教室の壁にかけられた時計が昼前を指すと、私の携帯が震えた。持ち込んでいた仕事から一旦手を離し、画面をタップする。
見たことの無い番号だ。
「お久しぶりですね、先生。防衛室長のカヤです」
明るい声で電話に出たのは、出張直前のあの時以来に話す相手だった。
「ああカヤか。よく私の番号が分かったね」
私の記憶違いでなければカヤに電話番号は教えていない筈だけど。
「いくつかの生徒達には事前に配布されているんです。それとも、なにかプライベートな問題が?」
「そういう訳じゃないけど……」
「別にコソコソ気にしなくて大丈夫ですよ。キヴォトスにおいて生徒と先生の恋愛は犯罪ではありませんから」
「いや違うよ!?」
「防衛室長の私が言うんだから間違いないです!さあどうぞ!胸を張って!!」
「カヤ!?」
なんか一人で盛り上がっちゃってるぞ。
というかカヤの今いる場所って連邦生徒会のオフィスなのでは。
さすがに他にも沢山生徒がいるであろう場だし、そんな大声で叫ばれると恥ずかしい……。
「……すみません」
「どうしたの?」
先程までのテンションが振り切れた声とは打って変わって疲れの滲んだ声でカヤは返事を返してきた。
「実は最近仕事が日を追う事に増えていってですね……しばらく寝れていないんです」
「そっか……それは……」
目の前の紙束の山を見ながら私はかけるべき適切な言葉を考える。同情か、共感か。
私にはカヤの行っている仕事内容は分からない。
室長という肩書きから推測するに書類仕事という事はなんとなく感じ取れるが、今いるこのキヴォトスという地自体が私の元いた場所と大分違うし、現場仕事みたいな内容もあるのかもしれない。
「うう……私のブルーマウンテンが……。日常と業務の可能性が……」
「少し休んだらどう?」
「いえ、そういう訳には行きません!」
カヤはキッパリした口調で断った。私が言うのもなんだけど、仕事ばかりやってても効率は落ちてしまう。
人間には適度な休憩が必要なのだ。
「これ位の量、成し遂げられなければ遠ざかるばかり。私は私の責任を果たします!」
あまり張り切り過ぎるのも良くない気がするけど、モチベーションが落ちるよりはマシなのかな。
「程々にね。それで、私に何か用?」
「ええ、少し聞きたいことがありまして……時間の方は大丈夫ですか?」
「問題ないよ。どんな話?」
サボるのに良い口実が出来た。
こうして対策委員会の一室でやらせてもらってるけど仕事は減る気配が無い。
誰かに手伝って欲しいところだが、こんな砂漠の地まで呼び寄せるのは悪いし、アヤネとかのアビドスの面々に頼むのもそれはそれで恥ずかしい。
自分で持ち込んだのだから私が始末をつける他ないのだ……。ファイルを横に退けながら考える事では無いが。
「アビドスの様子について伺いたくてですね……」
「報告書ならこの前送ったと思うけど」
「いえ、聞きたいのはもっと現場から得られる情報……というより様子ですね」
「気になるの?」
「私にも色々ありまして。あくまで私個人としてですので、内容はなんでも構いませんよ」
なんでもと言われると何を話せばいいか困ってしまう。
彼女達の日常生活がどのようなものかは既に報告書に書き表したし、街の様子だとしても、ここはゴーストタウンだ。住んでいる住民も大分少ない。
かといってブラックマーケットでの騒動について話せる訳もなく。
そういえば、いつもなら今は昼ごはんを食べている時間だな。
「……あ!」
「なにかありましたか?」
「柴関ラーメンってところが美味しいよ!カヤも食べに来たら?」
「……考えておきましょう」
ふむ、なんでもという割には内心で求めていた内容とは違うみたいだ。
「生徒たちの事だったら心配ないよ。良い子達だし、これだけの環境の中でも強く生きてる」
「そこは意外でしたね、てっきりもうすぐで擦り切れるものと思っていましたが」
「ホシノが上手くやってくれていると私は感じたね。この数日間だけでも、彼女には助けられちゃったよ。ただまあ──」
そこまで言ったところで私は区切る。果たしてこの疑念を吐き出してよいのだろうか?
