病める時もすこや物語   作:足洗

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貴方の素肌に牙を突き立てて

 

 

 

 現代社会に生きる吸血鬼のご令嬢と彼女の側近にされた人間の青年。

 

 彼女の家は、旧くは貴族階級にあって現代では起業家として幾つもの企業経営を成功させてきた由緒ある吸血鬼の一族であり、青年の父親も例に漏れず傘下の子会社に勤めている。

 偶さか社交会で知り合う機会を得て、何をどうしてか大層彼女に気に入られた青年は、その経営手腕を学ぶという名目で“令嬢付き御用聞き”なるおかしな役職を与えられて吸血姫の側に身を置くことに。

 しかし値千金の経営戦略講座にはそれ相応の授業料が発生した。

 血液である。

 令嬢の求めがあればいつ何時であっても青年は彼女に自身の血を提供しなければならない。

 青年は、それも当然と考える。父の伝手、というより偶然の縁で恵まれた奇貨。代償がないことの方が不自然で、青年の生家は経済的に中流階級をやや上回る程度。仮に彼女の授業料相当の額の金銭を請求された場合、頭金すら捻出できないだろう。

 血液という自己生産可能なものを代金に用立てられることはむしろ幸運とさえ思っている。

 血を奪われる、という点にも嫌悪感はない。

 吸血鬼という種族が迫害や恐怖の対象であった時代は既に遥か過去の話。

 青年にとって令嬢は少し特殊な体質を有しただけの、尊敬すべき企業家であり、敬愛すべき自分の先生だった。

 そんな彼女の食事ないし嗜好の満足に寄与できることは青年にしてみれば願ってもないことである。だからこそ血の提供手段としては効率的な輸血パックの使用を申し出たところ……それは即座に却下されてしまった。

 吸血は素肌から。かの令嬢は必ず青年の首筋に直接その歯を突き立てることを望んだ。

 白銀糸の髪に赤銅の瞳、高価な西洋人形のように精緻で美しい少女に口付けられることは、健全な男子としてある意味血を失うことよりも深刻な問題だった。毎夜強烈な含羞を堪えて青年は令嬢の牙を受け入れる。

 彼女より学び取った智慧に対する報酬──けれどそれ以上に、青年の胸に湧くのは感謝だった。

 ただの人間の凡夫に過ぎない自分に目を掛けてくれる彼女の温情と大器に、ひたすらに感謝を抱いているからだ。

 いずれ父の跡を継いで会社の経営に携わり、従業員数百人が路頭に迷わぬよう満足に働くことのできる場所を守っていかねばならない。

 その経験と知識と叡哲な頭脳で、時に厳しく自身に教えを授けてくれる彼女の存在は青年にとって紛れもなく人生の師である。

 血の1L程度、捧げるに何の躊躇もなかった。

 青年は気後れ一つせず笑って言う。なにせ自分は“令嬢付き御用聞き”なのだから、と。

 

 

 

 吸血行為に対して何の忌避感も見せない青年に令嬢が恥を忍んで問うた末、返ってきた解答がそれだった。

 

「感謝、ですか」

 

 吸血姫は心の底から嫌悪している。自分の血統と性が連綿と受け継ぐ吸血嗜好症。人間を血袋か家畜のように扱ってきた過去の歴史。

 吸血鬼である自分自身。

 一度ならず自害を考え、未遂を繰り返してきた。

 いつか、今よりもずっと昔、幼い時分、社交会の夜、血の摂取を拒み続けて遂に身体が限界を迎え、屋敷の裏の林の中で一人地面に蹲っていた童女に、躊躇なく血を分け与えてくれた少年がいたことなど。

 

『これくらいなんてことねぇよ』

 

 噛み破られた腕の傷を強がるように、誇るように掲げて屈託なく笑ってくれたあの夜のことなど。

 

「貴方は、覚えていないのでしょうね」

 

 今夜もまた、令嬢は御用聞きの青年の首筋に牙を突き立てようとして、彼からもたらされた感謝の言葉に愕然とした。

 青年は敬愛をもって令嬢に血を捧げるという。これまでの寛大な処置に、師として令嬢に感謝していると。

 

 冗談ではなかった。

 

 この行為が感謝の顕れだ、などと。

 それは断じて受け入れ難い。

 受け入れられるものか。

 

「吸血鬼が、素肌に口付けて血を吸うことの意味をご存知ないんですね」

 

 現代では吸血鬼に対する迫害や恐怖が払拭された一方で、過去の習俗まで廃れてしまったことは無理のない話だと令嬢も理解している。

 だからといって、その憤懣が収まる訳ではない。

 いや青年の感謝に嘘がなく純粋であるほど、青年の実直さを知っているからこそその純度を疑えないほど。

 吸血姫は激怒した。

 

「木石な貴方にもわかるように言ってあげる」

 

 令嬢は細くしなやかなその指で青年の首を柔らかに握り絞めながら、瞳を覗き込んで言った。

 噛んで含めるように、はっきりと言った。

 

「吸血鬼が口付けて血を啜るのは、ね────婚姻を誓った相手だけですのよ」

 

 令嬢は可笑しそうに笑った。それは冷笑に近く、嘲笑より優しい。子供をからかうような、憐れむような笑い。

 青年の驚愕に見開かれた目に赤銅の眼光を注ぎ込んで。

 

「では改めて。御用聞きさん、わたくしのお願いを聞いてくださるかしら」

 

 令嬢は青年が初めから逆らうことなどできないのだと知っていて、それでも令嬢は青年が自ずからその首を差し出してくれていたのだと信じて、その夜、そうではなかったと気付かされた。

 

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