朝だ。どうしようもなく朝だ。木漏れ日となって降り注ぐ天の恵みは、僕を深い眠りからゆっくりと覚醒させてくれる。さながら世界が色づくように――実際、僕らは光によって色を認識している訳だから、これはあながち間違っていないのかもしれない――僕の周囲は彩度を上げる。今日の始まりと、そして爽やかな目覚めをもたらしてくれたことを、僕は太陽に感謝する。でも、この恵みの太陽が、今僕らを滅亡の危機に追いやってるんだよね……。なんか矛盾してるなあ。
そんな詰まらなくも重要な、少なくとも今の僕には切実な問題。
ま、まだ直接被害を受けた訳でもなし。そんなにお日様を恨むこともないのかもしれない。僕らがこの恩恵に預かっている間、つまり僕らが生きている間くらいはお天道様に感謝感謝。
僕は改めて太陽を指の隙間に透かし見て、布団からのそのそと這い出した。
ロビーに降りていくともう夏弥と羽衣がいて、朝食の準備をしていた。あまり節約しなくても大丈夫そうだと分かり、朝からガスコンロを使ってフライパンを温めている。後ろからのぞき見た限り、今日は朝からリゾットが食べれそうだ。なるほど、これなら普通に米を炊くよりも早く作れてガスが節約できる。いくら備蓄があるといっても、こんな状況では無駄遣いできない。昨日の質素な食事を鑑みれば、これは御馳走と言えるだろう。思わず僕は唾を飲み込んで物欲しそうな目付きをしないように自粛した。
「あ、邑さん。もう起きられたんですね。あと少しで作り終わりますので、皆さんを起こして来て頂けますか?」
羽衣が僕に気付いて声を掛ける。僕は二つ返事で了解して階段を引き返した。
っと、僕は今のやり取りに違和感を覚えた。どこか羽衣の様子がいつもと違ったような気がする。気のせいかな? いやそんな事はない。少し考えてようやく答えに辿り着く。そうか、まだ朝なのに受け答えがしっかりしてるんだ。普段ならぼーっとしてるのに、今日だけは完全に目が覚めているみたいだ。まあ、些細な事か。むしろいつもの様な状態で火や包丁を使われるよりかはましだ。
僕は深く考えずに勝手に納得した。あまり考えてばかりでも仕方ない。僕は今考えていたことを綺麗さっぱり忘れて今日の朝食に思いをはせた。
世界は大分荒れてるらしい。辛うじて放送の入るラジオは、どこも絶望的な状況を僕らに突き付ける。でも、そんな不条理も今の僕らとは無関係。今日も朝から僕らの半分サバイバルは始まった。
昨日立てた予定通りに一日が進む。道を知ってしまえば、山小屋への行き返りは大してきつくない。運よく今日も、快晴とはいかないまでも晴れが続いた。予想よりも多く運べた荷物を前に、僕らはお互いに今日一日の苦労を労って翌日に備える。
こうして一週間が、大きな問題もなく過ぎ去った。
多少雨が降ってペンションから出られなかったり、昇が女子風呂を覗こうとして袋叩きにされたり、昇が女子の洗濯物を盗もうとして顔の形が分からなくなるまでリンチされたり、昇が女子の使用済みの食器で悪戯しようとして動かなくなるまで蹴られたりしたけど、まあ平穏無事と思える日々が続いていた。
昇、そんなに何をしてるんだよ……。
日常の作業も段々とルーチン化されてきて、山小屋からの搬入も粗方片付いた。それらの作業の合間に、川で魚を捕まえる罠を仕掛けたり、食べれそうな植物を探したりするだけの余裕も出来てきていた。今朝、やっと魚の仕掛けで成果を出せた時はちょっと感動したなあ。
このまま生活が落ち着くのかな、と僕は漠然と考えていた。先の事はよく分からないけど、僕らが現実を受け入れるまでここで幸福に過ごすのかなあと。地球が終わるその時まで、ただ漠然とした不安を抱くだけで何も現実感を持たずに居られるのかなあと。
でも、そんな事は無かった。気付かなかっただけで、いや、気付けなかっただけで。僕らの世界にも破滅の足音は徐々に、でも確実に近づいていた。僕がそれに気付けたのは、山小屋から最後の荷物を運んで来て、ペンションに辿り着いた時だった。
「ふ~、これで最後か。結構かかったけど、終わって何よりだね」
「うん、出来る事は全部やった。後は邑と退廃的な日常を送るだけ」
