某日某所。
とある料亭内の個室座敷にて綾小路篤臣は、待ち人の到着を心待ちにしていた。
篤臣が料亭に入ってかれこれ1時間近くは経つが、篤臣の待ち人は一向に到着しない。
だが、その事に篤臣が焦る事はない。
件の人物が遅れて到着する事など、いつもの事なのだから。
「全然来る気配ないですねぇ。もうかれこれ1時間は経ってるじゃないですか。もしかして忘れられてたりしませんよね?」
座敷の下座に着座していた鴨川が、篤臣に向かいそう問いかける。
対する篤臣はそんな鴨川に少し呆れ気味の様子で応える。
「直江先生が遅れてくるなど、いつもの事だろう。いい加減慣れろ」
「いやいや、分かってはいるんですけど、何もせず何時間も待つのもしんどいですよ。目の前の料理に口を付ける訳にもいきませんし」
鴨川の視線は、目の前に鎮座した料理やお酒に釘付けだ。
この状況では鴨川のような状態になってしまうのも無理はない。篤臣自身も過去に何度か誘惑に負けそうになった事もある手前、そんな鴨川を責めるつもりもなかった。
「む、来たようだな。無駄話はそこまでだ。切り替えろ」
篤臣のスマホに着信が入り、目的の人物が到着した旨が伝達された。
そんな篤臣の発言に鴨川は急いであぐらから正座へと切り替え、障子が開かれるよりも前に篤臣と共に頭を深く下げる。
そして暫くの後、障子が開かれた。
「おう、待たせて悪かったな」
「いえ、とんでもございません。本日はご多忙の中、わざわざありがとうございます」
「とりあえず頭を上げろ二人とも。話が進まん」
篤臣は深く下げていた頭を上げながら、入室してきた人物を視界に捉える。
直江仁之助。
与党である市民党に属し、運輸大臣、経済産業大臣など数多くの役職を経験している。歳は70を超えているが、その身に纏う覇気や存在感は衰える事なく未だ現役。現在は幹事長を務めており、党の実権を握っている総元締めだ。
篤臣はそんな直江の元に近寄り、グラスにビールを注ぐ。
「さて、早速だが綾小路。例のプロジェクトの進捗はどうなってる?」
「はい、概ね順調に事は運んでおりますが、ホワイトルームはまだ私や先生が理想とする教育施設には残念ながら至ってはおりません」
「ホワイトルーム……ああ、あの施設の名か。そういやぁ月城から聞いた話だと、施設も白を基調とした造りになっているとは聞いてるぜ」
月城。
その名を耳にした瞬間、篤臣は胡散臭い笑みを浮かべるどっちつかずな『何でも屋』の顔を思い出し僅かに苛立つ。
だがそんな自分の内心を悟らせない無表情で篤臣は口を開く。
「単純なイメージ戦略ではありますが、白には純粋、無垢、清潔、神聖といったプラスとなるイメージが根強いため、教育施設を視察しにくる政府関係者に少しでもクリーンなものであるという印象付ける狙いもあります」
「そうか……まぁそういったイメージ戦略も侮れんものだ。現に俺の耳にもホワイトルームの噂は入ってくるが、評価はそれなりのものだ。よくここまでやったと及第点くらいはくれてやる」
「ありがとうございます」
「だが、お前も自分で理解しているようだが、まだ理想には程遠い……綾小路、このプロジェクトの存在は俺にとっての隠し玉だってのは分かってるな?」
「勿論です。ホワイトルームの存在は先生が次期総裁選を制し、国のトップに立つための礎となるでしょう」
「ああ、そうだ。このプロジェクトの成否によって、選挙に大きな影響を与える」
直江の言葉に篤臣は頷く。
人材育成計画改め、プロジェクト
本プロジェクトは低下の一途を辿る日本の教育水準の底上げを目的とし、子供たちに適切な教育を施す事により、20年30年先の国の未来を見据えた計画。
……というのは表向きの話。
直江は本気で日本の教育を変えたいとは微塵も思っていない。
