「これが今の私たちの現実です。このままだと、私たちの先に明るい未来はありません……」
合宿所に泊まり始め、少し賑やかな最初の夜を越えた翌日。いつものように本校舎での通常授業を終え、部室へと集まった私たちは、次の試験を見据えた模試を執り行っていた。
果たしてその結果はと言うと……先の試験とほぼ変わらず。私とセラちゃんのみが合格点に達していた。さほど日が空けず、且つ抜き打ちだった為に仕方ない所はあるが、それにしても点数に目立った変化がない。やはりこれが今の実力と見ていいだろう。
つまり、このままでは全員合格など夢のまた夢だ。なんせ時間がほぼ無い。無理にでも点を取らねば。
私はやや苦い顔を浮かべつつ、目の前の部員たちへと告げる。
「ここからあと1週間、みんなで60点を超える為には、残りの時間を効率的に使っていかなければならないのです! そこで!」
私は一度手を叩き、新たな方針を口にした。
「まず、コハルちゃんとアズサちゃんがどちらも1年生用の試験範囲ですので……私とハナコちゃん、そしてセラちゃんの3名で、お二人の勉強内容をお手伝いします!」
これならマンツーマンどころの話ではない。ここに先生もカウントすれば二対一。数のぼうりょ……いや、数の勝利。 人に教えると、様々な面から自身の勉強の質を高める事が出来ると言うのは今や常識だ。更に磐石を整える為、これは有用である。
そのことを2人に説明すると、セラちゃんの方は端末で【OK!】と二つ返事で答えてくれたが、この突然の指名にハナコちゃんは【私が?】とでも言うように首を傾げる。
「ハナコちゃん。最近何があったのかは知りませんが……1年生の時の試験では、高得点を取っていたんですよね?」
「あら……? えっと、まぁ、そうですね……」
珍しく戸惑いを見せる彼女へ、私は続ける。
「実は昨日、資料室で1年生の時の答案を見つけてしまいまして。……五十音で積まれていたからか、一番上がたまたまハナコちゃんのものだったんですけど」
そこからもしやと思い、過去の成績を調べて現在の状況に至る。
「ハナコちゃんの方については後ほど、今の成績になってしまった原因をしっかり把握した上で、一緒に解決策を探しましょう。……まだ途中ですが、他にも試験を作成中ですので、今日から定期的に模試を行って進捗具合も確認できればと思っています」
これが恐らく、今私たちにできるベストの選択。
「頑張りましょう! きっと、頑張ればどうにか、みんなで合格できるはずです……!」
手のひらを握って宣言すると、みんなも思い思いの反応で応えてくれた。やる気は十分あるはず、ならば必ずしも不可能とは断定出来ない──────。
それぞれの顔を見渡しながら、私はきゅっと唇を噛み締めた。
しかしながら、それはひとえに更なる試練への覚悟から来るものだけではない。
今、私の胸の奥には、鉛のように重たい『秘密』が埋まっているのだ。
部の活動が始まる少し前に、ナギサ様から直々に伝えられた事実。それは、もしこのまま試験を全て不合格のままで終えれば、私たちは全員【退学】になるということ。 そして、この補習授業部のメンバーの中に、トリニティへ仇なそうとする【裏切り者】が潜んでいるということ。
この二つの事実を隠したまま、裏切り者を見つけ出さなければならないという命は、私のような普通の生徒にはやはり、到底荷が重く。自身の振る舞いや行動が果たして正しいのか自問し続ける毎日にずっと胃を痛めてきた。
今だってそう、キリキリと訴えている。
されど時は無情に過ぎ、気づけば期限までもう1週間しかない。そうしてプレッシャーに耐えかねた私は先日、とうとう先生へと助けを求めるに至ってしまった。助けと言っても、ただ気休めでもいいから、何か助言が欲しかっただけ。
けれども……先生には私の抱え込んでいるものをあっさりと見抜かれてしまった。そして先生からは、自身も同じ命を受け、この部活の顧問になった事を聞いた。気づくことができたのはそれ故だろう。
互いに今の状況について思うところがあり、行く末を見通せない現実に依然変わりはない。そんな中、先生は私にこう言った。【人探しは私が引き受けるからさ、ヒフミはヒフミに出来ることを頑張ってほしい】と。
政治的な陰謀だとか、学園の未来とか。そういった事は1度隅に置き。一先ず、今すぐにできること。それは何か。
(……部長として、みんなの学力を上げる。今はただ、それだけです)
さて。皆へ十分な危機感を煽った所で、私は更に1つここで新情報を与えることとする。さっきまでのが悪い知らせなら、こっちは断然良い知らせだ。
「ところで、頑張りには何かと報酬が付き物ですよね……という訳でなんと! 今回はご褒美を用意しちゃいました!」
早速私はカバンから例の物品達を取り出し、机の上へと順次並べていく。張り切って結構持ってきちゃったから、変に潰れてたりしてないか不安だが───見たところ問題は無いな。よし。
やがて全て並べ終えると、私はニッコリと笑みを浮かべ、嬉々として告げる。
「こちらです! 良い成績を出せた方には、この"モモフレンズ"のグッズをプレゼントしちゃいます!」
見よ! この厳選されたコレクション! 王道のぬいぐるみに始まり、ティーカップやコースター、クリアファイルにキーホルダーまで! どれも、布教用として揃えておいた品々。無論、コピー品など混じってはいないし、ここの半分は数少ない限定品達!
