病める時もすこや物語   作:足洗

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彼女は素敵な王子様

 

 

 

 己にとってホワイトデーとかいうものが他人事のイベントから事務稼働日になってしまったのは間違いなく彼女の所為だ。

 机上にはラッピングされた菓子の箱が数十。いずれも高級洋菓子和菓子の類。

 俺は今それらに封入するメッセージカードの代筆をしていた。

 彼女が受けたバレンタインのプレゼント、その返礼品の数々に、である。

 

「仕方ないじゃないか。僕の筆跡を真似るのが一番巧いのは君なんだから」

 

 彼女は何故か無闇に嬉しそうな顔でそう言った。

 精巧なビスク人形のような美貌。嫌味なほどショートの金髪が似合う。

 切れ長の目。長い睫毛に柳眉。

 淡い色の唇。

 それらを載せた完璧な輪郭線。

 学園の人間は一様に彼女を王子様と呼んだ。

 

 眉目秀麗、文武両道、人柄快ろしく家柄も貴い。

 元華族だか財閥だか。現代日本を代表する巨大グループの総帥の家系に在り、彼女自身学生の身で起業し億を下らない年商を得ている。

 辞書で完璧超人の項目を引けば彼女の名が記されているだろうと誰もが冗談めかしながら疑わない。

 そんな人物ゆえファンが多い。

 男女、とりわけ女生徒からの滅法膨大な支持。

 

 バレンタインの時はそれはもう凄まじかった。

 トラックの荷台一杯分ものチョコやら菓子やら花やら。バブル期のアイドルの如き豪快な人気。

 実際、彼女は自社アパレルのモデルを務めてもいる。

 大手芸能プロからのスカウトも数多あるとか。大成するだろうにと俺などは無責任に思うが。

 

「だって君との時間が減ってしまうだろう?」

 

 こんな歯の浮くような台詞を臆面も欠片の躊躇も含めず、この麗人は吐けるから質が悪い。

 己も馴れたもので今ではそれを適当にあしらえるまでになった。

 絶世の某である彼女と、凡夫たる我が身。それが現在のような友人関係に陥っている奇縁に感慨を馳せる。

 

「なんだよ爺臭い。そんなだから君、周りの奴らに僕の()()()なんて呼ばれるんだぜ」

 

 どこを取っても一般庶民の俺は、しかし幼い頃とある社交パーティーに参加したことがある。

 それは系列会社一同を対象にした、まあ親睦会といった体の間口の広い集まりではあったのだが。

 孫会社のさらに遠縁くらいに縁の薄い小会社に勤めていた父親も一体何の計らいか招待を受け、何故か俺もその同行を許された。

 

 豪奢なシャンデリアに見下ろされた赤絨毯の会場で。

 華美な衣装に負けない華麗な顔立ちをした可憐な少女は、それら全てを台無しにするような仏頂面をしていた。

 ここにいることが我慢ならないと言わんばかりの不機嫌オーラ。

 何がそんなに気に入らないのだと、俺は尋ねたように思う。

 己もなかなかどうしてずけずけとしたガキだった。

 

 その時の邂逅が現在まで尾を引いて、こうしてゴーストライターを任されるまでになったのだからまったく人生は数奇だ。

 

「直筆の方が心が感じられるだろ」

 

 空教室の窓辺で片膝を抱え流し目にこちらを見ながら少女は微笑む。その心とやらを他人に委託しておいてこの言い草である。

 彼女に付き纏うこうした有名税の整理や処理に、税理士の如く付き合うのも腐れ縁の為せる業だ。

 

 腰巾着、コバンザメ、虎の威を借る等。

 口さがない揶揄だか嫉妬だかを未だ陰に日向に吐かれることもある。

 半ばほど事実であるから、反論は浮かばぬし今更気にもならない。

 

「雑音は無視しなよ、くだらない。見る目も頭も足りない下衆の戯言さ」

 

 それは、この友人が殊の外語気を強め宥めてくれるからでもある。

 

 外面の良い身内贔屓の貴公子殿は言わずもがな多忙だった。

 勉学という学生の本分は無論、若き起業家としての職責、そして大挙するファンへの対応。

 彼女には当然ながら専業のマネージャーが付いている。

 ならば本来己の出る幕などありはしない。

 しかし。

 

「……君がいなきゃ意味がないだろ」

 

 いつもいつも王子様は悲しげに、不貞腐れてそう言うのだ。

 