ただ単に子供の教育というのは、国の発展と切っても切れない関係にあり、支持者たちからの受けもいいという理由でこのプロジェクトを立案した。
そしてゆくゆくはホワイトルームで徹底的な英才教育と調教を施された金の卵たちを直江派の一員として政界に送り込む。
言ってしまえば直江の権力を強め、より支持されるための戦略として打ち出されたプロジェクトだ。
「だがホワイトルームの噂と同時に少し気になる話を聞いてな。どうにも鬼島の野郎がちっとばかし不穏な動きを見せてやがる」
「不穏な動き、ですか?」
「具体的な内容まではつかめなかったが、奴も次の選挙に向けて何か企んでるって事だろう。秘密裏に何らかのプロジェクトを進めていても不思議じゃねぇ。高育の件しかり、俺ぁアイツこそ警戒すべき最大の敵だと思ってる。こちらも月城を使い鬼島の周辺を色々調べさせるが、奴が余計な手を打ってくる前にこっちの手札を盤石なものにしときたい」
ジロリと鋭い双眸が篤臣と、震えながら正座をする鴨川へと向けられる。
「ここからは時間との勝負になってくるだろう。鬼島が何等かの成果を上げるよりも早く、こちらはさらなる成果を叩き出さなければならない。Time is moneyだ。急げよ、綾小路?」
「はい、既に計画は立てておりますのでご安心を。必ずやこのプロジェクトを完遂させていただきます」
プロジェクトの成果によってはホワイトルームはいずれ、あの高度育成高等学校と同じ期待を寄せられ、政府公認の教育施設へと変わっていく事だろう。
そうなれば自然と名声が付いてくる。
党内での発言力も増す。
年老いた直江が現役を退く時、篤臣には巨大なポストが約束されたも同然。
必ず成り上がり、この国の頂点に立つという野望を抱く篤臣からしてもこのプロジェクトはとても重要な案件であった。
またそれに加え、己がかねてより考える教育理念を昇華させるのにも、ホワイトルームという存在は篤臣の人生において必要不可欠な存在となっている。
だから失敗など許されない。
必ず成功に導かなければならない。
この世は、『結果』こそが全てなのだから。
篤臣は拳を握りしめながら、新たに決意を浮かべた。
◇
直江との密談を終えた翌日。
篤臣は険しい表情を浮かべながらこれからについて考える。
(鈴懸が作り上げた教育カリキュラムは、非人道的という一点に目を瞑れば低難度のモノでも人間を確実に成長させる合理的な内容だ。これまでの統計データからも子供の限界値というのは見えてきた。その限界ギリギリのところを攻めた教育を施してきたが……それではまだ足りない)
直江に急かされずとも篤臣自身も感じていた事だ。
今のままでは、時間が掛かり過ぎると。
だが、ホワイトルームにいる全ての生徒たちにそれ以上を求めるのは酷というものだろう。
(だからこその4期生。だからこそのβカリキュラムだ。求められるのは他を圧倒する能力。決して屈さず揺れる事のない鋼の意志。人が化け物と評する者で初めて今の腐敗した政界に切り込む事ができる)
元々4期生に在籍するのは、そのほとんどが使い捨てても問題のない裏から手を回した子供たちだ。だからこそ多少の無茶もきく。
欲しいのはβカリキュラムを実施した際のデータだ。
4期生の生徒たち全員の結果が出揃ったら、他の期生たちにも順繰りにカリキュラムのレベルを上げていく。そして最終的に4期生が受けているβと遜色のない高位のカリキュラムに昇華させる。
つまり4期生は最初から脱落を前提とした捨て駒。5期生以降の後進育成をよりスムーズに行うための今後を見据えた生贄。
……だったのだが。
(ここまでβカリキュラムの教育についてこれるとはな……予想外だ。眞哉はともかく、まさか清隆がここまで化けるとは思ってもみなかった)
清隆と眞哉。
