終わる世界の片隅で   作:則天去私

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第三章

 翌朝。僕は鳥の声で目を覚ました。何もおかしなことのない、いつも通りの朝だ。う~んと伸びをして強張った体をほぐす。まだ寝ている夏弥を起こさないように、静かに身支度を整える。

夏弥に目を向けると、子供のように布団を乱していた。いつまでも変わらないな、と苦笑しつつ顔を見ると、夏弥は目の周りを真っ赤にして、だけど気持ちよさそうに幸せそうに眠っていた。僕の枕をしっかりと抱きしめている事に気づき、椅子に避難した自分の機転が正しかった事を把握した。

 腕時計の短針は未だ文字盤の右側にある。それほど長時間寝ていた訳ではないのに妙に頭がすっきりしているのは、充分に熟睡出来た証拠だろう。取りあえずロビーにでも行こうと、僕は音を立てないようにそっと部屋を後にした。

 案の定まだ誰も起きてない……なんてことは無かった。玄関の洒落た石畳の上で、足に重たげな石を載せて正座し手を後ろに回して縛られている竜平と昇がいた。猿轡まで噛まされている辺りに、犯人の心当たりが薄らと浮かぶ。

 目を閉じ、まるで瞑想でもしているかのような悟りきった表情を浮かべる二人に、僕は恐る恐る声を掛ける。僕の声に気付き、二人は生気の失せた無表情で振り向く。怖いよ。

 何かを言いたそうに眼で訴えかけてくるので、二人の猿轡を外してやる。うわ、唾でべとべとだ。汚いなあ。

 う~、と何度か発声を整えてから、昇が恨めしそうに声を出す。裏切り者め、と。

まさか夏弥との事がばれてたのか!? 昇の言葉にびくつく僕。背中を嫌な汗が流れ始めた。

 「うむ、それよりも、早くこの石をどかして戒めを解いてくれ」

 と、竜平が切実な声を上げる。はっと我に返った僕は、要請どうりにさっさと二人を解放する。二人とも足が痺れるのか、笑っているような泣いているような過酷な表情を浮かべる。目を潤ませた竜平なんて滅多に見られない。珍しい事もあったもんだ。

まあ男の涙目なんて見たくもないけど。

「……で、何で邑は来なかったんだよ?」

 なんだ、こっちの事か。僕は昇の言葉に一人納得し安堵する。夏弥の事はばれてないみたいだ、良かった。

さて、状況を察するに、二人は約束の時間になっても下りてこない僕を待っていて……待っていてどうしたらこんな事になるんだ?

「いや~、はは、ごめんごめん、うっかり寝ちゃってね。それよりも二人とも、どうしてこんな自虐プレイしてるの?」

 嘘は言ってない、嘘は。質問に答えたわけではないのと、別の質問で誤魔化してるのがポイントだ。

 素直に誤解してくれた竜平が、それなら仕方ないかと言ってくれる。大分疲れていたろうし、寝てしまったのも致し方ない事だと。後ろめたさに心が痛むけど、仕方ない。僕も自分の身が大切なんだ、許してくれ。

「おいおい、自虐プレイ何かじゃないぜ!? これ全部、音価ちゃんのせいだよ。お前を待ってたら音価ちゃんに見つかっちまってさ。酒は取り上げられるし、罰ってことで正座させられるしで、とんだ災難だったぜ。お蔭で一睡もしてねえよ」

 キツイ! キツイよ音価! もしかして、僕と夏弥の事に気付いてその八つ当たりだったりはしないよね? これは深読みのしすぎだよね?

「そ、それは災難だったね。まあ二人とも寝てないって言うなら早く寝に行った方が良いよ。今日も肉体労働はさせられると思うし……」

 二人は僕の提案に素直に従い、文字通り這いつくばって、芋虫さながらに二階へと向かう。二人の後ろ姿に僕は涙を滲ませたのだった。

 

 二人が去って、あたりが静かになる。鳥の囀りに暫く耳を傾けていると、上階から扉の開閉音が微かに響いてきた。どうやら竜平達は無事に自分の部屋に辿り着けたらしい。

僕は窓を開け、空気を入れ換える。ひんやりとした山の空気が心地よい。濃密な草木の香りは、鼻腔から脳を直接刺激しているかのようだ。太陽は木々に隠れて見えないが、既に明るくなっている。