「まったく、何言ってるのよ音価は。少しは自重しなさい」
「うむ、聞いている俺達の方が恥ずかしくなる」
見慣れたペンションを目前にして、僕らは緊張が解ける。他愛無い会話を交わしながら僕らは足を進める。
ペンションの前まで来た時、僕らは何かがおかしいと感じた。ペンションには羽衣と昇がいるはずだが、何か不必要に大きな物音が聞こえる。近づくと啜り泣きのような声も聞こえ、僕らは何事かと顔を見合わせる。不意に、そろそろ一日で一番高い所を通ろうとする太陽が、まるで僕らを嘲笑っているかのように見えた。
僕達が真っ先に思いつたのは、見ず知らずの暴漢がこのペンションを見つけて暴れているという可能性だ。もしそうなら下手に刺激しない方が良い。
「……静かに。僕が様子を見てくる。音価、ついて来て。竜平は夏弥をお願い」
僕は低く押し殺した声でそれだけ言って、背負っていたリュックを投げ出しペンションの裏手に向かい足音を殺しながら走る。こういう時は、音価は無理をしてでも僕について来ようとする。反対に夏弥は、戸惑って暫く呆然としてしまう。案の定音価は当然のような顔をして僕の斜め後ろをついてきた。建物の陰に入る前に、竜平が三人分の荷物を抱えながら、夏弥を木の陰に連れていくのがチラリと見えた。
「邑、これ虫除けスプレー。不意打ちで使えば逃げる隙くらい作れると思う。持って行って」
裏のドアの前で呼吸を整え、中を窺っていると、音価がそういって小さなスプレー缶を差し出してきた。こんなものでも、目に直撃すれば暫くは動けなくなるだろう。音価の手にも同じものがあるのを確認して僕は受け取る。
「助かるよ、音価。よし、僕はこれから中に入るよ。何人いるか分からないから、退路を確保したい。音価はここで待っててくれ。大丈夫、すぐに戻る」
いくら音価を連れて来るといっても、ここまでが限度だ。何があるか分からない危険地帯までは来させちゃいけない。
「ダメ、私も行く。単独行動は危険」
「いや、音価はここに居てくれ。竜平たちと完全に連絡が取れなくなったら困る。直ぐに竜平たちと合流できるように取り計らっていてくれ」
案の定音価は僕の腕を掴んで拒んでくる。でも僕は有無を言わさずに承諾させた。強く目を見詰め、同じことをもう一度、今度はゆっくりと告げる。しぶしぶと納得した音価は腰からトランシーバーを外す。極力音が出ないようにして音価はそのトランシーバーに向かって状況を呟く。
僕は一つ大きく頷くと、そっとドアを開けて中に踏み込んだ。
ペンションの中はグチャグチャに散らかっていた。ある程度予想していたとはいえ、この惨状はショックだった。まるで日常そのものを引き裂かれたかのようで、僕は呆然とする。力いっぱい殴りつけたのか、拳大に穴の開いた壁。窓ガラスは半分ほどが割られ、家具はどれもひっくり返されている。流石にこの狼藉を働いた奴も本能的常識があったのか、幸いにして食料や水などの生活必需品を台無しにしたりはしていなかった。いや、もしかしたら出来なかったのかも知れない。そのほとんどが分厚いアルミ缶で覆われた缶詰なんて、一つ一つ壊していたら日が暮れる。
慎重に、僕はロビーまで移動する。そこから聞こえる啜り泣き。今は暴力音は聞こえない。泣いているのはせめて羽衣か昇であってくれと密かに祈って、僕はドアのくもりガラスを透かし見る。動かない人影を確認し、ゆっくりとドアノブを捻る。
羽衣がいた。床にベタッと腰を下ろし、右手にカッター。左手首、いや、左腕の内側に万遍なく無数の切り傷。未だどくどくと溢れ出す生命の温もりは、辺りに小さな血だまりを広げている。微かな音に気付いたのか、空気の揺れを感じたのか、虚ろな目をした羽衣が僕に顔を向ける。優しげな、温かみのあるいつもの微笑がその顔に広がる。でもその笑みは僕に温もりを感じさせなかった。
訳が分からない。
羽衣が何をしているのかも、どうしてこのペンションが荒れているのかも、今昇はどこにいるのかも、羽衣が何で笑っているのかも。全部、何もかも、一切合財、これっぽっちも分からない。分かりたくない。
ゴトッ
「ッ!!」
