病める時もすこや物語 作:足洗
獣人格闘BMMAが世界規模の格闘イベントとなって早30年。
趣味が高じてのめり込み、トレーナーライセンスを取得し団体で下積みを経て俺は今一人の女性ファイターのセコンドを拝命している。
白狼。
大型イヌ科哺乳動物の形質を持って生まれた白眉の君。
身長200センチ体重120キロ。
同階級の闘者としては体格、ウェイト、いずれもむしろ下限に近いが、鍛え抜かれたその筋骨は無差別級だろうと十二分に堪え得る。
白より銀に煌めく髪と被毛が眩しい。
不動の表情筋はいっそ芸術品めいている
彼女はスポーツに始まる運動機能のあらゆる才能に溢れ、それに加え何事にも努力を惜しまない人だった。
そんな彼女のスタイルに俺が惚れ込まない筈もなく、クールな彼女に躱され突き放され、それでもスカウトし続けること百篇超。
根負けした新進の闘士と。ひよっこセコンドがコンビを結成してそろそろ数年になる。
公式非公式問わず数々の闘いを二人で打ち破ってきた。
こんな言い方が許されるのか。それでもその実在を感じずにはいられない。
いつしか俺達には絆が生まれていた。
強い絆が。
リングの上でレフェリーに片腕を持ち上げられた彼女に俺は叫んだ
鮮やかな完勝と素人目には見えるだろう。
しかしそこには読合と駆引きの応酬が、数多のぎりぎりの攻防があった。
彼女はその一つ一つを針の上に立つような集中力で勝ち取ったのだ。
彼女の成長、いや進化に、俺は馬鹿みたいに感動してる。
汗と熱気を吹く彼女にタオルを差し出した。
おめでとうとかよくやったとか月並な賛辞が胸に湧き。
結局口から溢れたのはまるで的外れな言葉だった。
──綺麗だった
「…え」
腫れた瞼から流れる血をガーゼで抑える。
半開きの口からマウスピースを外してやる。
彼女はなおも呆然と俺の顔を見ていた。
呆れられたのかもしれない。別に構わない。
大歓声に押されて、彼女と共にロッカールームへ戻る。
控室のベンチに座る彼女は無言だ。
普段の彼女なら勝利の余韻に浸る間もなくクールダウンに入る。
その時気を利かせてスタッフは皆、控室を出る。
試合の前後、ファイターの多くは一人を好むからだ。精神集中、あるいは臨戦と平常時のスイッチ切り替えやルーティン。
とても大切な時間だ。
だから俺も席を外そうとしたのだが。
「……」
何故か彼女はシャツの裾を握ったまま放してくれない。
問い掛けても、返ってくるのは無言だけだった。
仕方なくグローブくらいは脱がそうと手を取る。
熱を持ったこの拳は紛れもなく強力にして堅固な凶器だ。
けれど、ここに篭るものが、意味が、それだけではないと知っている。
節くれ立った手を労りマッサージする。
「どこが」
彼女は俯き加減に呟く。
「こんな武骨な女のどこが、綺麗なんスか」
特に、思案するまでもない。
出会った時からその印象は変わらない。
お前の生き様、闘う姿、苛烈な努力の結晶のこの体。
全部だ。
「……」
拳が震える。
身体が冷えてしまったかと危惧して、違和感。
冷えるどころか触れた拳は、寄り添う肩は、彼女の全身は蒸気機関の如く発熱していた。
「フゥ、フゥ、フゥ…!」
荒々しく息を吹く。
試合に臨む瞬間のように昂り血走った目。
餓狼の眼光が俺を一心射貫き、そのまま弾けた。
片手押しでベンチに倒される。
即座にマウントポジション。
圧倒的体格差。重みも厚みも、
返し技も逃げも到底不可能だった。
「ずっと……ずっと我慢してきたのに」
人間よりも遥かに長い舌が俺の頬を舐め上げた。
皮脂や汗をこそぎ取り、まるで味わうように。
顔中、首筋も、鎖骨も舐め回し。
「……ッ!」
意を決した様子で彼女はがぶりと俺の唇に食らい付いた。
貪るようなキスだった。
侵入した彼女の舌が、それ自体別の生き物のような力強さで口腔を蹂躙する。
彼女は舌筋すら強力なのだなぁ。
思考は明後日に吹き飛んでいた。
「ハァッ……! 約束、覚えてるッスか……?」
囁きは甘く、熱に蕩けていた。
その人間は今日も私に付き纏う。
勧誘、これで何度目? もう百回近いんじゃないか。
他のスポーツならともかく、格闘技なんて欠片も興味なかった。
獣人の闘いを見世物にして何が面白い。
体が大きいことも力が強いことも私は嫌いだ。
他者に畏れられることの辛さ。
人間なんかには解らないだろう。
同族の友達すらいない。
群を追われた一匹狼。
私の悩みなんて知りもしないだろう。無神経なこの男が私は嫌いだった。
だのに今。
私は彼と格闘界にいる。
リングに立ち私の嫌う暴力を極めようとしてる。
──お前は恐くなんかない。強くてカッコよくて、誰より綺麗な白狼だ
度重なる勧誘で堪忍袋の緒が切れた私に殴り倒されて、口から血を吐きながらそう言った彼の姿。
その笑顔があまりに晴れやかで、無邪気で、嘘がなかったから
根負けだ。
そして、私はその時にはもう……。
私が勝つ度、子供のようにはしゃぐ彼が好き。
初めての敗北に私じゃなく自分自身の不甲斐なさを責める愚直な彼が好き。
トレーニングを終えると私をただの女の子扱いする彼が、少し苦手で。
好き。
好き。
好き。
彼が好き。
試合後はいつも熱気と興奮でこの感情が暴走する。
それを“鎮める”為に一人の時間が必要だった。
彼は知らない。
不純な心を欠片も持たずただひたすら私を信頼する彼が、今は少し辛い。
苦しい。
めちゃくちゃにしたい。
自分よりずっと小さくて細っこくてか弱い。
でも強く熱く私を支え想ってくれる彼に。
この情欲の全てを受け止めて欲しい。
汚したい。
汚して欲しい。
犯したい。
犯して欲しい。
私は、最低の相棒だった。
「30連勝できたら……私のお願い、聞いてくれまスか」
世間話するみたいに白々しく。
私の願望が漏れ出す。
彼は笑って快諾した。
──何でも言うこと聞いてやる
信頼し切った目。
慈愛の篭った声。
罪悪感と興奮が汗とそれ以外になって足下に滴る。
私の欲しいものを知った時彼は失望するだろうか。
それとも
もしかしたら……。
握った手を握り返してくれた。
震える背を優しく撫でてくれた。
縋り付くと抱き締めてくれた。
舌を絡めると応えてくれた。
下腹に彼の昂りと迸りを感じた。
それは試合後の欠かせないルーティンになった。
私は求めても求めても求めても足りないし。
その度、彼は懸命に応えてくれる。
──体力、付けないとなぁ
苦笑する彼が、ひどく愛しかった。