 昨夜は皆寝たのが遅かった。きっとまだ起きては来ないだろう。米だけでも炊いておこうと炊飯器をセットしかけて、電気が使えない事に気付いた。どうやら僕はまだ寝ぼけているらしい。そういえばまだ明かりも点けていなかった。気付かないわけだ。

 電気が使えない状況は、いよいよ非日常だ。それが本当だとして、地球滅亡の影響が及んできた現実は目の背けようがない。現実的な結果として現れたこの節電は、どうしても良くない想像を掻き立ててしまう。僕は頭を振って景気の悪い考えを打ち消した。

 気を取り直し、ペンションの各設備を点検する。幸いにしてまだ水道は使える。悲観的だが、電気はきっと復旧しないだろう。諦めるしかない。ガスの備蓄は多分一週間分くらい。なくはないが、先のことを考えるとあまり無駄にも出来ない。発電機用の軽油は満タンの半分って感じの量だ。これでどの程度の電力を確保できるのか、全く知識のない僕には知りようがない。幸い、薪の類に関しては全く問題ない。キャンプファイヤーを毎日続けても大丈夫な位ある。食料は、もう保存の効くものしか残っていない。まあ、米と味噌だけは沢山あるから少し安心だ。

 手持無沙汰になった僕は、昨夜の片づけの残りと朝食の支度をすることにする。

 朝食は焼きおにぎり。米しかないんだから、これ位しか作れない。昨日音価に教えてもらった通りに、大きめの土鍋で米を炊く。想像していたよりずっと簡単に米を炊くことが出来る事に驚いた。研いだ米と水を鍋に入れ、蓋をして火にかければそれでOKだ。バーベキュー用の設備を使って、屋外で直接火を熾す。昨日に続き二回目ともなれば、火を熾すのも慣れたものだ。米が炊けたら三角ににぎり、味噌をつけてフライパンで焼け目を付けて完成。香ばしく和風な匂いが漂い、食欲を刺激する。思わずグーッとお腹が鳴って、僕は一人苦笑した。何時でも何処でも、体は正直だ。

これ位しか作れないのが残念で仕方がないけど、今は割り切るしかない。これも皆で相談して色々考えないといけないな。

 片付けに手間取って、朝食の完成に漕ぎ着けられたのは八時ごろ。流石にまだ男二人は寝かせておくとしても、女性の方々には起床してもらいたい。僕はお皿に並べたおにぎりをテーブルに置き、二階へ上がった。

 まず起こすのは夏弥。僕は自分の部屋をノックする。返事は無い、まだ寝ているようだ。そっと扉を開けて中に入る。夏弥はまだぐっすりと眠っていた。日が出てきて暑かったのか、布団は更にカオスな状況になり、パジャマが乱れている。目に毒な夏弥を直視しないように気を付けながら、僕は窓を開けて呼びかける。

「おはよう、夏弥。朝だよ、起きて」

「う~ん、もう朝? まだ眠いわよ……」

 眩しそうに眼を開ける夏弥。起こしてと言わんばかりに僕に向かって手を伸ばしてくる。寝ぼけたような振りをしているが、昔から夏弥は朝に強い。これはきっと罠だろう。僕はお約束のラッキースケベを回避するべく、さっさと部屋を出て廊下で待つ。夏弥も何食わぬ顔で、僕が出ていくのを見つめている。

 待つこと数分。お待たせ、と言いながら、夏弥はすっかりと身支度を整えて部屋から出てきた。目元も普段と変わりないが、これは一体どうやっているんだろうか。

 ってあれ、何でかな? 夏弥が僕の服を着ているように見える。きっと錯覚だよね? 錯覚だといいな。

「ねえ夏弥、せめて自分の服を着るべきだと僕は思うんだ。そもそもサイズがあってないんだから、着難いでしょ?」

「別にいいじゃない、これ位。けちけちしないの。大体あんた、私にパジャマ姿で出歩けって言うつもりなの?」

「いやいや、昨日は出歩いてここまで来たじゃないか。ともかく早く着替えてよ。こんな所を音価に見られたら……」

 言っている途中でフラグを立ててしまった事に気付いた。嫌な予感がして、僕はゆっくりと背後を振り返った。

 音価がいた。般若の如き顔で、強烈な感情の籠ったジト目をして。

「おはよう、邑。少し話がある。来て。」

 僕は音価に腕を引きずられて拉致される。ちゃっかり肘が極められているのはご愛嬌。

 夏弥は僕の懇願の視線から目を背ける。このまま逃げるつもりだ。引きつった笑顔で手を振りながらゆっくりと後ずさっている。僕はひっそりと、この裏切りを生涯忘れない事を誓った。もしこの後も僕が生きていられたらの話だけど。

 

 「夏弥は大丈夫だった?」

 音価が僕に上から声を掛ける。音価はベッドに腰掛け足を組み、僕は床に正座させられている。時々思うけど、音価って本当に僕のこと好きなのかな?