いきなり真後ろから聞こえた物音に僕は意識を覚醒させる。本能的に、振り返るよりも先に身を伏せる。意識を反射神経が凌駕したのか、体が半分捻られるのを他人事のように感じる。ブンッと豪快な音を立てて、つい今まで僕の頭があった所を木の棒が通過する。間違いなく殺意の宿ったその軌道で、今僕の背後にいるのがこの荒廃の原因なのだと判断する。
兎に角逃げなくては。縮こまるように伏せた姿勢から、両手で思い切り床を押す。反作用で上体が浮き上がり、そのままの勢いで背後に足を蹴り出して牽制する。柔らかいものを蹴る感触。ぐっと息を堪える気配が頭のすぐ後ろでして、ぞっと嫌な汗が背中を流れる。僕はそのまま振り返らずに、羽衣の元まで駆け寄った。
「羽衣ッ! 逃げるよ! 走るから掴まって!」
走りながら声を掛けるも羽衣の反応は無い。後ろにいる奴はまだたたらを踏んでいるようだ。僕は羽衣の手からカッターを取り上げると、そいつの方を向いて投げつけようと……して思い留まった。一瞬、まさかと思って目を疑う。
それは昇だった。
僕の動きが止まろうと、昇は動きを止めなかった。疑いようもなく本気の力が籠められ、振り回された木の棒は、僕の手からカッターを弾き飛ばして床にぶつかる。カッターが窓ガラスに突っ込んで、派手な破砕音を立てる。
何故昇は僕に殴り掛かって来るんだ? ただの錯乱か? 思考の糸を紡ごうと、僕は現状把握に努める。後ろには動かない羽衣。目の前には再度木の棒を振りかぶった昇。出口である正面玄関は、僕の右手後方五メートルほどにある。その距離は絶望的と言うには近すぎて、楽観的になるには遠すぎた。
「待て、昇! 僕だ、月見里だよ!」
せめてものお約束、説得の言葉を口にする僕。昇は一切の反応も示さずに、躊躇なんて言葉聞いたこともないのだと思わせる動きをし続ける。
「うがあああああああ!!」
この時初めて聞けた昇の声は、僕から希望的未来図を奪い去るのに十分だった。
振りかぶられた木の棒。僕は左手を振り上げるようにして頭を庇い、その暴力を待ち受ける。
重い衝撃。耐え切れずに体ごと後ろに倒れこんでしまう。興奮状態でアドレナリンでも効いてるのか、痛みは感じない。その代わりに、上手く体が動かせない。
これがとどめとばかりに、昇は四度目となる攻撃に入る。
あまりにも非現実的な光景が続き、妙な落ち着きが僕を包む。僕は今親友に殺されかけている。不自然な冷静さでその事実がすんなりと受け入れられた。同時に嘆息する。やるせなさに苛まれる。もういっそどうにでもなってしまえと、近くに転がっていた包丁に手を伸ばした時、昇の背後の人影に気付く。音価だ。
ああ、助かった。
僕は心の底から安堵した。良かった。本当に良かった。これで昇を傷付けなくて済む。誰かを傷つける自分を見なくて済む。
音価なら間違わない。音価は誰よりも優しくて、その行動も優しさに満ち溢れてるから。そんな音価が来たんだ、もう大丈夫。僕を助けようとも助けまいとも、きっと何とかしてくれるだろう。
音価は素早く昇の足を払って転倒させる。昇は何が起きたのか分からないようにぼんやりとした顔で倒れる。すかさず取り出された虫よけスプレー。薬剤の噴射が、ゼロ距離で昇の目を潰す。「グギャッ」と変な声を上げて昇はのた打ち回る。
「邑っ! 何か縛るものは……!」
闇雲に振り回される鈍器。音価は苦も無くそれをいなしながら、僕に鋭く声を掛ける。
「無理だ! 左腕が動かないし、音価だけじゃ力負けする! 一旦引こうっ」
昇の目が見えるようになるまで、そう時間は掛からないだろう。羽衣の様子も心配だ。今は無理して昇を取り押さえるより、一旦逃げた方が良いだろう。
僕は、笑ったまま何の反応も返さない羽衣を右手で抱き上げて立たせる。とっさに事情を理解した音価が反対側から羽衣を支えてくれる。
もう薄らと目が見えるようになったのか、昇はじりじりと僕らの方へ向かって来る。狂ったように叫びながら腕を振るう昇に追い立てられて、僕達は逃げる。僕と音価は羽衣を脇から挟み、ほとんど浮かせているような状態で玄関へ走った。軽すぎる羽衣の体は、僕達の焦燥感を必要以上に煽った。
