次の日、アドルが勇者になった。
何言ってんだって感じだけど、本当にそうなった。
アドルが儀式で与えられたのは《勇者》の祝福。
前に《勇者》の祝福持ちが現われたのは300年も前の話らしい。そしてその正体はこの田舎暮らしのわたしたちですら知るくらい有名で、吟遊詩人に詠われるほどはるか昔の伝説的英雄だった。
《勇者》は数ある祝福の中でも特に強力なものの1つであり、あらゆる身体能力が永続的に向上し、祝福を鍛えていけば、歴史に名を残す英雄になることも夢ではないとされる。
その剛力は竜の顎を砕き、放たれる一太刀は雲をも切り裂く。
なぜそんなことを知っているかって、《勇者》の英雄譚はたまに村を訪れる吟遊詩人が一席やる際の定番だからだ。
詩になる際に《勇者》の活躍は派手に盛られているのかもしれないけれど、それでも強力な祝福だということくらいは察せる。詩を聴いた子供たちが毎年のように《勇者》の祝福が欲しいと憧れるほどだ。
目の前ではアドルが礼拝堂に集まった村人たちからメチャクチャな歓声を受けている。
儀式を担当していたお母さん───マザー・クラリエッタは未だに信じられないような顔で、祭壇に置かれた《マルグレーテの瞳》に触れて祝福の情報を読み取っていた。
当のアドルは「僕、なんかやっちゃいました?」みたいなぽかんとした顔で突っ立っている。
あいつ、想定外のことが起こりすぎて完全に脳がフリーズしてやがる……。大丈夫か?
ちなみにわたしは水晶玉に手を触れてみたけれど何も起きなかった。
どうやら何の祝福も得られなかったらしい。ざんねん。
その日から数日間は村もお祭り騒ぎ、アドルはいつも宴会の主役であり、色んな人からこの村の誇りだの、これでこの村も栄えるかもしれないだのなんだのと言われていた。
ただ時間が経てばそんな熱も冷めるもので、1週間も経てばみんないつも通りの暮らしに戻っていった。
お母さんとわたしも、教会の奥に併設された生活スペースで久しぶりに向い合って普段通りの時間に夕食を摂っていた。
太陽は落ちている時間で、燭台に火はつけているがやや薄暗い。
ここがわたしたちの家であり、産まれてからずっとわたしはこの教会で暮らしている。
「……ユーリア、その、たとえ瞳が反応しなくても、いまだ発見されていない新たな祝福を下賜されている可能性もあります。気を落とさぬようになさい」
「えっ、そうなの?」
お母さんは静かに頷いた。
いたく真面目な顔で言うので、わたしもシチューをスプーンで掬う手を止めた。
「ええ、《マルグレーテの瞳》には今まで下賜された祝福の情報が全て記録されていますが、そうでない祝福を受け取った場合には反応を示しません。もちろん、本当に祝福を得ていないことが大半ではありますが」
「ふうん。でも、そういう時ってどうするんだろ。だって新種の祝福を得ていたって、それを調べることができないなら結局無いのと同じじゃない?」
わたしは素直に首を傾げた。
まさか一からあらゆる可能性を想定してテストするわけではあるまい。瞳が反応しなければ祝福が与えられていない人が大半なのだから、そこまでの手間をかける理由が無い。
「貴女は知らないでしょうが、聖都ラピスラズリの教皇庁に祝福審査機関というものがあります。詳しい方法は私も知りませんが、彼らは未発見の祝福ですらその力の正体を正確に読み取ることができるそうです」
聖都ラピスラズリはこのエル=ラピス輝教国の首都にあたる。
国の統一指導者たる教皇が座す壮麗な都らしいけれど、この辺境の村からはるか南にあり、とても遠い。もちろんわたしは行ったことが無い。
「うーん、でもわたしは別に祝福無しでも気にしてないからいいかな。まさか、こんなド田舎に聖都から人が来てくれると思えないし」
「そのまさか、です。近いうちにアドル君に与えられた祝福が正確かどうか、その祝福審査機関がこの村を訪れることになっています。その際に貴女も改めて祝福の有無を検査していただくようお願いしておきましたので、そのつもりでいてくださいね」
