これはありえたかもしれない、物語のまた一つの可能性なのかもしれない——……
俺————草加雅人が親を失ったのは、本当に幼い頃だった。
水難事故。
水や川、海といったものは、人類にとってなくてはならないものであり、同時に様々な形で人類の命を奪い続けているものでもある。科学技術が発展した現代においても、それは変わらない。俺の場合は……船の事故だった。
それなりに大きな事故だった。たくさんの被害者のうちの2人……俺と母親は、一緒に水の中に転げ落ちた。
当然俺は、母親に手を伸ばした。まだ泳ぎなど到底おぼつかない年齢の俺だ、ただひたすらに助けてくれと。手を伸ばした。
だが、母親の手は——……俺の手を振り払った。
(わかっている。あの時の母親は、ただ反射的に泳ごうとしていただけなんだと)
溺れた人間というものは、大変に暴れる。そのうえ、藁にも縋るという言葉にあるとおり、反射的に近くにあるものに必死にしがみつこうとしてしまう。故に、専門家でなければ救助は非常に難しい。あの時の母親も、そうだったのだろう。俺を見捨てようとしたわけではない……。
……そう、大人になった今では、頭ではわかっていても。
あの時の俺の心は、あの水の中に……母親に手を振り払われて、絶望とともに沈んでいった、あの瞬間に囚われ続けていた。
奇跡的に俺だけが救助され、母親の遺体が発見された後になっても。
(母さんがそんなことをするわけがない、母さんは俺を……)
父親はとうに母を捨てていて、俺は母親一人に育てられていた。母は、父のいない俺に少しでもいろんな経験をさせてやりたいと、休日はいろんなところに連れて行ってくれた。そんな母親が、俺は大好きだった。
その母さんが、俺を置いて死んだ。もともと、父がいなくなってからも母親だけが俺を育ててくれていたような家庭環境だ。もう少し成長してから知ったことだが、頼れる親族などいなかった。大した遺産もなく、俺は完全に身寄りのない子供になっていた。
病院のベッドの上で、ただ母との水の中の記憶に怯えながら、誰かに孤児院を探してもらっているだけの身。他に水の中に落ちた数十名の乗客の中で、俺だけが助かったというニュースを、無感情に他人事のように効いていたのを覚えている。
そんな時に出会ったのが、『父さん』————花形秀一。
「うちに、来るかい?」
会った瞬間、その言葉とともに、優しく大きな手が俺に向かって伸ばされた。そして、俺はその手を取って……その温かさに、あったこともない父親のような何かを感じた。この時、俺の人生にとって初めての父親ができた。
花形……父さんは、日本が世界に誇る大企業『スマートブレイン』の重役だった。数年後には社長になっていたのだが、それはさておき……その父さんが作ったのが、事件や事故で両親を亡くして身寄りのなくなった子供を保護して、教育を支援する団体『流星塾』だ。
孤児院に近いものではあったが、特に九死に一生を得たような子供を中心に保護するという、変わった性質を持っていた。
それが父さんの意志だったのか、それとも、出資者であるスマートブレインの意向だったのかはわからない。
ただ単に、そういった子はショックが大きいから専門に治療が必要だという話もあれば、スマートブレインが生まれついての強運な子供を、後継者にしようとしている……とかの噂もあった。
気になって直接聞いても、父さんは教えてはくれなかったが……
「雅人……どんな理由でこの流星塾があろうと、お前たちはお前たちだ。一人一人が、私の大切な子供たちなんだよ」
「父さん……?」
「特に雅人……お前は、流星塾の子供たちの中でも、ひときわ強い意志を持っている。たとえ今は上手くいかなくても、いつかお前は本当にやるべきことを成し遂げられる大人に育つだろう。私は、お前がそんな大人になれる日を待っている……」
父さん等にどんな目的や理由があれ、花形秀一は……父さんは紛れもなく、俺にとっての父親だった。母を失った悲しみ、世界にたった一人残された、心も体も小さな喘息持ちの少年に、生きる場所と未来を与えてくれたんだ。
俺の中に強い意志なんてものが眠っているのかどうか、あの頃はわからなかった。だが、その父さんの言葉が、俺がまず『生きる』ということを選択させてくれた。
————……だが、流星塾に行ってからの最初の数年間は、順風満帆とはいかなかった。
タイトルは仮題なので、後々変更するかもしれません。