犬は飼い主に似るらしい。理由としてまず言われるのが、ずっと生活を共にしているからだというものがある。一緒に同じものを見て、同じものを好きになる。それを繰り返す内に、似ていってしまうのだと。
そしてもう一つは、犬を好む人がそもそも犬っぽい性格をしているかららしい。どうやら自分と似たものを感じ、選び取ってしまうのだとか。だとすると、プロのドッグトレーナーとして、ずっと数多の犬と共に過ごしてきた私がそんな性格なのは当然なのかもしれない。
「ごめんね、アビー。仕事にもう行かなくちゃいけないの」
例えば、私は毎朝愛犬のアビーとともに散歩をしているのだが、つい楽しくなってしまう。その結果、散歩だったのにへとへとになって宿舎になだれ込んだことが何度もあった。今日も予定をすっかり忘れて散歩に熱中してしまい、戻ったときには、満足にアビーと話せない程度には時間が迫ってきていた。
「いってきます!」
寂しい思いをぐっと抑え、外へと足を踏み出す。イムホテプのように言葉が分かるわけではないが、アビーの声は私を激励しているようだった。
他のセクターとは違い、オアシスは全体で共通の運営方針が特にあるわけではない。そのため、スイーツ店だったり、天文台だったりといった娯楽に事欠かさない。そういったオアシスの自由さは衰えることを知らないようで、ついには動物園すらも造ってしまったようだった。
「なんだか、客がいないと妙に不気味ね……」
私が動物園に来るのは、開園初日以来になる。鮮やかな発色をした新品の門も、却って不気味さを助長させていた。
「いけない! 久しぶりの指導なんだし、気合いれないとね」
オアシスにいる動物エージェントの数は少なく、本業ができるところではなかった。仕方がなく、今までは書類仕事をしてばかりの日々だったが、今日は違う。先日、動物園から依頼をもらったのである。どうやら動物と一緒に遊べる、ふれあい広場をつくりたいらしい。それで、最低限動物が人に怯えたり、噛みついたりしないように指導してほしいとの話だった。私は門の傍にある、プラスチックの容器から地図を取り出した。これによると、ふれあい広場はちょうど動物園の中心にある。依頼人である、園長との待合場所もそこであったから、少なくとも迷うことはなさそうだ。
牧場もそうだが、人が動物に触れる場所は、なぜだか柵が真っ白なイメージがある。といっても、大体訪れるころにはすっかり黒くくすんでしまうのだが、その方が土と調和しているようで心地よく思えた。多分、遊んで泥まみれになったサモエドを思い出すからだろう。
「えっ、まだ塗りたてじゃない」
もちろん中には動物など一人もいないだろうが、柵に手をつけ、中に入ってみる。だが、手からはべったりとした気色悪い感触がする。私が中に入り、手を離したころには、既に鮮やかな白色が手のひらに張り付いていた。多分、水洗い程度じゃ落ちないだろう。よくよく周りを見てみると、柵の内側に一つのバケツがあった。真っ白な塗装がされており、明らかにペンキ入りのものだろう。そして、周りを見渡していると、あることにも気づいた。
「やっと客が来たのかニャ! さあ、思う存分ベティを愛でるのニャ!」
端にあった猫小屋で、ベティが寝転がっていたのだ。ゲートを開けた音が聞こえたのか、ベティは目を輝かせ、オレンジの髪と猫耳をパタパタさせて私に向かってくる。ただ、すぐさまその客が私だと気づいたようで、その足を急停止させた。
「ベティ、どうしてあなたがここにいるのよ……」
私は呆れながらベティに質問する。ただ、理由はなんとなく分かっていた。
「当然、ここがベティの住処だからニャ!」
予想通りの解答に頭を抱える。当たり前なことだが、宿舎にはベティの部屋がしっかりある。だが、ベティはそれでは納得がいかなかったらしく、教授にしきりに猫小屋の建設を求めていた。
