16年度の卒業生   作:Ray May

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刑苦 p2

-◆◇◆-

 

 一ヶ月。

 それが、URA側から提示された期間。

 それまでに具体的な方策が示せなければ、URAの職員を派遣し、『強制執行』を行うとのこと。

 案外長い――と、一瞬だけ思ったけれど、現状、あの子を助けられる方法は、精神的なケアを通じての『人格統合』――形成された別人格を、主人格と統合するくらいしかない。

 そんな、字面だけでも難しそうなことが……

 ほんの一ヶ月やそこらで、出来るんだろうか。

 

「……」

 

 ……グラウンドでは、相変わらず、生徒たちが走っている。

 元気に、真剣に。でも楽しそうに走るその姿が、なんだか憎たらしく見える。

 その光景が、遠い昔の記憶と重なって。

 胸を、きりきりと締め付け始めた。

 

「おす」

 

 その時。

 聞き覚えのある声が、頭上から降ってきていた。

 

「元気そう……ではないか。さすがに」

「……シービーさん」

 

 目を向けると、凛々しい瞳と目が合う。

 彼女は、私の反応を見届けると、徐に、隣へと腰を下ろしていた。

 ……それからしばし。何も言わずに。

 私と同じように、前を見つめる。

 

「……話は聞いたよ」

 

 やがて。

 薄ガラスを撫でるみたいな声で、言った。

 

「とんでもないことになっちゃった、みたいだね」

「……えぇ。本当に」

 

 そのほんの少しの気配りが、私には妙に心地よく感じられた。自虐に近い感情で、口端が緩く上がるのを感じながら、私も応じる。

 

「つい先月くらいまでは、なんとかなるでしょってノリで走ってたのに。……はは。さすがにこんなの、気合いと根性だけじゃどうにもならないや……」

「そこは大人の役目だね。私たち子供じゃ……信じて待つしか出来ない」

 

 シービーさんも、私と同じような感覚を抱いているのだろうか。その言葉の端々に、歯痒さのようなものが感じられた。

 

「……コハクちゃん、いい子なように見えるんだけどな」

「いい子っていうか……まぁ、変ですけど、悪い子じゃなかったです」

 

 そう。

 悪い子じゃない。誰かを傷つけることなんて……想像すら出来ないような、不思議で……自由な子。

 

「蝶を追いかけるのが好きで。何度も何度もドブに嵌まっても、懲りずにいっつも追いかけるんです。なんでかはわかんないですけど。あの惹かれ方は、普通には見えなかったな」

「ウララちゃんみたいだね。あの子は、単純に蝶が好きだから追いかけてるみたいだけど」

「どうなんでしょうね。コハクちゃんも……単に好きだから追いかけてるのかな」

 

 でも、なんだかそれとは違う気がする。

 その時のあの子の表情。少しだけ見たことがあったけれど。

 単なる楽しさだけで走っているようには、見えなかった。

 

「ふふっ、全盛期のコハクちゃん伝説。是非とも実際に見てみたいね」

「どうなんでしょう……さすがに中央(ここ)で、勝手に授業抜け出したりしたら、ただじゃ済まない気がしますけど」

「大丈夫大丈夫、レースにかまけて、そもそも授業出ない子とかもいるし」

「……一応学校ですよねここ」

 

 シービーさん、私の言葉にけらけら笑っている。他人事みたいに言ってるけど、もしかしてあなたのことじゃなかろうな……

 

「はぁーあ」

 

 とか思う傍らで。

 シービーさんは、伸びをしていた。

 

「……なーんで、こんな頭の痛いことを考えなくちゃいけないんだろうね」

 

 それから、空を見上げて。

 そんなことを言い出す。

 

「ただ気の赴くままに走るのが、私たちの本分。名誉や栄誉なんて二の次。難しいことなんて何もなしにさ。走って、走って、ただ走ればいいのに……なんでそんな単純なことが許されないんだろ」

「……シービーさん」

「答えは一つ」

 

 シービーさんは、短く言うと。その場に立ち上がっていた。

 均整の取れた身体が、後光のように太陽を背負う。

 

「ニンゲンの、あくなき欲望のせいですっ」

 

 浮かべられた笑みは。

 痛々しいまでに、輝かしかった。

 

「名誉。栄誉。栄光。名声――そんな形のないもののために、自分勝手に振り回されて、危険だったら排除されて、平和になりましたねめでたしめでたし……ってさ。ホンットクソみたい。

 で、それで何になる? 平和になっておしまい? じゃ、その子の意志は? 願いは? 未来は? ……全部土の中に埋め立てして、蓋して無かったことにするんですか。はは――バカも休み休み言えっての

 

 その口からは。

 普段の彼女からは想像も付かないほど、強い言葉が連なっていく。

 

「私たちは――道具じゃない」

 

 唾を吐きかけるみたいに。

 空へと、言葉を投げかける。

 

「確かにここで……生きてる」

「……」

「はぁーあ」

 

 見上げたその表情は。

 もはや、見えないけれど。

 

「……誉れなんて。無ければよかったのに」

 

 あまりに壮大な、その願いは。

 どこか、空虚な響きで空に溶けていく。

 それを上書きするみたいに。

 グラウンドから、威勢のいい声が響き始めた。

 

「……私は」

 

 そんな彼女に。

 私は、言う。

 

「……私は、そうは思いません」

「……ほぉ?」

「だって」

 

 彼女の気持ちはわかるけど。

 その、あまりに大局的な物の見方は、素晴らしいと思うけれど。

 でも。

 そればっかりが、答えじゃない、とも思った。

 

「そういう、目指すものがあるからこそ……私たちは、頑張れる。勝利や敗北を味わって、時に嬉しがって、哀しがって、感情の奔流に惑わされながら、投げ出しちゃいたいって泣いたりもしながら……それでも、そうして、強く、成長できるって、思うんです。

 ……それより。何より」

 

 そう。

 それに、それよりも。何よりも――

 

「……『それ』があったからこそ」

 

 それが。

 あったからこそ。

 

「素敵な皆と……出会えたんですから」

 

 私は、ここに来られて。

 みんなと、出会えたんだから。

 始まりの地で。

 掛け替えのない親友と、出会えたのだから。

 ……コハクちゃんと。

 出会えたのだから。

 悲しいこと、苦しいことばかりじゃ――ないと。

 私は、思う。

 

「……」

「……」

 

 目を丸くして、こちらを見下ろしているシービーさんから、私は、目を逸らしていた。

 

「……ご、ごめんなさい。私みたいなちんちくりんが、知ったような口利いて……」

「あぁ……いやいや。全然、そういう意味じゃないよ」

 

 慌てて言うと、シービーさんは、達観した笑みを浮かべていた。

 

「はは。こりゃ一本取られたな」

「まぁ……綺麗事、って言われたら、それまでですけどね」

「んーん。綺麗事も、時には大切さ。それを願い続ける気持ちが、事態を切り開くこともある」

 

 それから、そう返すと。

 座り直し。私に、寄り添ってくれた。

 

「……考え続けよう」

 言葉は。

 

 優しく、柔らかな色を伴っていた。

 

「どうにもならなくても。……後悔しないように」

「……はい」

 

 それは、黒く淀み始めていた私の心を。

 光芒のように、暖かく、抱擁してくれていた。

 

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