我ながら圧巻の品揃えだ。これにはみんな目の色を変えて、モチベーションを高めてくれるに違いない。
「…………モモフレンズ?」
「何それ……?」
「……っ!!」
……ん? なんか思ってた反応と違うぞ。渋いな。もっとこう、少しは【わぁーっ!】て感じの歓声を上げてくれてもいいんじゃないか。
「最近流行りの、あの"モモフレンズ"ですが……もしかしてみんな、ご存知ないですか……?」
嫌な予感がし、恐る恐る問いかけると……。
──────なんて事だ! 先生とセラちゃん以外、見事に首を横へと振ってしまった! ありえない!!
「初めて見ましたね……いえ、どこかでちらっと見た気も……?」
「何これ、変なの……豚? それともカバ……?」
「ち、違います! ペロロ様は鳥です! 見てください、この立派な羽! そして凛々しいくちばし!」
並べられたグッズ達を前に、ハナコちゃんは顎に手を当ててまじまじと観察し、コハルちゃんに関しては明らかに得体の知れない危険物を見るような、訝しげな視線。そんな2人の反応に対して、私は思わず早口でまくし立ててしまう。
「……目が怖い。それに、名前もなんか卑猥だし……」
「ええっ……!? た、確かにそう仰る方も一部にはいますけど……よ、よく見てください。じっくり見てるとなんだか可愛く──────」
「あ、思い出しました。そういえばヒフミちゃんのカバンや、スマホケースがそのキャラクターでしたね。確か、舌を出してヨダレを垂らしながら、【もう許して……っ!】と泣き叫ぶキャラクターだったとか……?」
「いえっ! 後半部分は色々と違いますよ!?」
「……わ、私は要らない」
少し引いたコハルちゃんの無情な一言が、容姿なく私の心へ、致命の一撃を叩き込んだ。
「あ、あうう……」
『ま、まあまあ。私はいいと思うよ。にしてもヒフミちゃんはホント、モモフレンズが好きだね』
手にしたスカルマンのぬいぐるみをポンポンと撫でながら、セラちゃんが慰めの言葉をかけてくれる。そんな彼女の優しさに少しだけ救われていると……おや、なんだかアズサちゃんの様子が。もしやと思い視線を辿ってみると、その先はセラちゃんの手元。
察したのか、何気なくセラちゃんが件のぬいぐるみを差し出した。その内、おずおずといった具合に受け取ると……みるみるうちにそのパープルダイヤにも似た瞳が見開かれ、柔らかくなる表情には年相応な少女らしさつ強まっていく。やがて背に備える白き羽も、パタパタと豊かに動き始め……。
──────そうして彼女は、私の欲しかった言葉を、きっと心の底からの思いで口にした。
「可愛い……!!!」
アズサちゃんはスカルマンを両手で愛おしそうに包み込むと、そのキュートなフォルムをあらゆる角度からまじまじと、興味津々と言った具合で観察し始める。
「か、可愛すぎる……! 何だこれは、この丸くてフワフワした生物は……!!」
指先でフワフワとした手触りを確かめ、ぬいの顔をじっと見つめ返す。キラキラと目を輝かすその様子は、まるで生まれて初めておもちゃを手にした子供のように夢中。
次はペロロ様のぬいも手に取った。
「この目、表情が読めない……何を考えているのか全く分からない……!」
「あ、アズサちゃん……?」
ハナコちゃんが困惑の声をあげはするが、そんなことお構いなしに、思わず口が走る。
「流石はアズサちゃん、ペロロ様の可愛さに気づいてくれたんですね! そうです! そういうところが可愛いんです!」
「うそぉ……!?」
コハルちゃんも顔を引き攣らせ、やや引いたような声を漏らすが、まぁそんなこと言わずにしっかりと見て欲しい。きっとこの良さが分かるはずだ。もし時間が許すならば理解してくれるまでじっくりと教えたい。この感情をもっと共有したい……。
「こ、こっちは? この長いのは? イモリ……いや、キリン? 何だか首に巻いたら温かそうな……!」
「それはウェーブキャットさんです! いつもウェーブして踊っている猫なのですが、仰る通り最近ネックピローのグッズがポップアップで出てまして……」