「ベティが散歩してるときに、偶然獣の香りを感じ取ったんだニャ。それをたどってみれば、餌ももらえるし、撫でてももらえる! そんなベティ理想の場所があったんニャから、もう住むしかないのニャ!」
ベティはまるで今ここを見つけたかのように大興奮していた。
「まだ完成してみたいニャから、今からここに住めばボスとして他のやつらを従えられるはずだニャ! そうすれば、餌もなでなでもベティが独り占め。ニャッフッフ……」
ベティは笑いを堪えきれないらしく、次第に声は大きくなっていく。
「ベティ、あなたは動物じゃないんだから、従業員に追い出されて終わりじゃない。そうならない前に、離れましょう?」
こういった、思いがけないことをベティはよくする。ただ、どこか爪が甘いようで、ベティのたくらみは毎回盛大に失敗して終わっていた。水を差す、いや元から破綻した考えだったのだが、私の言葉を聞いてベティはそのことに初めて気づいたようだった。園長はまだ来ていないようだから、今連れ帰れば何も問題ないだろう。そう思い、ベティに手を伸ばす。
「ニャハハ! 大丈夫ニャ、アビゲイル! ベティはそれぐらいじゃ諦めたりしないニャ。猫のすばしっこさをそいつらに見せてやればいいのニャ!」
ベティは得意な猫パンチを素振りしたり、反復横跳びをしたりしてそのすばしっこさというのをアピールし始めた。楽しくなってきたのか、ベティはそのまま広場中を駆け巡りだした。ただ、私は元からベティの心配をしていたわけではない。
「Stop! ベティ、今は他の動物がいないから良かったけど、そんなに動いたらみんなが驚いてしまうわ」
やっぱり、今のうちにベティをむりやりにでも追い出した方がよさそうだ。動物というのはみな繊細なのだから、それが原因で心を痛めてしまうことだってあるかもしれない。ベティは走るのを止めない。それどころか、むしろ動きが早まったように思える。
「OK、ベティがそうするのなら、私にだって考えがあるわ。さあ、追いかけっこの始まりよ!」
普通だったらベティの身体能力には敵わないが、ここは広場の中だ。障害物もあまりなく、広さもそこそこといったところで、ベティが全力を出せる環境ではない。だから、ベティの考えを先読みすれば捕らえることは可能だ。それに、ベティが猫っぽい性格なこともあり、動物と心を通わせてきた私には考えを読みやすい。そのことも私を助け、ベティを掴めそうな機会が何度も訪れた。
それを四回ほど繰り返した後、ついに絶好の機会がやってきた。ベティが私から逃れるために高く跳躍したのだが、焦っていたのか私から距離を稼げていない。これなら先回りして、キャッチすることが十分にできる。
「これでMission Complete――」
右足が何かに突っかかり、私は前にすっころんだ。といっても、地面が柔らかかったので、怪我はしていない。後ろに目をやると、オレンジ色の猫を模したロボットが、その肉球で私の右足を引っ張っていることに気づく。
「カンヅメ、ナイスアシストだニャ!」
ベティは土煙をあげ、豪快に着地した。それと同時に、カンヅメはベティの元へ駆けていく。
「ニャーッハッハ! カンヅメは始めからベティと猫小屋にいたんだニャ!」
今度は、助走を付けて跳躍した。方向は柵の外だ。このままいけば、私はベティを逃してしまう。
だが、ベティは肝心なところで運が悪いというか、爪がちょっと甘い。きっとベティは目測の距離を間違えていたのだろう。ベティの着地点は柵の外ではなく、その手前だった。そして、不幸なことに、その着地点にはあのバケツがある。
「ニ”ャ”ーー!」
こうして、バケツが蹴り飛ばされる甲高い音と、ベティの悲痛な叫びが辺りに響き渡ったのだった。
「ヴニャー! 水浴びは嫌いなんだニャ……」
ベティはじたばたと暴れだす。だが、私はプロのドッグトレーナーであり、こういったときの対処は手慣れていた。ベティは水洗いから抜け出せないと分かると、次第に落ち着いていった。
「うーん、やっぱりペンキが落ちないわね……洗剤が必要だわ」
