今回、前話から時間軸がかなり飛びます。
「ホワイトルーム4期生の稼働から既に14年の月日が経った。早いものだ。あれだけ小さかった眞哉たちが、今では世間で言うところの中学2年生まで成長したというのだから」
このホワイトルームの教育カリキュラムを取り仕切る鈴懸鍛治が、らしくないと思いつつも感慨深そうに呟く。
彼の脳内では、この14年に起きた出来事が駆け巡っている。
脱落した73名の子供たちや生き残っている2人の子供へ思いを馳せてしまうのは、それだけ彼にとってもこの4期生のカリキュラムは特別だったのだろう。
無茶だと分かっているカリキュラムを年端もいかない子供たちに強制し、人として超えてはいけないラインを軽く超え、教育を受けた子供たちが社会復帰不能なレベルまでトラウマを抱えると理解していながら、鈴懸は人として、親としての己を捨て去り、一人の研究員として走り続けた。
「だがそれも今日ここまでの話だ。このホワイトルームが今日から暫くの間、凍結する事になったからだ。理由は聞いている。何でも直江という政治家がそうなるよう働きかけたそうだ」
全く面倒な事をしてくれたもんだと、鈴懸は会った事もないその政治家に対して恨みを抱く。
「まぁ長期休暇ができたと前向きに考えておくか。あの綾小路さんが大人しくこのホワイトルームを諦めるとも思えない。何らかの手は打つだろう」
一息つくように鈴懸はパソコンのモニターを落とす。
そして彼は他の期生に対して思いを馳せる。
「しかし人間というのは本当に面白いな。教えてもいない事を学習している節がある。特に他者とのコミュニケーションを求める行為……これは4期生の雪が顕著であったが他期生の子供たちの中にもそのような行為を求める者もいた」
その事から実験的な意味も込めて、5期生以降の教育にコミュニケーションのカリキュラムを導入してみる事にした。当然、感情を育てる代わりに能力の上昇率が下がるなどの非効率な面も存在したが、それでも5期生以降のカリキュラムは3期生までに使用されているカリキュラムよりも難易度が高いという事もあり、5期生以降の生徒たちは3期生の生徒よりも全体的に優れた能力を身に付ける事に成功した。
「特に頭角を現したのは、5期生の拓也と一夏だろうか。特に拓也の方はこちらが想定していた以上に能力を向上させトップの成績を独走している。これは眞哉と清隆の存在を認識させた影響だろう。だが、そんな拓也でもやはり眞哉と清隆の2人と比べると大きな隔たりがある。しかしそれは仕方のない事だ」
鈴懸が用意した10段階の教育カリキュラム。
5期生たちに実施しているのは、4段階目の難度。そのため、どう足掻いたところで10段階目の最高難度を享受している眞哉と清隆に追いつける筈もないのだから。
「だが、他の研究員たちはそうは思っていないようだ。ホワイトルームの教育があれば全ての子供は、眞哉や清隆と同じレベルまで到達できると信じている。だが俺に言わせれば、あの2人は例外だ」
これまでの教育結果から、人間の限界値は5期生に適用した4段階目の難度、または6期生に適用した5段階目の難度辺りが限界だろう。現に7期生に適用した6段階目の教育では、既に全員が脱落してしまった。
「実際の能力よりも低い状態で情報を開示している現状でも、誰も追いつけていない事実からそれは分かりきっている事だ」
鈴懸は机の上に置いてある2人の資料を見ながら、ため息を吐く。
ホワイトルームが生んだ最高傑作、怪物、化け物。
彼らを表現する方法はいくらでもあり、その2人を超える子供が現れるなどあり得ないだろうと思わせる記録内容。
だが、
「唯一あの2人が5期生以降の子供たちに現状劣っている部分があるとすれば、それは感情面だろう。大勢が知る当たり前の事を彼らは知らない。眞哉は雪が脱落する際に感情の波が漏れ出た事はあるが、それは限定的なものだった。清隆に関しては常に無で感情が揺れ動いた記録は一度もない」
まぁそれでもコミュニケーションのカリキュラムを追加すれば、2人とも覚えるのだろうが、その結果、感情を覚えた2人がどのような行動を起こすか、その弊害がどれだけ出るかも未知数。
「俺が生み出したあの怪物たちをより完璧にするには、ここだけの教育では不十分か。ホワイトルームがこのタイミングで凍結したというのは何かの縁かもしれないな。二人が外の世界でどこまでやれるのか、見極めさせてもらおう」