ああ、そうだ。"共有"できている。同じものをみて、似た事を考えている。似た事を感じている。そりゃネットには沢山いるが、やっぱりこうして目の前で、現実に共有出来ていて、ここまではしゃいでくれる相手がいるのは……なんと、素晴らしい事なのだろう。
新鮮な反応を聞く度に私の心は沸き立ち、語る説明には熱がこもっていく。
「これは? この小さいのは?」
「それはMr.ニコライさんです! いつも哲学的なことを言って不思議な目で見られてしまう方ですね! 今回ご褒美の一つとして、そのニコライさんが書いた【善悪の彼方】という本もあるんですよ、それも初版!」
「すごい、すごい……!! これを貰えるのか? ま、まさか選んでも良いのか?」
期待に満ちた──────それはそれは可愛らしく、心を鷲掴むような上目遣いに撃ち抜かれた後、私は満面の笑みで頷いた。
「はい! アズサちゃんが欲しいのを持って行ってください!」
幸せすぎるこの状況にだらしないほど口角を緩ませながらも、改めて私は彼女に条件の続きを話す。
にしても、まさかこれほどとは。
えへ、えへへへへ……。
「……やむを得ない。全力を出すとしよう」
「あらあら……」
「な、何なの……」
燃え上がるような闘志を発する彼女に、新たな同士の誕生と計画の第1フェーズ完了を実感し、私はしれっとガッツポーズを取った。
「良いモチベーション管理だ、ヒフミ。約束しよう。必ずや任務を果たして、あの不思議でふわふわした動物を手にしてみせる!」
「は、はいっ! ファイトです!」
──────
『………こちらFOX1、どうぞ』
『ああ、繋がりましたか! どうです? そちらの方は』
秘匿回線とはいえ、この任務の間はなるべく通信を控えておいて欲しいと、前もって言っていたのだが……仕方ない。周囲に人影がいない事を確認した後、獣耳の方を警戒に割り当てつつ、コンテナの影に隠れた私は小さく返事を返す。
『いくつか突ける点はあるが、どれも正直言って小さなものだ。今までに比べたら、環境は格段に良好と呼べる。少なくともブラックではないな』
『おや、では転職しますか?』
『切るぞ』
『ちょ、ちょっと待ってください!』
軽く脅してやると、彼女は翻ってあたふたと静止してきた。まったく、下らない冗談を言うからだ。遊びじゃないんだぞ。
『はぁ……で、なんだ?』
『ええ、実は
『なに? 』
打って変わって少し慎重な声色で発せられた室長からの報告を受け、私は早速チャンネルを繋ぎ、FOX3との交信を試みる。予定通りならば彼女はパトロール班に配属されていたはずだ。
『………これは、なんとなくで、貴方からすればあまり信用は出来ないと思いますが…』
『なんだ』
焦ったつもりはないが、自然と食い気味に声が出た。
『嫌な予感がします。とても』
(…………)
ゲヘナ自治区のヒノム火山近隣に位置する山岳地帯。崖にへばりつくようにして建つ、とある施設にて。
微かに硫黄の匂いが混じる、初夏の乾いた風を吸い込みながら、柄にもなく弱気な彼女の言葉を反芻し……私は眼下───FOX3のいるであろう麓の森林地帯を見やる。
時刻は昼下がりを過ぎたあたり。夏本番前とはいえ、山腹を渡る風は少しばかりの熱と土埃を孕み、曇り空の下で木々の緑にまばらな影を落としていた。
私たちはいつもと同様に監査の為、ターゲットであるPMCに潜入している最中である。尚、ここは少し系統が違うようで。空前の傭兵ブームに乗っかって生まれた有象無象の新興PMCとは違い、大手薬品会社の子会社として、設立当初からほぼ間もなくして誕生している。故に資金や蓄積されたノウハウは絶対的な厚みがあり、PMCの中ではホワイト寄りなのは、その恩恵だと言えよう。
そして今回私たち───もとい、所属しているユニットが担当することになったのは、親会社が所有する、この施設の警備である。
