「もがっ」
「姉ちゃん、もうちっと乙女らしい声を出そうよ。もうちょっと……こう……うん、なにも言えないわ」
目を覚ませばベッドの上にいた。視線を持ち上げればすぐそばにヴィヴィオの姿がある。椅子の背もたれを前によりかかる様に此方へと視線を向けているヴィヴィオは、実に呆れたような表情を浮かべている。まぁ、実際呆れているのだろう、此方がやった事を。しかし、イストがいる―――その報告を受けた瞬間に会わなきゃ、次に会えるのがいつになるのか解らない。そもそももう会えるのかどうかすら解らない。いや、勿論誰かを通して言葉を届ける方法というのもある。だけど、そんな方法じゃ意味はない。
言葉は自分で届けないと意味がないのだ。
「だから会おうと思ったんですよ。自分で直接言葉を届けなきゃ意味がないから。その結果こんな風に倒れても、一切後悔はないんですよ。いや、まあ、色々と恥ずかしかったわけですけどね……。まあ、必要経費ですよそれぐらいは。ちょっと恥ずかしいぐらいは我慢できますよそりゃあ。私だって大人ですし」
「大人だったら少しは大人らしい所見せろよオラ」
そう言ってヴィヴィオが頬をぷにぷにと押して弄ってくる。うりうり、と言って押してくるヴィヴィオに数秒程耐えると、ヴィヴィオが溜息つきながら此方へと視線を向けてくる。その視線は呆れ半分、同情半分の視線といった所だろう。
「結局、姉ちゃんの目的って何?」
「家の決着をつけて、ついでにイストさんに責任とってもらうだけですねー」
「それだけ、だよね」
「えぇ、ぶっちゃけそれだけです」
笑顔で応えると、ヴィヴィオは溜息を吐いてくれる。そうだろう、妹の事だからそんな風なリアクションだと思っていた。
その言葉をヴィヴィオは正しく理解してくれただろう。
だからこそ、ヴィヴィオは呆れた様な表情を浮かべているのだ。それはだって、自分が今、ぽんこつでいる最大の理由を理解したからだ。おそらくそれはヴィヴィオ以外の人間であれば、まず理解できるのはそう多くはない。一番理解してくれるのはヴィヴィオが”妹だから”に違いない。この面子の中で、ヴィヴィオ以外に理解できそうなのはどうだろう―――おそらくティーダのみなのではないだろうか。おそらくクラウスも、カリムも、イストも理解できない。あの人たちはどう足掻いても、
強すぎる。
強すぎるせいで絶対に気付けないものがあるのだ。だから、おそらく正しく理解できるのはティーダとヴィヴィオだけ。妹、という立場がなければおそらくヴィヴィオでも気付けなかったかもしれない。だからヴィヴィオがちょっとした苦笑を浮かべる。だからそれに応える様に此方も苦笑を返し、そして口を開く。
「ねぇ、ヴィヴィオ―――普通ってなんでしょうね」
普通、とは何だろうか。
「カリムは普通であるという事は大衆と似たり寄ったりである事、っという感じに言ってましたけど、それは違うと思うんですよね。誰もが個性を持っていて、普通でありながらユニークじゃないですか。だから皆と一緒、ってのはまたおかしな話ですよね。まあ、戯言と言ってしまえば戯言なんですけど―――ねえ、ヴィヴィオ。どうしたらいいんでしょうね、私」
―――何をすればいいのか、目的が、目標がないのだ。
話してしまえば簡単な事だ。オリヴィエ・ゼーゲブレヒトには目的があった。それはゼーゲブレヒトの規範である事だ。アレが正しいゼーゲブレヒトである事、その機能が全てである事を自分の存在を持って証明し続ける事だ。そうやって、社会に役立ち、トップに立つことを目標としていた。それが生まれてきた意味で、そしてゼーゲブレヒトとして与えられた使命だった。だからその為に全力を尽くしてきた。だけど、それは終わってしまった。自分がどんなものだったのか、今まで何をしてきたのか、それを外側の視点から見れる様になって、心を解放されて、解ってしまったのだ。
強迫観念に従って生きる必要はない。
胸を押さえながら、思考を続ける。
ゼーゲブレヒトから解放されたのはいい。だけどその先はどうなんだ。ただのオリヴィエになった少女には何が残されている? もう昔の様な集中力はない。アレは自己暗示の様なものだったから。それが消えてしまった今、あの魔法は、もう存在しない。与えられたのはゼーゲブレヒトとしてのアイデンティティだけだったのだ。それを失くしてただのオリヴィエになった今、自分にあるのは知識と、知恵と、そして友人とヴィヴィオだけだ。ゼーゲブレヒトから完全に脱却する、という目的も一応は存在した。だがそれも、もう終わってしまった。オリヴィエにはやることが残されていない。