「まあ大丈夫じゃないかな。昨夜はかなり取り乱してたけど、今朝にはもう収まってたし。表面的だけじゃなくて雰囲気が元通りに戻ってたから」

 音価の事だ、なぜ夏弥が僕の部屋にいたかくらい察しているだろう。

「良かった。夏弥は溜め込んじゃうタイプだから、邑に打ち明けられて安心したと思う。

それで、なんで夏弥は邑の服を着ていたの? まさか一緒に寝たとか言うんじゃないよね? ね?」

 音価の瞳から光彩が消える。チャキチャキチャキ、とカッターの音。いつの間にか、音価の右手には凶器が。うん、これはヤバいね。

「いやいやいや、流石にそんな事は無いよ? 僕は椅子で寝たからね? 何もやましい事は無かったよ、うん。服は夏弥が勝手に着たんであって、僕は全く関係ないよ」

 保身のために幼馴染みを売る。そりゃ、首筋に冷たいものが当てられてるんだから仕方ないさ。

「……邑は今朝も早かった。ちゃんと寝てるの?」

 チャー、とカッターの刃がしまわれて僕は一息つく。何だかんだでさっきの質問は僕がちゃんと寝てるかを確かめるためのものだ。音価はいつも僕の健康に気を使ってくれている。ちょっと過激な所は多いけど。音価の真面目な顔を見ながら僕は嬉しくもあり、少し申し訳なくも思った。

「大丈夫、問題ないよ。音価の方こそ大丈夫なの? そこまで知ってるって事は、文字通り一睡もしてないってことがありそうで怖いんだけど」

 僕の健康に気を使ってくれるのは嬉しいけど、そのせいで音価が体調を崩すなんて許されない。音価こそいつも自分をないがしろにするから、それが心配だった。

「平気。邑の部屋の扉に、開閉音を察知して知らせるセンサーを……何でもない」

「……」

 これ以上聞くのは怖い。もう引き返せなくなりそうだ。知らぬが花って言葉もある。僕は気付かなかった振りを決め込んだ。

 っと、部屋の雰囲気が変わった。周囲を見回して、何が変わったのかを探る。はっきりとは言えないけど、音価の纏ってる空気が変わった気がする。なぜって、さっきまでは計算され尽くして見えそうで見えなかった音価のミニスカートの奥が、今は微かに見えたり見えなかったりしているから。シャツで隠れた首元で、下着の肩紐が見え隠れするようになったから。

「ねえ邑。あまり寝てないんだから、これから私と寝ない?」

「いやいやいや、急に何を言い出すのさ、音価。僕はそんな気は無いって何度も言ってる……」

 さっきとは違う意味で音価がヤバい。三十六計逃げるに如かず、素早く立ち上がろうとしてた僕の腿は、音価に足裏で強く押さえつけられ動くに動けない。

僕の動きを封じ、音価は次の行動に移る。黒のニーソックスに包まれた細い音価の足が、妖艶に僕の太腿を撫でまわしてくる。初めはゆっくりと丁寧に、段々速くリズミカルになっていく。正座で痺れた脚には甘美な痛みが広がり、それは苦痛とも快楽ともつかない。

しかも、音価の足が動く度に、音価の履いたミニスカートの裾が揺れてその向こう側がはっきり見えたりするから心臓に悪い。黒とは大胆な音価らしいなあ。いや、今はそんな事考えてる場合じゃないしそんな事考えちゃダメだ。

勢いを増す音価の足は、着々と僕の腰に近づきつつある。あれ? 何だろう、ただ足で触られてるだけなのに変な気持になってきた。

あまりの事に僕は暫く固まって、気付いたらもう手遅れだった。音価は器用にも足だけで僕のズボンのベルトを外し、いよいよ一線を踏み越えつつあるその時。

 ガッチャと扉が開いた。

「おはようございます~。皆さんもう起きてますか? あれ? ここって何処でしたっけ? 私さっきまでベッドで寝てたはずじゃ? それに二人とも何をなさってるんですか?」