この手のPMCであればオーソドックスな任務だが……今回に当たっては少々妙な点が2つあった。
1つ目は、ユニットの誰もこの施設が何のために存在し、中で何がで行われているか、もし警護が失敗した場合に何が起こるかを知らされていないこと。
2つ目は、この施設のどこにも、所有者である会社の名前が──────"ケミカルダイン"が記されていないこと。
幾重ものフェンスと有刺鉄線に囲まれ、外壁には配管や換気ダクト、一人がやっと通れる幅の点検歩廊が縦横に張り巡らすその様相は、立地も相まってダム施設に似てこそいるが、近くに湖なぞ存在せず。地熱発電所だとしても、設備構成が噛み合わない。強いて言うなら……うむ、要塞が1番似てるか? こちらで設置した対空砲やテント、装甲車やトラックのせいだが。
「……応答せず、か」
さて、2分以上呼びかけたがFOX3からの反応は無し。耳に届くのは、施設から垂れ流される各種設備の稼働音と、木々を揺らし翻る風の音、小鳥のさえずり、そして無機質なコール音だけ。
……確かに気になりはするが、まだそう慌てる時じゃないだろう。きっと。
『カヤ。任務の性質上、私たちは通信している姿を見られれば失敗。悟られるリスクについても常に細心の注意を払わなければならないという事は、知っての通りだ』
『それは……』
『なら、大方その事を考えて自ら切った。そう考えても良いんじゃないか? 樹海とまではいかないが、中々に植物が密集したロケーションだしな。1人にさせてくれる時間は、そう長くはないと見える』
『…………えぇ』
淡々とした態度で言ってやると、彼女は若干の沈黙を挟んだ後、納得の意を示した。
『とりあえずもう切るぞ。念の為警戒はしておくし、こちらからも確認を取る。それでいいな?』
『では……そのように。くれぐれも気をつけてください』
全く、どうしてこうも弱気なんだ? 表の仕事の方でなんかあったのか? ……まぁとにかく、今は優先してやることも特に無い。宣言通り、CPに掛け合ってパトロール班の現状を探っておこう。ああは言ったが、私とて心配なのだ。
とはいえ、配属されて日の浅い私が直接CPへ連絡を行うと、少々上手くいかない可能性がある。
そこで視線を巡らせると、少し離れた持ち場で先輩のタヌキ2人が呑気にも雑談に興じているのが見えた。彼らを利用させてもらうとしよう。
私はいくらか全身の力を抜き、自然な歩調を心がけつつ彼らへと近づいていく。
「上からのレーションは独特な味よな。化学を取り扱ってるとは到底思えないね。姉の作ってくれるワニのシチューが恋しいよ……」
「おい、お前のとこの飯はいつもワニだのコオロギばっかだな。私は絶対泊まんねぇぞ。頼まれたって食わねぇ」
「でもな、ワニの肉ってのはジューシーで有名なんで──────お、ユイ」
ユイ。それが私の偽名である。 歩み寄ってきたこちらに気づくと、先輩の一人が有難いことに話題を振ってきてくれる。
「お前食ったことあるか? ワニ」
「………ありますよ。前に1度だけですが」
「げぇっ……マジか。ありえね〜」
「美味いよな?」
「歯ごたえが感じられましたね」
「ああ、それで?」
「……? 以上ですが」
「「…………」」
む。なんだ。なんでそんな、2人揃って若干悲しい目を私に向けるんだ。食べたのは本当だぞ、前に何度か訓練の一環で──────。
「その……なんだ。もっと美味いもん、食えよ?」
「だな。美味いものといやぁ知ってるか? 最近噂になってるんだよ。キューバサンドのフードトラック! 見かけたら食いに行こうぜ。ユイも一緒にな!」
どうやら大きな誤解をされてるらしいが、かえって好都合だ。ここは"可愛い後輩"として頼み込むとしよう。
「ふふっ……ありがとうございます。ところで先輩、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ん? おう、なんだ?」
「先程、パトロール班が展開している方角の森に、不審な光の反射が見えた気がしまして。上に報告しようと思ったのですが……もし勘違いだった時に怒られるのが少し怖くて」
