終わる世界の片隅で   作:則天去私

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序章

 「杞憂」と言う言葉を知っているだろうか? 古代は中国、空を見上げて人はこう思った。「この空が崩れ落ちてくるのではないか」と。そんな事起こりはしないのに。要らない心配を揶揄した故事である。つまりは取り越し苦労のことなのだが、本当に空が落ちてきたら、僕たちはどうすれば良いのだろうか? 空じゃなくてもいい。この世界が無くなると知ってしまったら、僕たちはその恐怖を憂うべきなのだろうか?

 

 

  山奥のペンションは、ひっそりと静まり返っていた。都会の喧騒とは無縁の深緑の中、西洋風の建物は薄影に輪郭をぼかしている。何が言いたいのかというと、その景色はとても幽玄ということだ。

まだ朝日が差し始めたばかりだが、僕は森の中の小道を散歩していた。朝露に濡れる手足が、寝起きの火照った体を冷やしてくれる。

「おっはよう、邑! こんなに早くから何してるの?」

驚いて振り返る。僕より頭一つ分低い彼女は、元気に肩を上下させていた。染めていないのに茶色がかった、日本人には珍しい雀色の髪。背中にかかる程度で切りそろえられ、後ろで一本に結わえられたポニーテールは、動く度に跳ねるように動き自然と視線を誘導する。整っていながら勝気な顔は、僕を見つけられて嬉しかったのか、微笑を浮かべ、得意げに目を爛々と輝かせている。Tシャツに短パンというラフな格好は良く似合い、アスリートを連想させる体格を惜しげもなく見せつける。

可愛いというより凛々しく、綺麗と言うより活発な幼馴染は、駆け足で近づいて来た。 

「おはよう。早く起き過ぎたから、散歩してたんだ」

 僕はまじまじとこの幼馴染みを見詰める。恐らくも何も、僕は恵まれているのだろう。

見砂夏弥。

僕の短い人生の中では長い付き合いになる彼女だが、まさかこんな時にまで一緒に居ることになるとは思わなかった。全く、腐れ縁と言う言葉では生温い程に縁がある。最も、切りたい縁ではないのだけれど。

 僕は、このまま川まで散歩するつもりだった。夏弥はどうするのかと尋ねたら、一緒について行くと答えた。僕が川に仕掛けた罠に、魚が掛かっているのかを確かめに。

「魚ねぇ。何回失敗したんだっけ?」と夏弥はにやにやする。

「…………5回」

 道端に咲いた花が綺麗だ。だから僕はそっちを見るんだ。決して気まずさに目を逸らしたわけではない。断じてない。

「仏様だって3回までしか許してくれないんだよ? 餌の芋虫を捕まえる手伝いをしてるわたし達もそろそろ怒っちゃうよ!?」

 強引に視界に入って来る夏弥。指を突きつけられ、ついでにくるくる回されてトンボの気分を味わう。気持ち悪い。

「うう、ごめんなさい。でも餌はなくなってるから、魚は来てるんだよ。あと少し罠を改良すれば、魚を捕まえられるはずなんだ」

 我ながら虚しくなってくる弁解だ。夏弥のお腹も虚しくなったのか、ぐぅっと空腹を訴える。

「はぁ、そろそろ魚が食べたいなぁ」

「今日こそはきっと捕まってるよ。……たぶん」

 そんな他愛もない話をしている内に川が近づいてきた。

ペンションからこの川へは歩いて10分ほど。もうそんなに歩いていたのかと少し驚く。都会のコンクリートを歩くのと違い、山道では時間の感覚を忘れがちだ。

川幅はいつもと同じ5m弱。水流も至って穏やか。それを確認してから足を速める。

ここ数日、僕たちはそこに罠を仕掛けて魚を獲ろうとしていた。成功例は未だ0。悲しい話だが、何事も最初からうまくいくとは限らない。心を強く、そして広く持ちたいものだ。ねえ、夏弥さん。

