……そうだ。
何を甘ったれてんだ私は。
可能性は視野狭窄だ。
掴もうとしない者に、振り向きはしない。
……私は動く側じゃない。動かす側。
それならば――冷静になれ。
冷徹になれ。
冷酷になれ、残酷になれ――
状況を。
状態を。
その情報を。
役立つ手掛かりを。
収集して、
整理して、
分析して――
――作るんだ。
私が、作るんだ。そう――
目を、身体を、頭を、全部、全部、フルに使って――
自分の思うがままに――
――どこがいい――どこで攻める――先団は――この人たちの向かう先は――
落ち着け。
――背後の動きも注意ね――いやむしろ引っ掻き回すために前に行かすのも――地面は相変わらずべちゃべちゃ――足の動きにも注意――
落ち着け。
――前の子、若干疲れてない!? ――チヨノオーさんまだバテないんだすごい――あ、二番の人何か狙ってそう――内側入り切れるかな、最悪大外を――
見極めろ――!!
「――!!」
……その末。
閃きのように、思い至った。
とうとう見えてきた、3コーナー。
200mほどの、やや急勾配な坂道。その周辺――
湿り気が。
強いような。
「――……」
――先団が、そこに差し掛かる。
あれ。
――五人ものウマ娘が、我先にと、殺到する。
なんでだろ。
――先頭を、チヨノオーさんが、死に物狂いで走っている。
なんでかわかんないけど。
――コーナーと坂道を終え、いよいよ最後のコーナーに入ろうとする。
あのコーナー……
何か起きる、
気がする。
擬音にすれば、そんな感覚。
『――!?』
その瞬間に。観衆がざわめいていた。
なぜなら。
「――っ」
先頭を走るチヨノオーが――
第3コーナーの終端にて。若干ながら、足を滑らせたのだ。
「あ……!」
「お……!?」
見守っていたメジロマックイーンとタマモクロスも、思わず声を上げる。
『あ、あーっと!? 4番サクラチヨノオー、足を取られたー!?』
実況もまた、困惑の声を上げる中――
それによって舞い上がった泥が、二位のウマ娘を控えめに襲う。
それを避けようとした彼女は若干走りが乱れ、それに合わせ、後方のウマ娘もたまらず減速した。
チヨノオー含め、大きな事故には至らなかったものの――
その事件により、先団のバ群に、乱れが生じる。
『しかしここは上手く立て直した! サクラチヨノオー、依然先頭を――』
走る。
実況はそう続けるつもりだったし。
観衆の誰もが、そう思って疑わなかった。
――、
だからこそだった。
その時――
どよめきに似た歓声が、会場を満たしたのは。
――大外から現れた影が、
一気にバ群を抜いたのだ。
「――!?」
双眼鏡を見つめていたタマモクロスは、思わず息を呑む。
彼女はその瞬間を、しかと目にしていた。
大外から切り込んできた、栗色のポニーテール。見間違えようはずもない。
サファイアミザール。
サファイアミザールが、突如として姿を現したのだ。
いや、本当に突如か、とタマモクロスは自分の言動を評価する。
突如、というのは、予想していないことを言う。
彼女のそれは、まるで示し合わせたかのようにタイミングが合致していた。
それはまるで――まるで。
『な――え!? あ――み、乱れたバ群を! 一気に!! 一気に栗色の影が追い抜きました!?』
実況は一瞬、混乱したようだったが。それでも、目の当たりにした事実を紡ぐ。
『さ、サファイアミザール!! 7番、サファイアミザールだ!! この機を逃さず、一気に先頭に躍り出たぁー!!』
「――っ」
一瞬ながら失速したサクラチヨノオーは、目の前に現れたその影に驚きながらも、気を取り直す。
負けられるか、ここで負けてたまるか、と、負けじと、スパートをかけ始める。
最終コーナー含め、残り600mほど――
サファイアミザールは、彼女に3バ身ほどの差をつけ、先頭をひた走る。
それでも地力で上回ったか、サクラチヨノオーは、徐々に、徐々にその距離を縮めていく。
「――、っ……!!」
不良バ場は――
あまり好まれない地形だ。
なぜなら、泥のように湿った地面が、走るものの力を奪い、いつも以上に体力を消費させるからだ。
