騒動から一夜明けた学園には、未だに不穏な空気が、僅かながらも漂っている。
けれど、そんな空気に惑わされて、貴重な時間を浪費するわけにもいかない。
そんな考えを証明するかのように、グラウンドでは、今日も多くのウマ娘が、トレーニングに励んでいる。
私は一応、ジャージを着てはいて。
いつでも走り出せる用意は整っているのだけれど。
それを遠くからぼんやりと見つめてるばかりで……
走ろう、という気には、なれなかった。
「……」
それが、何に起因するかだなんて。
確認するまでも無いのだけれど。
その考えとは相反して、脳裏にはそれが思い浮かぶ。
……昨日、トレーナー室でみんなと交わした。
物騒で、非情で、残忍な現実が、思い出される。……
「――ち、ちょっと待ってください!!」
理事長さんの言葉を聞いて、私は慌てて前に出ていた。
「し、処分!? 処分って……え!? 嘘、嘘ですよね!? 理事長、それって……!!」
「お、落ち着け落ち着けミザール。私だって困惑しているのだ。何から何まで初めてのことばかりで……」
「おい。理事長に詰め寄るのは違うだろ」
シリウスさんに引きはがされ、一旦は椅子に落ち着く。けれど……気持ちまでもは落ち着かない。
処分――処分。頭の出来は微妙な方であろう私でも。その単語が何を意味するものなのか、くらいは良く知っていた。
「……『処分』か。私も、このような場面で聞くのは初めてだな」
会長さんも、視線を下げ。
「長いトレセンの歴史の中でも、類を見ないだろう。……それだけの事態、ということだ」
ブライアンさんも言い。
「……ぞっとしない話ですね」
ヒスイちゃんも、眼光を鋭く研ぎ澄ませていた。
「……えっと」
ただ、唯一カペラちゃんだけは、気まずそうに頬を掻いていた。
「あの。すまん。みんな、何の話をしてんだ……?」
「ん? もしかして、ガーネットカペラは知らないのか」
「あー……えっと。一応、自主的に勉強はしてきたつもりなんだけど……」
「『処分』。……URAの規定する、ウマ娘に対する『処遇』のひとつだ」
恥ずかしそうなカペラちゃんに、トレーナーさんが説明する。
「ウマ娘ってのは、普通の人間よりも何倍、事によっては何十倍にもなる力を備えている。そんな存在が、人間社会で好き放題に暴れ回ったらどうなる? ものの数日で、そこは瓦礫の山と化すだろう。そういう危険なウマ娘が確認された場合……そうなる前に、普通は『捕縛』して『指導』するんだが……」
「……『処分』は、それすらもはや無意味、あるいは不可能と判断されたウマ娘に下される、いわば最終手段」
理事長さんが、トレーナーさんの言葉の先を引き継いでいた。
「ここまで言えば、もうわかるだろう。それが『どういうこと』か。……皆まで言わせてくれるなよ」
「……」
カペラちゃんは、目を見開き、俯いていた。どうやら、その先の推測が着いたらしい。
……部屋に、何度目かの、重い沈黙が漂い始める。
誰もが、それに組み付かれたみたいに、一言も言葉を発することも出来ない中。
「……まぁ、仕方ねぇんじゃねぇか」
口を開いていたのは。
シリウスさん、だった。
「……は?」
「はじゃねぇよ。お前もわかってんだろ。ここまで派手に暴れやがった上に、負傷者まで出したんだ。こんなのが外界に解き放たれたら、それこそ何するかわかったもんじゃねぇ」
……冷酷なまでに。
現実的な、その言葉は。合理的ではあったけれど。
「今回以上の『災害』が引き起こされる前に、手を打った方がいい。その方が、周りの身のためだ」
「――っ」
納得出来るかどうかとは。
別問題だった。
「……シリウスさん」
私は。
立ち上がって、彼女に呼びかけていた。
「あ?」
「言って良いことと、悪いことがあるんじゃないですか」
「……、なんだお前」
すると彼女も。
同じように立ち上がり、私と相対する……
「私と張り合う気か」
「えぇ、張り合いますよ。張り合ってやりますよ!! 目の前でそんなこと言われて、簡単に受け入れられるわけないじゃないですか!!」
「お、おいミザール……」
「お前が受け入れるかどうかは問題じゃねぇ」
