病める時もすこや物語   作:足洗

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逆しまに愛す

 

 

 

 

 ある日突然、世界の貞操観念が逆転した。

 自分一人を除いて。

 

 だが、そう気付いたところで自分の生活は大して変わらなかった。いや変わらない訳はないのだが……結局、一番重要な部分が変わってくれないのなら、他の様々が変わったところで意味はない、という程度の話で。

 

「おはよう。■■くん」

 

 朝、登校してすぐ。学校の廊下でその人に会えた。

 化粧気の薄い顔、白いブラウスに紺のカーディガン、きちんとアイロンがけされたスラックス、後ろで結んだ黒髪。地味で冴えない。以前より増えた男子共の彼女に対する陰口。

 そんなもの知ったことではない。

 朝日の下で見る先生はやっぱり綺麗だった。

 

「おはようございます、先生」

「いつも早いよね、■■くん。朝は強い方なの?」

 

 先生に早く会いたくて、なんて歯の浮いたセリフは流石に言えなかった。

 

「学校、好きなんで」

「えぇ普通は授業だるいーとか言うもんじゃない?」

「先生の授業は俺、好きっすよ」

「えっ、そ、そう……なら、嬉しいな」

 

 先生の照れた顔を見て、自分の方こそ顔が赤くなるのを感じた。

 こそばゆくて、落ち着かない。けれど少し調子づいて。

 

「今日の一限、視聴覚室だったっすよね? 俺、なんか手伝いますよ」

「え、悪いよそんな」

「大丈夫ですって」

「……そっか。じゃあ、お願いしようかな」

「はい! なんでも──」

 

「■■!」

 

 続く言葉は背中にかかるその声に遮られた。

 

「おはよ!相変わらず来るの早すぎ、お前」

 

 明るい髪色が光を発しているようだ。

 ショートの髪からピアスをした耳が覗く。今日もネクタイはなく、シャツの前ボタンは四つまではだけて胸の谷間をさらしてる。

 いつも通りだらしない幼馴染の少女。

 

「……先生もおはようございます」

「おはよう、○○さん。授業までに制服ちゃんとしなさいね」

「はーい。行こう、■■」

 

 幼馴染は俺の肩に手を置いて引っ張る。

 

「いや、でも俺……」

「いいよ、■■くん。ありがとう」

 

 先生は、そのまま行ってしまった。

 俺は未練がましくその後ろ姿を目で追った。

 

「……行こうよ」

「うん……で、いつまで肩抱いてんだ」

「えぇ、いいじゃん別に」

「セクハラだぞ」

「お前気にしないじゃん、そういうの」

「まあ」

 

 世界がこうなってから女子から男子へのボディータッチなんてまずなくなった。勿論友達同士仲の良し悪しもあるが女子側が気を遣ってるのがわかるのだ。

 だから幼馴染のこれはかなりのレアケースに当たる。要は男扱いされてないだけなのだろうが。

 

「…………あんなのの何がいいんだよ」

「なんか言ったか?」

「なにも」

「肩、痛ぇよ」

「痛くしてんだよ」

「やめーや」

「えへへ」

 

 幼馴染は笑った。

 けれど肩に触れる手は離れなかった。決して。

 以前はどうだったろう。

 友達関係は結構深刻だ。当然だが同性だと話が合わない。連れション長過ぎ。コスメとか知らん。欠席裁判と陰口大会は気が重くなる。

 自然女子との交遊が増える。そうすると同性はいい顔をしない。

 となるとますます女子の輪に浸かることになるのだが。

 今度は幼馴染のあいつが。

 

「お前、最近ちょっと女子と近すぎじゃね」

「えぇ? そうか?」

「そうだよ……彼女でも欲しいのかよ」

「そうじゃねぇけど」

「ならやめろよ」

「なんでだよ」

「いいから……お前には私がいるだろ」

「じゃあカラオケ奢れ。ドリンクバー付きな」

「? 別にそれくらいいいけど」

「えっいいの!?」

 

 独占欲、みたいなものが露骨に覗く。以前ならこんなことはなかった。

 友達同士でも嫉妬はある。最優先で付き合う奴。ほどほどに遊ぶ程度の奴。男女ならなおさらなのかも。

 少し強引に行動に出るようになったのは幼馴染が俺視点で男性的になったからなのか。

 俺は鈍感だった。自分で思うよりずっと。

 

 