あの二人だけは最早別格と言ってもいい。それこそ他と比較するのが馬鹿馬鹿しくなるほどのレベルだ。
現段階では間違いなくホワイトルームに属する全ての生徒たちの頂点。
(このまま奴らの才能を殺すのも惜しいな……うむ、生徒たちに競争意識を持たせるために、清隆と眞哉の存在を5期生以降の生徒たちに認知させるのも一つの手か。競争は能力向上の飛躍につながる)
他の生徒たちに新たな目標を定めさせるのは悪くない手だと、篤臣は考える。
だが、問題がない訳でもない。
それは清隆と眞哉の実力が、他の生徒たちの実力とかけ離れ過ぎているという点。
目標とは高いと感じつつも追いつけるかもしれない、という希望があるからこそ成立するものだ。
到達する事が絶対に出来ない目標では意味がない。
(清隆と眞哉の開示する情報はこちらでコントロールするか。実際の能力よりも何段階も低く見せれば、各期生のトップたちならば二人を超えてやろうと闘争心に火が付くだろう)
それでも生徒たちの中には、そんな好成績を残す二人の存在を疑う者も出てくるだろうが、その時は実際に何段階か落としたカリキュラムを二人に実施させ、その光景を見せればいいだけだ。何の問題もないだろう。
「失礼します、綾小路さん。坂柳様がお越しになられましたが……どの見学室にお通しいたしますか?」
来客の来訪を告げにきた田淵の言葉に篤臣は思考を中断する。
もうそんな時間か、と内心でそう呟きながら指示を出す。
「坂柳からは4期生の教育風景を見学したいと連絡が来ていたな」
「! ……しかし、4期生のカリキュラムは」
「無論。いつものカリキュラム内容を見せる訳にはいかない。いくらかレベルを落としたモノを見せるつもりだ。そうだな……今5期生が行っているカリキュラムは、本来なら4期生で行う筈だったものだ。難度4のカリキュラムを実施するよう4期生の担当教官たちに伝えてくれ」
下手に刺激の強いものを見せれば拒否反応が出かねない。今坂柳との関係が拗れるのは得策ではないと篤臣はそう判断する。
「ついでだ、別室で5期生の生徒たちにも4期生のカリキュラム風景を見せろ。自分たちが苦労して行っているカリキュラムを楽々とクリアする生徒たちの存在は、5期生にとっても刺激的に映るだろう」
「了解しました。すぐに各教官たちに伝達いたします」
その日見た光景を少女は決して忘れないだろう。
父親に連れられて訪れた山奥のある特殊な施設。部屋も廊下も全てが白で統一されたそこで、少女は室内にいる子供たちを見た。
大人から与えられた課題をクリアしていく子供たちの姿を。
その年代を考えればどれも無理難題な課題ばかりだというのに、その全員が合格ラインを超えた成績を叩き出す姿は異様な光景だった。
マジックミラー越しに映るその世界は、まさに別世界。
常人ならその光景に圧倒され、課題をクリアした子供たちを天才だともてはやすだろう。
だが、少女はそうは思わなかった。
(人工的に天才を作り出す施設……ホワイトルーム。確かに目の前に映る光景はすごいですが、彼らを天才という枠に収めていいのかは疑問が湧きますね)
ここで教育された者は、どのような者でも優秀な人間として成長する事ができると少女はそう聞いていた。
だが、少女は思う。
凡人はどこまでいっても凡人であり、その枠を超える事はできないのではないのかと。
何故なら人は生まれた瞬間にそのポテンシャルは決まっており、刻まれたDNA以上の事はできないからだ。
仮にこの施設で頭角を現す子供がいたのなら、それはただ単に優秀なDNAを持っていたに過ぎない。
それが少女の見解。
(結局、カリキュラムを生き残る子供がいても、それは親の才能に恵まれているだけ。ここまで勝ち残った子供たちは元々が優秀だったとも言える。その可能性がある以上、果たしてこの実験に意味はあるのでしょうか?)