カペラちゃんの言葉も、もう関係ない。私は、彼女に噛み付くように反論して――
シリウスさんもまた。止まらずに、私に反論する。
「そうであろうとそうでなかろうと。アイツが引き起こした事態は無かったことには出来ねぇ。……アイツの危険性も無かったことには出来ねぇだろ」
「だからって、だからって処分するなんて性急だと思います! あの子だって、あの子だって必死に生きているのに、それを無視して処分だなんて、傲慢にもほどが――」
「――わかんねぇ奴だな」
そこで、舌打ちをしたシリウスさんは。
私の、胸ぐらを掴んでいた。
「っ――!!」
否応なしに引き寄せられ。
その、鋭い眼光に、間近から晒される――
「――もっと大局的にモノを見ろっつってんだ!! アツくなって周り見えなくなってんじゃねぇぞバカが!!」
そして。
激昂した彼女の言葉が――容赦なく、降り注ぐ。
「アイツを放置することそのものがリスクだっつってんだ! わかってんのか! アイツが今回暴れて、レースに支障がない程度で終わったのは単に運が良かっただけだ! 今にその程度じゃすまない事になったら、お前はその責任が取れんのか!!」
「で、でも、あの子だって望んでああなったわけじゃないです!! せめてあの子の意志を尊重してあげるべきなんじゃないんですか!?」
「それでなんだ、また無関係な命を危険に晒しやがるのか!? 一人の意志のために、何倍も何十倍も多くの生徒の意志を蔑ろにすんのか!!」
「っ……!!」
わかってる。
わかってるんだ、シリウスさんの言うことが、徹頭徹尾正しいってことくらい。
でも、でも、受け入れられない。いや、いや、正しいからこそ、受け入れられない。
そんな、非情で、無情で、非常で、無常な結末――
受け入れられるわけ、ない。
「言ってんだろ!! 天秤を常に誤るな!! お前が大事なのはただ一人の未来か!? それとも他大多数の未来か!?」
言葉に詰まる私に。
畳み掛けるように、シリウスさんは続ける。
「答えはわかり切ってんだろうが!! わかったなら大人しく――」
「シリウス」
……そんな。
止まる気配のない彼女に呼びかけたのは。
「そう結論を急くな」
……会長さん、だった。
「この案件は我々の手に余る。もっと情報を収集し、整理し、分析し……複合的に、判断を下すべきだ。少なくとも、今すぐに下すべきではない」
「……なんだお前。『皇帝』サマまでコイツの甘さに当てられたのか」
そんな彼女にすらも。
シリウスさんは、攻撃的に言う――
「今そういこと言ってる場合じゃ「黙れ」
でも。
それを上回る威圧で。
会長さんは。
言って、彼女を、横目で、睨みつけていた。
「結論を急くなと言ったのが――聞こえなかったか。シリウスシンボリ」
「――……」
びり――と。
私も、その圧を、肌で感じる。
さしものシリウスさんも。
それに、無理矢理に、納得したのか。
「――っ」
荒々しく、私から手を離すと。
「……勝手にしろ」
そのままの勢いで……トレーナー室から、出て行ってしまった。
場は再びの沈黙に包まれたけれど。長くは続かなかった。
「……すまないな。シリウスはあぁいうところがあるから」
会長さんは、言った。
「もう少し誰にでも寄り添った言い方が出来ればいいんだが。いや、悪人なわけじゃないぞ。ただ、嘘を言わないだけだ」
「……ヒスイちゃんに似てるね」
「余計なお世話です」
「だからこそ」
気持ちを切り替えることも兼ねて、ヒスイちゃんと緩くやり取りした刹那。
会長さんの声が、再び緊張感を孕んだ。
「彼女の言うことにも一理ある。……わかるね」
「……」
……私は。
それに対して、何も言えなかった。
「理事長はもとより『そのつもり』のようだし、私も、そのような提言を手放しで受け入れるつもりはない。何か、この込み入った状況を打開するための方策が見つかるように、全力を尽くすつもりだ。……けれど、私も理事長も、神ではない。どうあがいても、どうにも出来ないものはある。……だから」
会長さんは。
そんな私に、優しく――しかし無慈悲に、言った。
「『覚悟』だけは――しておくんだ」
「……」
……私はそれに。
無言を返すしか、出来なかった。