トレセン学園の食堂は、まだ完全復旧には至っていない。
特に被害がひどかった奥側にはブルーシートが張られており、日中は忙しない補修の音が響き続けている。
それでも手前側はまだ被害が少なく、使えるテーブルと椅子を寄せ集め、不足しているならば生徒たちが自ら持ち寄り、なんとか利用再開にこぎつけた。
肝要なキッチン部分がほとんど無傷だったのは、不幸中の幸いだったと言うべきか。
「……理事長の指示通り、一通り調べてはみましたが……」
そんな食堂の隅の方に――ミザールのトレーナー、シンボリルドルフ、駿川たづなは集い、ひとまず集められた情報の整理に臨んでいた。
机上のコップの中に敷き詰められた氷が、からん、と音を立てる中、たづなはそう前置きして、言った。
「やはり、対外的に明らかになっていること以上のことは、わかりませんでした」
「……まぁ、そうですよね」
一連の出来事――ヒスイレグルスの語った物語が、どこまで正鵠を射ているのかはわからない。
だが何にしても、そのような後ろ暗い事実が、不用意に大っぴらにされているはずもない。
裏付けは難しいか、と、ルドルフは、苦い顔をする。
「私たちの方も、自分たちなりに調べてみたのですが。強盗致死傷以上には踏み込めません。一般人ではここまでが限界ということでしょう。……まるで見えない壁に阻まれているかのようです」
「ただ……あの子の身の上を、知りたいだけですのにね」
三人の間に、沈黙が漂う。食堂内には、工具を扱う音がひっきりなしに響いている。
「……様子はどうなのですか? 落ち着いてはいるみたいですが」
「えぇ。今も職員二人体制で、動向を見守っています。『暴走』の兆候はありませんが……何が引き金になるかわからないのが大変ですね」
「確か、最初の『暴走』の時、たづなさんが間近にいたんですよね。彼女は……何か変わった言動をしていたのでしょうか」
「……暴走する瞬間、『あの子』が出てくるから縛ってくれ、と言っていました」
「別人格……ですか」
「本当に怯えているようでした。苛立っているから、出てきてしまうから、としきり訴えていましたが……ですが、『あの子』が最初に言ったのは、思い返してみれば、『遊んでくれよ』でしたね」
「……認識と言動に乖離がありますね。偶然でしょうか」
「わかりません。本人からしたら、本当にほんの遊びだった可能性もありますね……」
「ぞッとしない話ですね……」
たづなは、年相応な『遊び』を脳裏に思い描く。あの子ならば、積み木遊びとかだと可愛げがあるな、とも。
「……もしかしたら」
そこで、ルドルフが言う。
「単に本当に……遊んでほしいだけなのかも」
「そうなんでしょうか。その発露として、あの暴走ですか……?」
「生物の精神構造は、複雑かつ奇妙なものです。『誰かと遊びたい』という孤独な気持ちと、『『彼女』を守りたい』という庇護の感情とが入り混じった結果、あぁいった歪んだ暴走行為につながった可能性も、ゼロではありません」
「まぁ、確かに、生徒を襲いはしましたが、死者どころか、重傷者もいませんでしたからね……」
コップの中の氷が、再び、からん、と音を立てた。
「……あなたの方はどうだったんです?」
「ん?」
それまで無言だった担当に、ルドルフが問いかける。彼は、二人の会話中、ずっと何かを考えているようだった。
話すべきことを、脳内で、整理しているようだった。
「個人的に調査をする、と言っていましたが」
「……」
続けられた問いに、彼は再びの無言で応じる。対して二人は待ち、その空隙を埋めるように、補修の音が喧しく割り込んでいた。
「……まぁ、あんまり褒められたことをしたわけじゃないがな」
「……? どういうことです?」
「『サングラス』に会ってきた」
「――!」
答えに、ルドルフは目を見開く。サングラス。それが誰を指すのか、は瞬時に分かった。
「それって……ガーネットカペラさんの言っていた、『サングラスのおっさん』ですか?」
たづなが訊ねると、担当は頷いていた。
「えぇ。一応……個人的な付き合いがあったんっす。腐れ縁ってやつっすね。カペラの話の裏付けもしたかったので、知ってる限りの情報を引き出しました」
「……その結果は?」
「まぁ、だいたい『同じ』だったよ」
ルドルフに、担当は、今度は間を置かずに答えた。
「明らかになっている情報以上のことはなかった。どうやら奴も、人伝に訊いた話らしいから、信憑性の確約も出来んらしい」
「どこまで信用していいんです? その男の言うことは……」
「アイツは根っからのクソ野郎だが、意味のない嘘も、得のない嘘も吐かない。このことの情報を隠すことで、アイツに利益が生じることもない。……まず真実と思っていいはずだ」
「そうですか……では……」
「ただな」
では、やはり手詰まりに変わりはないか――とルドルフは締めようとしたが。担当の言葉は、続いていた。
「ただ、連中が離散する直前に『調教』していたウマ娘のことは知っていたよ。曰く――
長い芦毛の、
小柄なウマ娘だったそうだ」
「……」
「……」
がたん、と、ブルーシートの奥から、大きめの物音が響く。
気を付けろよー、という、工事を担当している人々の、注意喚起の声が聞こえた。
「……あの子は」
たづなは。
口を開いていた。
「あの子は……その一家の虚栄のために、望まぬ血を混じらされ、厳格なトレーニングをやらされ……大切な人と離れ離れになった上に、自己を守るために自我を分離せざるを得なくなって……更には親戚中を盥回しにされたんです」
小刻みに震える声を。
抑えようともせず。
「……その果てに、危険だから『管理』しよう、管理出来ないから『処分』しよう、だなんて……そんなの……あまりに、勝手過ぎます」
そこで。
音を立てて、その場に立ち上がっていた。
「――こんなのはッ!! 間違ってるッ!!」
「――……」
駿川たづなは。
普段、物腰柔らかであり。
空気として怒気を醸し出すことはあっても、決して、それをあからさまに表出させることはなかった。
誰かに怒る時も、決して、その優しい声色を、崩すことはなかった。
ルドルフは。
そんな彼女の、初めて見る、感情の発露に――
努めて冷静に、諭すように、声を掛ける。
「……、たづなさん」
「……、……」
たづなは、そうしてしばらく、激しく肩を上下させていたが。
「……、ごめんなさい。取り乱し、ました……」
椅子に、ゆっくりと座り直していた。
そこに、帽子の位置を整える仕草が入ったのは、それだけでは心が落ち着かなかったからか。
「お二人とも」
ルドルフは――机上で手を組み、二人を見る。
「この件。何としてでも我々の手で解決しましょう。どんな意見を受けようとも、どんな言葉を投げかけられようとも、我々は屈しない」
担当は真っ直ぐな目で。
たづなは、泣き腫らしていながらも、迷いのない目で。
それぞれ、彼女を見つめ返す。
自分たちの考えに相違がないことを感じ、ルドルフはつづけた。
「……最後の最後まで。抵抗しましょう」
「……はい」
「あぁ」
その言葉に。
三人は、力強く、頷いていた。