朝日を反射してきらきらとした光片を舞わせる小川は、僕らに一瞬、罠のことを忘れさせ、呆然と立ちつくさせてしまう。

 二人して朝日がきらきらと光る川に感嘆し固まっていると、ぴちゃん、と魚の跳ねる音がした。その水音が、僕らの見えない拘束を解く。僕たちは慌てて罠に駆け寄る。

「見て! 魚掛かってるよ!」

先に着いた夏弥が興奮した声を上げる。僕も罠の中を覗き込んで目を丸くする。そこには大きなニジマスが一匹掛かっていた。

「ついに、ついに獲れた!」

 いろいろと苦心しただけあって、その喜びはひとしおだ。体から溢れ出そうとする喜びを押さえ、僕はぐっと拳を握った。

「やっと魚が食べられるね! ってそうだ、あんたクーラーボックスは持って来たの?」

 しまった、まさか本当に獲れると思っていなかったから、すっかり忘れていた。

「ごめん、すぐ取って来る。ちょっと待ってて!」

「ちょ、私も一緒に行く!」

 僕ら二人は、笑いながらはしゃぎながら走りながら急いでペンションまで戻って行った。二人の顔は、暫くぶりに、憂いのない喜びだけで占められていた。

 

 ペンションに戻ったら、賑やかな音が聞こえてきた。椅子を動かす音やぺたぺたとしたスリッパの足音。

やっと皆も起きたみたいだ。

「魚が獲れたよっ! クーラーボックスどこだっけ?」

 僕と夏弥が、川の罠にかかった魚の事を報告すると、皆は一瞬驚いた顔をしてから口々に感想を言い始める。

「うむ、苦心したかいがあった」「もう諦めてたぜっ!?」「はい、クーラーボックス」「……眠いです」

かくして今日の朝食のおかずが一品(各人一口ずつのニジマス)増えたのだった。

 

「今朝の事なんだけどさぁ」

朝食中、僕の斜め前の席に座っている友人がにやにやしながら話し出す。

不良染みた印象を与える明るい茶髪と裏腹に、こいつはいつも場の雰囲気に気を遣い、盛り上げる。巻谷昇。名字の巻谷で呼ばれると嫌がるので、皆昇と呼んでいる。何でも「巻の字が気に食わない」かららしい。

さて、昇がこんな顔をする時はたいてい何か良くない事を考えている。大抵は悪戯の方面において。うっすらと心当たりのある僕は何を言われても平気なように気を引き締める。

「邑と見砂、二人で何してたの? まさか朝からいちゃついてたとか?」

 まさかの直球。いきなりにも程がある。くうと音を立ててしまう自分の喉が恨めしい。

「な、何もしてないよ。ただ散歩してただけ」

 多少動揺しながらも、僕はそう答えた。何でもないと言うように、胡瓜の浅漬けに箸を伸ばす。

それを聞いて夏弥が少し不満そうな顔をしたけど、気にしない事にする。間違った事は言っていないはず。訂正したいならすればいい。

つらつらと思考を重ねている間数秒。突然に僕の手に箸が突き刺さる。箸を辿っていくとそこには女性としても大分背の低い少女がいた。

シンプルに動きやすそうなキャミソールの上にジーンズ生地の半袖を羽織り、ホットパンツと黒のニーソックスの合間に見える絶対領域が人の目を惹き付ける。

彼女は九音価。肩の高さまで伸ばされた射干玉の黒髪が特に美しい。パッと見では中学生に間違われそうな身長。体格もおよそ女性的とは言えないものの、健康的にすらっと伸びた細い手足が魅力的だ。整い過ぎた容姿は、あまり感情を表に出さない事と相俟って恐怖さえ感じられる域に達している。普段はその小柄な外見に似合わずどこか冷たい空気を纏っているものの、いつも僕たちの事を考えてくれている。そんな優しい少女……のはずだった。

「って痛い痛い、痛いよ音価! 僕の手に箸を刺さないでっ」

「浮気はダメってあれ程言ったのに……」

 箸の先端がミリ単位で着実に下がっていく。音価の目からはゆっくりとしかし確実に虹彩が失われていく。

 箸の先端は素敵に手の皮膚にめりこんでいるが、不思議な事に全然痛くないのが逆に不気味だった。

「そんな事してないし、そもそも僕たち付き合ってさえいな」「えっ? 良く聞こえなかった。もう一回言って、邑?」

怖い! 完全に座った大きな目でじっと見詰められるのが何より怖い! 微動だにしない瞳が僕の一挙手一投足全てを把握してそうで背筋が冷える。

音価は普段は優しいのに……。こういう所が少し残念だ。

「ああもう、うっさいわね。別に何もないわよ。一緒に散歩して、それだけ」

ナイスタイミング夏弥!