自嘲気味にそう呟く鈴懸の頭の中には、ある考えが浮かぶ。
それを実践するために彼は携帯を取り出してとある番号を打ち込む。
コール音が数回続いた後、通話は繋がった。
「鈴懸です。久しぶりですね、ミスター。今日はあなたに折り入って相談がありまして――――」
◇
ホワイトルームが一時的に凍結される、という話を教官から聞かされた。
理由は教えてくれなかったため不明だが、何らかのトラブルで運営を継続する事が難しくなったのだろう。
だがすぐにそんな大人の事情などどうでもよくなる。
今重要なのは、俺はバーチャルではない本物の外の世界へと出る事になったという事だ。いつかは出れると思っていたが、まさかこんなに早く出る事ができるとは夢にも思っていなかった。
「…………」
外の世界はバーチャルで見た世界とほぼ同じだった。
俺や志朗が夢見ていた世界が広がっている。
その事に俺は自分がもう少し感動するものだとばかり思っていたが、それほど心が揺れ動いていない事に気付く。
バーチャルな世界で体験した時以上の衝撃はなかった。それだけバーチャル世界が巧妙に作られていたとも言えるが、少し肩透かしをくらった気分だ。
俺はそのまま研究員の石田さんが運転する車に乗せられ、窓から流れゆく景色を眺める。
バーチャルではない人々の営みを脳に刻む。
そんな感じに周囲の風景を何と無しに眺めていると、どうやら目的の場所に着いたようだ。車を駐車場に入れ、石田さんが話しかけ来る。
「さて、眞哉くん。目的地に到着しました。降りましょうか」
「……クリニックですか。まさかここで次のカリキュラムをやる気ですか?」
俺は不審に思いながら石田さんに尋ねると、彼は苦笑を零しながら否定する。
「いえいえ、ここに立ち寄ったのはある人物がどうしても眞哉くんに会いたいと希望をなされていたからです。相応の出資をしてくれた人の頼みという事もあり、我々としても無下には扱えないのですよ」
「はぁ……?」
そんな人物が俺に一体何の用だというのか。
要領を得ないが命令なら仕方ない。
俺は車を降りて、石田さん先導のもとクリニックの中に入る。
受付で話をする石田さんをしり目に、俺は周囲をそれとなしに観察してみる事にした。
待合室の椅子には、様々な年代の子供たちとその親と思われる大人たちが待機していた。
静かに待つ子供も居れば、落ち着きのない子供を叱る親もいる。リアリティのあるその光景に、ああ、これが本当の現実の光景なのかと納得する。
バーチャルな世界で再現された人間は、こんな無駄な行動は一切していなかったため、少し新鮮に感じる。
すると、そこで受付を終えた石田さんが戻ってきて、俺を別室へと案内する。中は簡素な机と椅子が置いてあるだけの空室だ。
「さて、このクリニックの院長が時期に迎えに来るだろうから、指示があるまでここで待機してくれるかな。私は先に車の中で待っているから用事が終わったら、戻ってきてくれ」
そう言って、石田さんは部屋を退室した。
残された俺は指示に従い、院長とやらが来るのを静かに待った。暫く一人で待機していると、部屋の扉をノックする音が響く。
「待たせてしまってすまない、君が鈴懸眞哉くんだね。今日は来てくれてありがとう」
現れたのは、白衣を着た40代くらいの男性。
ホワイトルームでは見た事のない顔だ。おそらく先ほど石田さんが言っていたこのクリニックの院長だろう。
待ち人が現れた事に俺は漸くかと思いながら椅子から立ち上がり、挨拶もそこそこに早速本題に入る。
「それで、俺に一体何の用ですか?」
「実は君に会わせたい子がいてね。無理を言って綾小路先生にお願いしたんだ」
「俺に会わせたい……ですか?」
彼は花瓶を持ちながら、着いてきてくれと俺を先導する。
素直にその後を付いていくと、院長は歩きながら話を続ける。
「あの子は随分と心が弱ってしまってね。満足に外出もできていないんだ。家の中と、このクリニックだけは比較的平静を保てている。だからここに来てもらったんだ」
さぁここだよと、ある室内の扉の前に来る。
そしてノックをして扉を開けると、俺の視界に一人の少女が入り込んだ。
その少女と目が合うと、少女の方は驚きに目を丸くする。
「眞哉……!」
「雪……!」