 艶めかしい雰囲気を台無しにする暢気な声。この時の羽衣が、僕には天使にも悪魔にも思えた。うん、本当は感謝しなきゃいけないんだろうけどね? ちょっと続きも気になったって言うか、まあその事は置いておこう。

「チッ、いい所で……」

 音価は自分の感情に素直だなあ。

 とまあ感心してる場合じゃない。羽衣がまだ寝ぼけている間に誤解を解く、もとい誤解を与えておかないと。

「やあ、おはよう羽衣。ここは音価の部屋だよ。寝ぼけて部屋を間違えたんじゃないかな? 今はちょっと二人で話してたとこなんだ。色々あって僕が音価に怒られちゃって、その謝意を示すために土下座してたんだよ。恥ずかしいとこ見られちゃったな、はははは。そうそう、下に朝食を用意しておいたから食べておいで」

「そうですか~。邑さんはいつも音価さんに怒られていますもんね。ふふふふ、さもありなん、ですね。では私は朝食を頂いてきますね~」

 ふらふらと立ち去る羽衣。

 僕はそれとなく扉の方に移動する。って言うか、僕って羽衣にそんな風に思われてたんだ……。ちょっとショック。でもまあ誤魔化しきれたし、結果オーライと思い込んでおく。

 呆れた顔で僕を見つめていた音価が口を開く。相変わらず誤魔化すのが得意。もう認めちゃえばいいのに、と。

「僕は一体何を認めさせられるのかな? いや、いい、言わなくていいよ。まあ兎に角、朝食を食べに行こうよ。一応僕が作ったんだ」

 今はただ、この空間から脱出したくて音価を誘導する。今更ながら、僕は恥ずかしくなってきて自分の頬が熱をもっているのを感じた。

「それを先に言って。羽衣より先に食べないと」

 脱兎のごとく駆けていく音価。きっと、それは言い訳だろう。音価の顔も同じように赤くなってたから、本当は恥ずかしくなったに違いない。そりゃ、あんなことしたらいくら音価でも恥ずかしいだろう。

 僕は自分の顔から熱が引くのを待って、音価を追って階段を下りたのだった。

 

 食後。事情を知らない夏弥に問答無用で起こされた竜平と昇も朝食を済ませ、僕らはちょっとした会議をしている。会議と言っても、この後何しよう? という相談会だ。因みに竜平と昇の朝食は白米のみ。僕が作ったおにぎり総計三十個はうら若き女性の方々が食べ尽くしてしまった。本当に報われないなあ、この二人は。

「さて、これからの予定だけど、僕から提案があるんだ。いいかな?」

「はい。邑さんの案なら安心ですね」

 純粋な信頼だけで言われている分プレッシャーを重く感じる。そんなに期待を高められても困るんだけどな。僕は苦笑いで頬を掻きながら続ける。

「まず、今日の目標は二つ。一つは山小屋の探索。半日で言って帰って来れるのが二つあるから、それを見に行こう。二つ目に、ここでの生活の最適化。要するに日常的な掃除や食事の用意を当番制にしたりとか、そういう細かい分担を決めたいと思う」

 僕が皆を見渡すと、音価が、今日の役割分担はもう決まってるの? と皆を代表して尋ねてきた。

「うん、一応はね。昨日と同じペアで行動して、僕と音価はこっちの山小屋の探索、竜平と夏弥はここの山小屋の探索。昇と羽衣はこのペンションに残って当番とか決めて欲しい。どうかな?」

 この人選は、僕なりに一応考えた結果だ。何があるか分からない探索は、いざと言う時の為にも一人以上男がついて行くべき。それなら、三人の中で一番体力のない昇はここに残らせた方が良い。羽衣も同様だ。この面子の中では一番体力面に不安がある。これからどうするにせよ、初回は万全を期した方が良い。他はまあ、ノリだ。

 昇は僕の意図に気付いたらしく、申し訳なさそうに片目をつぶる。僕は軽く笑って、気にするなとほんの少し首を横に振った。

「う~ん、大体はいいと思うけど、私と音価が入れ替わっても良いんじゃない? 何か固定しておく理由でもあるの?」

 夏弥からの質問。答えたのは僕ではなく音価だった。

「これと言って明確な理由は無い。でもサバイバル面での能力を考えるなら、邑と竜平ペアの平均を近くするためにも、このままが良い。とはいっても予想外の危険なんて考えても仕方ない。私が夏弥と代わっても問題ない」