僕らが玄関を蹴破るのと同時に、竜平が走ってくる。
「月見里! 九! 大丈夫か!? ……桜?」
竜平の戸惑った声。当然と言えば当然の事、僕らの状況を把握しかねている。
「竜平、羽衣を頼む。一旦安全な所まで逃げよう。音価、念のため警戒していてくれ」
竜平は何か言いたげな顔をしたものの、羽衣の様子が気になるのか何も訊かず、さっと羽衣を抱え上げて走り出した。非力な僕とは違い、人を抱えながらでも重心を崩すことなくいつも通り走れている。その後ろを、僕は痛み始めた腕を意識から外して駆けた。左側に併走する音価が頼もしかった。
夏弥がいたのはペンションと川の中間辺り、木を透かしてギリギリ建物が見えるかどうかと言う場所。竜平は夏弥にここで待つように言って、僕達の様子を見に来たらしい。竜平らしい適切な判断だ。途中音価の連絡に気付いて、玄関前が見える位置で木陰に隠れ、待機していたという。竜平は走りながら説明した。
僕も今の状況について説明する。血まみれの羽衣。錯乱した昇。ペンションの様子。竜平は目に見えて顔色を変え、音価は悔しそうに唇を噛んだ。
僕たちは、ここ数日で大分踏み固められた山道を行く。もう昇は追って来ていない。とはいっても羽衣の状態は、下手したら緊急を要する程だ。逸る気持ちを抑えて僕達は急いだ。
「みんな~、どうだった? 何があったの? って、え!? 羽衣、どうしたのこれ、大丈夫、な訳ないよね。早く消毒しないと。それよりも止血が先? とりあえず水で洗って」
竜平が抱えていた羽衣を見た途端動揺する夏弥。竜平は羽衣をそっと木に寄り掛からせ、左手を持って頭より高い位置で保持する。夏弥はまだ気丈に振る舞っているが、もう見開いた目には涙が溜まっている。夏弥まで錯乱しかねないと、音価が夏弥に駆け寄る。
「大丈夫、落ち着いて、夏弥。見た目が派手なだけで大きな血管は避けてる。きちんと消毒して止血すれば問題ない」
夏弥の背中をさすりながら音価は夏弥に囁く。夏弥もどうにか落ち着きを取り戻し、「待っててすぐに水出すから」と言ってバックを漁る。
音価は夏弥から離れ、僕と竜平にだけ聞こえるように声を落とす。
「血が多すぎて、どうなってるか分からない。多分大きな血管は傷ついてないと思うけど、腱が切れているかもしれない。血もかなり出てるみたい。すぐに手当てしないと危険」
「うむ、そうか。九、消毒を頼む。止血は俺がやろう。直接止血しか手段は無いが、どうにかしよう」
相談が終わり、夏弥が探し当てた水のペットボトルと救急箱を開けて持って来る。音価と竜平はテキパキと羽衣の傷を診る。水で血を洗い流し、消毒液を振りかける。竜平の大きな手が羽衣の腕全体を覆い、強くしっかりと圧迫する。
残念ながら、今の僕は邪魔にしかならない。夏弥と一緒に、隅から様子を窺う。
っと、僕は自分の腕の事を思い出した。そういえば動かなくなっていたんだった。
「ねえ夏弥、その水でタオルを濡らしてくれないかな。ちょっと打ったみたいで、腕が腫れちゃったんだ」
横に立って呆然としていた夏弥に頼む。夏弥は僕の腕を見て、まじまじと顔をみて
「バカじゃないの!? 早く言いなさいよ! ったく世話が焼けるわね」
と言って水を取り出した。うん、僕もバカだと思う。でも文句を言いつつタオルを濡らしてくれるた夏弥に感謝。まだ混乱してるだろうに、夏弥はよくやってくれている。
心の中で夏弥に感謝して、ふっと緊張の解けた僕はズルズルと座り込んでしまった。今さらになって左腕に激痛がはしる。皆に心配をかけないよう、強く歯を食いしばって僕は声を押し殺した。
僕と羽衣の手当てが一通り終わる。僕は手当てされながらこれまでの経緯を説明した。痛みを堪えながら普通通りに話すのは大変で、察してくれた音価が途中で代わってくれて助かった。とりあえずの状況確認も済んだ。
羽衣は手当てされている間も、うっすらと微笑んだまま何の反応もしなかった。痛みに顔をしかめる事などなく、不快そうに身を捩りすらしなかった。ただ音価と竜平にされるがままになっていた。僕も含め、皆その事に言い知れぬ不安を抱いたけど、変に刺激しない方が良いという事で誰も話し掛けなかった。いや、話し掛けられなかった。