記憶の中よりも少し成長した少女に名前を呼ばれ、俺もまた僅かばかりの驚きを宿しながら、彼女の名前を呼んだ。
◆
(これが……バーチャルではない本物の現実か。思った以上に違和感がないな)
車の後部座席に乗りながら、綾小路清隆は窓の外に映される光景を眺め、そのような事を考える。
その瞳に感動はない。
バーチャルで見た世界とそこまで大きな変化は今のところ見当たらない。志朗が何故あれほど外の世界を渇望していたのか、未だよく分かっていない。
(そういえば、眞哉も外の世界には興味を持っていたな。眞哉の場合は志朗とはまた違った理由だろうが、オレにはどちらの言い分も理解できないものだったな)
自由が欲しい志朗と、感動が欲しい眞哉。
清隆にはその二人のような欲しいものはない。
そして何故、二人がそこまでそんなものを欲したのかも分からないままだ。
だが、
(分からないのなら、それを理解し学ぶ必要がある。外の世界に居ればその答えが見つかるかもしれない。現状、オレが学ぶべき相手は眞哉一人に限定されている。自らを今以上に高めるのなら、もう少し視野を広げる必要がある。そういう意味では今回の件は丁度いいのかもしれないな)
清隆がこれから自分の取るべき行動を頭の中で考えていると、隣の席に座っていた男から声が掛けられた。
「清隆。お前はこれから暫くの間、俺の傍でホワイトルーム学習のカリキュラムを継続する。眞哉は鈴懸に一任するため、暫くはお前一人で学ぶ事になる。ホワイトルーム再開に合わせてお前らにはまた施設に戻ってもらうが」
「分かってる」
男、綾小路篤臣からの言葉に清隆は無表情で頷く。
だが、清隆の中ではホワイトルームでのこれ以上の学習に意味はないと冷静に判断を下していた。
自分は既に常人が一生をかけて学習する知識量を遥かに超えるものを身に付けた。戦闘においてもその道のプロを相手に勝てる実力もある。
ならばこれ以上は時間の無駄だ。ホワイトルームに居てはこれ以上の変化は望めないだろう。
(こちらが牙を研いでいる事を悟らせる訳にはいかない。今はただ従順な振りをして全てのコントロールが上手く言っていると思わせておけばいい)
清隆はホワイトルームを抜け出すために利用できる存在を頭に浮かべながら、これからの算段を静かに立てはじめる。
(さて、これからどうしたものか)
隣で何の感情もなく外の景色を眺めている清隆を視界の端に捉えながら、綾小路篤臣はこれからについて思考を進める。
(当初の予定では清隆と眞哉の二人にはホワイトルームでの人材育成のためにその生涯を捧げさせ、いずれは二人に近い存在を複数生み出す事を目的としていたのだが、俺の
執事の松雄が運転する無言の車内の中、篤臣は思う。
(究極の完成体が二人いるのは不幸中の幸いだな。どちらか片方を予定通りホワイトルームの教育者として育て、もう片方を俺の味方として政治の世界へと送り込むのが理想だが……清隆か眞哉、どちらをどう使用するべきか)
普通に考えるのなら、自分の息子という肩書を持ってしまった清隆を政界へと送るという選択はなるべくなら避けたい。所詮、2世に後を継がせただけだと大衆はそう思うだろう。それは大きなデメリットだ。
ならば、政界へと送り込むのは自ずと眞哉になるのだが、眞哉には
(まぁどちらにせよ、清隆も眞哉も世間をそう知らないという事もありまだ未熟だ。喜怒哀楽の欠如など、感情面の不安もある。その改善を図りつつ、計画を変更するための事前準備もしておくに越した事はない)
篤臣には敵が多い。
予想外の事が起きてもいいように本命とは別にいくつかプランを立て、柔軟に対応できるように戦略を練り始める。
(俺は決して貴様の思い通りにはならん。便利に使い倒して、それで済むと思うなよ直江。俺を裏切った事……必ず後悔させてやる)
思い出すのは、
次期総裁選に向け、直江の指示により水面下で進めていたはずのホワイトルームプロジェクト。
そんな一大プロジェクトを直江から凍結すると聞いた時は耳を疑った。
事態は自分の知らないところで大きな変化を迎えていたのだ。
思いも寄らなかった。
まさか鬼島も
直江との間にどのような話し合いがなされたのかは不明だが、結果的に直江は折れ、鬼島についたらしい。
鬼島はホワイトルームの存在を快く思っていない。
だからこそのプロジェクトの白紙化。
今思い出しても腸が煮えくり返る。
ホワイトルームは、篤臣にとっての人生そのもの。