 的確な回答。ただ僕には少し意外だった。音価は昨日みたいに僕と居たがると思ったから。そう思って音価を見ると、音価は流し目で夏弥を指し示した。それで僕も気づく。音価は僕に、もう少し夏弥の様子を見てくれと頼んでいるのだ。相変わらずの音価の心遣いに、僕は軽く呆れながらも音価らしいなと一人頷いた。

 結局、僕は夏弥と一緒に行くことになった。音価の言った通り、無意味に危険を想定してもしょうがないだろう。ついでに言っておくと、竜平と昇の二人は、はなから承諾を問われなかった。彼女ら女性陣の中で、この二人の位置って一体何なんだろうね。

 

 僕達山小屋組は、十時に出発することになった。音価の強い要望で、装備もかなりしっかりしている。昨日の僕と音価の装備に加え、食事一日分、水二リットルetc.だ。本当はもっと充実させたかったみたいだけど、音価と夏弥の体力を考えてこれで収まった。僕と竜平は、これに加えて四十キロは入れられる予備のリュックも持って行く。山小屋に備蓄されている物を持ち帰るためだ。

「なあ邑。俺たち帰って来れるかな?」

「……幸運に恵まれれば何とか」

 音価と夏弥は、こんな僕らの会話には気付かないふりをして雑談しているのだった。

 「さて、じゃあ出発しようか。僕たちは日が暮れるまでには帰る予定だけど、もしそれまでに帰らなくても探しには来ないでね。日が昇ってから、安全を確かめながら助けに来てくれると嬉しい。まあそんな事態にはならないようにするけど。よし、後の留守は任せたよ」

 予定通りに僕たちは出発する。これでこの先希望を繋げる。皆笑い合い、そこには一片の絶望や翳りも見いだせなかった。

 僕と夏弥は地図を片手に進んでいく。いくら山道とは言え、山小屋があるような場所だ。そうそう危険があるはずもない。道なき道ではあるものの、そもそもが県道くらいは通っている山だ。僕らは順調に進んでいった。

「夏弥、昨日はよく眠れた?」

 慣れない山歩きにも大分慣れてきて、息を切らさずに歩けるようになった頃、僕は夏弥に声を掛けた。

「うん、邑のお蔭かな、ぐっすり眠れたわよ。ありがと。それにしても随分と歩くわね、ほんとに道は合ってるんでしょうね?」

 話している内容とは裏腹に、夏弥はにこやかに笑っている。どうやら夏弥なりにこの状況を楽しんでいるようだ。確かに、こんな特殊な事情さえなければ、これはただのハイキングだ。

そもそも道が無いから合ってるかどうかわからないけど、この調子で行けば正午過ぎには着くんじゃないだろうか。帰りは下りだからもっと早く帰れるはずだし、予想よりずっと早く戻れそうだ。

 僕は地図を見て、さっき確認した現在地から、それほど間違った方向には進んでいない事を確かめる。もう半分程来たはずだ。音価から習った三角測量で測定した位置が間違っていなければの話だけれど。

 音価と竜平は大丈夫だろうか? あの二人の事だから問題は無いと思うが、万が一がある。お互い無事に帰れることを祈ろう。

 そんな事をつらつらと考えている間に、僕らは遠目に山小屋の屋根を発見した。夏弥が「あ、あれって山小屋じゃない?」と見つけてくれたおかげだ。地図から見当を付けていた場所とは少しずれていたから、すんなり見つかって良かった。このままでは迷う所だった。このあたりでは木々もある程度開けていて見通しが利くが、山小屋へはもう少し距離がありそうだ。僕らは急く気持ちを抑えて、軌道修正した山小屋への道を踏みしめていった。

 山小屋に着いたのは大体正午。予想より大分早く着くことができた。その小屋は思ったよりも頑丈な作りで、外見よりも中は狭かった。大きな箱がそこらじゅうに置いてあるからだと思う。定期的に掃除でもされていたのか、埃も積もっていない。これは期待できそうだ。

何はともあれ、僕たちは取り合えず昼食にする。出かける前に大急ぎで炊き直した白米は、運動してお腹が減っているのも相俟って、特におかずが無くても美味しく食べられる程だった。

 それを夏弥に言うと、

「う~ん、確かに美味しいけど何か物足りないのよね。あ、そうそう、缶詰位探せばあるんじゃない?」

 と至極真っ当な事を言われる。それもそうだ、僕らはそれを探しに来たんだ。寧ろ無かったら困る。それにやっぱり白米だけのご飯は少し寂しい。

 という訳で、僕は夏弥の指示のもと、缶詰探しを始めた。まずは近くにあった中くらいの箱から始める。何の標も書かれてないけど、缶詰の箱ってこのくらいの大きさじゃなかったかな?

