『……そうか。ひとまず取り押さえたか』
「えぇ、なんとか……」
ルドルフは、携帯電話で、秋川やよいへの報告を行っていた。
ブライアンに抑え込まれているコハクダブルスターは、未だもがいているが、両腕を封じられていることもあり、その拘束から抜け出せそうには見えない。
それもあって、ルドルフは、ひとまず胸を撫で下ろしていた。
「そちらはどうですか? 到着出来そうでしょうか」
『あぁ、もうすぐ着く。なにぶん、情報が錯綜していてな……』
画面の奥の秋川の声は、心底に申し訳なさそうだった。
『……すまない。私の軽率な判断のせいだ。まさか……』
「……理事長。反省も回顧も後にしましょう。まずはこの子を完全に鎮圧することです」
『あぁ……そうだな。すぐに行く!』
その言葉を最後に、通話は終了する。携帯電話を仕舞い、彼女はブライアンの元に近付いた。
「ありがとうブライアン。君のお陰で何とかなった」
「いや、私だけの力じゃない。あのラジコンカーのお陰でもあるだろ。……『例の』担当の所持品だったな。学園側で補填してやらないと」
「そうだな。『アレ』のお陰で、シリウスも救助出来た……」
「あとは……『コイツ』をどうするか、か」
そこで、二人の注目は、眼下。床に抑え込まれているコハクへと向く。彼女は依然として、拘束から脱しようともがいている。
「……無駄だ。止めておけ」
そんな彼女を諭すように、ブライアンは言う。
「その手錠は、URAが『こういう時』のために、各トレセン学園へ配備させている特注品だ。並のウマ娘どころか、重機でも破壊することは難しい」
それでも。
それでもコハクは、もがくのを止めない。まるで聞こえていないかのように、もぞもぞと、動き続ける。
「……もうすぐ理事長たちが来る。どのみちそうなれば『詰み』だ。大人しく――」
「――釣れねぇこと言うなよ」
そんな彼女に。
なおもブライアンは語り掛けるが。
コハクの口から放たれた、低い声が、それを遮っていた。
「……何?」
「もっと」
眉を顰めたブライアンが、それに応じた時。
「――遊んでくれよ」
ゴキン、と。
痛々しい音が、彼女らの耳に、聞こえた気がした。
――刹那。
「――!!」
コハクの細腕が。
『手錠から脱した、片腕の先端が』。
彼女を抑え込むブライアンの顔に向けて。放たれる。
「――ッ!!」
ルドルフが反応する間もなく。彼女のその手は、ブライアンの顔を危うく叩くところだった。
が、彼女が寸でのところで回避したことで、その頬を僅かに引っかかれただけで済む。
そこから、僅かながら、鮮血が滲む。
「な……!!」
何が、とルドルフは後ずさりながら動揺するが、すぐに理解する。
見ると彼女の、手錠の外れた片腕の手首は、痛々しい赤色が煌めいていた。
つまりはこうだ――彼女は、手錠を破壊したのではない。
荒々しくも、その手を無理矢理に――手錠から、『抜け出させた』のだ。
それは見ての通り、彼女に多少なりともダメージを負わせたようだが。
その動きを鈍らせるまでには至らない。
「下がれッ!!」
ブライアンは怒号を飛ばし。
再び、コハクと相対する。
ルドルフが言われるまま、距離を取る中――
先ほどの出来事の再現のように――二人の取っ組み合いが始まる。
理事長がもうすぐ着くのであれば、無理に暴力で制圧することもない。
ならば、とにかく時間を稼ぐことか――と、ブライアンは考えるも。
「っ……!!」
その攻撃の激しさは、先ほどのそれとは比較にならなかった。
型も何も関係ない、単純な、しかし圧倒的な力の奔流に、さしもの彼女も気圧され。
その無慈悲で、遠慮のない蹴撃が――
彼女の腹部に、炸裂した。
「――!!」
ルドルフは目を見開き、駆け出し掛ける。そんな彼女を傍目に、コハクは次なる一手を。
側頭部めがけ、すぐさま別の蹴りを繰り出そうとするが。
「――?」
感じられた手応えは、想定したものと違っていた。
だから彼女は、そこで動きを止める。
ルドルフがブライアンの元に駆け出しそうになり、結果として止まっていたのは――
ブライアンが、まだ戦闘不能に陥っていないことを、感じたからだ。
「……」
ブライアンは――
止めていた。
側頭部に炸裂した、彼女の蹴りを。