 斯くして美しい獅子と彼女に纏わり付く一匹の鼠という構図が完成した。

 下校を出待ちする黒山のファンをスタッフと共に制し送迎車でその日のスケジューリングを詰め撮影に会議に会食に企業人向け講演の準備等々。

 時折俺は何をやっているんだろうかと正気に戻ることもあるが。

 

「今晩はパスタがいいな!」

 

 キャスケットとサングラスで申し訳程度の変装をしたところで到底隠しきれない華。

 街路の只中、こちらを向く笑顔の無邪気さが。

 あどけなさが。

 いろいろと、忘れさせる。

 まあ彼女に飽きて捨てられるまでは精々下支えに精励しよう。

 そんな風に思わせる。

 こんなだから爺やだの執事だの外野から好き勝手呼ばわれるのだ。

 そういう自覚は、あるのだが。

 

「……不満、なのかい」

 

 隣に並んだ途端彼女は問うた。

 それが平素通りの自信に満ち溢れた声音であったら皮肉の一つも返せたろう。

 それがあまりにも恐々と儚い囁きなものだから。

 光り輝くような横顔に、在りし日の幼い面影を見た。だから俺は。

 不満でないことが不満だ、と。

 そう強がりめいたことを宣うと彼女は。

 ふわりと柔く微笑むのだ。

 

 現代の貴人の如き非現実的な彼女の周辺で、地味で所帯染みた事務手続きを淡々と処理する日々。

 そう悪くはない。

 それを代わり映えしないと言うのも妙な話だが。

 斯くも平らかな日常にしかし突如。

 変化はあった。

 

「これ、受け取ってください!」

 

 己を玄関脇に呼び出したその少女は、タイの色を見るに一学年下の後輩らしい。女生徒はさながら決死の様相でそれを差し出した。

 白い紙袋。金色の刺繍で施されたロゴには見覚えがある。

 なるほど。委細を了解した俺の第一声は。

 

 ──大変申し訳ありませんがプレゼント等の手渡しはご遠慮頂いております

 

 だった。

 彼女に届く手紙、贈物類は膨大極まる

 それらをファン一人一人手ずから受け取っていては日が暮れて朝が来てまた暮れるだろう。

 こちらの無味乾燥な応答に、しかして女生徒はめげなかった。

 というより。

 

「ち、違います。先輩に! です」

 

 恥じらいながら彼女は言い募った。

 自らの意図を正しつつも、震える両手は小振りな手提げの紙袋をなおも捧げ持っている

 俺はといえば、無様に虚を衝かれていた。

 まるで考えていなかったのだ。考える必要のないことだからだ。

 かの美しい姫王子ではなく、己に?

 それは、いっそ不可解でさえあった。

 

 まず真っ先に疑ったのは擬装である。

 彼女との接点を得る為にその近習に近付き足掛かりにする。

 そうした輩は過去にもあった。

 彼女が代表取締を勤める社の法務部と協力し、己自身が水際として対処した案件も一つや二つではない。

 その成果あってか、近頃ではこうした直接的アプローチは大幅に減少した。

 閑話休題。

 相対する彼女に、果たして硬軟いずれの対応をすべきか思案する。

 

 実に、無礼極まりない。

 俺は端から目の前の人を信用していないのだ。

 後輩の娘は見るからに緊張した面持ちで言葉を探し探し。

 そうして探しあぐねたか。

 

「ほ、本当はバレンタインに渡したかったんですけど先輩いつも忙しそうだし、チョコも結局売り物のやつだし、でも、だから────賞味期限は大丈夫です!」

 

 赤面して目に涙まで溜めて絞り出された言葉は、ひどく庶民的だった。

 久しく覚えぬ馴染み深さ。どうも毒気を抜かれる。

 真偽や思惑は後々吟味するとしよう。

 俺は一先ず差し出されたチョコを受け取った。

 仮令、中に危険物があろうと彼女に渡らなければそれでいい。

 依然として不躾極まる俺の内心など知る由もないだろう。

 目前の女生徒は、嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 紙袋の中には包装された小箱が納まっている。そして結ばれたリボンにカードが添えられていた。

 受け取ってくれたことへの礼とメッセージアプリのIDが記載されている。

 さっと検めたところ、剃刀や盗聴盗撮器の類は見当たらない。一応法務に照会を依頼はするつもりだが。

 嘘や、少なくとも悪意は持たれていないらしい。

 となるとむしろ一層対応に困る。

 

 極めて個人的な問題だ。

 であれば彼女には伏せておくべきか。

 幸い下校時刻の玄関に人気はない。

 一人思索に耽りながらとりあえず鞄に紙袋を仕舞った。

 

「素直に喜びなよ。せっかくの厚意なのに」

 