「ふん……まあ、新人が見間違いで騒ぎを起こすと、無駄にうるせぇからな」
「あるある」
「はい。ですので、念のためCPへの報告と、パトロールの方達への確認を……」
ここであえて言葉を濁し、頭の獣耳を心細げにへにゃりと伏せてみせる。いかにも間違いを恐れる新人のように、おずおずと彼らの顔を窺う。
「……出来れば、先輩の方から……」
か弱き後輩から向けられる信頼を真っ向から受け、庇護欲と【先輩風を吹かせたい】という自尊心は、見事に刺激されてくれたらしく、片方が小さな手で自分の胸を叩き、頼もしい笑みを浮かべた。
「なるほどな。よし、任しとけ。私がうまく聞いてやるよ」
意気揚々と言った具合に無線でコールを始める先輩。手玉に取られているとも知らずに胸を張るその姿へ、内心で僅かな哀れみの目を向けつつ、私は後ろ手でベルトへ触れ、左腰の端末を密かに操作した。
目的は、彼とCP間で交わされる通信の傍受である。このやり取りの中で、CP側に何か少しでも引っかかるような物言いがあれば、即座に警戒レベルを引き上げ、残りの隊員達にも速やかに危険を知らせる必要が出てくる。そうでなかった場合には、多少安心したくなるものの油断は禁物。あくまで探る為に必要な指標の一つとして捉えるのだ。
果たして、CPはどのような反応を返すのか。 私は再び麓を見やりつつ、インカムを装着している人耳の方へと深く意識を集中させる。 声のトーン、僅かな間の置き方、内容の矛盾の有無。それら各種情報をじっくり探ろうとした……まさにその時。
『各班、こちらCP! 各通信網及びレーダー機能の喪失を確認! 総員警戒配置! 繰り返す!! 総員警戒配置!!』
一際大きなテントに設置されたスピーカーから、CPの焦りきった怒声が大音量で鳴り響いた。すると間もなくして、不快な警報音が施設中に鳴り響き、これでもかと危機を喧伝し始める。
(…………運が悪いな)
これでは傍受どころではない。私は密かに端末をオフにし、ノイズが走るだけのインカムのチャンネルを元に戻す。 先輩も胸元の無線機から手を離し、慌てた様子でもう一人の同僚の肩を叩き、駆け出していった。釈迦に説法とはこの事か、【持ち場に戻れ】と指示しつつである。ふん。
(通信網の喪失……恐らくはクルミも……)
露呈による応答不能の可能性が低くなったことに、少しばかり安堵を覚えるも、今この状況が危険である事に変わりはなく。思考を切り替え、相手がどれ程の力を持つ勢力か頭を巡らす。初手で耳と目を奪いにきた時点で、アマチュアでないことは予想できるが。
『対空砲用意! 上空に未確認機! 我々の真上だ!!』
丁度持ち場に着いた所で、CPが新たな通達を告げる。まさかと思った。もし件の機で殴り込みをかけるのだとしたら、大胆にも程がある。こちら側の戦力や保有兵器がどれ程か把握しているのなら、かなりリスキーだと分かるはず。
大方、陽動か偵察用の無人機だろう。
私は自身の
まるで雷鳴のような、突き抜ける轟音が近づいてきた。
音源は真上だ──────。
「あれは……?」
思わず、口から疑問の声が零れ落ちる。
見上げた曇天の分厚い雲を引き裂き、一つの影が真っ直ぐに降下してくる。
雲に溶け込むような白色の装甲であるため明確な視認は困難だが、相手がUAVなどではないことだけは確かだった。
何故なら、迫りくるその巨大な影は……あろうことか、二本の腕と脚を持つ"人型"のシルエットをしていたからだ。
『未確認機へ告げる! 貴機は現在、当PMCが管轄する私有空域を侵犯している! 直ちに進路を変更し退避せよ! 本勧告に応じない場合、こちらも非常手段に出る!』
CPが拡声器越しに、焦燥に満ちた最後通告を叫ぶ。
すると、降下してくるそのアンノウンは、まるでこちらのお優しい警告を鼻で嗤うかのように、重厚な駆動音を鳴らしながら、空中で滑らかに四肢を稼働させた。
(あぁ……!!)