小鳥遊ホシノ……彼女は一見した限りではサボり癖を持ちながらもやる時はしっかりやるという認識を相手に持たせる。
それ自体は間違いでは無い。
今日もオフという事でどこかに出掛けていってしまったが、私が気になるのはそこでは無い。
彼女は──もうすぐ消えてしまう。
そんな不安が私の胸で膨らんでいるのを先程口から出しそうになり……実感した。
彼女は強い。それは戦闘能力だけに留まらず、コミュニケーションにも該当する。
故に孤独。
いくら仲良く話した所で、結局は胸の内を開けずになあなあで流してしまう傾向があると私は考えた。
彼女はみんなの事を何処まで信じてくれているのだろう。
無理にとは言わない。だが何も言わずよりかかる位はして欲しい。
それだけでも力になりたいのだ、私だけでなく、他の子達も。
私が仕事に手をつける少し前、ノノミは語った。
ホシノの過去を。
アビドス最後の生徒会長、まだ一年生の時だ。その者が消え、たった一人の状況で今まで持ちこたえてきたと。
いつ失踪したのか、それは分からない。ノノミが来た頃には既に去っていたらしいが、それまではどんな日々だっただろうか。
消えない借金。救援もなく、終わりが見えないその環境で過ごせば彼女の心には確実に傷が増えていっただろう。
人は傷ついた時、痛がり、涙をこぼし、誰かに助けを求める。
そんなプロセスさえ出来なくなったら、もう正常とは言い難い。
自分の痛みに気づけなくては、声を上げる事も無い。
せめて───
「先生?」
……大分逸れてしまったようだ。カヤにこの事を話しても難しいだろう。
アビドスへの救援は既に済んだ。これからも継続的な支援は約束されている。
「ごめん、ちょっと考え事。これといって他に言うことは無いよ」
「そうですか……」
「ちなみになんだけど、アビドスの砂漠化って食い止められると思う?」
かつての生徒会が巨額の資産を投じても実現しなかった夢ではあるが、もしかしたら今の技術とシャーレという権力を行使すれば……という浅はかな望みだ。
勿論、職権濫用をする訳では無い。可能であると分かれば、これは私的な願いだと付け加える。
「……今の段階では、難しいですね」
「そっか……」
大分間を開けると、カヤは申し訳なさそうに言った。
元よりあまり気にしていなかった事だ、気負わせる旨はない。
しかし、彼女達だけでは難しい苦難を前にどうして見過ごすことができようか。
特にホシノは、この問題に真摯に向き合いすぎている。
毎日昼寝したり、何処かに出掛けたり……、一人でいる事もそれなりにあるのだ。
その時に何をしているか迄は把握していないが、とにかく休むべきだ。
でなければ、取り返しのつかない事が起きてしまう。
誰も彼女に傷ついたまま歩いて欲しくないのだから。
「技術的な面や資金の調達もありますが、もっと厄介なのは企業です。彼らの代理戦争がどうなるにせよ、今の段階では調査隊を送るのも憚られる程に争いが絶えません」
「そんなに?」
「市街地からは伝わりづらいでしょうが、砂漠地帯の、それこそ、この前話したサイレントラインでは毎日鉄くずが製造されています」
「止める事は出来ないの?」
「こちらから企業に向けて何度か忠告はしましたが効いた試しはありませんね。特に、私のいる連邦生徒会は動くのも特に難しいでしょう……しかし手は一つあります」
その言葉を聞いた時、私は息をのんだ。
「レイヴンを、彼女を捕まえて下さい」
「彼女を?」
「あの者こそが、唯一全ての争いで勝ち残ると私は確信しています。実力の方は既に理解していますね?」
「でも捕まえた所で、どうするの?」
「彼女はこの地における不安要素。手元に置いておかねば、いずれは争いを呼び込むやもしれませんから」
──選択が私に回ってきた。
「もしレイヴンに会ったなら、その時はお願いしますね。先生」
ホシノ達の為にレイヴンを捕まえ、監視下におくか、それとも全てを任せ、傍観を決め込むか。
カヤはそう含めたような言い方で電話を切った。
レイヴン……私がどちらを選ぶにせよ、彼女とは話さなくてはならないだろう。
何故戦うのか。
いつまで戦うのか。
そして、何者なのか。
アロナにレイヴンへの依頼を頼もうとしたが、どうやら独自のルートがあるらしく今のままではアクセス出来ないそうだ。
となると敵としての出会いになるかな……あまり物騒じゃないといいけど。
とにかくその事については柴関ラーメンに行って考えるとしよう。
丁度腹も空いてきた頃だ。