 箱を持って来て開ける。途中、中から金属音が響き胸を高鳴らせる。期待に胸を膨らませた箱の中身は、果たして目的の食料だった。様々種類の缶詰がきっちりと詰め込まれている。

「お、これなんか良いんじゃないかな? サバの味噌煮だってよ」

「え~、魚!? もっとこう、力の出るようなものは無いの?」

 とても女性の発言とは思えない。まあきっとこれが若さなんだろう。僕は再度箱の中を漁ってレバーの缶詰を見つける。

「ならこれはどう? 鳥のレバーだって」

「うん、それならいいわね。早速開けましょ」

 缶切りを片手に僕をせかす。僕は苦笑しながら缶を開けて夏弥に渡した。この分だと大量の缶詰があるだろう。僕は、もう一缶くらい平気かな、と思って小さなアンチョビの缶を自分用に開けようとした。

「ちょっと邑! そんなにたくさん開けたら勿体ないじゃない! これ分けてあげるから一緒に食べよ?」

 僕が新しい缶詰を開けようとしているのに気付いた夏弥は、そう言って僕の口元に甘辛ダレのついたレバーを突き出してくる。勿論夏弥の使っている箸で。

「ありがとう、でもそれなら自分で食べるから大丈夫だよ」

 夏弥も分かっているだろうに、僕達はそういう些細な事を気にしてしまう年頃だ。まあ幼馴染みである夏弥とは何もこれが初めてって言う訳じゃないけれど、今そんなことしたら妙に気まずくなるに決まっている。僕は全力で回避しようと夏弥の持っている缶にさっと箸を伸ばす。

「……まあいいけど」

 夏弥はぼそっと呟いて自分の箸を戻し、僕はホッと息を吐く。昨日から夏弥は変に積極的だ。それはきっと不安の裏返しでもあるだろう。やっぱりまだもう少し、夏弥の様子には気を付けていよう。

「さあ、弁当も食べ終わったし、早速備蓄品を調べてみようか。片っ端から箱を開けていって、その中身を確かめてリスト作ろう。僕が開けるから、夏弥はそれをメモしていってくれるかな?」

 食後、休憩してだれてしまう前にそう切り出す。時間は何よりも貴重だ。夏弥もあっさり了承してくれて、作業はスムーズに運んだ。

 それにしても箱の数が多い。大体十二畳くらいの小屋の中に、大小五十個はあるだろうか。その段ボール箱だけで小屋の半分は埋まっている。完全に一時避難用の小屋らしく、電気は勿論水道すらない。それなのに備品が充実しているのは不思議だが、これから別の山小屋に分散する予定でもあったのだろうか。

 そんな感想はさておき、僕は次々に箱を開けていく。主に水と食料だ。水は大抵天然水と銘打ったただの水で、食料は雑多な缶詰とレトルト食品だった。その他に医薬品やティッシュなどの日用品。生憎と僕は今まで山小屋に来たことは無かったが、大体山小屋に有るべきものはあったんじゃないだろうか? 僕たちはおよそ一時間ほどかけて段ボール箱の整理をし、その結果に満足した。そして嬉しい事に、小屋の外には軽油の備蓄もあった。。流石にガスはなかったが、まず一安心だ。

最近の山小屋には随分と揃ってるものなのね、と夏弥が率直な感想を漏らすが、僕もおおむね同意だ。

「まさかこんなに充実してると思わなかったね。少し充実し過ぎてる気もするけれど、まあ考えてても仕方ないか。でもこれ、どうする? こんなにたくさん、一気には持って帰れないよ?」

 一度で運搬するには量が多すぎる。日を改めて、少しずつ運ぶべきだろう。

「そうね、今は最低限必要な物を幾つか持って帰ればいいんじゃない? 後は皆で相談して決めましょ。音価たちの方も同じような感じかも知れないし」

 夏弥の提案に従う僕だった。案の定荷物を運ぶのは僕の役目。夏弥は暇そうに手をぶらぶらさせ、僕は背中の重みに押しつぶされそうになりながら帰り道を下った。ところで、「最低限必要な物」だけでまるまる四十キロもあるのはどうなんだろうか。