結局、ベティはバケツを頭から被ってしまったようで、髪から服まで真っ白に染まってしまった。一応ぼたぼたとペンキが垂れることはなくなったが、すっかり白色がこびりついてしまったようで、近場にあった水と石鹸ではどうしようもなかった。
「取り合えず、家に犬用シャンプーがあるからそれで洗い流しましょう」
ベティがタオルで全身を拭い終わったのを見て、私はベティの手を掴む。
「アビゲイル……手伝ってくれるのかニャ? ベティはアビゲイルを転ばせたのにニャ……」
ベティは活発な性格で、よく人にちょっかいをかける。だが、それでいて、ベティはそのことをよく気にかけていた。ベティは一度、人に捨てられている。それから42Labの職員に拾われ、ニューラルクラウド計画に参加するまでの間、ベティは様々な悪意に晒されていた。そのため、ベティは自身を受け入れるオアシスに対して、尋常でない思い入れがあるのだ。だが、その思いが却って私たちから距離を置いてしまう。
「ベティの猫小屋が欲しいって気持ち、ちょっと分かるのよ。私が指導した犬も、譲れない場所を持っていることが多かったから」
猫小屋のことは、以前から聞いていた。教授に直談判している光景をよく見ていたからだ。でも、まさか動物園に居座ってしまうほど真剣に思っているとまでは、気づけなかった。
「私を転ばせてまで逃げようと思うほど、その思いは本気だったんでしょう? なら、応援したいじゃない」
一向に動かないベティを引っ張り、動物園の出口へと向かう。
「今度、私と一緒にオフィサーに伝えにいこう! だけど、その前にペンキを落とさないとね」
でないと、オフィサーが驚いてしまう。残念だが、今日の仕事はキャンセルだ。ベティは私の手を強く握り返す。肉球がぷにぷにとしていて心地良い。そのまま、私たちは出口の門に向かって歩き出した。
「ごめんなさい、遅れたでしゅ」
歩き出したのだが、すぐさま小さなカートに阻まれた。操縦者は、これまた小さな子供。桃色の髪をツインテールにしており、透明感のあるサンバイザーを着けていた。
「二人の従業員が今日休暇をとっていてでしゅね。一人ぼっちになったタイシュのために、二人が助っ人を呼んでくれたのでしゅ。でも、どこにもいなくて――」
タイシュがベティに気づいた。これはチャンスだ。こんなにペンキまみれのベティを見たら、私の理由にも納得がいくだろう。
「なんだ、アビゲイルしゃんと一緒にいたのでしゅね。初めましてでしゅ、ドゥシェーヴヌイしゃん。タイシュはタイシュというでしゅ」
一瞬、場の空気が固まった。あまりに想定外な言葉がタイシュからでて、私たちは驚き固まった。タイシュはその様を見て、首をかしげる。
「あれ? 真っ白な髪に服、そして動物の耳……確かにドゥシェーヴヌイしゃんでしゅよね」
どうやら、その助っ人とやらの大まかな特徴しかタイシュは知らないようだ。といっても、それは別に悪いことではない。動物の耳をした人形というのは少なく、それでいて白髪な人形は、それこそドゥシェーヴヌイだけだ。だから、その情報だけでも十分分かると判断してしまうのも不思議ではない。そう気づいてみれば、なんてこともない話だ。だって、訂正すれば良いだけだ。
「確かに今は訳あって真っ白だけど、ドゥシェーヴヌイじゃ――」
「そうだニャ! べ……ドゥシェーヴヌイだニャ!」
そして、今度はベティの発言に驚かされた。ベティはこちらに近づくと、私に耳打ちした。
「このまま従業員になったら、ベティは客から可愛がられ放題だニャ」
ベティはまたもや笑みを堪えきれないのか、にやけている。
「ベティ……あなた、もうどうなっても知らないわよ」
私は流石に呆れて、ちょっぴりため息をつく。
「それに……困ってるなら、助けにならなくちゃニャ」
ベティはぼそりと呟いた。ベティは仲間思いだ。そして、そんなベティのことを私たちは気に入っている。だから、どんなに馬鹿なことをしているように思えても、やっぱり放ってはおけないのだ。