ひと段落ついたという事で、竜平が一度ペンションの様子を見に行く。昇は今は暴れていないみたいだけど、ロビーの椅子に座って虚ろな目で周囲を見ていたらしい。竜平はそれにうすら寒いものを感じ、声を掛ける事もしなかったと言った。それもそうだ、急に殴り掛かって来ないとも限らないんだから。
ここにきて僕らは当面の方針を見失い、結果昼食に相成った。何を暢気なと言われるかもしれないが、そもそも僕らは山小屋から重い荷物を運んできたんだ。大分体力を消費している事は否めない。
運んできた荷物の中にあった缶詰を開け、皆で細々とつつく。何とはなしにわびしさを感じ、ここしばらくの食生活の豊かさを噛みしめる。今朝の食卓までは、談笑があった。今はない。
僕はぼんやりとしながら、時々腕の痛みに目を細める。
音価はいつも通りの無表情。ただ、いつにも増して僕の傍から離れようとしない。
ショックを隠し切れずに同様の色が濃い夏弥。夏弥にとって、これ以上のストレスは許容値を越えるかも知れない。
羽衣は座ったまま動かず、顔色は蝋燭のように白い。見ていて怖くなるほどに。もう血は出ていないはずだが、流れ出ていた血は相当な量だったらしい。
こんな時でも頼りになるのは竜平。むっつりと押し黙っているが、一人黙々と食事を続け、目の力は失われていない。
「どうしよっか?」
葬式よりもなお悪い空気に耐えかね、僕は漠然と問いかける。何か話さなければいけないと、妙な焦燥感が僕を襲う。意外な事に、本当に驚くことに、問いに答えたのは羽衣だった。
「……私にも、その缶詰を頂けませんか?」
「……!!」
僕たちは顔を見合わせて互いに確認する。自分が出した声では無い事を。
その声は弱々しいながらも、間違いなく羽衣のもので。どこかずれた返答も、羽衣の受け答えそのものだった。
「確か鶏レバーの缶詰が好きだったよね、これで良いかな? お米が無いからちょっと味が濃いかもしれないね」
手持ちの缶詰から羽衣の好物を探す。すぐに渡そうとして、羽衣が腕を動かさない事に気付いた。
「ごめんなさい、貧血みたいで体が動かなくて。邑さんが食べさせてくれると、楽に食べれるのですけど。あ~ん」
いつものノリで、僕に甘えてくる羽衣。勝手に話を進めるところも同じだ。
音価は視線で許可と怒りを、夏弥は目で喜びと嫉妬を、竜平は手振りで促しを僕に与える。かなり恥ずかしかったけど、僕は渋々と羽衣の口に鶏肉をいれる。
「あ、あ~ん」
羽衣は嬉しそうにパクッと食いつき、満面の笑みで咀嚼し、嚥下する。羽衣にねだられて、缶詰の中身が空になるまでそれを繰り返させられる僕。途中から、音価や竜平さえも僕にイラついた視線を向けてきて、大変気まずかった。
「ふ~、美味しいですね、このお肉。邑さんに食べさせて貰っていると思うとまた別格ですよ。これも役得ですかね、ふふふ」
満腹になったのか、ただ単に貧血なだけなのか、とろんとした目で羽衣が言う。不覚にも僕はドキッとしてしまい、目ざとく気が付いた音価に半泣きで迫られる。
「邑、私を捨てるの?」
「いやいやいや、何この修羅場。僕はいつでも音価が……いや、何でもない、何でもないから僕の服を脱がそうとしないで、うん、ホントに」
きっと場を和ませようとしているんだろう。普段以上に積極的な音価。皆の緊張を強引に解していく。
しかし、こんな時でも音価には油断できない。まさか本当にズボンまで脱がされるとは思わなかった。赤面した夏弥と羽衣の視線が僕のライフポイントを削る。そんなにじっくり見なくても良いじゃないか、恥ずかしい。
これじゃもう……僕、お婿さんに行けない……。
なんていつまでも馬鹿をやっている場合じゃない。どうしてあんなことになったのか、羽衣に聞かないと。僕らのバカさ加減に呆れたのか、竜平が話を切り出した。
「それで、桜。そろそろ事情を聴きたいんだが」
黙る僕と音価。瞬間で場の空気が凍る。夏弥が不安そうに辺りを見渡す。
「ええ、勿論」
羽衣はそう答え、自分の左腕を見下ろした。