チヨノオーも、しっかりと理解している、それを考慮し、ペース配分をしてきたつもりだったが、
ここに来て、息が上がり始めていた。
「――っ」
それでも、息を入れ直し、スパートをかけ続ける。
ここで逃がしてなるものか――と、目の前の背中を追い続ける。
その執念の結果――最終直線で、バ身は僅か1バ身にまで迫る。
「!」
そして――そこまで来て。
サファイアミザールの、走る体勢が変わる。
彼女は大きく身を落とし、前へと傾けて――
「――……」
その姿が、
かの『芦毛の怪物』に重なった。
どん、と、サファイアミザールはスパートをかける。
始まってしまえば、300mほどの距離も一瞬。
走り。
追い縋り。
走り合い――
ゴール板を。
それは先頭で切っていた。
それは――
「……、……」
――長い、栗色のポニーテールだった。
『――き、決めたぁー!! 一着、7番、サファイアミザール!! 二着、4番、サクラチヨノオー!! ――……』
「――、……」
会場から湧き上がった歓声に。
ミザールは身を震わせる。
息を整えながら、会場を見渡した彼女は。
自分が先頭で走り切った、という事実を、信じられていないように見えた。
そんな風に、困惑しているようにすら見える彼女に、チヨノオーは近づく。
「……ミザールさん……」
事の真偽を確かめるため。
彼女に、話し掛ける。
「……わかってたんですか」
「え……?」
「私が、あそこで、足を滑らせるって……」
「あー……えっと」
ミザールは、すぐには答えない。目を閉じ、思案し、自分の中での最適な言葉を探し。
「……わかったっていうか。
果たして、告げられた言葉に。
チヨノオーは、呆然とする。
「は……?」
「いやね……どうにかして前に出ようと思ってさ。レース場とみんなとを、色々観察して、分析してたんだけど」
そんな彼女に、ミザールは続ける。
「第3コーナーの最後の辺。坂道終えたところがさ。周りより湿ってるように見えて……で、先団の走行ルートに被ってるっぽかったから……まぁ。何かは起きるだろうなって」
「――……」
ちょっと待て、とチヨノオーは、絶句した。
自分は終始、先頭を走っていたが、それは思考の末に行きついたものではない。
前へ、前へ、とにかく前へ。ただその想いに押されるままに、従うままに、走り続けた結果だった。
追いつかれないように、追い縋れないように。必死に決死に、走り続けた結果だった。
他のことを考える余裕など、まるで無かった。なればこそ、あのような失態を犯してしまったわけだが。
――にも関わらず。
彼女は、分析していた?
中団で? 自分が走る背後で、あの短時間で? 冷静に、冷徹に、冷酷に、分析していたのか。
そして、
バ場の弱点を見極め、
そのタイミングに合わせて、
勝負を仕掛けた――?
「――で、」
到底信じられず。
チヨノオーは、困惑のまま、問いかける。
確かに合点がいきそうな説明ではあったが。
それでも、彼女には納得できない部分があった。
「でも、それは結果論じゃないですか!」
そう。
確かに、現実はそうなったが。
突き詰めればそれは――運が良かった、というだけで。
「ど、どうしたんですか!? 私がもし、足を滑らせてなかったら……
どうにもならなかったのでは。
そう思うが。
「あー……んー……それは、まぁ」
彼女は恥ずかしそうに頬を掻き。
あっけらかんと、言った。
「……私が負けてた、って話じゃん?」
「――……」
……サクラチヨノオーは。
彼女のことを、平凡なウマ娘だと思っていた。
デビュー戦の衝撃は強かったが、それ以外では特に際立った特徴はない。
どこにでもいそうな、普通のウマ娘だなと。
ずっと、そう思っていた。
「……サファイアミザールさん」
だが。
何てことはなかった。
「お名前……よく覚えておきますね」
コイツは。
「……次に勝つのは、私です」
「……」
サファイアミザールの目に。
もはや、可憐で可愛らしい少女の姿はなかった。
差し出された手に。
彼女もまた、応じた。
「……こちらこそ」
その光景を見た観衆の歓声は。
より一層、高まっていた。