結局、私はあのまま仕事を始めた。担当する動物は犬の大きさに近い小柄なものばかりで、指導は特に障害なく進んでいく。そもそも、指導と例えたが、ドッグコンテストみたいに何か芸を仕込むわけでもない、人を怖がらなくさせる訓練のようなものだ。今日一日で完了することでもないため、時間はのんびりと過ぎていった。
「アビゲイル、昼飯の時間ニャよ!」
太陽がちょうど真上にたどり着いたころ、賑やかな声が私を呼んだ。振り向くと、ベティとタイシュが連れだってこっちに向かってきている。ベティは二つのバケツを両手で抱えている。かなり重たそうに思えるが、ベティはタイシュのカートを追い越し、だんだんと駆け足になっていく。
「ドゥシェーヴヌイしゃん、すごいスタミナでしゅ……」
タイシュが思わず言葉をこぼしてしまうほど、今のベティは元気に溢れていた。ベティはあっという間に、私の傍に近づいた。それから、地面に置いたバケツに手を突っ込むと、人参をたくさん取り出した。
「お前ら、たらふく食べると良いニャ!」
ベティは周りの動物に人参を食べさせ始めた。ベティは屈むようにして動物と目線を合わせて、ゆっくりと餌を与えている。
「案外上手くやれているのね。てっきり自分で食べちゃうものかと思ってたわ」
ベティは、はたから見てもかなり様になっていた。
「ニャッフッフ……こっちにはごちそうが待ってるんだニャ! だから、人参なんか食べるわけないのニャ!」
ベティは自慢げにマップを取り出す。そして、ある場所、レストランがあるエリアを指さした。
「ドゥシェーヴヌイしゃんは動物に噛みつかれながら、頑張ってたでしゅからね。そんな従業員にご褒美をあげるのは当たり前でしゅ」
どうやら、タイシュはベティに昼食を奢るつもりらしい。それから、タイシュは言葉を続けるように口を開けたが、結局何も口にせずに閉じた。その目は何かを躊躇っているように見える。
「アビゲイルも一緒にどうかニャ? 人が多い方とその分つまみ食いし放題だニャ!」
ベティは相変わらずの調子で私を誘う。つまみ食いをさせる気は全くないが、私自身も複数人で食べるのは好きだ。私は頷いて、ベティの手を取る。その様子を見て、タイシュの顔がほころんだ。ひょっとすると、二人の相性は案外良いのかもしれない。私は喜ぶタイシュを見て、そう思うのだった。
ロボット技術が発展した今、注文に調理、配膳、会計といったレストランの業務は全て自動化されている。もちろん、プロのコックが作る料理が一番美味しいと決まっているが、ここは動物園であり、食事にそこまでの質を求める人はまずいない。私たちは、外に置かれたプラスチックのテーブルを囲んでメニュー表をのんびりと眺めていた。
「おぉー! 魚料理があるじゃニャい!」
ベティはイメージ画像が貼られていない、明らかに主軸ではない料理を目ざとく見つけた。ベティはそういった変なメニューをよく注文する。そして、毎回微妙な結末になっているのだが、止める気はないようだった。
「よく見つけたでしゅね。それは水族館がモチーフの料理なんでしゅよ」
タイシュが言うには、従業員と協力して考えた自信作らしい。ただ、それならもっと目立つように記した方が良い気がする。といっても、ウサギを模したカレーなんかが続く中で、いきなり魚が出てきたらびっくりしてしまうだろうか。
「今、ちょうど横で水族館エリアを作ってるところなんでしゅ。そう、あの真っ黒な建物でしゅ」
まだ完成していないからか、それの外見は殺風景で、何やら不気味だ。大きさは遊園地のお化け屋敷ぐらいといった程だが、なんだか引き寄せられるような魅力を感じる。思わず身震いしたので、急いで視線を外した。
「まだ明かりもなくて真っ暗でしゅから、絶対に入っちゃ――」
「にゃああ!? お、お化け~!!」
幼さの残る高めの声が水族館から響いた。その声は、まるで私たちを誘いこむかのように、鮮明に耳に聞こえた。そのため、一度外した視線がまた水族館に向く。タイシュが席を立った。
