【完結】ひらがなこわい 作:烏賊葛
「フィノ」
泣き伏せる少女に、声を掛ける。
ランタンの光が照らす彼女の髪は、始めて会った時のようにキラキラと輝いていた。
「レイジぃ……」
顔を上げ、こちらを見る少女の瞳から零れ落ちる、大粒の涙。
自分の不注意が招いた、見たくはなかった彼女の顔。
「……すまな、っ!?」
謝罪の言葉を言い切るより前に、勢いよく抱きつかれる。
バランスを崩して、床へと倒れて――それでも、彼女が怪我をしないように、咄嗟に受け止めて。
結果的に、レイジはフィノに押し倒されるような形で床に転がっていた。
「どうしてあなたが謝るのよ」
胸元に押し付けられた彼女の顔。くぐもった声で問いかけられて、少年は。
「俺の、過去なんぞ、知りたくも、なかっただろう」
「…………」
返事は、ない。少女の腕の力が少し増した気がしたが、レイジはそれを気の所為だと思った。思い込んだ。
「聞いても……いや、読んでも。面白い、話じゃ、なかっただろう」
よくある話だ。少なくとも、レイジはそう思っている。両親からああいう感情をぶつけられた理由も、納得している。
いい気分ではない。だが、兄の命を奪った自分への罰なのだろう、と思っていた。
その罰に耐えきれず逃げ出した自分は、臆病者だとも。
「それに、もう一つ」
誰かに嫌われるのには、もう慣れきったと思っていた。
「俺と……君が、最初に会った時」
怒りと憎しみをぶつけられる程度、大したことはないと思いこんでいた。
「――俺、は」
舌がもつれる。
「……あの時、俺は。君に、君を」
喉が干上がる。
今言わなくてもいいだろうと、臆病な自分が喚き立てる。
「…………君を、下衆な、視線で、見ていた」
嫌われたくない。君には、
だけど、だからこそ、嘘を言いたくなくて。
正直に、己の罪を曝け出した。
「…………」
少女の動きが止まる。
わずかに感じた寂しさを叩き伏せて、少年は少女の手を自分から引き離す。
「ムラサキと、戦っていた、時に、言った、よな。…………体か、地位目当ての、人間しか、いなかったと。……俺も、そうだ。君の、体に、見惚れて、いた」
自分もそいつらと同類だ。いや、誤魔化そうとした時点で、なお悪いか。
嘘をついて、他人に取り入るような真似をしたのだから。
「騙していて、すまなかった。……傷も、治ったよう、だから。俺は、ここを、出ていこうと」
「赦さないわ」
被せるように。切り捨てるように言い放たれた彼女の言葉に、少年は目を伏せて。
「……だろう、な」
「勘違いしないで。私が赦さないと言ったのは、あなたがここを出ていくことよ」
フィノの言葉に、今度はレイジの動きが止まる。
思わず上げたレイジの目に写ったのは、瞳を潤ませながらも、決然とした少女。
「な……」
「ねえレイジ。あなた、体目当てで私を助けたのかしら?」
「違う」
「でしょう?ほら、自分勝手なムラサキなんかとは全然違うじゃないの」
無茶苦茶だ。今すぐにでも彼女を引き剥がして出ていくべきなのに。なのに、どうして。
「ムラサキったら、最初に会ったときからずーっと私の体ばっかり見てたもの。私、あの人のこと……大っ嫌いだったわ」
引き離した手が、もう一度自分に絡みつく。
その温かさを嬉しいと感じた自分を殴り飛ばそうとして、それでも、動けなくて。
「レイジ。私はあなたに死んでほしくないし、あなたに傷ついてほしくもない」
自分が傷つくことで、彼女が傷つくなら。そんなことはするべきではないと思う自分と。
彼女がくれる温かさは、自分のようなものには分不相応にも程があると思う自分と。
「あなたにいなくなってほしくない。ずっと私の隣にいてほしい」
少女の、優しい声が。
ずっと響いていた
「お父様もお母様も、あなたの事は気に入ったみたいだし」
こみ上げてきた熱い何かが、溢れ出して、こぼれていく。
「おじ様はきっと文句を言うでしょうけど、私は気にしないわ」
涙を流すのは、いつぶりだろう。
「だから、ね。レイジ」
悲しみを悲しみと感じたのは、いつぶりだろう。
「もっと自分を大事にして。あなた自身を愛してあげて」
――誰かの温かさを、こんなにも感じたのは。
いったい、いつぶりだろう。
「あなたのお兄様だって、きっとそれを望んでいるわ」
どこまでも優しい声に甘えるように。
レイジは、大声で泣き続けた。