 背後、至近、それこそ項に吐息が触れるほどの距離。

 退き振り返るとそこには。

 美麗に過ぎる白面がにやにやと己を見ていた。

 

 出歯亀か。

 驚かされたことへの抗議も込めて俺は努めて非難がましくそう言った。

 美青年の容貌は変わらず笑み。

 変わらない……筈なのだが。

 それは妖しく艶やかに色を変じた、ような気がする。

 俺は苦笑した。

 咎められる謂れもない癖に何故か怯みを覚える自分を。

 何故か、俺は後ろめたかったのだ。

 

「帰りが遅いから来てみれば面白い場面に遭遇してしまったよ。それで?どうするんだい」

 

 そのまま送迎車を待たせてある裏門への道すがら。

 出歯亀の謗りにむしろ乗っかるようにして彼女は殊更にずけずけと言った。

 

「僕が指南を授けてあげようか。君は女の子の扱いなんて知らないものな」

 

 事実にしてもまた、酷い言われ様だ。

 とはいえ厚意には厚意で報いたい。

 返礼に何か送るか、食事にでも誘うか。

 愛嬌のない己の返答に呆れてか、彼女は一瞬無言になる。

 

「……そう。相談ならいつでも乗るよ。なに君と僕の仲だ。面白い報告を期待してる」

 

 報告義務があるのか?

 思いがけず寄越された彼女の冗句に俺は笑った。

 彼女は口許を歪めて、笑み、のようなものを浮かべた。

 

 

 

 

 

 スカートとかいうものが私はどうにも苦手だった。

 別にそれは私の性自認が男で女装を好まないからとか実は男装趣味だとかそんなややこしい話ではなく。

 いや、ややこしい話ではあるのか。

 私がスカートを穿かなければならない時は大抵自由を奪われる時だ。

 父や母に、社交界なんて恥ずべき集会に連れ出される時だ。

 

 祖父の代で最盛期を迎えた財と権力。

 大仰な家柄。

 旧弊的価値観に基づき私には令嬢たらん振る舞いが求められた。

 絵に描いたような富豪の旧家の、お嬢様。

 窮屈だったし、意義もなく時代遅れだと思った。

 物心つく頃にはすっかりと、反骨心が服を着たような小生意気な子供ができあがった。

 私はスカートが嫌いになった。父母が求める淑やかな女性像の、それは象形だ。

 

 一人称を“僕”に変えたのは、娘の言葉を頭ごなしに否定しかしない両親への当て付けだ。

 貴方達の血を引く子供は順調に精神を歪ませているぞ、という脅しでもある。

 本当に可愛くない。

 今ならあの人達に同情の一つも覚える。

 僕がそう思えるようになったのは、幾度目かも忘れた社交パーティーで。

 彼と出逢った所為だ。

 

 華美なドレス姿で仏頂面の僕に彼は「何故なのか」と率直な疑問をぶつけた。

 周囲に歳の近い子供はおらず傅く大人達は総帥の孫を畏れてか僕におべっかを言っても会話をしてくれることはない。

 彼はその点相当な変わり者だった。

 僕と同じ子供らしくない子供。

 大人びているというよりひどく爺臭い。

 よく言われる、と彼は笑った。

 

 スカートが気に食わない、と私は彼に愚痴った。

 彼は暫時考えてから何やら了解して、僕を会場から連れ出した。

 ホテルのロビーの奥。STAFFONLYの表札を無視してさらに奥。

 そこは貸衣装部屋だった。

 彼はクロークから多種多様なパンツを引っ張り出して机上に並べていく。

 そうして僕にさあ選べと言う。

 僕は、なんだか無性に楽しくなった。

 

 それは彼と僕、二人だけのファッションショーだった。

 煌びやかなばかりのドレスを脱ぎ捨てて取っ替え引っ替え衣装を身に纏っていく。

 思えば彼に躊躇なく半裸を晒していた訳だが僕は気にも留めなかった。

 彼の方も僕の七変化を褒めたり品評したり拍手したりで忙しそうだったし。

 僕は彼の言葉に一々嬉しくなった。

 ただただ楽しかったんだ。

 

 原体験というなら、それこそが今の僕の有様を形成した要因だ。

 飾り、気取り、磨き、魅せる。

 そうした行為に喜びなり意義なりを見出だしたのは。

 王子様なんて、真面目に名乗るのも恥ずかしい渾名を受け入れたのは。

 彼が。

 今隣にいる君が、褒めてくれたからだ。

 僕は、君がカッコいいと言ってくれた僕になる。

 そう在り続ける。

 