「ええ? お母さん、そこまでしなくてもいいのに」
「貴女がそう言うと思ったから今まで言わなかったのですよ。ユーリア」
ふう、と小さく息を吐くと、
「貴女が聡いのは私も分かっているつもりですが、物分かりが良すぎるのも考えものです。子供らしい我が儘を言わない貴女に対する私の……そうですね、お節介とでも思いなさい」
お母さんはティーカップに注いだ白湯をゆっくりと啜った。そして、柔らかい笑みを浮かべた。
聡いというか、前世の記憶があるからインチキしてるだけともいう。
あと、ワガママはいつも言ってるけどね。断じてマザー・クラリエッタって呼ばないのが既にワガママみたいなもんだし。
でも、たぶんそういうことじゃないのだろう。
きっとお母さんはわたしが祝福を得られなかった事をひどく落ち込んでいて、強がっていると思っているのだ。本当にそんなことないんだけどね。
ただお母さんの思いやりを無下にするつもりもないので、その検査を受けるだけ受けてみようとは思う。
※
次の日、昼下がりで教会の手伝いが終わり、時間が出来たわたしは村の中心部にあるアドルの家の玄関を叩いていた。
わたしの方からアドルを訪ねるのは初めてのことだ。
初めて人の家を訪ねる時は、どこか緊張する。ドアを叩いてしばらくすると、アドルのお母さんであるカーラさんが顔を出して意外そうに目を丸めた。
「あら、ユーリアちゃん?」
「カーラさん、こんにちは! 急にごめんなさい。アドルはいますか?」
「ふふ、あなたならいつだって歓迎よ。はぁ、せっかくユーリアちゃんが来てくれたのにあの子ったら。ごめんなさいね、アドルは朝から遊びに行ってるわ。たぶん、川向こうの広場にいると思うけれど。そう言って出かけたから」
カーラさんはわたしがいじめっ子たちをボコボコにしてからというもの、わたしにかなり好意的だ。
川向こうの広場というのは、村に流れている水源の小川を登っていくと行き当たる森の手前にある、草木があまり生えていない小さな広場だ。伝統的に村の子供の遊び場になっている。
「広場ですか」
わたしは疑問に思った。アドルはいじめられた経験から、村の子供たちが集まるような場所を避けていたはずだが……。心境の変化か? 《勇者》の祝福を得て多少は自信が付いたんだろうか。
「わかりました! ありがとうございます。行ってみます」
「ユーリアちゃん、その……」
ぺこりとお礼をして踵を返そうとすると、カーラさんはわたしを呼び止めた。そしてどこか言いづらそうに、口をもごつかせている。
「カーラさん?」
「あの、本当なのかしら。アドルが、聖都に召し出されるって」
カーラさんはどこか不安そうにわたしを見つめていた。
もしかしたら聞かれるかもしれない。そう思って、わたしはその答えを用意していた。
「……母がそう言うのであれば、そうなのだと思います」
「そう、なのね。ごめんなさいね、あなたにこんなことを聞いてしまって」
カーラさんはほんの少しだけ目を伏せてから額にかかった茶色い前髪をかき上げると、無理矢理わたしに笑いかけた。
それはわたしもお母さんから聞いていたことだった。
きっとアドルは、女神マルグレーテの寵愛を受けた《勇者》として聖都ラピスラズリに召し出されるだろうと。生まれ育ったこの村から引き剥がされ、両親とも離れ離れになるかもしれない。
《勇者》だけではない。強力な祝福を与えられた子供は、みなそうなるのだとお母さんは言っていた。
あの貧弱泣き虫のアドルがそんな環境の変化に耐えられるんだろうかと、わたしはただ心配していた。
わたしは自分自身、アドルのことを大切に思っているわけではないと思っていたけれど、案外そうでもなかったらしい。
それなりに長く接していれば、情も湧く。
※