やることが解らない。
今までを人形の様に生きてきたから。
自分で考えろ、と言われてもちょっと難しい。自分でも割と頑張っている方なのだ、こう見えても。だけど良く考えて欲しい、
―――人はそんなに強くない。
「私はクラウスさんの様に超人的な精神力を持っていません。自分が生まれてきた理由の全てを否定されて直ぐに笑って立ち上がる事なんてできません。私は貴女の様に諦めたらすぐに新たな目標を見いだせるほど心が強くないんです。今でもまだ全てを否定されたショックが胸に響いているんです。私は別にそこまで特別だったわけでも、強かったわけでもないんですよ―――」
―――今になって解る、私は強がっていたんだ。
必死になって、強がって、それを絶対に顔に出さない。絶対に悟られない。そんな風にずっと自分にさえ気づけない様に仮面を被って生きてきた。だからこそ何とかなっていた。ヴィヴィオの様にいられた。自分さえも騙していたのだからそうだ。だけど、もう、自分にはそんな力はない。魔法は解けてしまった。永遠にオリヴィエ・ゼーゲブレヒトだった頃には戻れなくなってしまった。心は弱いまま、露出してしまっている。
まだ、自分が何をすればいいのか、何を目標とすればいいのか、それが解らない。
だから惰性で生きている。流される様に、やるべき事だけをやって生きている。それだけが今の指針になっているから。大学へ行っているのは前から続けていたことと、それがきっと、社会では必要な事だから。前ほど真面目じゃないのは、それが本当に大事な事かどうか解らないから。良くだらける様になったのは情熱をそこに注ぎ込んでよいのかわからないのか。解らない、誰かに指針を与えて欲しい。それはきっと甘えなのだろう、何かに依存したい気持ちなんだろう。
だけど、それは楽な道だと解っていても、助けが欲しいのだ。誰かに何をすれば教えてほしい、それだけなのだ。
間違っていると解っていても、仕方がない。
「私は、弱いですからねー。そうそう簡単に代わりになる目標なんて見つけられないですし、気合を入れれば何とかなる! ってタイプでもないですから。どちらかというと結構ズルズルと引っ張るタイプらしくて……」
「まあ、姉ちゃんの言いたい事も解るよ。私達姉妹だしね。そしてお姉ちゃんの言っていることが全部甘えだって事も。でも―――ヴィヴィオにもお姉ちゃんを責める資格は一切ないんだよね」
そう言って、ヴィヴィオは溜息をつく。
「そうだよね、”期待をするのは勝手”だもんね。それにお姉ちゃんの件に関しては私が思いっきり背中を押したから、私にも責任の一端はあるんだよね。だから、まあ、こうやってお姉ちゃんの世話を焼く可愛い妹ロールを全力でやってる訳なんだけど、まさか姉がここまでポンコツになるとは予想外だったわ。イヤ、マジで。このヴィヴィオにも見抜けない事はあったのだ」
「人をポンコツポンコツ言うのは止めましょう。地味に心に響く」
はいはい、とヴィヴィオがあしらう様に言う。ここ数か月でヴィヴィオのそういう態度は凄く板についた。やはり駄目な姉だから、そういう風にヴィヴィオを苦労させてしまっているのだろうか? いや、苦労させてしまっているのだろう。自分が不甲斐ないから。ベッドから起き上がり、軽く体を動かす。少々気絶していたようだが、それは問題ない。一番の問題は、自分がどれだけ狭心症に対して耐えられるか、だ。どれぐらい前になるかは知らないが、それでも言葉を投げかけるところまでは何とか耐えられた。その感覚を思い出し、耐え続ければ話を繋げる事は十分できる筈だ。
―――きっと、逃げないあの人なら私に答えをくれる筈。
そう思い、立ち上がる。きっと、馬鹿な人だからホテルの屋上にでもいるのだろう、と胸の苦しみを堪えながら歩き出そうとすると、ヴィヴィオが待って、と言葉をかけてくる。その言葉に足を止めてヴィヴィオの方へと視線を向けると、ヴィヴィオが一旦言葉を止め、少し悩む様に此方を見てから口を開く。
「ぶっちゃけさ、姉ちゃん、お兄さんの事ライク・オア・ラブで言うとライクの方だよね」
