「――ちゅうわけでぇ!!」
京都ジュニアステークスでのプログラムが一通り終わって。
競技場近くのファミレスで、タマちゃん先輩の威勢のいい声が響いた。
「サファイアミザール&サクラチヨノオー!! GⅢワンツーフィニッシュ!! おめでとさーん!!」
それに続く、かちゃんという軽快な音。それぞれの頼んだドリンクバーのコップがかち合った音だった。
目の前のテーブルには、タマちゃん先輩が適当に頼んだ料理が所狭しと並べられている。マックイーンさんが何か葛藤しているように見えるのは……気のせいじゃないだろう。
「いやぁー、ホンマごっついレースやったわぁ! もう勝負は決まったか! と思ったところからの予想外の事故!! ほんでもって追い上げ!! からの白熱の競り合い!! からのゴール!! いやホンマ、トレーナーに無理言って来た甲斐があったわぁー!!」
「うぅ~! あれは運が悪かっただけなんです!! 私がもっとちゃんと足元を確認出来ていれば……!!」
「まぁ実際、
「……あの、我慢してないで食べたらどうですか」
さっきからあふれ出る唾を飲み込み続けているマックイーンさんだけど、
「出来ませんわ!! さすがに!! トレーナーにも何にも言ってませんし!! こんなところで無駄にカロリーを摂取するわけには……!!」
「そう言う思て既にトレーナーから許可もらっとるで~」
「な、はぁ!? なんでですの!? いつの間に……!?」
「ウチのトレーナーとマックのトレーナー、個人的に付き合いがあんねーん」
したり顔のタマちゃん先輩に、マックイーンさんはいかにも悔しげだ。……なんでそんな顔するのかわからないけれど。悪魔の誘惑に感じてるのかな、なら参加を断ればよかったのでは……
いや、まぁ、東京から遠く離れた地で、そんな風に言うのも酷か。
「そういうわけやからほれ、あーん」
「なっ……、か、からかわないでくださいませっ!誰があなたにあーんなど――」
「あーーーん」
「……」
……なおも引かないタマちゃん先輩に押し負け、マックイーンさんは口を開く。
ぱく、と、それを口にすると。
「……っ」
喜びと苦しみの入り混じった複雑な表情を浮かべて。
「カロリーの……カロリーの味がしますわ……!!」
「その涙はうれし涙か? 悲しいんか……?」
「どっちもですわ!」
「あれ、そういえば……」
そんなやり取りの傍らで、チヨノオーさんが私を見ていた。
「ミザールさんのトレーナーさんはいらっしゃらないんですか?」
「あ。せやせや。GⅢに勝ったんやで。さすがに姿現してんとちゃうか?」
「いや……それが」
……一応。
一応、この祝勝会が始まる直前食らいに、非通知から連絡がありましてね。
「……『次』に備えて英気をちゃんと養っておけ、明後日からまたビシバシいくぞ……って」
「……そんだけ?」
「はい……」
タマちゃん先輩に返すと、彼女は激しく頭を抱えていた。
「なんっ――でやねんっ!! GⅢやぞ、GⅢ!! 担当が初めて出た重賞で劇的勝利収めたんに、それに一切触れないってどういう了見やねんっ!!」
「ぶっちゃけ会話端折ってますわよね……本当はものすごく喜んでたのではないのですか?」
「えっと……端折りましたけど。だいたい会話の内容は同じです……」
「す、ストイックですね!」
「いやそんな言葉で済む次元やないねん!!」
タマちゃん先輩がいそいそと動く様子は楽しいけれど、場の状況はそれどころじゃない。さすがの私も、トレーナーさんの言葉には『えっ』ってなったけど。やはりというかなんというか、その衝撃のほどは、それの比ではなかったみたいだ……
そうだよね。
本当なら、もっと喜ぶべきところ、だよね……
「はぁ……自分とこのトレーナー、ホンマは不感症なんちゃうか?」
「まぁチヨノオーさんの言うとおり、単に『次』を見据えているだけの話かもしれませんが……」
「あの。その『次』っていうのは、何のことなんですか? クラシック級の重賞とか……?」