長きに渡って染み付いた身体の癖か、それとも純粋な生存本能か。私は何よりもまず身をかがめ、近くに停まっていたトラックの後ろへと全力で回り込んだ。 そうして心臓が三拍か四拍、一際大きく動いた後──────眩い閃光が、視界を蒼く染め上げた。
「ッ!!」
まるで天から放たれし槍の如く、降り注ぐ光。 極度に圧縮された眩きの塊が対空砲の一つに直撃すると、一瞬のうちに青白いスパークが走り、強固な砲身は融点に達してドロドロに溶解。直後───激しい爆発が巻き起こった。
全身を叩きつける熱波と爆風で髪が激しく煽られ、車体の下を吹き抜けてきた猛烈な爆風と土埃が、容赦なく顔に叩きつけられる。目に入った細かな砂を早急に涙で洗い流すべく瞬きを繰り返していると、間髪入れず、また新たな光が上空から幾筋も降り注いでくるのが、朧げな視界の中で確かに分かった。
(一体何が……なにがどうなってる……!?)
やがて視界がクリアになっていくと、目前の光景はより鮮明に脳裏へと刻まれていく。
陣地に配備されていた残りの対空砲達が、為す術もなく次々とあの蒼い閃光に撃ち抜かれ、溶解の後に沈黙していく。その周囲では、先程まで話に花を咲かせていたPMCたちが、恐怖と驚きに満ちた形相で駆け回っていた。ある者は無謀にも手持ちの銃で反撃を試みるが、次の瞬間には光が着弾する余波で紙切れのように吹き飛ばされていく。
そんな、怒号と爆発音が入り交じる渦中、私はトラックの陰から上空の白いアンノウン相手に目を細めた。
生き残りの対空砲が必死の弾幕を張ってはいるものの、あの機体には一発も直撃していなかったのだ。ヘリコプターのようなローターも、航空機のような翼も持たないその人型は、背部から突如として炎を噴き出し、鋭く身体を捻ることによって、瞬時に砲火をすり抜けている。
既存の戦術や技術を無視した上に成り立つ、およそこちらの常識では計り知れない異次元の機動だった。
(とにかく……ここはマズイ…!)
