百合作品に興味なんて欠片もなかったのに、そこに男を挟むだけでモロに性癖にブチ刺さった。
(あれ? それただのハーレム?)
すまない。
百合信奉者、百合信者たちよ、……すまない。
初めは、──────泣いているのかと思った。
錦糸公園のベンチ。10月も半ばで肌寒さを感じる季節。
更に寒さに追い打ちをかける様に雨に打たれる儘に項垂れて座るその男性は、何かを思案しているのか俯いており目元は濡れた栗色の髪で見えなかった。
それでも雨が滴る横顔から、とても秀麗な顔立ちだけは見て取れた。
何気なく目に留めてしまったその横顔だけで、こんなにも美しい人が存在するのか、と彼女は驚いた。
暫く自覚なしに瞬きも忘れて、傘と買い出しの材料を手にポツンと立ち尽くして男性を見つめていた時間はどれくらいだろうか?
5分以上だろうか? 彼女の体感ではそれ以上に感じていた。そしてその間ずっと傘へ雨が打ち付ける音をBGMに、滴る雨に濡れる彼の横顔を脳裏に焼き付け続けた。
それ程までに彼は美しく、千束にとって衝撃的だった。
その時間も、唐突に終わる。
緩慢と言っていい動作で男性は顔をこちらに向け、ついに千束の存在を男性は視認する。
感情の読めない茫洋とした瞳が千束の存在を視界に捉えて数秒、徐々に眼から入る情報を脳が認識していったのだろう。ピントが風景を観るものから、千束の視線へと交差するものへと変わった。
振り向いた男性の濡れた顔は、横顔から想像する以上に美しすぎた。
男性と目が合い始めた段階で、千束は自分の顔が急速に茹だっていくのを自覚した。
男性は2、3秒ほど千束と視線を合わせ彼女の傘を認識すると、今気付いたとばかりに────本当にその瞬間に気付いたのだろう────視線を不意に切り、降りしきる雨と灰色の空を見上げた。
その後一瞬、もう一度だけ地面を見て立ち上がる男性の姿に、重い思惟の名残りを見出したのは千束の勘違いか。
その……思いを振り切るかのような複雑な瞳の色合いが、憂いと哀しみを帯びていたのも美しすぎた。
だから、千束が背を向け立ち去ろうとする男性に声をかけたのは必然だったのだろう。
この人に関わりたいと。
(ずっと関わり続けたい、隣りにいたい)
この人の瞳にずっと自分を映してもらいたいと。
(深く傷付いた心を癒やしてあげたい)
この人に─────自分を好きになってもらいたいと。
(貴方にも、私を愛してほしい)
機械仕掛けの心臓が高鳴るような、切なさに苦しくなるような。
そんな淡い
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この夏は特に忙しかった。
世間では日本の治安の良さは世界一だと認識されているようだが、何かの冗談としか思えなかった。
近年増加し続ける呪霊の発生件数、呪霊の等級の上昇傾向、特級案件の確実な微増。
それに伴う
別に特段、親しい人物たちだったわけではない。あくまでも仕事上の付き合いで、会えば近況報告や軽く雑談を交わした程度の仲の者もいた。
それでも今年に入って身近で6人の顔見知りが殉職した。その中で遺体が残ったのは、1人だけ。まだマシな方だ。
忙しい中でも葬儀にはできる限り出席している。仕事で都合が合わなくなっても近日中に弔問に伺った。
この21年間でこんなことは何度もあった。
思い出せないほど何度も。
悲しかった。寂しさも感じた。
それでも────今まで、仲間の死に一度も涙が出たことがない。
身近な人、血縁、毎日顔を合わせていた人の死にも涙が出なかった。
呪術師とはこういうものなのか。
それとも自分だけ、どこかおかしいのか。
ただ自覚しているのは、自分は確実に────どこかしら壊れているということだけ。
高専の学生時代、他者への情は深い方だと思っていた。
自分の言動や、
今現在でも聞き上手だと言われている。
同僚や部下の悩みや心配事を聞く頻度が多く、否が応にも親身になってしまう性分だし、共感もしてしまう。解決のために尽くしたいと行動する。