心の中で僕は夏弥にエールを送る。しかし音価は夏弥を一顧だにすらしない。じっと僕から目を逸らさない。

「とにかく、邑と私は何もなかったの! それに昇! 私たちは散歩してただけ! それだけなんだからね!?」

音価に指を突きつけて説明する夏弥。昇には指を突きつけるどころか目を狙っての刺突が繰り出されている。

ようやく音価の目にも生気が戻ってくる。周囲の様子にも気を配り始めたのが瞳の揺れで分かる。

「え、ええ、そうですね。何も疾しい事はないですよね。すみませんでしたーーー!」

あまりの迫力と身の危険に昇が敬語になっている。あれは怖いからなあ。目潰しが冗談ではなく本気でされているの見ていて分かる。極限まで頭を下げ目潰しをさせない昇の謝罪手段は最善手だろう。男の意地を考えなければ。

そして僕はまだ手に箸を刺されたままなのだが。もう泣いちゃいそう。

「まあまあ、皆落ち着こう。ほら九も箸を突き立てない。邑も痛がってるぞ」

見かねて一人の大男が仲裁に入る。僕も痛がってるフリをする。プライドなどない。

そして流石に周囲の状況を察したのか、ようやく音価も僕を箸から解放してくれたのだった。

僕は感謝の意を込めて目配せをした。大切な親友、樫竜平に。相変わらず頼りになる。どんな時も自分を見失わず、悠然とそこに居続ける。見るだけでそんな事を思わせる姿はいつ見ても格好いい。僕らの良心を担っているだけあって行動も常識的だし。

「……ごめんなさい。手、大丈夫?」

 箸を引き抜いた音価が、上目使いで僕に尋ねてくる。さりげなく僕の手を取って見分したりマッサージしたりしているけど皆見て見ぬふりをする。

いや、誰か何か言ってよ。ちゃかしてよ。不意打ちで感じた音価の絹のような手の感触に、僕はどぎまぎして顔を向けられない。

「ああ、うん、平気だよ。気にしないで」

傍から見たら凄いそっけないんだろうなあ、僕。嫌な奴に見えるんだろうと自覚しながらも、恥ずかしくて音価の顔を見れない。

何はともかくこれで一件落着。僕は安心して目の前のご飯を食べ始める。それでもまだずっと手を握ってくる音価の事は努めて意識から外す。竜平の呆れた顔が心に重くのしかかるけど、それくらい許容範囲だ。そんな顔するなら何か言って欲しい。

夏弥はまだ昇を睨みつけて謝罪させ続けているけど、もう誰も気にしない。とりあえず危険はないし、何より、これぐらいは日常茶飯事だから。

さて、さっきから気になってたけど、ひとり何も喋っていない少女がいる。

お嬢様然とした長いブロンドの髪に、西洋人形のように整った顔立ち。病的に白い肌。普段から細い眼は、寝起きという事でほとんど閉じられている。むしろまだ寝てないか、これ。

桜羽衣。

桜と言う名字にふさわしい、どことなく儚く、それでいて気品を感じさせる佇まいだ。実際、ヨーロッパで有名などこぞの名家の血が入っているらしいから、この気品も本物なのだとは思う。たぶん。

もともと良く喋る方ではないけれど、今は眠くてぼーっとしているのだろう。まだパジャマ姿だし。ためしに「やあ羽衣、ニジマス美味しい?」と聞いてみる。

「ええ、この味噌汁、とても美味しいですね。」

………………そっとしておくことに僕は決めた。

 