「入っちゃ駄目だったんでしゅけど……しょうがないでしゅね。タイシュには、声を出した人を連れ戻す責任がありましゅ」
タイシュはカートに乗り込んだ。そして、それと同時にベティが飛び上がった。がたんと椅子が倒れる。
「ベ……ドゥシェーヴヌイも、プロのボディガードとして黙ってられないニャ!」
ベティは脱兎のごとく走りだした。タイシュもそれに続いて車輪の動きを早める。
「Stop、Stop――ああもう、みんな動くのが早すぎるわ。フリスビーを追いかけるアビーみたいよ」
後に取り残されたのは私だけ。私はせかされるかのように席を立ち、水族館へと走りだしたのだった。
「カンヅメ、ライト機能オンニャ!」
中には窓が一つもなく、入口から少し離れるとすぐに何も見えなくなった。ベティの合図と共に、カンヅメのとがった両目から光が放たれる。カンヅメが器用なことは知っていたが、こんなこともできるのか。
「タイシュのカートにもライトは付いていましゅので、これで見落としなく探せましゅね」
カンヅメの高さでは、真ん前の地面がちょっと見える程度にしか照らされなかったが、カートの高さから出る光は、あっという間に周囲を見えるようにした。
「でも、ここって結構枝分かれがあるのね。かなり骨が折れそうだわ」
近くの鉄板にここのマップが彫られていた。それによると、途中でいくつも分かれ道があり、最終的にひとつの出口から出るようになっている。だから、あの悲鳴の主は暗さからその出口を見つけられずに、彷徨っているのかもしれなかった。
「大丈夫でしゅ。ウサ子しゃんは鼻が良いでしゅから、道案内をしてくれましゅよ」
一匹のウサギが、カートからひょっこりと顔を出した。ウサ子はカートから飛び降りると、任せてと訴えるように先頭に立ち、前に進みだした。
「――ニャ!? 今、人が見えたニャよ!」
しばらくウサ子に付いていっていると、突然ベティが大声をあげた。ベティはびしっと暗闇を指さす。
「気のせいじゃないでしゅか? ほら、ウサ子しゃんも違うと言ってましゅ」
ウサ子は首をぶんぶんと振っている。正直、私にも誰かがいたようには見えなかった。それに、もし誰かがいたのだったら、すぐに声をあげるなりして私たちと連絡を取ろうとするだろう。
「いや、絶対にいたニャ! ドゥシェーヴヌイはベティが必ず連れてくるのニャ!」
そういって、ベティはカンヅメと一緒に暗闇に駆けだした。興奮していたのか、一人称を取り繕うことをすっかり忘れている。
「ベティ……? それって誰でしゅか?」
その言葉はタイシュの耳にしっかりと入り、首をかしげている。だが、私にはその様子を見ている余裕がなかった。
「No! ベティ、自分から離れていってどうするのよ!」
今ならカンヅメの明かりのおかげでベティの位置が分かる。仕方なく、私は急いで走りだし、ベティの後を追いかけ始めた。
「どこにいるのニャー! 隠れてないで出てくるニャー!」
ベティに追いついたころには、タイシュとは完全にはぐれていた。ベティの肩を力一杯掴む。
「ほら、誰もいないじゃない。ベティ、やっぱりあなたの勘違いだったのよ」
私の声を聞き、ベティは落ち着きを取り戻したようだ。それから、今の状況に気づいて顔を青くする。
「ニャー!? どうしようニャ、アビゲイル。ここがどこなのか分からないのニャ! タイシュもウサ子もいないし、ベティたちじゃ出口が分からんニャ!」
今度はベティが私の掴んで、ぶんぶんと振る。私も焦っていた。ついベティを追いかけてしまったが、これではミイラ取りがミイラになっただけじゃないか。
「私ならここにいるわよ!」
低い位置から声がする。だが、聞いたこともない声だった。驚いたカンヅメが辺りを見まわすが、人の姿は見当たらない。ただ、その代わりに一匹のウサギが佇んでいた。
「でも、今はとっても大変な状況ね。私なら出口を知ってるんだけど……」
