病める時もすこや物語   作:足洗

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斬り愛

 

 

「ですから再三申し上げている通り」

 

 腹を貫く短刀の棟を掴む。

 これ以上突かれるのは勿論、引き抜かれでもして大出血を起こす事態もできるなら避けたい。

 

「交際はできません。自分には心に決めた人がいます」

「いやだ! そんなの私は許さない」

「貴女の許しは不要です。ただ……貴女のことは、同門として信頼の置ける友人だと思っていた」

 

 同じ流派に学び、その清澄な剣筋に尊敬すら覚えた。

 天稟なるものの実在を否応なく思い知らされた。

 彼女は剣士として俺の憧れだった。

 朋友。

 そう疑いもしなかった。

 

「あんな女にお前の剣を穢させない」

「曇ったのは貴女の刃だ」

 

 剣に妄執する己の有様を認め、支え、時には叱咤をくれた幼馴染の娘がいる。俺のような愚物と恋仲にまでなってくれた人を。

 彼女は、躊躇なくこれを襲った。

 真剣での夜襲であった。

 辛くも退けた襲撃者の剣技は明らかに達人の領域にあり。馴染み親しみ憧れたそれを、この己が見紛うことなどなく。

 己の追及に、彼女はあっさりと白状した。

 そしてこの、暴挙。

 

「……残念です。このような形で剣才を一つ失うとは」

「腹に刃を喰ってよく吼える。今の一合で決した。私の居合はお前より速い」

「先刻承知」

 

 否やを差し挿む余地もない。

 技はおろか、彼女に唯一優る体すらも今はコンディションの面で劣る。

 矮躯から抜き放たれた短刀は既に人間の反応速度の果ての果て。

 己程度がいかに足掻こうとも追い付くこと(あた)わぬ。

 亀が兎に走り勝つ事はない。御伽噺は所詮御伽噺。

 ゆえに。

 亀は走らず歩む。

 牛よりも遅々と地を噛み締めてゆく。

 腹の刃が抜けぬと見るや彼女は跳び退き脇差を握り左腰を引いた。

 その様は、剣術指南の教本に掲載を申請したいほど。

 美しくさえある型。

 居合、抜刀術の構え。

 抜かれれば、我は死ぬ。

 

「安心しろ。お前を斬ったら私も死ぬ」

 

 穏やかに彼女は囁く。

 瞳には慈愛に満ちた殺意があった。

 ただひたむきな。

 ならば一層なおのこと、負ける訳にはいかぬ。

 

 一術理として記されるように、居合が奇襲に対する即応の為の術技である事は今更語るまでもあるまい。

 先に動かれてなお即座臨戦。

 ともすれば返り討つ。

 速度。

 速度。

 速度。

 彼女はそれを極めつつある。

 そしてもう一理。

 刀身を鞘に納める事による剣筋の隠匿。

 無論発射口は左腰にあるのだから左側からの斬撃のみ注意すればいい──などは愚考の極み。

 

 逆手、あるいは左手による抜刀。

 足の踏み変え。

 転身。

 膝の微妙な屈曲だけでも事は足りる。

 切先、俗に物打と呼ばれる刃の先端から三寸に亘る領域、刀の最大切断力たる部位が最終的に到達する位置は千変万化する。

 読み合いを制したとて剣筋を読み誤れば俺は巻藁よろしく存分に斬られて死ぬだろう。

 対して我方の武装は標準的な打刀。

 刃渡りと体格で間合の有効射程は俺が勝っているが。

 だかこうも内懐にあっては。

 

 最大射程の有利は最小射程の不利を意味する。

 刀が最大限の破壊力を発揮できる距離。

 前述の物打が敵の身体を必要十分に捕捉できなければ意味がない。

 半端な斬撃では真っ向から進突する彼女の勢力を殺せない。

 対して、彼女は踏み込んだ瞬間に最適な間合に至り最高の斬撃を放ち望み通りの結果を得るだろう。

 即ち、俺の死。

 いや俺の、生命強奪という権利を。

 

 それを認めてやることはできない。

 もはや、できないのだ。

 

「お前と初めて剣を交えた日」

「……」

「私はお前を好きになった。お前の剣が好きだった」

「……」

「それを、あの女が横から拐った」

 

 涙。

 少女の無垢な涙。

 全身から立ち上る憎悪に煙ってなお美しい。

 俺はやはりこの子を嫌うことができない。

 恋人の命を危ぶんだ仇でも。

 彼女は、袂を分かった今でさえ俺にとって……大切な輩だから。

 ゆえにこそ。

 

「是非も無し」

「参る」

 

 火を吹く。

 気を噴く。

 彼女が来る。

 俺も往く。

 ただ一歩の踏み込み。一足一刀の至近。

 そのほんの一踏みが既に、我が打刀の間合を脱している。

 対して彼女の脇差は電光にして精妙。絶好の斬り間を余さず逃さず瞬機、そこに至る。

 もはや見えぬ。

 もとより追えぬ。

 鈍重な己では初めから勝負になどなろう筈がなかった。

 駆け比べでは断じて勝てぬ。まともな斬り合いでは、決して。

 勝てぬ、ゆえ。

 ────俺は一つ()()を働くことにした。

 

「な」

 

 逆手に握った短刀が血の筋を蛇の尾の如く道場の薄闇に走らせる。

 血の主は彼女と己。

 彼女は柄に伸びた右腕から。

 己は腹から。

 互いの血が交じり溶け合いそうして宙に。

 ほどける。

 血霞を吸った。

 鉄錆と命、そして一際強く、彼女の涙の味がした。

 

「腹の刃を、使うか」

 

 右腕を押さえて彼女が笑う。

 呆れたように。

 

「お前らしいなぁ」

 

 俺は道場の床に崩れ落ちた。

 己が垂れ流した赤い溜池に無様に沈む。

 失血と死闘の緊張からの解放が、肉体の稼働と精神の糸を千切ってしまった。

 

「お前の……勝ちだ」

 

 そうか。

 俺はどうやら初めて彼女に勝ったらしい。

 喜びを弄ぶのは願わくば、目覚めた後に。

 今はひどく瞼が重い。

 彼女の声は憑き物が落ちたように柔かで。

 俺は心地好い安堵に包まれながら。

 

「なぁ……」

 

 闇に没した。

 

「返事、してよぉ……」

 

 

 

 

 

 

 

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