東方狂奏夏【~Phantasy “Hot” Orchestra~】 作:トカゲの妖怪
森の中の小さな池に、チルノと実々美は並んで座っていた。
拾った棒切れに実々美の髪の毛を垂らし、月明かりを反射して光る糸に魚はよく食いついた。
「……」
「お、釣れた釣れた」
「こんな事やってていいんですかね……」
「いいんじゃないの? あたいもお腹空いてるし」
チルノは釣った魚を凍らせ、また池に糸を垂らした。
実々美は落ち着かない様子のまま竿を上げ、魚に逃げられる。
「ミズチは無敵です、蜃気楼を纏ってしまえば誰も本体を捉える事は出来ません」
「ふ〜ん……蜃気楼ってそんなにすごいのか?」
「蜃気楼自体は自然現象ですけど……それを操るミズチの実力は恐ろしいものです」
「どんな風に恐ろしいんだ?」
実々美は少し黙り、ゆっくりと口を開く。
「外の世界で、奴は絶対的な権力者でした。古では龍として存在し、現代では蜃気楼の妖怪として存在しています。基本的に強者はプライドが強く、今では大半の龍は信仰心不足で力を失いました。それでもミズチは、自分の名を変え蜃気楼の妖怪として力を持ち続けたんです」
「……それで?」
「現代の妖怪達の重鎮、ほぼトップに立っています。さらに土地神などになり安定した信仰心を受け取ろうとせず、夏と共に世界を周り力を持ち続けています」
「へ〜……どうして夏と一緒に世界を回るんだ?」
「蜃気楼は簡単に説明すると、温度の違う二つの空気がぶつかる事で発生する光の屈折現象です。だから気温差の出来やすい夏と一緒に行動するんです」
「ふ〜ん、温度差ねぇ……」
チルノはつまらなさそうにあくびをし、釣竿を上げる。
魚はかかっていない事を確認し、もう一度池に糸を垂らした。
「最も警戒すべきミズチの恐ろしい所は、必要とあらば手段を選ばない所です」
「どんな風にだ?」
「時には自分を浅ましく見せて油断を誘ったり、大嘘をついて物事をスムーズに進めたり。龍や力を持つ妖怪は信仰心を糧にして生きているので、そんな行動を取れば信仰心が傷付き力を失います。ですがミズチは信仰心に頼っていないからこそ、そんな芸当を可能としています」
「とんでもない嘘つきって事なんだな……ふぁ……ぁぁ」
チルノは眠そうに目を擦りながら、小さくあくびをした。
実々美は池から釣竿を上げ、自分の側に置く。そして膝を抱え、月の映る池をじっと見つめた。
「今やこの幻想郷は蜃気楼が発生するには絶好の条件が整っています。もう……負けているのかもしれません」
「い〜や、そんな事はない」
「どうしてそんな事が言えるんですか……?」
チルノは釣竿を地面に投げ捨て、凍った魚を両手に抱える。
実々美も渋々立ち上がり、チルノが持てなかった魚を持ってかまくらに戻る道を行く。
「お前も外の世界から来たんだよな? この幻想郷をどれだけ知っている?」
「……一応、基本的な事は諜報部が調べ上げています」
「あたいの事は知っていたか?」
「いえ……妖精がいるって事くらいしか」
「なら大丈夫だ。この幻想郷には強い奴がたくさんいるからな」
チルノはそこで足を止め、満面の笑みで振り返った。
しかし実々美は立ち止まり、凍った魚を地面に叩きつけた。凍った魚が割れ、バラバラに散らばる。
その手は震えながらも、槍を持ってチルノに向ける。
「し、死にたくありません。この決死の反旗が失敗すれば私はただの反逆者。失敗すればきっと同士達に殺されて、リスポーンしても何度も何度も殺される未来しか待っていない……そんな未来は、嫌だ」
「そうならない為にあたいを頼った、そうだろ?」
「でも……ミズチに勝てる保証がないッ! それならいっそここで……戻った方がいいんじゃないかって……」
「……それをやればお前はもう、二度と胸を張って前を見れなくなる」
実々美はハッとした顔でチルノの目を見る。
チルノはじっと動かず、ただ槍を喉元に突きつけられている。
「……私は最初っから、自分の事しか考えていません。最初逃げ出したのも、結局は自分が嫌な気持ちになりたくないから! 誰からも恨みを買いたくないから! 上から偉そうに命令されて、最前線のクソ任務をやるのも嫌だ! 何もかも嫌だ! もう……もう何もしたくない、何も考えたくない……ただ安心出来る場所で、故郷みたいな場所で静かに過ごしたい……」
「そうか、でもお前は戦わなくちゃならない。戦わない者には何も与えられない。何も掴めない。何も選べない」
チルノは実々美の持つ槍を握りしめる。
「来い、舎弟に胸を貸してやるよ」
「ッ! 舐めてッ!」
実々美が槍を押してチルノの手を切り裂こうとするが、槍はビクともしない。
慌てて槍を引こうとするが、槍はやはり動かない。
「遠慮するなよ」
「くっ!」
実々美は槍を手放そうとするが、自分の手が槍から離れない事に気付く。
チルノが槍から手を離すと同時に、実々美の手から槍は離れて地面に落ちる。
