病める時もすこや物語 作:足洗
神社の境内で遊んだ子。
白い髪で、白い着物、顔も肌も白かった。
けれど唇の綺麗な赤がひどく印象に残っている。
綺麗な子だったと、今にして思う。
思い出と呼べるようなこともない。一緒に遊んで、一緒に笑った。
夏の日のうだるような陽射しの中で。
秋の紅葉の敷き積もる林で。
冬の雪の白を身に纏って。
ただ、楽しかった。
春の木漏れ日の下で別れを告げた。
父がいなくなって家にいられなくなったのだ。他所に引っ越さなければいけない。
なんでもない風を装ってそう言うと、ひどく悲しい顔をしてさめざめと彼女は泣いた。
それが辛くて俺はただ地面を見た。
喉をしゃくる声を何度か聞いた後、彼女は俺に髪を一房手渡してきた。
お守り、と。
浮気だったらしい。
酒に酔った母は
父に似てきた。そう言って俺を殴り付け、床に転がる俺を見ては泣き始める。
ごめん、ごめんなさい、と謝罪を繰り返すこともあれば、あんたさえいなければ私は自由なのに、とひどく当たり散らされることもあった。
そんな母を俺は……可哀想だと思った。
長袖くらいでは生傷が隠しきれなくなった頃。
アパートの居間の梁に────母がぶら下がっていた。
母の足を抱え、冷たい重みを胸で持ち上げる。
命一つ分軽い筈の肉の塊はひどく重くて。
重くて。
重くて。
母もまた俺を置いて逝った。
母は父の借金を肩代わりしていた。
自動的にそれは俺の両肩に圧しかかってきた。
闇金というものは相手が未成年だろうが容赦しない。昼も夜も関係なしにアパートのドアを叩かれ蹴られ、罵倒された。
程なく、俺の住処は施設に移ったが取り立ての様子はあまり変わらなかった。
変化があったのは俺が十五になった頃。
あれほど執拗だったヤクザの嫌がらせがある日ぴたりと止んだ。
登下校の時さえ付きまとっていた男達の影が跡形もなく消えてしまった。
路地の暗がりに怯えて走った帰り道が様変わりした日。
「もう大丈夫」
暗がりからそんな声がした。
「もう少し」
懐かしい声がした。
「約束」
いつか誰かと交わしたような。
身無し子だからと俺を突き飛ばした彼。
古着の制服を汚いとからかった彼女。
親がいない子供はやっぱりどこかおかしいんだと笑った先生。
次の日には皆、消えた。
行方知れずになった。
警察が学校に押し掛け、児童も教師も関わり無くあれこれと聞き回った。
しかし、彼らが見付かることは決してなかった。
高校を卒業して働き始めた。
生活を送るだけで精一杯の日々。
独りで過ごす人生。
静かで無味乾燥で、あまり意義のようなものは感じなかった。
このまま無意味に死んでいくのだろうとぼんやり考え、身の回りの整理に気を遣うだけの毎日。
一人の女性と出会った。
職場の同僚で愛想のない自分とも根気よく付き合ってくれる良い人だ。
自然と惹かれていった。
付き合いが始まり、男女の仲になり、次第にこの人を伴侶にしたいと考えるようになった。
彼女は俺の生い立ちを知っても構わないと言ってくれた。
孤独な人生に初めて幸福を見付けた気がした。
指輪を手に帰路を歩く。
告白の言葉を考えながら自宅の扉を開く。そこに。
────縊られた彼女が吊られていた。
白く綺麗な髪、白く滑らかな蛇体。
赤い唇から細い舌が伸びる。
「あんなに尽くしたのに」
白く美しい化物は泣きながら叫んだ。
「あんなに守ったのに」
彼女の死骸を尾の先に吊るして泣いた。鳴いた。
「あんなに殺したのに」
お守り。
財布に入れっぱなしにしていたひなびた髪の束の意味を、今ようやく思い出した。
つまるところ俺は、自分を憎からず想ってくれた女の子を裏切り一人幸せになろうとしたのだ。
けれどその報いを受けたのは俺ではなく、そんな事情など何一つ知らない彼女の方だった。
泣き腫らした赤い目、赤い瞳が彼女を睨め下ろしている。
罪人を見る目。
俺を見る母の目。
「お前さえ」
あんたさえいなければ私は。
そうか。
俺は得心し確信する。
いなくならなければならないのは。存在してはならなかったのは。
ラックから包丁を取り出す。
白い少女が怯えた目をする。
俺は少しだけ笑って────自分の喉にそれを突き刺した。
白蛇の女の子を、無邪気に俺を好いてくれたこの子を、それでも俺は許せない。
だがこの子は俺の被害者だ。
罪はあるが、罰を受けるべきは俺だと思う。
死ぬべきなのは。
……もっと早くにこうすべきだった。
そうすれば彼女は死なずに済んだ。
泣きじゃくるこの子は誰も殺さずにいられた。
あるいは。
あの境内でずっと、永遠に遊んであげていれば。
益体もない男が二人の女性を不幸にした。
これはただそういう胸糞の悪い話。