 起業したりアイドルの真似事をしたり忙しない数年間だったが、それを厭わしく思ったことは一度もない。

 世話焼きな君がいつ何時も側にいてくれたからだ。

 僕の綺麗な外面も、幼稚な内面も知る君が。

 僕を褒めて、僕を叱って、僕を支えて、僕を見てくれたから。

 富や名声はその副産物に過ぎない。

 僕の幸福は一つ。

 君だ。

 

 君が僕を認めてくれるという一事。

 それだけで何でもこなせた。

 そしてこれからも、僕はそうするだろう。

 幾らでも高みへ至れる。

 君さえいれば。

 だから。

 

「やあ、お嬢さん」

 

 その女生徒は僕の姿を見て目を丸め、笑い掛けるだけで赤面した。

 

「お話しようよ。カフェでいいかな」

 

 なんだ。

 簡単に付いてくるじゃないか。

 

 

 

 

 

「いやぁ残念だったね。まあ縁がなかったんだろう」

 

 オフィスの個人ルーム。

 デスクで資料に向かう背中を叩く。

 彼は一瞬怪訝そうな顔をして、すぐに言葉の意味を察した。

 今度は打って変わってわざとらしい不満顔を浮かべて。

 

「女心は変わり易い。それを可愛いと思えなきゃね」

 

 王子様のご高説実に有り難い限り、と彼は嫌味を言った。

 僕は笑う。

 

 こうした遣り取りは前にもあった。

 一度や二度じゃない。

 彼は常々自己を過小評価するが彼に近付こうとする女は少なくない。

 体よく僕への伝手に使おうという輩はまあいい。

 排撃すればよいのだから。

 問題は本心ですり寄ってくる女だ。

 同年代の女子、あるいは女性社員が何を勘違いしたのか彼にアプローチを試みた。

 

 権力(パワー)に物言わせて何処ぞへ追い払うのは容易いが、彼にそれを知られるのは嫌だった。

 それは見栄で、僕の弱味だ。

 彼にはいい格好がしたい。

 彼にとっての良い子でいたい。

 僕の一生治らないだろう稚気。

 僕が女の扱いを覚えたのはその為だ。

 彼に近寄る女は皆僕に夢中にさせた。

 難しくはない。

 僕にはその程度の魔力がある。

 

 彼が褒めてくれる僕、彼がカッコいいと言ってくれた私。

 理想の“僕”になる為に私は僕を演じ続ける。虚飾と言いたければ言うがいい。愚劣な虚栄と笑わば笑え。

 それでも僕は、君に、君の言葉に、ずっと、ずっと、ずっと飢えている。

 

 

 

 

「残念会兼祝賀会と行こう。独り身の有能な相棒が僕の手許から離れずに済んだ、ね」

 

 キーボードを走っていた指が止まる。

 それに少しだけ、焦る。

 ささやかな願望の吐露すら未だ怖れる愚かな僕を。

 君は知る由も。

 知る筈も、ない、筈だ。

 そうして君は静かな声で。

 

 ──俺は離れるつもりはない。お前が俺を望んでくれる限りは

 

 微か、息を呑む。

 気付かれないように。

 

「そ、うかい。なら僕ももっとカッコよくならなきゃ。君に見限られないよう……」

 

 彼は依然として画面を見詰めたまま。

 

 ──出逢った時から……お前はずっとカッコいいよ。ズボンでも、スカートを穿いていても、それは変わらない

 

 変わらない、と彼は繰り返した。

 まるでぐずる子供をあやすように柔く、優しく。

 今度こそ僕は言葉を失くす。

 

 お見通しだったのかな。

 僕のこの、卑しい不安も。

 願いも。

 あるいはそんなもの君は知ったことじゃなくて。

 ただ僕を。

 僕のこと。

 王子様なんて呼ばれて女の子を片手間で骨抜きにする癖に。

 僕はまだそれを問う勇気を持たない。

 今はまだ。

 どうかもう少し。

 君とのこの距離を。

 背中越しにしか触れられないこのもどかしさを。

 シャツの奥、指先から伝う固く分厚い背筋と背骨の感触。自分にはない、どうしようもないこの差異に、僕は吐息する。

 

 

 君は僕のだ。

 君のこの背中も、君のその声も、君からの視線も。

 僕だけのものだ。

 誰にも渡したくない。

 渡さない。渡すものか。

 そして、いつか。いつかは。

 カッコよくない僕を見てもらおう。

 その時はスカートを穿いて、君の腕を取りながら、その隣に寄り添って同じ(ロード)を歩いてもいい。

 今ならあれも……そんなに悪くない気がするから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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