 朝食が終わると、僕たちは食料を探しに出掛ける。米だけなら十分な蓄えがあるし、栄養サプリや缶詰も結構な量が揃っているのだが、新鮮な食べ物と言うものが無い。今日の食卓を賑やかに、侘しく缶詰をつつかないようにするため、皆思い思いの方法で食料を調達しようと奮闘している。とは言っても、そんなに時間を掛ける訳にはいかない。他にすることもある。僕は心なし急いで自分の作業に取り掛かった。

 僕が魚の罠の改良をしていると、音価が後ろから覗き込んできたのを気配で感じた。あまり足音を立てず、気配を消している事の多い音価だが、僕の近くに来ると大抵衣擦れや何かの音で僕に気付かせる。僕を驚かせない気遣いなのだろうが、その技術の巧みさにいつもながら舌を巻く。何かと思って振り返ると、音価の顔は予想外に近くにあって、僕は不覚にも顔が赤くなったのを自覚した。

「どうしたの? 顔が赤い。熱でもあるの?」

 音価はそう言って、いきなりおでこを合わせてくる。前髪を挙げる仕草が妙に艶めかしい。いや、そんなことより音価の顔が近い。長い睫が僕の目に刺さりそうだ。もう目の焦点を合わせることも出来ない程近くに音価を感じる。

 僕は更に緊張して、顔から火が出るんじゃないかと結構本気で心配になったけど、そこでやっと気付いた。ように思った。

 ああ、僕、今からかわれているんだと。

「もう、からかわないでよ。それに僕だって男だよ。そんな事されたら何するか分からないよ」

 いかにもエロ……もといノベルゲーの主人公っぽい台詞を言ってみる。我ながらベッタベタだ。

 このような返しを覚える為だけに、わざわざゲームを買って勉強したのは皆には秘密だったりする。

しかしこれならきっと音価も恥ずかしがって答えられないに違いない……。

そう思った僕が馬鹿だった。

「邑になら、何をされたって構わない」

「………………」

 もっといかにもなそれっぽい台詞が返ってきた。

 それも真顔で。すごく気持ちのこもった声音で。

 どうしよう。現実に言われるとかなり気恥ずかしぞ、これ。何より音価が本気で言ってるのが分かるから下手に逃げられない。

 と、そこで僕たちに声が掛けられる。

「あんた達、二人で何してるのよ! さっさと作業しなさいよ!」

 夏弥の声が天から降ってきた天使の声のように聞こえた。

 相変わらず、いい所で気付いてくれるなあ、夏弥は。タイミングを外さないこの勘の良さは尋常じゃない。

「……ちっ、いい所だったのに」

えっ? 今近くから不穏な声が聞こえたけど気のせいだよね。呪詛を吐くような低い低い声だったけど聞き間違いだと信じたい。

 少し予想外な事に、音価はあっさりと僕から体を離す。「分かった、自分の作業に戻る」と言い残して、さっさと離れていく。呆けたアホ面を晒す僕と満足げな夏弥が残される。

「うん、うん、それで良し。邑も怠けちゃダメだよ! じゃね!」と夏弥も直ぐに去っていった。

それで僕は一人になって、罠づくりを再開出来た。今日の成功とこれまでの失敗を踏まえ、大枠の修正と細部の微調整を繰り返す。黙々と朴訥に滔々と作業を続ける。

 ちょっと寂しいなと思いながら。

 

 罠を作りながら僕は考える。

 そもそも、何で僕ら6人はこんな所で暮らしているのか。

 なぜ自給自足などしているのか。

 どうして世界は終わりに向かっているのか。

 そう、この物語は、一週間前から綴られ始めた。




友達に勧められて初めて投稿してみました。お見苦しい点が多々あるとは思いますが、生温かい目で見て下さると嬉しいです。勿論冷たい目で見てもらっても喜びます。批判とか非難とかして下さると狂喜乱舞します。感想頂けると舞い上がります。
まだまだ書き始めたばかりなので筆は遅いですが、書こうと思っている内容は大体決まっているので、それに沿って一定程度のペースで書いていこうかなと思っています。それと、未だに使い方がよく分からなくてタグとかちゃんと出来てないんですが、大目に見てくれると助かります。
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