病める時もすこや物語   作:足洗

14 / 36
お前……だったのかよ

 

 

 甚だ失礼な話だが。

 そのバーを気に入ったのはいつ訪れても流行っていないからだ。

 どの席でも気兼ね無く選んで座れる。

 指定席気取りでカウンターの隅を占領してロックグラスを嘗めていると、背後でドアベルが鳴った。

 果たして待ち人と呼んでよいものか。こちらが一方的に待ち受けているだけなのだ。

 俺がこの店に通う最たる理由は、どちらかと言えば“彼”にあった。

 

 呼び掛けるまでもなく彼は俺の隣のスツールに腰掛けて、至極無遠慮にこちらのグラスの中身を覗く。

 

「ふふ、またスコッチ? マスター、オレにも同じのを」

 

 造形美極まる白い細面にマッシュの黒髪が嫌味なほどよく似合う。

 すらりと長い手足。

 雑に袖を捲ったYシャツ。タイトなパンツをベルトではなくサスペンダーで留めている。

 海外発行の気取ったファッション誌で何の違和感もなく表紙を飾れそうな美青年。

 この店の常連で、いつの間にか俺達は友人になっていた。

 彼との埒もない語らいがここ最近の数少ない俺の楽しみであり憩いなのだ。

 

「今夜も一段と疲れた顔してるよ。キツいのばっかり飲むから」

 

 頬杖をついて流し目が横顔を擽る。なにやら世話焼きな口振りに、今日初めて安らぎめいたものを覚えた。

 それを覚られぬよう適当な強がりを吐く。社会人の癖に大学生に情けない姿を晒すのは気が引けた。

 ……いや、もうとっくに手遅れなのだろう。

 思い返せば初対面の際にも深酒を指摘されたのだったか。

 あの日も今夜のようにひどく滅入っていた。なんだ、醜態というならその時既に見付かってしまっているではないか。

 

「相変わらずか。その、今日はどんな?」

 

 気遣わしげな言葉選びに暖かみを覚える。

 ストーカー被害の愚痴なんて胸の悪くなる話を、それでも親身に傾聴してくれるのだから。

 信頼できる友人の存在には深く感謝が湧く。

 

 数年、俺は何者かに付き纏われてきた。

 住所を変え警察にも相談したが一向にそのストーカーが諦める様子はない。

 毎日の無言電話、ポストに直接投函された消印のない手紙、外を出歩けば四六時中自分の後を尾ける誰かの気配。

 ある時など自宅のドアノブに長い黒髪の束で蝶々結びがされていた。

 犯人はどうやら女であるらしい。

 髪の長さで決め付けているんじゃない。確証になったのは、例によって投函されていた手紙とは別に、その日は紙袋がポストに詰め込まれていた。恐る恐る確認した中身はビニールで包まれた赤い塊で。それは────ナプキンに収まった経血だった。

 そう長くもない人生経験で嘗てない怖気を味わった。

 当時付き合っていた彼女も怖くなったのか、それから程なくして連絡が付かなくなった。

 一人で自宅に居ることに耐えられず酒場を転々とするようになり、ようやく見付けた安住の地がここなのだ。

 

 好きな映画や読書の傾向、休日の過ごし方等、趣味嗜好が随分似通っていたことも手伝って俺達はすぐ意気投合した。

 俺の他愛のない話に殊の外彼は興味を示してくれる。バイトで家庭教師をしていた頃の生徒とのエピソードなど然して面白いとも思えないが、彼はそうした類の話を好んだ。

 バーに顔を出せば大抵彼は後からやって来る。

 客足の絶えた酒場で、聞き上手な青年に慰められる一時。

 大の男が情けない話だが女性恐怖症気味の今の俺にとって彼は紛れもない救いだった。

 

「頼ってくれるとオレも嬉しい」

 

 柔らかな笑みに包み込まれるような心地がした。

 その中性的な綺麗な顔にうっかり見蕩れそうになる。

 

「憂さ晴らしにはこれが一番だ。奢るよ」

 

 空のグラスが下げられ、新しいカクテルがテーブルを滑り眼下に差し出される。

 彼が折角頼んでくれたのだからと俺はそれを一気に呷った。

 

「あははっ、いいね。今夜は思う存分飲もう」

 

 甘すぎずすっきりとして後味も嫌味がない。旨い。これならいくらでもいけそうだ。

 勧められ煽てられるままこれが何杯目なのかも忘れて。

 忘れて。

 意識は陸上で溺れ沈む。

 ふと気付くと、ゆらゆら道を歩いていた。

 ネオンが眩しい。

 いつ店を出たんだったか。

 ここはどこだ。

 薄暗い部屋。派手な内装。鏡張りの天井。

 ベッドに寝ている。

 綺麗な顔がこっちを見下ろして。

 微笑む。

 Yシャツのボタンが一つまた一つ外れて。

 桜色の肌。

 体に圧し掛かる柔い重み。

 唇に触れる。

 首筋を吸われる。

 びりびりと刺激が。

 揺れる。

 粘る。

 

 

 

 

 目覚めてすぐ、頭痛と吐気に呻いた。

 固いマットレス、わざとらしく軋むスプリング、シーツまでも固い。

 ただ腕に絡むものだけが柔らかだった。

 吸い付くような肌触り。

 肌。

 肉。

 俺はすぐに傍らを見やる。

 マッシュの黒髪が汗でしんなりと白い頬に張り付いて。

 艶っぽい眼差しがじっとこちらを見詰めている。

 そして彼は────“彼女”は妖しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 この容姿のお陰で高校時代は散々だった。

 女子からの告白を断った途端、その取り巻きやクラスを挙げて虐めが始まった。

 順当に登校拒否して、そろそろ高卒認定でも取ろうかと思い始めた頃、貴方が、家庭教師として私の所に来てくれた。

 ほんの一年弱ほどの逢瀬。

 それでもあの時間が、貴方と過ごす一時が、私にとってどれほど救いだったか。

 私は貴方に恋をした。

 

 でも…………当時既に、貴方の隣には女がいた。

 許せる筈がない。

 それまでは気取られぬよう行っていた監視や採集をなるべく露骨に大胆に見せ付けるようにした。

 女にはただ冷えた悪意を。

 貴方には狂おしいこの執着を匂わせた。

 案の定、女はすぐに追い払えた。所詮その程度の薄い情だったのだ。

 害虫駆除を完遂したような清々しい心地だった。

 

 その時にはもうすっかり疑心暗鬼になっていた貴方に近付く為に、男装を覚えた。

 メイクで輪郭や鼻筋や目の造りを擬装し食事制限とトレーニングで体型も変えた。

 長かった髪はばっさり切り落として残らず貴方に捧げた。

 憔悴した貴方を男友達として優しく優しく慰めた。

 徐々に心を許して信頼を寄せてくれる貴方は愛おしかった。

 時々泣きそうな顔でそれでも強がる貴方は堪らなく可愛かった。

 

 “オレ”の勧めるお酒を疑いもせず次から次へと飲み干して前後不覚になった貴方をホテルに連れ込み、ベッドの上で貪った。

 この世のものとは思えない法悦を味わった。

 生まれてきてよかった。貴方に出会えて本当によかった。

 “オレ”が女だったことに驚いて“私”だってことに貴方はまだ気付かない。

 もし仮に貴方が“オレ”の正体に思い至ったとしてももう遅い。

 情事は全て記録し複製も済んでいる。

 絶対に逃がさない。

 

 ────お前、女だったのかよ……!?

 

 そうだよ。

 “私”はずっと前から貴方の女だったの。

 そしてこれからもずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと貴方は“オレ”だけのものなんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。