病める時もすこや物語 作:足洗
コンビニバイトの後輩が可愛い。
外見をどうこう評価するのがセクハラだ、失礼だ、という論法もわかるのだが。
なんだかとにかく可愛いのだ。無闇矢鱈と可愛がりたくなる。
小柄で、自分より一回り小さい身長。お陰で品出ししている時なんかその形の良い旋毛をよく見かける。棚越しに声を掛けると、必死になって背伸びして目線を合わせようとする様が微笑ましい。
「先輩は髪、長い方が好きですか」
うっかり短い方が好きだ、と答えた翌日、彼女は背中まで届くロングヘアをばっさりボブカットにして店に来た。
流石に面食らった。
罪悪感も手伝って、ひたすら褒めて褒めて褒めまくった。
恥ずかしそうに顔を赤くして、それでも嬉しそうに顔を綻ばせる姿が、ひどく愛らしかった。
「なにか手伝いますよ!」
いつも雛鳥みたいに俺の後ろを付いてくる。仕事があってもなくても、それはあまり変わらなかった。
トイレまで付いて来ようとした時はぎょっとした。親しき中にも礼儀ありだぞ! と微妙に的外れな注意をすると彼女は。
「あはは、ごめんなさい。まだ早かったですね」
そう言ってころころと笑った。
彼女なりの冗談に、俺も笑った。
「この時間ってホント、お客さん誰も来ませんね」
深夜のシフトがよく重なる。二人きりの店内で、雑事の小忙しさとそれを遥かに上回る暇な時間を持て余す夜勤だというのに後輩はいつ何時であろうと上機嫌だった。
いつでも朗らかなその勤務態度は素直に見習いたいと思った。
興味本位で、何か秘訣でもあるのかと尋ねてみると。
「先輩がいるからですよ」
彼女は、少しの躊躇も臆面もなく言ってのけた。
お世辞でも嬉しいものだ。本当に良い後輩だな、軽口混じりに俺は笑った。
彼女は……にこりともしなかった。真っ直ぐな目、真剣な面差しで。
「本心ですよ。シフトだって全部先輩に合わせてもらってますから」
俺は彼女の教育担当を仰せつかっているので、ある程度そこは店長やオーナーが融通している筈だ。
けれど、そう、そういえば。
ここ何週間か、二人きりのシフトがかなり多かった。
彼女から上役に何か進言したというのはおそらく本当なのだろう。
「えへへ」
可愛い後輩。
その大きな目を細めて笑う。長い睫毛、小造な目鼻、年はそんなに離れていない筈なのに、少女のようで。
小さい子みたいで。
露骨に自分との距離を縮めようとしているのだと察することはできた。それを拒む理由こそなかった。
純粋に、厚意を、好意を寄せてくれることが嬉しかった。
有頂天、になってもいい。世間一般に羨ましがられて当たり前の状況。そういう優越感がなかったかと言えば噓になる。
……けれど。
こんな可愛い娘に好かれているっていうのに、俺は。
「……先輩、あの、先輩の部屋、店から近かったですよね……私、ちょっと、その、思ったより疲れてて、よかったら……先輩さえよければ、なんですけど」
どうして俺は、この子をそういう風に見ていないのか。
こんなに可愛い。
かわいい子を。
「先輩の部屋に、行ってもいいですか」
大学生らしくバイト上がりに宅飲み。ありふれた話。何かにつけて酒盛りするのがチャラくてお気楽な学生の醍醐味だろう。
部屋に上げた後輩と酒を飲んだ。簡単なものですけど……なんて遠慮がちに作ってくれた手料理がとんでもなく美味しく感じた。俺の好物ばかりだったし、俺の味の好みをまるで全部知っているみたいだった。
普段よりも酒が進むのは料理の所為なのか、彼女が目敏く酒を注いでくれる所為か。
ふと気付いた頃には、未だかつてないくらい俺はべろべろに酔っぱらっていた。
本当に、初めての酩酊感。ぐらぐらと世界が回る。不思議と吐き気はなくて、なんだかふわふわと気持ちがいい。
俺は笑っていた気がする。馬鹿みたいに笑いながら、後輩をかわいいかわいいと褒めていた。
頭を撫でて、彼女がどんなに良い子で、出来た子で、素晴らしい子なのかを、拙い語彙を駆使して表現した。
彼女は。
後輩の娘は────泣いていた。
「うれしい」
感極まったみたいに、長年の夢が叶ったように、迷子が親を見付けられたかのような。
「うれしい……ずっと、言ってほしかった。いつだって、こうやって触ってほしかった……こうやって、貴方に……貴方と、私……」
息が荒い。
後輩の顔が目の前にある。
腹の上に乗った重みが、なんだか異様に心地よくて、堪らなくて。
熱い。
柔らかなものに全身を包まれる。
甘い香りに、肉に、溶かされている。
「これでっ、これで……もう戻れない。誰も邪魔できない。あははっ、私達、結ばれたんだよ────お兄ちゃん」
幼い頃に両親が離婚した。
俺は父に引き取られた。
家族四人、別れ別れとなってしまったのは悲しい出来事なのだろうが、幸か不幸か物心つく前の一家団欒の記憶を俺はほとんど覚えていなかった。どこに住んでいたのか、どんな家だったか、母の顔すら朧気である。
片親であることも、家族が半欠けであることも、自分にとってそれは普通で、当たり前の日常だ。悲しいとは思わない。思えない。
薄情な話だ。
また、大学生活、加えて現在三つ掛け持ちしているアルバイトの忙しさがそれを助長している気もする。
偉そうに、たった一分一秒の時間をいつもいつも惜しんで毎日を忙殺され、思い出すというそれだけの行為さえ忘れてしまう。
忘れたいと思っている。
煩わしさを。
……父と会話がなくなったのはいつからだろう。思春期なりの反抗期が到来した、といった感はあまりない。自覚がないだけなのか。
何故か俺達父子はぎこちない。ほんの世間話すらどこか余所余所しく、互いに一歩引いている。いや、父に俺は一線を引かれている。そんな気がする。
父の俺に対する態度はまるで他人みたいで。父が俺を見る目は、まるで異物を見るような。体に出来た醜い腫物、膿を孕んだ肉の柘榴を見下ろすみたいに、いつも、いつも厭わしげだった。
家はいつからか、ひどく居心地の悪い場所になった。
俺にとって労働は体のいい逃避行動だ。社会経験を積みたいとか遊ぶ金が欲しいとか、年相応の健全な理由はそこにない。
ただ、家に帰るのが嫌だったんだ。
「先輩」
バイト先の後輩は今日もかわいい。
そういう関係になっても、俺の心持は変わらなかった。変わってはくれなかった。
彼女が好いて、愛してくれる度に、心が軋む。現実と心情の相違がガラスを擦り合わせるようにぎりぎりと不快な違和を鳴らす。
彼女が好きだ。
彼女がかわいい。かわいくて、仕方ないのに。
「先輩……今夜も、部屋に行っていいですか」