旧折檻部屋にて。
今日の『世話係』として指定されたその職員の両手は、震えていた。
それに応じて、その手に握られたトレーも、かたかたと小刻みに震えている。
それを傍らから見ていた別の男性は、ため息を吐きながら声を掛けていた。
「……別に大丈夫だって。急に襲ったりしねーから。今んところは」
「今のところはだろ!? それは何も起きないことの証左にはならねーじゃねーか……!! もしかしたら、第一被害者が俺になっちまうかも……!!」
「申請すれば労災降りるし」
「受け取る側がそれでくたばったら世話ねーだろ!」
トレーを持った男は怯え切っている。対応する男は、やれやれ、と肩を竦めると、これでは状況が進まない、とその手に握った『それ』を示していた。
「いいから行けって。いざとなりゃ『コレ』もある。滅多なことにはしねーさ」
「……狙い外すなよ。いいか!? 絶対外すなよ!?」
「それ振りか?」
そんなやり取りをした末――
トレーを持った男は、意を決して、地下へと降りていく。
最下層、広くもなく、狭くもない踊り場に立ち。
目の前の、無骨な鉄扉の上部。のぞき窓を開け、中を様子見した。
六畳と少しほどしかないその部屋の隅で。
芦毛の少女は、今日も、蹲っている。
「……こ、コハクダブルスターちゃーん……」
呼びかけるも、彼女は反応しない。
「お、お食事ですよ。ここに、置いときますからねー……」
それでも男は、扉の下部。トレー挿入用のスペースから、部屋の内部へと、『食事』を届ける。果たして、そろりそろりと、そこから立ち去ろうとする。
「――あの」
「!!」
が。
途端に、呼び止められていた。
びくり、と身体を震わせ、背後に振り返ると。
覗き窓から、少女が、彼を見つめていた。
「……な、なんすか……」
「……ぺんと、かみ」
「へ?」
ぺんとかみ。
ペンと、紙。
頭の中で適切に変換出来た彼だったが。付き添いの男と目を合わせるばかりで、すぐには行動に移さない。
「ぺんと、かみ、ください……」
「……」
そんな男を見かねてか、再度申し出た彼女に、男はまず無言を返し。
「……お、おぉ。ちょっと待ってろ」
短髪の男と共に、一旦はそこから立ち去った。
それからすぐ、A4サイズのコピー用紙と、ボールペンを持って戻ってくる。コハクは、その間ずっと覗き窓から外を伺っており、そうとは考えていなかった男は、思わず身体を震わせ、立ち止まってしまっていた。
「……ください」
「……」
が、呼び掛けに応じ、再び、動き出す。戦々恐々と、慎重に距離を詰め。トレーと同じように、下側から、ペンと紙を挿入した。
「……ありがとう」
それを受け取ったコハクダブルスターは、謝意を示し。
「あ……あぁ」
男は、返事もほどほどに。
その場から、逃げるように退散していた。
「……」
覗き窓は高さがあり、身長の低い彼女は、そこに指をかけ、ぶら下がるしかなかった。
飛び降りて。
彼女は、受け取った紙を、部屋の中に設置された、小さな机の上に広げる。
ボールペンの芯を出し。
それと相対すると。
「…………」
何かを。
つらつらと、書き連ね始めた。
時に、何かを考えるように、宙を見て。
時に、何かを躊躇うように、停止し。
時に、何かを思い出したように、息を吐き。
時に。
何かを決めたように、息を呑み。
時に。
何かを想うように。
涙を。
滴らせていた。
やがて、陽が傾き始める。
職員たちが、何事かを外で話し。
靴音が、遠ざかっていく。
それを、コハクダブルスターは、その長い耳で、確かに感じ取っていた。
靴音が小さくなり。
完全に消えたことを、感じると。
彼女は、その場に立ち上がる。
それから、その部屋と外界とを隔てる、唯一の扉の前に立つと。
「……ごめんね」
足を振り上げ――
足裏を、それに打ち付けていた。
扉は、ただのそれだけで。
派手な音と共に吹き飛び、その用を為さなくなってしまった。
ひたひたと。
彼女は、そうして、部屋の外へと出て。
地上へ繋がる階段を、上ろうとする。
「…………」
が。
その直前で、部屋の方へと振り返る。
その視線の先には、机の上に畳んで放置した、一枚の――『手紙』があり。
それを見た彼女は。
笑っていた。
これまでにないほど、無邪気で。
可憐で。
可愛らしい微笑みを。
浮かべていた。
「……」
そして。
とうとう、階段を、上り始めた。……