「おーおー」
観客席から、双眼鏡を用いて『彼女』の様子を観察したタマモクロスは、どこか面白そうに声を上げていた。
「さすがのあいつもビビっとるみたいやなぁ」
「当たり前ですわ……デビュー戦から、いきなりこんな大舞台に放り込まれたのですから。宛ら成獣だらけの檻に押し込められた幼獣ですわ」
そんな彼女にため息付きで答えるのは、彼女の隣、メジロマックイーンだ。二人、ちょうどトレーニングの間を縫って――というよりトレーナーに拝み倒して――こうして京都まで遥々見守り、もとい見物に来たわけだが。
この状況で、以前の走りが出来るのか。出来たとしたら、いよいよ本物だな――と、タマモクロスは胸の高鳴りを隠せない。
「……というか、あなたはいいんですの? 有マまでの大事な調整期間でしょう、今は」
「そんなんお互い様やん。それとも何か? 大事な後輩の晴れ姿見るの見送れっちゅーんか!?」
「私は事前に調整済みですの! それも踏まえてここまでトレーニングにも力入れてきたんですから。でもあなたは……」
「……」
マックイーンの詰め寄りに、タマモクロスはしばし黙る。その目は、憂愁の色を帯び、
「……ウチのことは別にえぇやろ。とにかく今は目の前や!」
「……」
彼女に似つかわしくない、そんな姿に。マックイーンもまた自然、追及が憚られ。彼女の言うとおり、集中することにした。
目の前に。後輩の、最初の晴れ舞台の行方に。
会場の熱気に圧倒されつつも、バ場状態を確認する。
「――さっきはごめんなさい、ミザールさん」
事前情報の通りの不良バ場。地面べちゃべちゃだな――とか考えていると、聞き覚えのある声に呼びかけられた。
先ほどに見た、可憐な容姿のウマ娘。
「……チヨノオーさん」
「えへへ……本当は振り返したかったんですけど、ちょっと余裕が無くて」
……チヨノオーさんはいくつかレースの場数を踏んでるって聞いていた。その彼女でも余裕がないというんだもの。むしろ動けるだけ、私は胸を張るべきかもしれないな。
「それに……あそこで仲良くするのも、ちょっと違うかなって」
「……うん。そうですね」
「いい勝負にしましょうね」
で、差し出される手。実際、それに応えられるかはわからない。けど、手を取るのと取らないのは別だ。
というわけで、軽く握手する。白めで、小さな手は……少しばかり、震えていた。
それもほどほどに、チヨノオーさんはゲートへと駆け出す。私も……そんなことを、気にしてもいてもしょうがない。
「……」
……なんか。
夢の中にいるつもりでいるのか。
それとも、自分以上に緊張している子を見て安心したのか。
先ほどまでざわついていた胸は、嘘みたいに波風ひとつ立っていない。
恐ろしいくらいに……平静を保っている。
「……」
……全てのゲートが閉じる。
始まるな、と感じて。
目を薄く閉じ、スタートポーズを取る。
「……位置について」
そして。
「よーい……」
それを口にする。
「――……」
鼓舞するように。激励するように。
言い聞かせるように。
言って。その時を、待って――
「――どん」
そして、ゲートの開く音もまた。
心なしか、あの時よりも、重厚に感じられた。
出だしから、サファイアミザールの順位は、悪いものとは言えなかった。
いや、むしろ――今回が、彼女の参加する二回目のまともなレースであることを考えると、良いと断言して遜色ないほどのものだった。
出走数は12。
彼女は、前から数えて六番目。
しかしながら、それを見守るタマモクロスとメジロマックイーンの表情は曇り気味だった。
なぜなら、その周囲の状況が、あまり好ましくないものだったからである。
「……まずいですね」
「あー……」
マックイーンの声に、タマモクロスは双眼鏡を下げ、顎に指を添える。
「差し戦術で中団に位置取れたのは好都合……マークも薄め。前をブロックされてるわけではないですが……」
「微妙に側面に出辛いのが厄介やな」
そう、彼女の目前。先団を走る四位、五位のウマ娘が、彼女の目の前に、ちょうど斜めになるように位置取っているのだ。
そのため、側面から前へと回り込むには、ほぼ真横へと移動することを強いられてしまうのだが、
「……生憎と今日は不良バ場や。ただでさえ足を取られて面倒な状況なんに、そないな繊細な足さばきは至難の業……」
「かといって、少しでも気を抜けば後方に呑まれてしまう」
「間を縫う感じで無理矢理抜いてければえぇんやけど、あの子の体格じゃ無理筋か」
「タマモさんならいけたかもしれませんわね」
マックイーンのいたずらじみた声に、やかましいわ、とタマモクロスは返す。
「んでおチヨは……お、先頭やん! なんやえらい頑張っとるなぁ! ……でもお互いこの位置じゃ、直接対決ってわけにもいかんか」
「そもそもこのままでは……先団に入れるかすら……」
「……」
あまりに悪条件の重なった状況に、タマモクロスは、我が事のように表情を曇らせていた。
「……どないするんや、自分……」
凄い。
なにこれ。
それが、率直な感想だった。
走り出した瞬間から、もう雰囲気が違うとは思ってたけど――
なんだこれ。
なんだこれ……!!