「ニ”ャ”ッ!? ウサ子が喋ったニャ!」
驚きからか、ベティは後ろに飛び上がる。
「なんだ、ただのウサギじゃなくて、ロボットだったのね」
言葉を話せるのは、別に人形の特権ではない。動物と話せるというのはかなりの需要があるだろうし、会話できるウサギ型ロボットがいてもそれほどおかしいことではなかった。私は屈んで、ウサ子と目線を合わせる。
「それで、出口を知っているというのは本当なの? タイシュも今独りだろうし、早く外に出て助けを呼ばないと大変だわ」
きっとタイシュが、私たちのためにウサ子を向かわせたのだ。ならば、ウサ子の力を借りて、早いこと脱出しなければ。
「……そうよ。ひとまずは、前に進んでいって大丈夫」
ウサ子はちょっとの間黙った後、先陣を切って前に進みだした。だから、私はベティの手を引っ張って、ウサ子を追いかけることにしたのだ。
「ねえ、ベティはタイシュのことをどう思ってるの?」
ウサ子は枝分かれする道を少しも迷うことなく選んでいく。どうやら出口を知っているというのは間違いないようだった。
「好きニャよ! 仕事の教え方は上手ニャし、ベティが何回も失敗しても付き合ってくれたんだニャ!――ッニャ、違うニャ、ベティはドゥシェーヴヌイニャよ!」
ベティはウサ子の質問に答えてから、自分の失敗に気づいたようだ。急いで設定を守ろうとするが、焦ったベティは墓穴を掘っていく。そもそもベティは嘘が下手だ。メンタルが幼いとはいえ、今までタイシュにばれなかったのが奇跡のようなものだ。
「そうなのね! タイシュもベティのことを気に入ってるようだから、これからも仲良くしてくれたら嬉しいわ!」
ウサ子は嬉しそうに体を揺らす。ベティは少し俯いた後、べしっと頬を手で叩き、大きな声をあげた。
「よし! ベティはここを出た後、タイシュに正体を明かすニャ! それで、改めて従業員にしてもらうニャ!」
ベティは未だに名前を偽ったことを気にしていたらしい。ベティは声高く宣言すると、少しでも早く進みたいのか、ウサ子のちょうど真横に並びだした。
「アビゲイル、出口はもうすぐだニャ!」
分かれ道の直前に、ひとつの看板が立てられていた。真っ赤な矢印が、右手側を指している。ベティは意気揚々と看板に沿って進もうとする。
「待って! カンヅメ、左を照らしてくれないかしら。もしかしたら……」
中央の看板を照らしたとき、左側に何か真っ白なものが見えたのだ。徐々にそれが鮮明になっていく。真っ白な髪と動物の耳を生やした、幼い体型の人形。ドゥシェーヴヌイが、地面にうつぶせになっていた。
「ベティが言っていたことは本当だったのね! 早く起こさないと、風邪をひいてしまうわ」
間違いなく、ドゥシェーヴヌイが水族館に迷い込んだ人形だろう。またここに戻ってこれるか分からないし、助けるならば今しかないだろう。私は倒れたドゥシェーヴヌイに近づこうと――。
「離れるニャ! そいつはドゥシェーヴヌイじゃないニャ!」
がしっとベティに腕を掴まれた。そのまま力強く引っ張ると、急いでウサ子のいる右手側に向かっていく。
「遠目で見たときは分からニャかったけど、そいつからは悪意を感じるんだニャ! そんなやつがドゥシェーヴヌイなわけないニャ」
懐かしい感覚だニャ。ベティは苦々しく呟く。私が姿勢を整えて走りだしたとき、背筋に不気味な感覚が走った。何者に見つめられている。それは、後ろから、真横から、まとわりつくように離れない。
「明かりを消して! 私たちがどこにいるのか丸見えよ!」
ウサ子に促され、カンヅメは明かりを消した。はぐれないように、私はウサ子を、ベティはカンヅメを抱きかかえる。ウサ子が話すには、ここから先は出口まで一本道らしい。
「ニャ! みんな、出口が見えたニャ――って、あいつ、なんて卑怯ニャことを!」
出口に垂れかかっているのれんから、ほのかに光が漏れ出ている。そして、その光が逆光となり、真ん前の何かの輪郭を写していた。それは人の顔の形をしていたが、下半身は魚のひれに近い形をしている。両手はクマのような鋭く大きな爪を持っており、どう見ても怪物にしか見えなかった。