このままトラックの後ろに留まるのは危険である。
十中八九、敵は対空火器を優先して狙っている。とうとう残り1つとなった対空砲は、すぐ近くなのだ。巻き添えになるのは時間の問題。
そう判断し、私は即座に身を低く保ったまま、より強固なコンクリート製の施設外壁へと向かって駆け出すと、その判断の正否はすぐさま証明された。
私が外壁の裏へと滑り込んだ直後、つい先程まで身を隠していたトラックと、そのすぐ傍にあった最寄りの対空砲が、またもや射抜かれる。再びスパークと共に金属が蝋のように溶け落ちたかと思えば、それは瞬く間に激しい爆発を伴って跡形もなく飛散し──────直後、大地が震える。
重々しい衝撃が足裏から全身を突き上げ、土煙が舞い上がると……その中心には、すべての対空火器を沈黙させた白い巨体が、悠然と敷地内へ降り立っていた。
「ッ…………!」
その機体を見て、私は息を呑む。全体的にシャープで洗練された、今まで見たどの人型兵器よりも文明的なシルエットと、狐の骨格を思わす特徴的な脚部。騎士の持つ盾を彷彿とさせる左腕の武装に、先程までの光の源であろうエネルギー兵器は右腕に握られている。
もうもうと立ち込める土煙の中、青白い一条のスリットが静かに灯ると、頭部がゆっくり、私たちの様子を探るかのように巡り始めた。
「撃てぇッ!!」
怒号が飛ぶ。
次の瞬間、施設中で一斉に銃火が弾けていく。
それぞれの遮蔽物から身を乗り出した残りのPMCたちが、反撃とばかりに浴びせ続けると、殺到する四方からの銃弾が、装甲を火花で埋め尽くさんとした。
それに合わせて私も外壁の角へとライフルを据え、ショートスコープ越しに脚の関節部へ狙いを定める。短く息を止め、未知の存在を前に跳ね上がる鼓動を抑え込みながら、連続して引き金を引き、更にはグレネードランチャーまでも叩き込む。銃身下部とグリップをしっかりと握り込み放たれた多数の5.56mm弾と40mmグレネードは、どれも狙い通りヒットしてくれる。
だがソレは全くもって意に介してくれかった。
ここで遅れて、
腹の底まで震わす連射音と共に、親指ほどもある弾丸が一直線に装甲へと叩き込まれていく。熱を帯びた空薬莢は滝のようにはね散り、濃密な弾幕を形成。未確認機の装甲を少しでも啄まんとす。
「ロケエェット!!」
どこか悲鳴にも似た、しゃがれ声が轟いた後。応えるかのように、各所の遮蔽物や瓦礫の隙間から突き出された発射筒達が、筒口から続々と噴き上げる。空気の壁を叩き割るような重い発射音が、雄叫びをあげた。
(パンツァーファウスト3───……仕事が早いな)
この極限下において、彼等PMCは確かな判断と統率、そして勇敢さを携え、正しく立派に動こうと努めていた。
狙う先は全て腰部。
射出された対戦車榴弾はRHA換算で700mmを貫徹せしめる代物。それがロケットモーターの点火によって毎秒250m近くまで加速すると、その慣性を保ったまま一直線に突き進み───程なくして。
一発。二発。三発。
ほとんど時間差なく、続けざまに榴弾は到達。
食い破り、貫かんとするその拳は鈍さと甲高さの入り交じる炸裂音と衝撃音を何重にも重ね、着弾箇所には破片と噴煙が、小さく吹き上がった。
ゴリアテ等であれば中破、パワーローダー相手ならば大破まで持っていける程の攻撃。コレには何かしらの反応が。装甲は抜けなくとも、姿勢を崩すなりはするだろうと、誰もが願った──────。
しかし、ヤツは依然として不動だった。
腰部のパーツには黒く煤けた着弾痕だけが残り、そこから立ち昇る白煙だけが、直撃の成果。そうして機体は身じろぎ一つ起こさぬまま、ただゆっくりと頭部だけを動かし……自身へ撃ち込んできた者たちの場所を、正確に捉えてしまう。
「退避しろぉおお!!」
やがて、その機体が唸りのような駆動音と共に右腕の装備を突きつける。その先は無論彼ら。
蜘蛛の子を散らすようにPMC達が駆け出していくと、まるで追い立てるかのように武装下部のもう1つの砲身が僅かにはねる。
一発、二発、三発。
明確な意志を持っているのだろうか。お返しとばかりの飛翔体が3つ。彼らのすぐ側の"地面"へと打ち込まれた。
たちまち────地をえぐりとる爆発。
土とコンクリート片が混ざり爆ぜ上がる。土嚢やテントは爆炎によって引き裂かれ、瓦礫や遮蔽物達はみるみる内に砕かれ、吹き荒れる爆圧が灰と炎を巻き上げると、PMC達を乱暴に薙ぎ払っていく。