 

 一日の中で一番暑い時間に、僕たちは無事にペンションに帰り着いた。当然と言うべきか、すでに音価と竜平は帰って来ていた。僕と同じで竜平がげっそりとしていたのは察するべきだろう。

 二人が行った山小屋も、僕達の方と似たようなものだったらしい。緊急避難用の小さな山小屋。そこに山と詰め込まれた段ボール。軽油も備蓄があり、そちらではガスも見つかったらしい。

 この豊富過ぎる備蓄を音価が推測するには、多分次の二つの内のどちらかがその理由だという事だ。大して山小屋が使われないままに物資が定期的に運び込まれた結果、今のような惨状になってしまった。それか、運び込まれた物資が整理される前に今の状況に陥ってしまった、かのどちらかだと。「こっちには倉庫もあったけど、そっちも満杯になってた。たぶん前者が理由だと思う」とは音価の弁だ。

 昇と羽衣も、見事に掃除や洗濯などをこなしていてくれた。昇が言うには「掃除はともかく、電気が使えないから洗濯はきつかった」らしい。これも今後の課題だろう。

 一段落がつき、皆椅子に座って僕の方を向いてくる。僕にまとめ役を押し付けようという魂胆だ。少し苦笑いして皆を見渡す。何か円卓会議みたいだなと思いながら僕は話し始めた。

 「よし、とりあえずこれで今日の目標は達成できたね。明日以降の事なんだけど、昇と羽衣は何か用意しておいてくれたかな?」

 「ええ、勿論です。雑用のほとんどは昇さんが全部やってくれましたので、その他の事に大分時間を割けました。色々詳しく分かりましたよ」

 僕達は昇を見直した。昨日色々言われてちょっとショックだったのかな? 考えている間に羽衣が続ける。

「改めて確認しますが、ガスに関しては、炊事のみに使って一週間ほど持つはずです。発電用の軽油は、使う電力量にもよりますが、無駄遣いをしないで切り詰めれば二週間程度使えるはずです。山小屋の備蓄を持ってくるとして、ガスはプラス二週間、軽油は四週間ほどだと思います。冬に備えて大分軽油があったのが幸いでしたね。

 一応明日以降の当番表も作っておきましたが、山小屋から運ぶものが多そうなので、当分の間はそっちを優先にしましょうか」

 羽衣は紙に書かれた当番表をテーブルに広げる。そこには、ほとんど僕と羽衣が一緒に行動するように割り振られた炊事や洗濯の予定が記されている。

「これは却下。羽衣だけずるい」

 案の定音価に即座に却下される。「なあ、邑だけ恵まれ過ぎじゃねぇか?」「うむ、俺も流石に邑が憎らしくなってきた」隅から聞こえる物騒な声。気付いているのかどうか、羽衣は柔らかく微笑んで別の紙を広げる。

「ふふふ、いくら何でも冗談ですよ。こっちが本物です」

 それは少なくとも僕から見て見事なローテーションで組まれたものだった。基本的に二人組で仕事に当たり、全員の負担が公平になっている。いつの間に作ったのか、これから数日分の物資運搬の割り当て表も出来ていた。午前中に一回、午後に一回。四人で山小屋まで行って物資を運搬する。ペンションに一人は男が残るようにし、主に僕と竜平、それに音価を中心のメンバーにして運搬組は割り振られている。各自の体力が考えられた的確な割り振りだ。

「うん、これでいいんじゃないかな。ただ、何も急ぐ必要はないから、無理をしてこのスケジュール通りに動く事は無いと思う。まあつまり、体調悪かったら遠慮せず言ってね」

「ええ、私もこれで良いと思う。もし問題があったら、それが起こってから解決するってことで大丈夫じゃない? 皆はどう?」

 僕と夏弥は賛成する。残りの皆も頷いて同意の意を示す。

「ひとつ言って置きたいことがある。いい?」

 音価だけは気掛かりがあるようで、僕たちは勿論頷いた。

「よく言われることに、山の天気は変わりやすいって諺がある。意味は言わずもがな。幸いここ数日は晴れてるけど、いつ天候が変わってもおかしくない。その時の対策も考えておくべき」