まず単純にみんなの走りのレベルが違う。普通に速いし、普通に上手い。
デビュー戦に感じたあの感じ……レベル低くね、とかいう感想、嘘でも抱けない。
スパートかけて、ようやく抜けるか抜けないかの次元かも。
あと気迫! 気迫凄すぎ!! 先団の絶対勝つって雰囲気、後ろからでも伝わってくるし、背後からの、絶対追い付くって空気、まるで前を走る私たちを飲み込もうとしてるみたいだ。
それに板挟みの状態の私!! 擂り潰されてもおかしくないかも。凄い、凄すぎる。これが、これが……
これが……GⅢ。
これが……重賞。
これが……
これが――トゥインクルシリーズ――……
……
……
……っ
「――はは」
――いいじゃん。
「はははっ――」
いいじゃん。
「っ――あははははははっ!!」
いいじゃん、いいじゃん、いいじゃん――!!
そうでなくちゃ、そうでなくては!!
またデビュー戦みたくあっさりしたレースだったらどうしようとか、ちょっと考えてはいたんだよね。でもこの状況、この戦況!!
あっさり終われない、終わるはずがない!
いいよ、行こうよ、この感じで!
この感じ――出来るだけ、長引かせてこうよ、みんな――!!
「――、」
――とは言え。
このまま中団を走り続けていても、鳴かず飛ばずで終わるのも事実。
なんとかして状況を打開しないといけない。
ただ――前を走るみんなが、そう簡単に後ろを前に出させるわけがない。私がそうしているのと同じように……
いつこちらが仕掛けてくるか、いつ食らいに来るかと伺っている。
それにビビってたら世話ないけど……変に仕掛けて消耗したくもないしなぁ……
……どうしようか。
こういう時トレーナーか誰かが傍にいてくれたらな。
場を俯瞰で分析出来たりしたら――
楽、
なのに……
……
「……?」
あれ。
ちょっと待てよ、私。
確かそんな話。
トレーニング中に、したような――……
『もしレースに 差しと追い込みがいなかったらどうなると思う?』
『え、なんですか突然』
『考えてもみろ レースにドラマや変化が生まれるのは そうなるための要因があるからだ』
『ただ速いだけのウマ娘が競ってるだけの図 あぁそれも可能性の一つだろう だがそうなると単なる能力勝負になる 現代のレースがそうでなくなったのは……
……戦術で戦うウマ娘が出てきたからだ わかるか? 差しや追い込みといった作戦は 今や当たり前だが 昔は規格外の 想定外の発想から産まれてきた
場の状況を 戦況を見極め その隙を着いて 掻っ攫い 食らう そういう存在――』
『――いいかバカウマ 差しウマとして戦っていくなら これだけは肝に銘じておけ』
『お前ら差しウマは 仕掛ける側だ 仕掛けられるのを待つ側じゃない』
『戦況が変わるのを 待つ側じゃない』
『お前たちが』
『戦況を変えるんだ』――……