「いや、まあ、苦手意識が消えない訳ではないですけど、今でも友人だと私は思っていますよ。確かに好きといえば好きですけど、それは恋愛感情としてではなく、友人に対して向ける様な”好き”ですよ? ぶっちゃけお姉ちゃん、妹の趣味に関してちょっとだけドン引きしていますが、それはそれなので一切口は話しません。ちゃんと節度のある接し方さえしてくれればちょっとしたことぐらいは……」
「うるせぇよ、さっさと男の一人でも作ってから説教してみろよオラ」
「つ、作れないんじゃなくて作ろうとしなかっただけですし! だ、大学だと私、超人気者ですし! あの”オリヴィエ主席!?”とかって言われるぐらいには超人気者ですよ、私は!」
「姉ちゃん、残酷な事を言うけどそれ人気って言うよりはドン引きされているだけだから。知らないの? 完璧超人系の生き物は何時だってドン引きの対象なんだよ。覇王兄なんて昔、彼女の前でビルの壁を走り登った結果彼女を失ったからね。寧ろあの脳筋はなんでそんな事を始めたのかが気になるけど、とりあえず姉ちゃんのそれはドン引きされているだけだよ」
「そ、そんな事……」
思い返せば席を譲られたり、列に並ぶ時は何故かみんな避けたり、尊敬とか言うよりは逃げられている様な場面が多い気がする。
……アレ、おかしいですね、ここは年上として完全にヴィヴィオを論破して、大人としての威厳を見せるべき場所じゃなかったですっけ。
いや、ヴィヴィオに勝てる気は全くしないのだが、それはそれとして、大人としてのこう―――やっぱり認めよう。大人としての威厳なんてものはもはやこの半年で完全にフライアウェイしてしまったことを。まあ、ぽんこつでもいいんじゃないだろうか。
最近は割とぽんこつでいる事に対しての楽しみを覚えてきている気もするが、まあ、気のせいだろう。
「と、も、あ、れ!」
「お、おう」
「私は、こう、メンタル強くないんですよ! 目的意識的なサムシングも割とないですし、若干依存的な部分もあるんです! というわけで誰かや何かに寄生しておかないと社会的な活動を行えないって訳なんです!」
「姉ちゃん、それ人として最低最悪のジャンルに入る上に自信を持って宣言する事じゃないよ。もうちょっと反省して土下座しよ? 人間反省する気があるなら焼けた鉄板の上でも土下座できるらしいから。ちなみにそれが出来た人間を私は二人知ってる」
「奇遇ですね、私もその二人知っている気がします」
頭の中にはっはっは、と笑う赤と緑色のイメージが浮かび上がる。それを脳内キックで吹き飛ばしおき、最後に一回溜息を吐く。なんでまじめな話をしても最後まで真面目なままに話が終わらないのだろう。なんというか―――もう、暁町や、海鳴とかに来てしまったから手遅れってやつなのだろう。完全に芸風が固定されてしまっている気がする。
まあ、気分は悪くない。寧ろ良い。楽しい。おそらく、ドイツにいたままでは絶対に感じれなかった事だ。
「姉ちゃんさ」
「うん?」
ヴィヴィオへと視線を向けると、ヴィヴィオがちょっとだけ複雑な表情を浮かべ、
「恋をするといいよ。きっと、それが姉ちゃんを変えてくれるよ」
「周りの男がロクデナシばかりなんですけど」
「味があっていいじゃん。普通な男よりも一癖二癖あった方が全然楽しいと思うよ? まあ、出来たらお兄さん以外を頼みたい事だけど多分”既定路線”だし、レールから外れることはないと思うし……まあ、そんな訳で一応姉ちゃんの応援だけはしておくよ」
「まるで人がチョロイ女の様な言い方は……」
「実際、今の姉ちゃんクッソチョロイと思うよ。まあ、明日までには結果が出るよ。その場合は姉妹丼狙うだけだから。そんじゃ、姉ちゃん頑張ってね。妹として手伝えるのはここまでだし」
そう言うとヴィヴィオは隣のベッドへとダイブし、リモコンを取るとテレビをつける。もう、話すことはない、という意思の表示だろう。その姿に口に出す事なく感謝の言葉を言っておく。ヴィヴィオのおかげで凄く助かっているのだ。
だから、
答えを貰いに行こう。
二日ほど更新できなくてスマヌゥ、ちと無理だったのである。
一切精神的な地雷が撤去されていなかった元天使、その名はポンコツ。毎回ヒロインに用意するキャラクターが精神的にアレなのはどうにかならないのだろうか? ならないか。ともあれ、クライマックスっすな。
ところでクラウスのネタとしての万能感がヤバイんだが。