 カラオケに男女二人きり。

 幼馴染だから、友達同士だから大丈夫。いや気にするのは向こうの方だ、なんて俺の意識は未だに更新されず以前の世界のままで。

 ソファー席の隣に座った幼馴染が妙に近いように感じた。

 歌ってる最中、手を握られた。

 

「おい、なにして──」

 

 笑って軽口を叩こうとした俺に。

 少女はキスしてきた。

 手が内股に触れる。肩を押され、ソファーに倒されそうになってようやく俺は抵抗した。

 といっても、幼馴染の体を押し返しただけだ。

 

「おい! なんで、お前」

「女とサシでカラオケとか、お前危機感なさすぎ……」

「いや友達同士なら普通に」

「そういうのが勘違いさせんだよ」

 

 覆い被さろうとする少女の体を抱き止める。観念は逆転したくせに、肉体は変わらない。

 幼馴染の体は柔らかかった。強引に押し付けられるあらゆる部位に心臓が仰天してる。

 子供をあやすように背中をぽんぽんと叩く。

 

「落ち着けって。俺が悪かった。考えなしでさ」

「はぁ、はぁ」

 

 少女の息が荒い。

 熱い。

 興奮してるんだ。

 俺に。少女が。

 剥き出しの肉欲で。

 その事実が、この状況が、頭をおかしくする。

 俺が知る、男が女に向ける露骨な性欲を今、幼馴染の少女が俺にぶつけようとしてる。

 幼馴染は俺の足に下半身を、その中心を押し付け擦り付けた。

 

「ちょちょっ、おま」

「はぁはぁはぁはぁ!」

 

 こんなの、興奮するなって方が無理だ。

 自分のモノに否応なく血が集まるのを感じた。

 

「やべ」

「へっ?あ……」

 

 ズボンを押し上げ幼馴染の腹に当たる。

 はっとして少女の目がきらりと光って見えた。そしてすぐねっとりとした笑みが俺を見上げる。

 

「なんだよ、お前も」

 

 羞恥で視界がちかちかする。

 ソファーから跳ねるように立ち上がる。テーブルに足をぶつけた。その痛みが今はありがたい。

 

「っ、ご、ごめん、私、ホントにごめん!ごめん……」

「いや大丈夫だから、俺は。マジで俺は平気」

「え、えぇ?」

 

 泣き出しそうな幼馴染の顔に慌てて弁解する。変な話、なのだろう。襲われたのは俺なのに。

 

「でも私、お前に」

「や、むしろラッキーっつうか。いや違うわ、うん。こ、光栄?申し訳ないが勝つくらいでさ」

「そ、それって」

 

 期待のこもったその目に俺は本当に申し訳ない心持ちになる。

 幼馴染が言い募るのを遮って俺は言った。

 

「ごめん、俺……好きな人がいるから」

 

 少女の顔から色が失せる。

 

「ホントごめんな……俺、帰るわ。今のこと気にしてないから……悪かったな」

「……うん」

「じゃあな。また明日な」

 

 料金を置き逃げるようにカラオケボックスを出ていく。

 本当に酷い奴だ、俺は。

 けれどどうしようもない。俺は男で幼馴染は女だけど、この世界では俺は女で幼馴染が男の立場なのだ。

 

 

 その後、何事もなかったかのように帰宅し朝を迎えまた学校へ行った。幼馴染もちゃんと登校していて安心したが会話はできなかった。なんとなく避けられてるのを感じた。

 

 

 一ヶ月、あっという間に過ぎた。

 気の置けない友人と話もできない。それが情けなくて、寂しい。

 その穴埋めを欲した訳じゃないが。

 俺は先生とよく話すようになった。以前より長く、深く……なってるかはわからないけど。

 進路相談とか試験勉強とか何かと理由をつけて、趣味が映画鑑賞だと聞き出した途端サブスクで見漁って話を合わせたり。

 好き好きアピール。露骨に、必死に。

 幸いだったのは、先生が優しかったこと。なにより。

 

「へぇ!■■くんもあの映画見たの?どうだった?」

「死ぬほど怖かったです」

「でしょ!あはは、無理して見なきゃいいのに」

「だって、先生が好きなのものは……知りたいっすから」

「そっかー……ふふ、そっか」

 

 俺の気の所為とか、都合の良い妄想じゃなければ先生は。

 

「困ったな……なんかね」

 

 西日の眩しい教室で、広げた参考書も忘れて二人で談笑にふけっている時、先生は。

 