寸前で、片腕で受け止め。
そしてもう片手で、捉えていた。
コハクダブルスターは、それを見て、足を引き戻そうとするが。
戻らない。
まるで固定されたかのように、動かそうとも、もがこうとも、びくともしない。
目が。
その、生気の感じられない目が。ブライアンの顔を見た。
……彼女の顔は。
「……」
まるで、獣のような。
怒りにも似た闘志に、燃え滾っていた。
「――いい加減に、」
ブライアンは、強く歯を食いしばると。
コハクの足を、両手でしっかりと掴む。
そしてそのまま、力任せに――
彼女の身体を、『スイング』した。
「――しろッ!!」
一回転、スイングされた末。
彼女の身体は、食堂の奥へと、勢いよく投げ飛ばされる。
小柄な体は、テーブルをはじめとする調度品を巻き込んで飛んでいき――
床を転がったかと思うと、やがて停止した。
もはや瓦礫の山とかした、『元』調度品の中から、彼女の両足だけが投げ出されている。
「……、……」
終わったか、とブライアンは息を吐きかけるが。
それを否定するように、コハクの足が動く。
床をついたその脚の力のみで、彼女は、瓦礫の中から立ち上がり。
項垂れたかと思えば。
すぐに顔を上げ。首を傾けながら、彼女らを見つめ始めた。
その表情は。
最初、無、であったが。
「……」
その口元が。
再三、吊り上がり。
「 」
妖しく。
怪しく。
笑っていた。
何も言わず。
無言で。
楽しそうな笑顔を、作っていた。
ただ。
瞳だけは、依然として真っ暗で。
深淵が、そこに、人の形を成して立っているかのようだった。
「……」
ブライアンは気を取り直し、構えを取る。
ルドルフは、息を呑む。
どうすれば抑え込めるか。
どうすれば助けられるか。
一体何があったら。
この騒動は、終わってくれるのか。
二人が、不気味なまでの静寂の中。
一致した疑問を、持ち始めた時――
『――』
メガホンを起動したことによる。
甲高く短い音が、食堂に響いていた。
『――皆ッ、伏せよッ!!』
「――ッ!!」
次いで、響いた声に――
二人は素早く反応し、その場に伏せる。
突然の行動に、コハクは左右を見回し、困惑の色を示したが――
それが、明暗を分けた。
「ッ――!!」
ばしゅん、という、特徴的な音が響く。
それにコハクは反応するも――時すでに遅し。
駿川たづなが、特注の拳銃から撃ち放った、特製の弾丸は。
瞬時に、彼女の元へと到達し――
「――……」
コハクは。
急速、かつ急激な眠気に襲われ。
その目を閉じながら。
その場に、倒れ伏していた。
「…………」
一転して――可愛らしさすら感じられる寝息を立て始めた、コハクを見て。
一同は、騒動が終息したのを感じた。
秋川やよいは、メガホンを下ろし。
駿川たづなは、拳銃を下ろす。
ナリタブライアンは立ち上がり、深めの息を吐き。
シンボリルドルフもまた、立ち上がると。秋川の元へ歩み寄っていた。
「……お見事です。お二人とも」
「いや……すまん。もう少し早く着けていれば、ここまでにはならなかったろうに」
秋川は、凄惨な状況の食堂を見渡し、苦い顔をする。しかし、ルドルフはそれに、いえ、と否定の言葉を返した。
「生徒の命が第一です。設備は第二と考えましょう。ここで抑え込めて……良かったです」
「……、そうだな」
ともあれ、と秋川は、気を取り直し、たづなへと視線を向ける。
「たづな。全体へ連絡だ。緊急事態宣言は解除。生徒たちは直ちに下校させよ。職員は、何人かをこちらに回してくれ。コハクダブルスターを『旧折檻部屋』に収容する。残りは第一会議室へ集めよ。それとURAにもこの事態の連絡を。……今後の対応を話し合うぞ」
「わかりました」
「……」
てきぱきと指示を出す理事長を横目に、ブライアンもまた、変わり果てた食堂を見渡す。
「ブライアン」
ルドルフは、そんな彼女の名を呼びながら、隣へと並んだ。
「怪我は?」
「平気だ。これくらいかすり傷だ。……それよりも」
ブライアンは、頬を染めていた紅を手の甲で拭うと、ため息を吐く。
そう、それよりも。
彼女の懸念は――目の前にあった。
「これは……食堂の補修代、大ごとだぞ」
「……あぁ」
その言葉に、ルドルフは、深刻に顔を顰めていた。