「タイシュが話してくれた、人魚の姿にそっくりだわ」
人魚は紫色の目でこちらの方向を睨んでいて、今にも私たちが来ることを知っているようだ。その目力からは、絶対に逃さないという執念を感じる。
「こうニャったら……力ずくで乗り越えるしかないニャ」
流石にはぐれることはないと思ったのか、ベティはカンヅメを降ろした。それから、唸り声をあげて人魚を威嚇する。
「No! あまりに分が悪すぎるわよ、ベティ」
こっちは逆光で人魚がよく見えないが、相手は逆だ。少しでも近づけば、人魚はすぐに気づいて襲い掛かってくるだろう。その上、ベティ以外はせいぜい足止めぐらいしか――。
「そうよ! それができれば十分じゃない!」
「正々堂々、ベティが相手になってやるニャ!」
暗闇の中から、闘志に満ちたベティが飛び出した。ベティはそのすばしっこさを活かし、あちこちを縦横無尽に動き回る。
「ほら、もっともっとベティを見るニャ!」
流石にここまで露骨だと、人魚も挑発に気づいたようだ。ベティを視界から外し、眼前に迫ってきていた橙色を、人魚は両爪で引っ掻いた。それはあっけなくざく切りにされ、地面に転がる。人魚は意地悪に笑みを浮かべると、今度はベティに向かってその腕を振り下ろそうとした。
「二人とも、Good Job!」
人魚の腕は動かない。左右から飛び掛かったウサ子とカンヅメに抑えられているからだ。
「フリスビーじゃなくても、意外に飛ばせるものね」
地面に転がっているのは健康的な色をした、ただの人参だ。人魚は自身の失態にやっと気づいたのか、激しく顔を歪ませる。
「手がないんだったら、おまえはただの魚。ベティの獲物だニャ!」
ベティは壁を蹴って加速すると、腕を大きく振りかぶる。
「昇天・ネコ
人魚は守ることもできず、ベティに力いっぱい殴り飛ばされたのだった。
「ニャ”ー! やっと出てこれたニャ!」
しばらく浴びれていなかった、日光が照りつける感覚。猫の本能からか、ベティはすぐさま寝転がり、日向ぼっこをし始めた。私もかなり疲労した。私もベティに習って、地面に寝そべることにする。
「――吾、こっちからベティの声が聞いたんだけど――あっ! アビゲイルもいるよ!」
誰かが急いで駆け寄ってくる。今度こそ、本物のドゥシェーヴヌイだ。となりにはタイシュもいる。
「なんだ、お二人しゃんでちゃんと出れたんでしゅね」
どうやら、タイシュはあの後ドゥシェーヴヌイを見つけて一緒に脱出したらしい。
「ええ、タイシュがウサ子を連れてきてくれたおかげよ」
ウサ子がいなければ、私たちはあのまま彷徨っていたことだろう。私の言葉にベティも同意して、声をあげる。だが、タイシュの反応が何やら変だった。
「何を言っているんでしゅか? ウサ子しゃんはずっとタイシュと一緒でしゅよ。これからウサ子しゃんと一緒に二人を探そうとしていたところだったんでしゅ」
ウサ子がタイシュのカートから顔を出す。私とベティは目を見合わせる。
「怖い冗談を言うんじゃないニャ! ウサ子はきちんとベティの横で動いていたし、喋っていたニャよ!」
ベティはがばっと起き上がり、ウサ子に近づく。どうやらウサ子からも証言をしてもらおうと考えたようだ。ベティはウサ子に話すよう促すが、なぜかウサ子は首をかしげるだけ。
「……? そもそも、ウサ子しゃんは話せないでしゅよ」
タイシュの言葉を裏付けるかのように、ウサ子は先ほどから鳴き声しか発していない。ベティの顔が、見る見るうちに青くなっていく。
「お化けでも見たんじゃないでしゅか」
例え冗談であっても、今そんなことを言わないでほしい。ベティとドゥシェーヴヌイの悲鳴を聞きながら、そう思うのだった。
ベティの親密度がLv.15になった記念。
タイシュが絶対に欲しかったので、書いたら出るの噂にすがってこんな話を書きました。