アドルは川向こうの広場にはいなかった。その代わりにかつてわたしがボコボコにした小太りのガキ大将とその取り巻きがいて、そいつは半泣きになって腰を抜かしていた。
どうしたと聞けば、広場に現れたアドルに喧嘩を申し込まれたらしい。
そして一方的にやられた結果、泣きながら土下座して今までいじめたことを謝罪させられたという。
怪我はしていたが、どれも数日で治るかすり傷程度のものだ。
「運が良かったね。あいつは優しいから、その程度で済んだんだよ。これに懲りたら……」
言うか迷う。お節介が過ぎるからだ。でも、結局、言ってしまった。
「仲良くしてほしい、とは言わない。でも、これからあいつと会ったら普通に話すくらいはしてやってくれないかな。前にあんたをボコボコにしたわたしが言うことじゃないかもしれないけどさ」
そいつは完全にわたしにも怯えていたが、それでも顔を縦に振った。
喧嘩が終わった後、アドルは森の中へ行ったらしい。
森の中には人を襲う野犬や狼もいる。子供は森にはけして入るなと言われているのだ。
「あの馬鹿が」
わたしは舌打ちして、小川に添って薄暗い森に入った。
※
見つからなかったらどうしようかと思ったけれど、アドルは入り口からすこし進んだ開けた場所であっさりと見つかった。その傍らには襲ってきたのであろう黒い野犬が一匹力なく倒れている。
「アドル、何してる」
「あ! 見てよユーリア! 見てよ、僕、獣だって倒せるようになったんだよ! 僕をいじめたヤツだってみんなボコボコにしてやった! ほら、強いんだよ、僕!」
振り返ったアドルは嬉しそうに、10歳の子供では到底振り回せそうに無い太い木の枝を小さな手で鷲掴みにして振り回して見せた。ぞっとする。これが《勇者》の祝福の力なのか。
「だから、だからね」
とてとてと走って目の前に来たアドルがわたしを見上げた。
「これからは僕がユーリアを守ってあげる!」
ニッコリと笑ってドヤ顔のアドル。そうかそうか、良かったな。
わたしのやることは決まっていた。
「そういうのむかつくんだよなあ」
両指で力いっぱい頬をつねってやった。
「いひゃいいひゃい! どうしてえ!? やめへぇよゆーりあ!」
「ハァ、このアホめ……調子に乗りすぎだっての」
手を離すとアドルは両頬を押さえて涙目になっている。
「馬鹿! 強い祝福を手に入れたくらいで思い上がってんじゃないよ。あんた自身が今弱っちくて泣き虫のは何も変わんないんだから」
「何で!? こんなに僕強くなったのに! 見ればわかるでしょ!?」
「それはあんたじゃなくて《勇者》の祝福がすごいってだけだよ。今のあんたは祝福が強いだけで威張ってるただのクソガキだ! 何が守ってあげるだ! 人を下に見るのは楽しいか?」
「そ、そんなこと……!」
アドルは露骨にわたしから目を逸らした。
そうだよな。ずっと女の腰巾着になって守られてたのは、悔しかったよな。
でもな、祝福を与えられた途端にイキり始める今のお前は最高に格好悪いぜ。
「なんだ、図星か? 弱っちくて泣き虫なアドルくん」
「……しょ」
「は?」
俯いたまま小さくぶつぶつと呟くと、アドルは一気におもてを上げてわたしと視線を合わせた。
「ユーリアは悔しいんでしょ! 何の祝福ももらえなかったから、僕が羨ましいんだッ!」
いつもの情けない怒ったフリじゃなくて、火の玉のよう怒気がエメラルド色の瞳の奥に渦巻いていた。
なんだ、やればできるじゃん。わたしは低い声で呟いた。
「そうか、あんたはそう思うんだな。ならやってみな」
「え?」
「あのガキ大将たちみたいにわたしをボコボコにしてみなよ。わたしのことがむかつくんでしょ?」
戸惑って目を見開いたまま動かないアドルに、わたしはご丁寧に取り落とした木の枝を両手で持ち上げてアドルの手に持たせてやる。そして突き飛ばして距離を取らせた。
「ほらやりなよ! そのご大層な祝福で黙らせてみせろ! そして言ってみせろ! “お前はこんなに弱いんだから、大人しく僕に守られてろ”ってな!」