「嬉しい……すごく。■■くんにそう言われると」

「……その、それって」

「……ごめん。違うから」

「どう、違うんすか」

「えっと……」

「俺……」

「ま、待って」

「俺、先生のこと」

「あの」

「好き、です」

 

 先生の顔が赤く見えるのは夕焼けの所為だろうか。そうでないことを祈る。

 俺は先生の手を握った。

 先生は、それを払わず受け止めて、そっと握り返してくれた。

 

「ダメ、だよ。こんなの」

「ダメっすかね」

「ダメでしょ」

「卒業してからじゃないと不味い?」

「そういう問題じゃなくて……だって」

 

 心底気後れした顔で先生は苦笑した。

 

「私みたいなおばさんに■■くんみたいな若い男の子が……やっぱりおかしいよ」

「そんなことないと思います」

 

 たとえ世界がこうでなくてもあるところにはある。ただ、俺は心のどこかで打算的だった。

 

「魅力ないですか?俺」

 

 これ見よがしにネクタイをほどく。

 先生が息を飲んだ。ついでに生唾も。

 嬉しかった。打算が確信に変わる。

 先生の目に熱っぽい光が見える。

 むしろそこには期待すら。

 自分の浅ましさを忘れて、俺は自分の奇妙な境遇に感謝した。

 

「先生」

「あ、あの、あの」

 

 先生は大人しいタイプだ。男性経験はほぼない。話していてそれがわかる。

 先生の手をはだけた胸板に滑らせる。正直これに意味があるのか自信はなかったが。

 先生の指は最初躊躇いがちに、しかしすぐ夢中になって俺の胸をまさぐった。

 荒く鼻息を吹く様が可愛くて笑う。

 

「あっ」

「やめちゃうんすか。俺、先生になら何されてもいいし、何でもしたいです」

「は、へ、あう」

 

 求められることが嬉しかった。今はただの性欲でも。それはこっちだって同じだし。

 それに。

 

「俺、真剣っすよ」

「わた、私、は」

「今はいいんです」

「え」

「今は、ただ、触れあいたいです。先生の」

 

 暴走する。俺はやはり男だ。どうしたってこの性欲って奴が理性を蹴り出してしまう。でも今は。

 目の前の好きな人もまた同じだけの欲望に溺れてくれる。

 打算だった。どこまでも打算。

 構うもんか。

 

「はあ、はあっ、んんっ!」

 

 椅子を蹴飛ばして先生が俺に飛び付く。

 それを受け止めてキスをした。

 柔らかな成人女性の体、体温、そして唇……幼馴染のより少し分厚くて、それはリップで濡れていた。

 

 

 先生と関係を持ってしばらくは有頂天な日々が続いた。倫理的に完全にアウトだがそれは時間の問題だ。

 俺は将来あの人と一緒になる気満々だしその為の努力を惜しむ気はない。

 進学し就職し共働きしながら結婚の資金を貯める。彼女が望むなら専業主夫にだってなるつもりだ。

 想像の青写真に胸が踊った。

 

 

 冷水は、突然降ってきた。

 目の前のスマホの画面。

 それを掲げる少女の口から。

 

「これ、ヤバいよな。教室で、教師と生徒がさ」

「──」

 

 幼馴染は終始無表情だった。まだしも軽蔑してくれた方が心持ちは定まったろう。

 先生と夢中で行為に及ぶ自分の姿は、まるで覚えたての猿のようで間抜けだった。

 

 屋上に続く階段の踊り場。放課後、吹奏楽部がどこかの教室で練習してる。

 冷たい床で、俺は土下座した。幼馴染、気の置けない友人に。

 

「頼む。黙っててくれ、く、ください。お願いします。俺のことはどうでもいい。でも、先生は俺が誘ったんだ。先生からはなにも……だから……!」

「…………へぇ」

 

 底冷えするような声で、感嘆符が降ってくる。

 幼馴染がどうして、何を思ってこんなことをするのかわからなかった。

 俺はこの期に及んでまだ、世界を理解していない。

 

「じゃあ、わかるよな」

 

 カチャカチャとベルトを外す音がして、ズボンを下ろして、下着も落として。

 幼馴染は、露になったそれを。

 

「舐めろ」

 

 わからない。

 いつだろう。

 俺と彼女の関係が壊れてしまったのは。

 カラオケから逃げ帰ったあの日だろうか。それとも俺が先生を好きになった時から。

 舌先が触れる。

 

「は、あぁ……」

 

 少女の体が悦びに震える。

 スマホから録画開始の電子音が鳴った。

 

「ふふ、お前は……もう私のもんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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