トレセン学園校内に、逼迫した校内放送が迸っていた。
『――繰り返し全校生徒、並びに教諭の皆さんに連絡します!!』
学園内、辺境にある実験室――
そこをほぼ居室としているアグネスタキオンは、居合わせていたマンハッタンカフェと共に、ソファを扉の前に押し付け、その長い白衣の袖で額の汗を拭っていた。
「――ふぅ」
それから、ひとつ息を吐くも。
その表情から、曇りは消えない。
「ひとまずこれで、大丈夫かな」
「えぇ、恐らく……」
「……」
マンハッタンカフェと頷き合うと――
彼女と共に、その目を、室内の放送機器へと向ける。
『校舎内の廊下にいる生徒は、直ちに最寄りの教室に避難して施錠をし、身の安全を確保してください! 避難した生徒、教諭の皆様は、別途指示があるまで、決して部屋の外へ出ないでください!!』
「……」
割り当てられたトレーナー室にて、担当バであるハッピーミークと作戦会議をしていた桐生院葵は、しゃがみながら、机と椅子を用いた簡易的なバリケードで塞いだ扉を注視しつつ、背後のハッピーミークを庇う体勢を取っている。
それには、何があっても、担当だけは守るという、並々ならぬ強い意志が感じられた。
しかし、同じようにしゃがみこんでいるハッピーミークの瞳もまた、恐怖には染まっていない。
何があっても、『担当』だけは守るという、強い意志の炎が揺らめいていた。
『教諭の皆様、並びにトレーナーの皆様は、緊急事態対応条項第一条・第三項に従い、速やかに生徒の避難誘導を行ってください!! 外への避難が可能な生徒は、誘導に従い、落ち着いて避難してください!!』
「――みんな焦るな! 焦らなくても大丈夫だ!!」
校舎へ続く玄関口の傍に立つ西崎は、次々と駆け出してくる生徒に、怒号に似た声を掛ける。
「『奴』はこの辺にはいない! 前の生徒を押すな! 大変なことになる!! 冷静に!! 落ち着いて避難するんだ!!」
果たしてその声が、生徒らの冷静な『避難』につながるかどうかはわからない。ただそれでも、トレーナーとして最悪の事態だけは避けなければならないと、彼は、生徒たちに呼びかけ続ける。
駆け抜ける。
『皆さん、これは訓練ではありません!! ――繰り返します!!』
その放送は、これまでにない緊張感を伴い、学園内を駆け抜ける――
『これは――訓練ではありません!!』
そのさなかを。
長い芦毛を垂らした一人の少女は、ひたひたと、歩き回る。
その手の先端は――
僅かながら、痛々しい赤色に染まっている。
「……」
その背後の、廊下の壁際には。
痛みに呻くウマ娘が、何人も、蹲っていた。
「――たづな!! しっかりしろたづな!!」
コハクダブルスターの居室にて――
否。
コハクダブルスターの――『元』居室にて。
それまで壁際に横たわり、気を失っていた駿川たづなは、激しい身体の揺さぶりと、けたたましいほどの声に、意識を引き上げられていた。
開いた瞼の向こう側。
そこには、悲しみと戸惑いで綯交ぜになった表情を浮かべた、秋川やよいの姿がある。
「り……じちょう……?」
「……よし、気が付いたか……!」
「私は……」
「説明は後だ! 病み上がりで悪いが、これを……!!」
秋川は、説明もほどほどに、たづなに『それ』を握らせる。その見てくれは、チープなモデルガンのように見えたが。れっきとした、自分たちに許された、『武器』、だった。
「クソッ、完全に私の落ち度だ……まさかここまで暴れ回るとは……!!」
「り、理事長? 一体何が……」
「いいから着いてこい! 走りながら説明する!」
今までに見たことのない彼女の様子に、たづなは何となく事態を察する。彼女の言うとおり――とにかく、その場から退室し、共に走りだす。
……『居室』のドアは。
悲惨なまでに、完膚なきまでに、ひしゃげ、破壊されていた。
人通りの少ない側道を、私たちは駆け抜けていく。
本当なら、ヘルメットとかそういうの着けなくちゃいけないけど。歩道だから今の私たちは歩行者。
そう、ちょっと足が速いだけの歩行者! しょっ引かれる可能性を危惧しなくてもいい――本当は駄目だけど!
決まりを無視してでも。
規則を踏みにじってでも。
私たちには、そうしないといけない理由があった。
「ッ――!!」
いや――出来てしまった、と表現するべきだろうか。……
「――は!? 暴走!?」
トレーナーさんからの連絡で、私は素っ頓狂に叫んでしまっていた。
『そうだ! 経緯はわからんが、コハクダブルスターが拘束から脱した――今どこにいるかはわからんが、校舎内を徘徊して、出会った生徒を片っ端から襲ってるらしい!』
「え、あ……襲う!? いやその、襲う!? え!? こう、暴力的にですか!?」
『そうだ! それ以外に何があんだ!!』
あちらもあちらで、叫んでいるけれど。その背後、放送と思しき音が聞こえる。内容までもは聞き取れないけれど、どうやらそれは、無視出来ない内容だったらしい。
『――情報が得られたんならとにかく急げ! 金は後で補填する! どんな手を使ってもいい、一刻も早く戻ってこい!!』
「ちょ、トレーナーさん――」
それでも、もう少し情報が欲しくて。呼びかけようとしたけれど。ぶつり、と通話は切れてしまった――どうやら、それだけあちらの現状は逼迫しているらしい。
「な、なんやなんや。どういうこっちゃ。暴走? 暴走て……生徒傷つけて回っとるっちゅうことか!?」
「だと思います、どっちにしろやばいです!! 先生ごめんなさい、私たち、もう行きます!」
「えぇ、わかったわ。今言った情報、役立ててちょうだい」
教頭先生も、状況を理解してくれたらしい。二つ返事で承諾し、玄関まで私たちを送ってくれる。
「ごめんなさい! 次はもっとゆっくりできる時に……!!」
「ミザールさん」
「! はい!!」
そして、別れの挨拶もほどほどに。走り出そうとしたけれど。呼び止められて、立ち止まっていた。
「……コハクちゃんは、きっと今、恐怖の中にいるわ」
それから、先生は言うのだ。
「あの子はきっと……行先が分からなくなっている。だから、助けてあげてちょうだい。示してあげてちょうだい。行く場所も――いるべき場所も――
いつだって、すぐ傍にあるってことを」
「……」
それが、何を思っての、何を意味する言葉かは、瞬時にはわからなかった。
それでも、その言葉の温もりを、しっかりと抱き締めて。
「――はい!」
大きく返事をし。
タマちゃん先輩と共に、そこから駆け出していた。
「――ミザール!!」
駆け抜ける中――タマちゃん先輩の、稲妻みたいな声が聞こえる。
「まだイけるか!?」
「はい!! 全然!!」
「そんなら、もう少し先の駅まで『降りる』で!」
最寄り駅では、次の電車が出るまで、一時間ほども待たないといけない。
そんなに待っていられない――だから私たちは、その分少しでも走って、『稼ぐ』。
一分でも早く、一秒でも短く。目的地へと、学園へと、戻れるように――
「――しっかり着いて来ぃ!!」
「はいッ!!」
ひた走る。
己が足で――道を、駆け抜けていく。