太い木の枝を正面に構えたまま、顔を真っ赤にして震えているアドルに、わたしは最後の一押しをする。
「怖いのか? いつもそうだな。祝福があろうとたかが女ひとりにビビってる。それがあんただよ。アドル」
「うう、ううう! うわああああああ!!」
アドルが叫びながら木の枝を振り上げた。わたしは、目を閉じなかった。
ごしゃ、と鈍い音が響いて、
アドルの振り下ろした木の枝はわたしのすぐ横を通過して地面に叩き付けられた。
そして、目の前で肩で息をしているアドルをわたしはそっと抱きしめて、背中をさすってやった。
なんだか、そうしなければならないような気がした。
「アドル、あんたの良いところは優しいところだ。どれだけムカついても一線は越えない。それは普通の人間じゃ、なかなかできないことだよ。だから、その優しさだけは無くさないで欲しい。たとえ、凄い祝福を得たとしても、あんたはあんただ。そうでしょ」
「うう……でもみんな僕のこと、勇者様だって。英雄になるんだって。だから、強くならなきゃって、今のまま、ユーリアに守られてる僕のままじゃ、ダメだって……そう思って……っ」
アドルはわたしの肩に顔を押しつけると泣き始めてしまった。この泣き虫め。
祝福を与えられた途端にいきなり村のみんなの期待を受けて、いっぱいいっぱいになってしまったのだろう。
わたしは心の中でため息をついた。多分このままだとろくなことにならない。勇者だからとちやほやされて、焦りと全能感だけが肥大して突っ走っていく幼馴染の姿は見たくなかった。
目を真っ赤にしてしゃっくりを繰り返すアドルをゆっくりと引き離すと、わたしは少しだけ屈んで目線を合わせた。
「そうだよ、アドル。あんたは強くならなきゃ」
「だ、だから僕は、この《勇者》の力で……!」
「ちがう。これからあんたはその《勇者》の祝福に相応しい男にならなきゃいけない。大切なのは勇者であるあんたじゃなくて、そんなものが無くてもあんた自身を誇れるようになることだよ」
「僕、自身……?」
「そ、その祝福に頼らなくたって凄いって言われるくらいの男になりなさい。そしたら大人しくわたしだって守ってもらうことにするからさ。祝福を鼻にかけて何の努力もしないダサい男になったら幻滅するから、そのつもりでいなさいよ」
わたしはアドルの額に指を立てると、そのままデコピンした。
「痛っ!」
「流石にさっきのは怖かったからね。それに、祝福を貰えなかったから羨ましがってるとか言いがかりだし? そのお返しだよ」
「それは……その、ごめんなさい……」
「いいよ、許してあげる。でもその代わり、今わたしが言ったことを忘れないように」
アドルはこくりと頷いた。その涙もいつの間にか引いていた。
なんとかなったかな。いやあ、マジでぶん殴られてたら流石に死んでた気がする。
いや、まあいきなりめっちゃ強い力とか手に入れたらテンション上がるのはわかるけどね。少年の夢だし。わたしだって前世でそういう話読んだり観たりして普通に楽しんでたし。
それが分かるからこそ、こうやってお節介したくなっちゃうのかもしれないなあ、なんて思う。
そしてその日は久しぶりにせがまれたので手を繋いで帰ってやった。普通逆でしょ。
はあ、言ったそばからこの甘ったれで大丈夫なんだろうか。
「明日から、頑張る。僕、ユーリアを守れる男になるよ」
「その明日からってのが不穏だけどなあ」
「ほんとだってば!」
「ん、期待してる」
冗談は言わない。
繋ぐアドルの手に少しだけ力が入ったのを感じた。
森を出たらいつの間にか夕陽が差し込んでいた。山吹色の光に照らされたアドルの横顔は、どこか吹っ切れたような、ほんの少しだけ凛々しいものに変わっていた。
幼馴染の女にする、幼い日のありがちな約束。
大人になった後、子供の頃にそんなこともあったな、なんて。
そんな思い出にしてくれればいいと、その時のわたしは軽く考えていたのだ。