頭を撫でられると安心する―――その理由が自分には良く解る。

 

 恋しいのだ。

 

 父性が。

 

 あんな父親だから子供としては見られたことがなかった。母も父も存在しないものとして感じていた。そう考えていた。だから思いっきり甘やかしてくれる存在、兄の様で、父の様に頼りになって、遊んで、一緒にいてくれる事が何よりも嬉しいのだ。だからついつい甘えてしまうし、心の底から好きだって言えるのだ。こんな風に、全力で付き合ってくれる親が欲しかった。

 

 あんな親欲しくなかった。最後は解放してもらった。それは最後に残った父としての責務―――なんかではない。親の情なんてなかった。最後は使えない道具としてしか認識されていなかった。オルウェッドは、ゼーゲブレヒトの業から自分やオリヴィエの様に抜け出す事の出来ない、ただの哀れな男だった。だからどうしようもなく、甘えたくなる。

 

 ぎゅっ、とイストに正面から抱き着くと、体を片手で持ち上げて、目線の高さまで持ち上げて、頭の後ろを子供をあやす様に撫でる。きっとこの男の事なのだから、手のかかる子供程度にしか考えていないのだろう。が、今はそれでいい。それでいいのだ……今はただ、手のかかる子供のままでいたい。

 

「ねえ、お兄さん」

 

「ん? なんだ」

 

「お兄さんの家族ってどんな人たちだったの?」

 

「俺の家族か? それを語るとなるとすげぇ時間がかかるぜ。何せ俺の親父は今ヴァチカンでホームレスやって、ウチの母親はヴァチカンでホームレス狩りをしているからなぁ……」

 

「ごめん、夫婦仲に一体何があったのか気になりすぎる」

 

 父がホームレスで母がホームレス狩りとか本当に何があったのだろう。しかし―――それは自分の家族の形とは全く違う形だ。非常に気になるし、知りたい。もっと知りたい。

 

 完全にゼーゲブレヒトから自由になって、もう、自分を縛るものは存在しない。

 

 だから、この世界を、身近な人達の事をもっと良く知りたい。

 

 きっと、その為に自分は自由になったのだから―――。




 え? バトル? 死亡フラグ? そんなものはないってあらすじにあるじゃないか……。

 さて、ここからが本番ダヨ。

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