実々美は自分の指を確かめると、槍と触れていた部分の手の皮が剥がれていた。
「痛覚すら凍る一瞬の極低温だ。さ、やろうか」
チルノが静かに構える。眠そうに閉じかかった瞼は月の薄明かりを受け、黒く濁った様に見える。
実々美は手袋を装着し、槍を拾い上げる。その一瞬チルノを見失った瞬間、チルノは姿を消した。
「ど、どこに!?」
「後ろ後ろ」
「はっ!」
実々美は振り向きざまに槍を振るが、しゃがみ込んでいたチルノには当たらない。
チルノは立ち上がると同時に実々美の顎を掌底で打ち抜く。
地面から数センチ浮き上がった実々美の首元を掴み、地面に着地する前に投げ飛ばす。
実々美は木に叩きつけられ、肺が潰れて一瞬呼吸が止まる。
二人の間に、弾幕勝負をするに最適な距離が出来た。
「先に撃っていいぜ、あたいが完封してやる」
「クソッ! 【槍符『絶叫槍衾』】!」
実々美がスペルカードを発動すると同時に、叫び声を上げる。
叫び声からは槍の様に尖った長い弾幕が一斉に現れ、タイミングをずらしてチルノに向かっていく。
チルノは槍衾の様な弾幕の隙間を歩きながら避け、実々美との距離を詰めていく。
「なんで……っ! なんでぇッ!」
弾幕は密度が濃くなるが、チルノは相変わらずただ歩いて避け続ける。
そしてチルノは実々美の目の前で立ち止まり、実々美に向かって手を突き出す。
「【氷符『アイシクルフォール』】!」
「うっ! ……?」
思わず瞑った目を、実々美はゆっくりと開く。
氷の弾幕はチルノの正面にいる実々美の横を素通りし、背後の森を凍らせていた。
「不戦勝であたいの勝ちだな」
「不戦勝……? 私は助けてくれたあなたに槍を向けてしまった……もう私に助けてもらう権利はありません」
「いいや、お前は攻撃しなかった。だからあたいの不戦勝だ」
「槍を向けた、スペルカードを放った……だから私は」
「あんなものは攻撃のうちに入らない、だからあたいの不戦勝だ。さ、帰って魚食って寝るぞ!」
チルノは地面に置いていた凍った魚を拾い上げ、実々美に持たせる。
そして少し強めに実々美の背中を叩いた。
「それに、舎弟くらい守ってやるさ。必ずな」
実々美はボロボロと溢れる涙を止めようとしたが、両手が凍った魚で塞がっているから何も出来ない。
チルノは一度も振り返らず、ゆっくりとした足取りで実々美と共にかまくらに戻った。
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かまくらで一夜を過ごしたチルノと実々美は、幻想郷中を飛び回っていた。
蝉の声は一つも聞こえてこない。
「誰もいないな」
「ここには拠点が設置されていたはずです。でも、跡形もないなんて……」
森の中のボロ小屋を見回しながら、実々美は呟く。
チルノは小屋の周囲を見回すが、他の実々美の姿は見えない。
「どう思う、実々美」
「……恐らく総力戦を仕掛ける為、出撃の準備を整えて隠れ潜んでいるのでしょうか」
「なるほどなぁ」
「でも切れ者のミズチがそんなリスクのある戦法を取るはずがない。今まで通りの消耗戦をすれば必ず勝てるのに……まるで、自ら負けようとしてるみたい」
「わざわざ負ける為に侵略戦争を仕掛けるのか? 何の為に?」
チルノは氷塊を作り出し、その上に腰掛ける。
実々美は少し考え、首を横に振った。
「まぁミズチは倒す。幻想郷は救う。それ自体に変わりはないな?」
「はい。それで全てが解決するかは分かりませんが、間違いはありません」
「よし、次はどこに向かう?」
「えっと、次は……」
実々美が顔を上げると同時に、幻想郷中から蝉の鳴き声が一斉に上がった。
空は一瞬で黒く染まり、実々美の集団が空を覆い尽くす。
「もう始まった……!」
「よし、なら早めにミズチを倒しに行くか」
「待ってください、あんまりにも数が多い……!」
実々美はしゃがみ込み、耳に両手を当てて耳を澄ます。
「……ほとんど言葉を発していない。恐らくただの蝉に妖力を注ぎ込んで形作った、急拵えの傀儡がほとんどです」
「なら脅威じゃないな」
「いえ、私達実々美は共鳴している実々美が多ければ多いほど個人の戦闘力が上がります。これほど多いと、一人一人が一国の主神ほどの強さです」
「どうすればいいんだ?」
「……そんな強さの個体を倒せるはずはありません、もうミズチを直接倒すしか」
実々美が絶望した表情を浮かべながら、空を茫然と見上げる。
チルノも同じ様に空を見上げ、小さな笑い声を上げる。
「あれを見てみろ」
チルノが指を刺す。
その先では実々美達が球体を作っている。
その球体からはボロボロとやられた実々美達が、雨の様に落下している。
「そんな……戦えているのですか!?」
「言ったろ? 幻想郷には強い奴がいっぱいいるって」
チルノは飛び上がり、自分の周囲に氷のファンネルを展開する。
「そして何より、最強のあたいがいる! さぁ異変を終わらせに行くぞ、実々美!」