幸せそうな人を見ると、自分も嬉しくて幸せな気分になれた。
楽しそうな人を見れば、キラキラと眩しく輝いて見えて尊く思えた。
しかし、やはり涙は出ない。
人との関わりが、しがらみが、心底面倒だと思ってしまう自分がいる。ストレスに感じてしまう。
他者の言動が自分の心に波を打つように、一々影響を受けてしまうことを鬱陶しく感じてしまう自分がいる。相手のことを思い、気遣い、疲れてしまう。
そうした感情を抱いてしまう自分が恥ずかしい、他人とズレている、醜悪に映る。
涙が出ないのも、人との関わりも、他者に影響を受ける自分の心も。
それらすべてを思い悩む思考と、それらを唾棄すべきことと思う自己の認識も。
すべてが煩わしい。
煩わしいと思う不快感すら煩わしい。
ただ、
呪霊や呪詛師と交戦している時だけは、目の前の相手に集中すればいい分、無心でいられた。
敵と、それを処理する自分だけが存在する
そこに起伏はなく、波紋も鳴らず、雑音もない。
白くて、真っ平らで、静かな────凪いだ世界。
────ずっと、あそこに居られたらいいのに……。
特級術師として任務に当たる日々。
それ自体に特別思うところはあまりない。
呪霊を祓除し、時に呪詛師を討伐・捕縛する任務。
終わりと際限のない仕事。
しかし、非術師の警官だって日々犯罪の対処に追われている。
────悪人が絶えた
呪術師の在り方を全うする尊敬する同僚たちだって。
────人であり、人として存在し、人として生きている以上、負の感情からは逃れられないように。
ただ、もしこの日常に思うところがあるとすれば……。
それは、非術師の悪意に触れる瞬間か。
人の悪行、漏出する負の感情に触れる度、少しずつ心を乱される。
今はまだ、感化されて疲れる程度で済んでいる。
それでも、いつか軋みと悲鳴を押し殺して祓い続ける未来が見える。
人の悪意に塗れて、潰れていく。
弱く脆い、破綻していく自分の姿が。
涙の出ない心、思い煩う不快感、呪いと悪意に触れる日々。
────私は……、
────もっと強くて、優しい人間になりたいのに……。
気が付くと、視線を感じていた。
その事は早い段階で気付いていた様に思う。
ただ殺気の類が無かったから。
私を警戒しているだけの、蠅頭などの低級呪霊だと思い放置していただけ。
下手に視線を合わせて刺激してしまうと、面倒にも襲い掛かってくる知能の低い呪霊もいる。
どれほどの時間、視線を感じ続けていたのかは分からなかった。
ただ、いい加減気になって視線の元へ顔を向ける。
そこにいたのは────どこかで見たような────赤い制服を着た女の子だった。
黄色がかった白髮のボブカット、赤いリボンの結びが特徴的な。
その女の子は零れ落ちそうなほど瞳を見開き、私を見つめている。
驚いたような、思いがけないものを目にしたような。
どことなく赤らんだ顔で私を見ていた。
左手にはビニール袋、右手には傘。────傘?
空を見上げ、状況を理解する。
何時の間にか、雨が降っていたようだ。
意識すると全身がずぶ濡れているのが分かった。
どれだけの時間こうして座っていたのだろうか。
雨にも気付かずに。
自宅に戻るか、と。それまで見ていた地面を────或いは、見つめ続けていた自分の懊悩を────内心自嘲するように振り切って立ち上がる。
また……日常が始まる。
────断ち切れ……。
人のしがらみ、呪いと悪意、煩わしさと不快感。
────断ち切れ……!
それらすべてに擦り減らされて、摩耗していくような日常が続いていくのだろう。
────すべてを断ち切って終わりたい……!
遠からず来る最期の時まで。
「あっ、あの!」
掛けられた声に振り返った。
百合作品に最初に男を挟んだ二次の作者さんの勇気を讃えたい。
そして、同じく百合の間に男を挟んだ、現在進行系で挟んでいる他の作者さんたちに伝えたい。
「貴方たちは偉大なんだよ!」って声を大にして叫びたい……。
そして、それはそれとしてリコリコと呪術のクロス流行って!