 言われてみればその通りだ。僕たちがいかに行き当たりばったりに行動していたのか突き付けられたようで耳が痛い。

「それもそうだな。でも、道は分かってるんだし、掛かっても二時間なんだろ? そんなに天候が急変して対応できないなんてことあるのか?」

 確かにもっともな質問だ。昇のこの言葉がみんなの心境を代弁する。

「ある。特にこの地域は標高差の激しい地域で天候が変わりやすい。この季節でも大雨に打たれたら病気になる。気付いてすぐに行動して、降り始めてから数分以内に避難できる場所を確保するべき」

 即答。でも音価が言うなら信用できる。ではどうしよう? これからそんなものまで設置していったらきりがない。考え込む僕に変わって竜平が目先の問題を指摘する。

「うむ、そうはいっても山小屋自体がその避難用だろう? 嵐を防ぐようなものを設置するような余力は無いと思った方が良い。ならいっそ、それに関しては無視するべきだ」

「そうですよね。無線機のようなものは見つかりましたが、連絡が取れてどうこうなる様な場合じゃないでしょうし」

 皆一様に考え込む。竜平の主張は無策なようでいて、事実それ以外に方法がない。問題提起した音価もこれぞといった答えは持ち合わせていないようで黙考している。僕はと言えば、地図を見て避難できそうなポイントはないかと考えていた。まあそんな都合良く見つかる訳は無いのだけれど。

 意外な事に、解決策を口にしたのは夏弥だった。

「ねえ、雨っていっても、すぐに止むんでしょ? それなら精々一、二時間濡れなければいいはずよね。だったら木の洞とかでも大丈夫なんじゃない? ビニールシートと防寒具、それとまあ無線があれば何とかなるんじゃないかな」

「うん、確かにその通りだけど、そんなに都合よく木の洞が見つかる訳ないよ。それに、雨が降って来てから避難場所を探すようじゃ意味がないと思う」

 夏弥に申し訳なく思いながら、僕は否定的な意見を口にした。

 否定するなら別の案を出せ。会議をする時の僕のポリシーの一つだが、今はそんなこと言ってられない。穴を詰めておかなければ、いざっていう時に困るだろうから。

「ん? 今日山小屋に行く途中、幾つも頑丈そうなのがあったけど、邑は見なかったの?」

「へ?」

 あっさり言ってのけた夏弥に、僕は間抜けな声で応じてしまう。そんなものあったか?いや、僕はずっと地図を確認してたから見逃していたのかもしれない。

「夏弥、それってどこら辺にあったか覚えてる?」

 音価が地図を差し出しながら問う。

「う~ん、ここと、ここと、ここもそうだったかな……? うん、ここもかな」

 夏弥はスラスラと地図にペケ印を付けていく。それは丁度都合良く山小屋までの道の途中途中にあり、これが確かなら何も問題ないと思える数だった。

「凄いですね~夏弥さん。これなら大丈夫なんじゃないでしょうか? 音価さん達の行った方の山小屋は、こっちの山小屋からそう離れていないですし、不安なら経由して行けば大分安心じゃないでしょうか」

 地図をじっくりとみて羽衣がそう感想を漏らす。無論僕達も同意だ。でも、木の洞ってこんなに沢山出来るものなのかな?

「ああ、これなら問題解決じゃねえか。ま、なんだ。案ずるより産むが易しっつうしな。あんまり考え込んでても仕方ねえってことでこれで行ってみたらどうだ?」

 珍しく昇が場を締める。そのせいで、皆何か納得のいかない顔をして昇の方を向く。

「うむ、確かにその通りだが……昇が言うと多少以上に不安に感じるのは俺だけだろうか?」とは竜平の独り言。皆同意するように頷いてるのが哀愁を誘う。

「なあ……俺ってやっぱり扱い酷くね……?」

 昇の独り言は皆聞いていない振りをした。何と言うか、相も変わらず不憫な昇。

 微妙な空気が流れる前に、まあもう流れてるんだけど、僕がまとめ直そう。

「うん、ここまで情報が揃ってれば大丈夫だよ。少しでも不安なら待機してればいい話だしね。っていう事で僕はこれで良いと思う。皆は?」

 皆、僕が話し終わる前に首を縦に振ってくれる。昇以外は。

っと、隅から恨めしそうな声が聞こえる。「……邑ばっかり……俺だって……」

 拗ねた昇の声に、流石に皆も昇のフォローに回るのだった。

 今日も今日とて僕らはいつも通り。こうしてまた貴重な一日を僕らは有意義に消費した。

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