「……えっと」
状況に既視感を覚える。先に待ち受けるであろう阿鼻叫喚の事態を想像しながらも、私はそれを口にした……
「……ホープフルステークスっていうのに出る、って話には、なってます……」
……で。
空気は。
案の定、固まっていた。
「――ほ、」
その空気を破っていたのは、タマちゃん先輩だった。
「ホープフルステークスゥ!? 『GⅠ』やん!! しかもあと一ヶ月くらい!! 自分呑気に飯食うとる場合とちゃうで!!」
「いや、祝勝会開こうって言ったのはあなたではありませんか……」
「本当に大丈夫なんですか? 何かの聞き間違いとかじゃ……」
「あははは……」
ところがどっこい、LANEにもちゃんと履歴として残っている。一応、ちゃんと確認はするけど……
……うん。やっぱり、ちゃんと、ホープフルステークスって、書いてある……
「や……やっぱり。まずいです、かねぇ?」
「まずいっちゅーかなんちゅーか……身の程知らずっちゅーか……」
「まずいところで、私たちにあれこれ言う権利はありませんけれど」
「ちょっと……引っかかりますよね……」
「……」
「……」
「……」
「……」
空気はだんだんと重くなっていく。遠くでウェイトレスさんの溌溂とした声が聞こえた時、タマちゃん先輩が強めにテーブルを叩いていた。
「――食うたるか!」
「え」
「英気を養えっちゅーんやろ!? ほんなら、それに向けてぎょーさん食うたろ!!」
「え、いやでも、私そんな大食いじゃ」
「店員さーん! ちょいちょい!」
「いや話聞いて!?」
そんな感じで。
祝勝会だったはずのその集まりは、いつの間にか、大食い大会みたいなものと化してしまったのだった。
……で。
タマちゃん先輩は、見事にダウンしていた。
「もう……小食なら無理しないでくださいよ……」
すっかり夜も更けた路地。
私の背中で、小柄な体躯が呻きに呻いている。
さっきまでの元気はどこへやら、まるで悪夢に魘されているみたいだった。
「結局、頼んだものほとんど自分で食べてましたものね……私たちも決して大食いではありませんのに。無理をなさって」
「本当ですよ。後先考えて行動してほしいです……」
ちなみに、チヨノオーさんは先に離脱した。トレーナーさんと別のところに宿を取っているようだ。またお会いしましょうね、と闘志満々で言われて、ちょっとビビったのは内緒。
「それで、お二人はどうするんです? 泊まるとことか……」
「タマモさんは『その辺の満喫でえぇやろ』とか言ってましたけれど。そんなのメジロのプライドが許しませんの」
……世に有名な家のご令嬢が、満喫で夜を明かす。それもそれで面白そうな画ではあった。
「ですので、」
「ので?」
「取ってありますわ。しっかり。宿」
おぉ……さすがマックイーンさん。そこまで抜かりないんだな。
「ミザールさんはどうされましたの?」
「私は……その辺のビジネスホテルです」
「……簡素過ぎません?」
「トレーナーが一人ならそれでいいだろって」
「ケチですわね……」
「効率的って言ってあげてくださいせめて」
「……」
そこで、マックイーンさんは何事か考える素振りをする。私が小首を傾げると、彼女は何かを決めたように頷いて、
「……では、こちらに泊まりませんか?」
「え」
「追加料金はお支払いしますので」
「え?」
「一人くらい増えても大丈夫でしょう」
「……え?」
……メジロ家というのはこうも押しが強いものなのか。
私がさすがにそれは……と断ろうとしても、変なところで頑固で、彼女は聞く耳を持たなかった。
ビジネスホテルのチェックアウト。
宿へのチェックイン。
全てがとんとん拍子で進んでいって……
……で、本当にその宿に泊まれる運びとなった。
「お話の分かるお方で良かったですわ」
「……」
満足そうに言うマックイーンさんだけれど、こんな無茶苦茶、彼女だからこそ通ったと言えるのではないだろうか。
名家ってすごい。私はそう考えずにはいられなかった。
