結局は同行することになった炎蓮とともに、盧生は洛陽に向かった。
途中で賊を狩ったりなどして路銀を稼ぎ、特に大きな問題もなく二人は目的地まで辿り着いた。
洛陽を訪れた炎蓮がまず向かったのは、宮廷からかなり離れた場所にある小さな屋敷だった。
「邪魔するぞ、
門をくぐるなり、炎蓮は大声で叫び始めた。
「私の真名を大声で叫ぶやつは誰よ! ってホントにだれぇーッ!?」
仮面で面貌を隠した炎蓮を見て、屋敷から出てきた女性は身構えた。
「クハハハッ、オレだよオレ」
ひとしきり笑った後、炎蓮は道中で作った虎を模した仮面を外した。
「――ッ!? 炎蓮! あなた生きてたのね!」
「洛陽にまでオレの死は伝わっていたらしいな。まあ孫文台は死んだ。今のオレは侯景だ。それにしても、おまえまだこの小せぇ屋敷に住んでたんだな。つか使用人くらい雇えよ」
「雇ってたわよ。けど今は暇を出してるの。色々あってね。蟄居を命じられてるのよ」
「……宦官どもか。あいつらは駆逐したほうが国のためじゃねぇか? なんならオレが殺ってやろうか?」
「やめてちょうだい。あんなのでもいなくなったら政務に滞りが出るわ」
「忠誠心の高さは相変わらずか。だがなぁ、この国はもう……長くねぇぞ」
「わか……ってるわよ」
楼杏――黄巾の乱を治めた立役者である皇甫嵩は、奥歯をギリリと噛みしめた。功績を立てすぎた彼女は宦官に疎まれ、いわれのない罪をでっちあげられて蟄居を命じられていたのだ。
「で、おまえいつまでこうして燻ってるつもりだ?」
「そのうち泣きついてくるわよ。涼州で韓遂が反乱を起こしたみたいだから」
「またあいつか。まあ涼州は色々と面倒だからな」
韓遂は羌との関わりが深く、異民族排斥を掲げる宦官を快く思っていなかった。そのため度々反乱を起こしている。
「ところでそちらの方は? あなた息子はいなかったわよね。従者の方かしら?」
「初めまして、皇甫嵩殿。私は盧生と申します」
「オレの
「はっ?」
皇甫嵩の額に青筋が浮かぶ。
「平然と嘘をつくな。ただの連れですよ」
「ふっ、そうよね。あなたみたいな若い子が、こんな
「言ってくれるじゃねぇか。オレと変わらない年で、男も
「あなた、言ってはならないことを言ったわね。人には触れてはならない痛みがあるのよ。そこに触れたら、後はもう命のやり取りしか残っちゃあいないのよ!」
「上等だ。腕がなまってねぇか確かめてやろうじゃねぇか!」
二人は屋敷の隅にある訓練場へ向けて、大股で歩き出した。
◇
盧生は三国志について、それほど詳しく知っているわけではない。しかし、外史という世界を何度も繰り返したことで、ある程度これから起こることを知っている。
毎回同じことが起こるわけではないが、大筋はどの外史も同じだった。
(何進は宦官によって殺される。これはかなり高い確率で起こる)
いま現在、何進と宦官は敵対関係にある。にもかかわらず、なぜ何進は宦官の呼び出しにホイホイ応じたのか疑問に持つ人も多いだろう。
しかしこれは、ある意味仕方のないことなのだ。危機感の足りない人間というのはいつの世にも存在する。
自分だけは大丈夫、自分だけは死なない。そんな根拠のない自信を持っている。
例えば、自転車に乗っている人間が一時停止もせずに、左右確認もせずに路地から飛び出すなど、普通の人間からすればありえない事だろう。
しかしそうした危機感の足りない人間というのは実際にいる。
何進もそういった人種だった。
そして何進の死が乱世の始まり、反董卓連合結成の狼煙となる。
(何進を呼び出す時、宦官も集っているはずだ。つまり逆襲のチャンスでもある。宦官を一掃して、何進を押し上げれば……この外史はどうなる?)