多くの犠牲の中で運営されているのだ。
当然、素直に頷けるはずもない。
反発した結果、直江と鬼島の両者を敵に回してしまい、篤臣は政治家としての肩書を失った。
だが、それで終わる気はさらさらない。
(厄介なのは鬼島だな。あの直江が認めるほどの才覚……奴が水面下で進めていたプロジェクトも気になるところだ……業腹だが月城を使うか。あの仕事人ならある程度の無茶ぶりでも融通が利くだろう。敵を確実に潰すためにも、鬼島と高育の弱みは最低限握っておきたい)
篤臣は静かに、冷徹に思考を続けていく。
直江にも鬼島にも必ず復讐する事を決意して。
◇
「今日はわざわざありがとう、眞哉くん。雪のために時間を使ってもらって」
「いえ、俺も雪とはいろいろと話したい事があったので、この程度問題ないです」
「そうか。そう言ってくれるとこちらとしても助かる。あんな楽しそうな雪を見るのは久しぶりだ。やはり君に来てもらってよかった」
雪がいる病室から退室し、俺は石田さんの待つ車へと歩を進める。
久しぶりに見た雪は、泣いたり笑ったりと様々な表情を浮かべていた。ホワイトルームに居た時とはまるで別人だ。普通の子供のような喜怒哀楽を浮かべる雪を見て、俺は安心した。
予想外の再会ではあったが、雪の現状を把握できただけでも今回は意味のある外出だったかもしれない。
病院から出た俺は院長に見送られ、そのまま石田さんが待つ車の後部座席に乗り込む。
「眞哉くん。初めての外出はどうでした?」
「……そうですね。バーチャルの世界とは微妙な差異はありますが、概ね違和感なく過ごす事はできそうです」
石田さんの問いかけに俺は思っていた事を素直に話す。
「そうですか。それは良かった」
石田さんは他の研究員たちとは違い、少しお喋りなようだ。
俺に気を遣っているのかは分からないが、会話が途切れる事はない。
その後も楽しそうに口を開く石田さんの話を無言で聞く時間が続く。
時たま彼の話に相槌を打ちながら、頭では別の事に考えを巡らす。
ホワイトルームで教育を受け続けて14年か。
ここまで長いようで短かったな。
学ぶべきものは全て学び終えた。
知識の収集も技術の習得も。
俺をここまで成長させてくれたホワイトルームには感謝だな。
だがそれもここまでだろうな。
これ以上ここに居ても、大人たちに良いように利用されるだけで、自分の成長には繋がらない。そんな、確信があった。
その事を踏まえ、俺はこれからの身の振り方を考えなければならない。
このまま流れに身を任せれば、自由とは程遠い生活に逆戻り。
自分の意志で行動する事はもう二度とできないだろう。
……自由、か。
そういえば、志朗のやつは自由を求めて脱落したんだったな。
あいつがあの後どのような人生を歩んだのかは分からない。
だけど、きっとその選択に後悔はなかったんだろう。
……なら、俺はどうだ?
あの時、俺はホワイトルームでまだ学ぶべきモノがあると確信していた。だから志朗の誘いを断った。
当時のその判断に間違いはないし後悔もない。
なら、今は――――?
―――考えるまでもない。
―――今回も自分の利になる選択をするだけだ。
―――後悔なく、生きるために。
なら、もういいか。
当初の予定通り、隙を見て行動しよう。
幸いにも綾小路先生は清隆の方につく。親父の行動パターンも頭に入っている。それに今回の件で図らずも雪の父親にも恩を売る事ができた。
利用できる手札が増えたのは幸いだ。
だが、それでも親父たちの手から脱走するのは簡単な事じゃない。
限りなく慎重に、だけど大胆に事を成す必要がある。
なに、ホワイトルームで会得した能力があれば、問題ないさ。
どのような環境でも後悔なく生きていけるだろう。
様々な思惑が交差する中、彼らは先々を見据える。
その見据える先が茨の道であると理解しながらも、彼らは前へと歩んでいく。
そしてその1年後、鈴懸眞哉と綾小路清隆。
ホワイトルームが誇る最高傑作たちは、高度育成高等学校へと入学する。
はい、という訳でホワイトルーム編はこれにて完結です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回からいよいよ高度育成高等学校へ入学します。
これからも少しずつ執筆は続けていきますので、次回以降もまたよろしくお願いします。