更には近くに配置されていた拠点防衛用の主力戦車までが、まるで玩具のように弾き飛ばされる。砲塔をひしゃげさせたまま宙を回転し、数十トンはある鉄塊が私の頭上を掠めたのだ。そのあんまりな光景に、私は呆気にとられて固まったまま、思わず目を見開いていた。
ここで立ち止まっている場合では無いと頭で理解しつつも、背筋に走る寒気を感じるまま、完全に釘付けとなり、戦車が後方の崖下へと転がり落ち、山肌を震わす轟音と共に盛大な火柱を上げるまでの行く末を、ただただ見届けてしまう。
完全な蹂躙だった。私たちの持つ小銃はおろか、重火器でさえ全く通用しなかった。攻撃力、防御力、俊敏性。全てのステータスにおいて完全に優位。あの白い機体の前では既存の戦術や兵器など為す術なく。
そんな、圧倒的にも程がある存在を前に、頭の中で積み上げてきた常識や経験則が音を立てて崩れていく。全くもって理解の追いつかない、だが目の前にある現実に思考を掻き乱されていると……ぐい、と強く服の裾を引かれた。
「走れ。ここはもうダメだ」
煤と生傷にまみれた顔でそこにいたのは、先程言葉を交わしたタヌキの先輩だった。
彼の目には明らかな恐怖が宿っている。だがそれでも彼は、新人である私に対し、大丈夫だと言い聞かせたがりな、半ばハッタリを効かせた声で退避を促してくれた。
体格は小さく、力量だって恐らくは私より下だと思うが……この場に至っては、なんだか頼もしく見えた。年の差か……? いや、それは後回しだ。私は硬直していた思考を振り払い、彼の言葉に力強く頷く。
それから先輩と共に下の森林地帯へ向けて走り出すと、そこには同じように撤退を決断し、息を切らせて集まってくる数名の生き残りたちの姿があった。
彼らと迅速に合流し、互いに声を掛け合い、負傷者へ肩を貸す。
背後から猛烈な熱波と爆音が迫りくる中、無数の薬莢やひしゃげた鉄骨が散乱する足場を一心不乱に蹴り続け、私たちは炎と分厚い黒煙を上げる施設から一刻も早く離脱すべく駆け出したのだ。
(…………!)
土煙を上げて逃げ惑う最中、咄嗟に私は一度だけ背後を振り返る。 凄まじい衝撃波によって、施設の強化ガラスは軒並み粉々に砕け散り、断線した送電ケーブルが地に落ちると、目をやられた蛇のようにのたうち回り、激しい火花を散らしている。
正しく惨状と言えるその中心……何故かヤツは、逃げる我々や他の傭兵達への興味は一切見せず、施設の中央棟にのみ、歩を進めていた。
やがて、機体の左腕に備えられた武装からは、眩い光を放つトーチが二本形成される。それが施設の防護壁に深々と突き立てられると、接した箇所からみるみる内に赤熱し、瞬く間に真円の巨大な侵入経路が開拓されていった。
「ユイ! 何やってる、早く行くぞ!!」
あの機体について今把握できることは殆どないが、今後何かしらの形で関わるかもしれない。
そう考えた私は、少しでも情報を残しておくべく、ポケットに忍ばせていた小型のフィルムカメラを取り出した。
デジタルデータは外部からの要因で証拠を改竄されるリスクが付き纏うと、カヤが持たせたのだ。つまり、毎度ハッキングによって自身の姿をハッキリさせない"彼女"への対策である。
それがまさか今ここで役立つとは──────いや、待てよ……? これほどの電子戦スキル。そうそう数がいる訳ではない。もし、浮かんだ予感が的中したなら、白い未確認機と黒い鳥。双方の関係性や共通点についての、新たな頭痛の種が増えるな。確実に。
……だがまずはこの場を写してからだろう。
私は燃え盛る施設と、そこへ侵入を試みる巨影をしっかりとファインダーに収め、先輩の呼びかけを背にシャッターを切った。
白い人型機動兵器の写真。
ややブレが目立つものの、大まかに内容を把握できる写真。
ケミカルダイン社の内部情報を尽く盗んだ、例のウィザード級ハッカーと関係があるのではと予想されるが、真相は闇の中である。
尚、このような未知の人型兵器が目撃された例は、これが初めてではない。
雷帝による統治期間の末にも、同種と思われる機体が2機確認されており、ゲヘナ情報部の最高機密である。
現在表に出回っている関連情報は、2機の間に敵対関係が見られたこと。目撃された場所は複数存在し、一部は現在もまだ立ち入り禁止区域として厳重に管理されていること。唯一そこへ立ち入った生徒には、細胞への深刻なダメージが確認された事のみである。