宦官というガンを取り除き、何進が号令して袁紹や曹操を招聘すれば、乱世にはならないのではないか。盧生はそう考えた。しかし問題がある。大将軍とはいえ、何進の出自は肉屋の娘だ。名門である袁紹たちが従うかということだ。
権力闘争とは宦官、外戚、官僚という三つ巴の醜い争い。魑魅魍魎が争う終わりなき戦い。
(……ふっ、なぜ俺は真面目に国のことなど考えてるんだ。問題なのは、北郷一刀がどう動くかということだろう)
北郷一刀は董卓のところにいた。一番厄介なところに。北郷一刀が呂布の傍にいる限り、手は出せない。わずかな殺気さえ、呂布は見逃さない。やはり反董卓連合を結成させ、呂布を引きはがすのが上策だと盧生は考えていた。
しかし反董卓連合が結成されるのは、北郷一刀も知っている。董卓に助言し、何進と結託して宦官を一掃するであろうか。
盧生は北郷一刀のことを探りながら、書の魅力にも触れていた。文武双全である楼杏の屋敷には、著名な書はあらかた揃っていた。
この世界に来て、初めて盧生は文化人らしい暮らしを送っていた。
「瞑想中に邪魔するわね、虚」
訓練場の中心で座禅を組み、考えをまとめていた盧生のところに、楼杏の優しい声が響いた。
「どうかしましたか、楼杏殿」
滞在中に親交を深め、流されるように肌を重ねた二人は、お互いに真名で呼び合うようになっていた。ちなみに、楼杏に協力したのは炎蓮である。彼女なりに楼杏を想ってのことだろう。
「勅を頂いたわ。車騎将軍に復帰して、涼州の乱を治めろとのことよ。炎蓮も私の従者として同行するわ。あなたは……どうするの?」
すでに盧生の武を確かめていた楼杏は、彼も同行してほしいと考えていたが、部下でもない盧生に無理強いはできなかった。
「一宿一飯の恩は返します。お供しますよ」
その言葉に、楼杏は花のような笑顔を浮かべた。
(とりあえず様子を見よう。呂布の意識から外れるためにも、一旦洛陽から離れた方がいいのかもしれない)
しかし同行するにも問題がある。盧生はあくまで武人としての修行しかしておらず、兵を率いた経験はない。滞在中に図上演習などもやってみたが、炎蓮や楼杏にはまるで歯が立たなかった。
「その点は問題ないわ。あなたは私の従卒ということにしておくから。それに秘策も頂いたから、そう苦労することはないはずよ」
楼杏の言う秘策とは、鐙のことだった。北郷一刀がもたらした未来の知識。そのおかげで騎馬隊の戦闘力は格段に増した。反乱軍の制圧はかなり楽になっただろう。
そして、準備万端整えた楼杏は、歩騎八万の軍勢を率いて涼州へと向かった。
そこで楼杏は、前線司令官である馬騰と合流して情報収集を行った。
彼女曰く、韓遂は羌だけではなく鮮卑をも動員しているようだった。その中でも要注意人物とされているのが、檀石槐の娘、
和連は強欲で人望に薄く、器量も乏しい。だが強い。強さだけなら檀石槐以上ではないかと目されていた。
西涼にまで出張ってきたのは、自分の強さを周知させ、力で部族をまとめようとしているのだろう。
しかし反乱軍の絶対的盟主になれるほどの器ではなく、そうなれば所詮反乱軍など数だけ多い寄せ集めの軍でしかなかった。
現在の盟主、王国はそれほど有能ではない。よって楼杏は、今しばらくは王国を盟主のままとして、反乱軍の戦力を削ることに注力した。あえて王国を殺さないことで、このまとまりのない状態を維持しようとしたのだ。
この戦の勝利条件は、反乱軍の鎮圧であって、王国の首を取ることでも、韓遂の首を取ることでもない。漢帝国の権威を示すことなのだ。
敗戦が続けばいずれ王国は罷免されるだろう。そこからが本当の戦いだと楼杏は考えていた。
楼杏の用兵は巧みであった。まず馬騰の協力を得て地形を完全に頭に叩き込むと、糧道を断ち、ジリジリと相手を追い詰めていった。
こうして反乱軍を押しやった官軍だったが、ついに転機が訪れた。
和連が動いたのだ。
劣勢に立たされた王国は降伏を申し出るつもりだったのだが、それを不服に思った和連が王国の首を刎ねたのだ。
そして攻勢に出た和連軍と炎蓮軍がぶつかり合った。どちらも戦意高く、また攻撃的な指揮官同士とあって、戦いは激戦となった。
その報告を聞いた時、盧生の
「楼杏殿、炎蓮が気がかりです。別行動の許可を頂きたい」
「……一人で行くつもりなの?」
「ええ、俺に兵権はないので」
「……徐休、騎馬五千を率いて侯景の救援に向かいなさい」
少し考えた後、楼杏は部下にそう命令を下した。
「……感謝します」
「あまり良くないんだけどね、勘で軍を動かすのは。でもここで炎蓮を失うわけにはいかないのよ」
盧生は楼杏に頭を下げ、徐休とともに炎蓮の救援に向かった。
しかし、一歩遅かった。
強行軍で駆けつけた戦場で盧生が目にしたのは、炎蓮の首を掲げて鬨の声を上げる和連の姿だった。
自分の裡に渦巻く様々な感情を自制して、盧生は徐休に指示を出す。
「徐休殿は救援に向かってください。俺は敵の首魁を狙います」
盧生は徐休に命令する権限を持っているわけではない。また徐休も指示に従う義務もない。だが盧生の鬼気迫る表情を見て、徐休は息を呑んだ。
「敵は勝ち戦に気が緩んでいます。今なら横っ腹を突き破れるでしょう。頼みました」
盧生は下馬して地を蹴った。強行軍で駆けつけたために馬は疲弊しており、走った方が速いと判断したのだ。
(何をやっているんだ、俺は……)
炎蓮の首を取り戻したところで、炎蓮が甦るわけではない。それでも盧生の身体は動いていた。
敵がこちらに気づいた。下卑た笑いを浮かべている。単独で突っ込んでくる姿が滑稽なのだろう。慌てた様子もなく、弓を番えている。
一斉に矢が放たれた。
(俺の目的は北郷一刀だろう!)
さらに速く、さらに低く。矢の雨をかいくぐって距離を詰める。敵将、和連の姿はすぐそこまで迫っていた。
和連の指示を受けて、騎馬兵がこちらに向かってくる。
「裂空斬!」
剣を横薙ぎに放つ。刃と化した"気"が銀光を放ち、馬の脚を斬り裂く。落馬した兵が地面に激突した。
(あの女が死のうと、どうでもいいはずだ!)
跳躍して兵を足場に前へ進む。和連まであと数歩の距離に迫った時、和連と目が合った。彼女のほほは激情により紅潮し、琥珀のような双眸には純然たる殺意が宿っていた。
無造作に投げられた炎蓮の首を、盧生は愛おしげに抱きしめる。
その安堵が、油断に繋がった。
和連の放った銀の一閃が盧生に迫る。咄嗟に剣で防御するが、その強烈な破壊力の前に剣は無残に砕け散り、その一撃は勢いを緩めることなく盧生の首を刈り取った。
少しまぎらわしいですが、王国は人名です。