優秀な人間を生み出す事はできても、天才を生み出す事など不可能。
少女はそう結論付け、この箱庭の中で過ごす彼らに哀れみの籠った瞳を向けざるを得なかった。
この施設の最終目標は教育した子供全員を天才にする事にある。今はまだ実験段階である以上、ここにいる子供たちは未来の子供たちのために生きるただのサンプルに過ぎない。
それ故に今カリキュラムを受けている彼らが、決して報われる事はないと言う事を知っている。
もう見るべきものはないだろうと、少女が子供たちから視線を外そうとした時、少女の視線がある場所へと固定される。
「……あの子たち」
少女の視界の先にいるのは、二人の少年。
茶髪の無表情な少年と、黒髪つり目の少年が少女の瞳に映る。
課題に必死で食らいついている周囲の子供たちとは違い、余裕そうな表情で課題を淡々とこなすその姿は、明らかな異彩を放っていた。
「お父様、あの二人は一体……」
あまりにも周囲の子供たちとレベルも雰囲気も何もかもが違いすぎる。
少女は近くにいた父親に彼らについて尋ねると、父親は「あぁ、」とどこか寂しそうに頷く。
「彼らは綾小路先生と鈴懸さんのご子息だね。茶髪の子が綾小路先生の息子の清隆くんで、もう一人が鈴懸さんの息子の眞哉くんだよ」
父親から名前を聞いた少女は、綾小路、清隆……鈴懸、眞哉と、それぞれの名前を口の中で小さく呟く。
そして少女の視線は二人の少年へと向けられ続ける。
現在二人は、互いに向き合いチェスの対局を行っている。
チェスのルールを少女は
だからどのような戦術を取り、勝利へのルートを構築するのか、今の少女にはまだ分からない。
だが、そんな素人の少女から見ても一言だけ言える事があった。
「……すごい」
互いにほぼノータイムで駒を動かす。
最適解を瞬時に導き出し一手一手が相手を屠るための伏線で、予想外の角度から攻撃や防衛を繰り広げ、盤上の光景が様変わりしていく。
だが当人たちの表情に変化はない。
まるでこの程度は予想済みだと言わんばかりに。
彼らは一体何十手先まで見据えて勝負しているのだろうかと、少女はそのような事を考え、震える。
少女はその光景に、その光景を作り出した二人に強い感動を抱いた。
だが、そんな光景を作り出した当人たちがどこまでも無機質で無感情であるのが気になった。
少女は幼いながら聡かった。
だからこそ、気付く。
あの二人は、愛と言うものを知らない。
人は触れ合う事で温かさを知る事ができる。
だけど、このホワイトルームという環境はそんな当たり前の事すら否定してしまう。
だから彼らはどこまでも無機質で、まるで機械のように冷たい。
それが、少女には納得ができなかった。
「お父様。私、チェスを覚えてみようと思います」
だからこそ、少女は新たな目標を立てた。
このホワイトルームの在り方を否定すると。
偽りの天才たちに己の存在を焼き付けると。
そしていずれは彼らに――――
その日見た光景を少女は決して忘れないだろう。
教官の指示により連れてこられたモニター室には、ホワイトルーム5期生の生徒たちが集っていた。
その日は、彼女たちの一つ上の世代である4期生たちのカリキュラム光景を見学するという変わった日であった。
そんな他期生のカリキュラム風景などを見学して何か意味があるのかと、5期生の成績上位者たちは疑問に思いつつも、4期生の姿を視認する。
――そして彼らは絶句する。
そのレベルの高さに。
自分たちが苦労してクリアした課題を彼らは軽々とクリアしていった。
一体何の冗談だと目の前の現実を否定したかった。
非現実的なその光景に夢を見ていると思う者もいただろう。
だが、目の前で繰り広げられる光景は、紛れもない現実だった。
その中でもより顕著なのは、二人の生徒。
鈴懸眞哉と綾小路清隆だろう。
淡々と驚異的な成績を次々に残していくその二人は明らかに異質。
鈴懸眞哉が格闘技のカリキュラムで教官を正面から叩きのめした時は、5期生全体に動揺が走る。
その光景を誰よりも真剣に見ていた少女は笑う。
「……アハ♪」
まるで獲物を狙う捕食者のように。
あるいは恋する乙女のように。
その目に、脳内に、魂にその光景を刻み込んだ。
眞哉「ん? なんだか今日の教官はいつもより歯ごたえがないな。まぁいい。いつぞやの借りも含め、叩きのめすとしよう」
教官「え、ちょっ!?」