「まぁ、タマちゃん先輩もこれで良しですね」
未だ青い顔で呻いているタマちゃん先輩を、先にお布団に寝かせる。
「明日には治ってくれるといいですけど」
「大丈夫ですわ。以前も同じようなことがありましたけれど。翌日には快復してましたので」
「……ウマ娘の消化能力ってすごいですよね」
「あれだけの距離を走る私たちが、これだけのことも出来ずにどうします」
自分で言うのも何だけど。驚きに言葉を漏らすと、彼女は当然のことのように返していた。
「でも、都合がよかったですわ」
「良かったんですか? 一緒に来たわけじゃないですし……」
「いえ、そうではなく」
続けられた声に応じると、彼女は首を振っていた。
「個人的に少し……お話したいことがありまして」
「え……?」
少し付き合ってくださいませ――そう言った彼女に連れられるまま、部屋を出て、お宿のロビー傍、休憩スペースに落ち着く。
自販機にて、彼女は私に紅茶を奢ってくれた。
「……タマモさんのことですわ」
しばらく二人、特に何も話さず、文字通りに『休憩』していたのだけれど。やがてマックイーンさんの方から、口を開いていた。
「タマモさんの振る舞い。ミザールさんからはどう映ってますの?」
「どうって……こう、騒がしいけど優しくて、楽しい先輩だなって」
「……私には」
マックイーンさんの顔は、憂いを帯びたものになっていた。
「オグリさんを重ねているように見えてならないのです」
「……オグリキャップさんを?」
「彼女が年始頃、DTLへの参入を表明したのはご存じでしょう」
それは……知っている。テレビでも食い入るように観ていたし、その後数日にわたって特集も組まれていたし。
生憎、お父さんに中断させられちゃったけれど。
「あれからというもの、タマモさんは……言うなれば、『抜け殻』のようになってしまいました。もちろん、DTLへの参入後も、学園に籍は置いたままですし。寮も同室ですので。全く関わりがないわけではありませんが……シリーズが違う限り、彼女と公式の舞台で共に競うことは出来ない。
その事実が陰ながら重くのしかかっているのでしょう。気丈に振舞っている彼女ですけれど。……最近は、レースでも思うような結果を出せていないのです」
「そう……なんですか?」
マックイーンさんは、重々しく頷いていた。
「正しく……果たすべき目標を、失ったかのように」
「じ……じゃあ。タマちゃん先輩も、DTLに行こう、とはならないんですか……?」
「確かに、そう出来れば一番ですけれど……そう出来ない理由があるのでしょう。私も存じ上げませんが……
彼女は、身体が強い方ではありませんからね。家族もいますし……色々、考えなくてはならないことが多いのでしょう」
……それに加えて、オグリキャップさんの、TSからの引退。
その心理的負担は……察してもなお、余りある。
「……あれ。っていうか、オグリキャップさんって、まだ学園にいたんですね」
「えぇ、いますわよ。シリーズが変わっただけですからね。でも……直接会うことはないと思いますわ。
学園そのものが巨大というのもありますけれど。シリーズの変わった彼女とは、トレーニングのサイクルも大きく変わることになります。学年も違いますし……よしんば会ってもすれ違うくらいで、腰を据えて話すようなことはないでしょう」
お昼時の食堂に行けば確実に会えますけれどね、と彼女は語尾に付け足した。
「オグリさんは、自分から話すことはあまりありません。きっと同室内でも、必要最低限のコミュニケーションしか取っていないのではないでしょうか。お互いに……どう関わるのが正解なのか、測りかねているのかもしれませんわね」
「……つ、」
それを聞いて。
率直に思ったことが、口を衝いて出ていた。
「付き合いたての男女ですか……?」
「それ本人に言ったら駄目ですよ。絶対怒りますからね」
気持ちはわかりますけれどね、とマックイーンさんは苦笑いしていた。