16年度の卒業生   作:Ray May

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Shadow Break p5

-◆◇◆-

 

 

 

 背後から猛然と追い上げてきたコハクダブルスターに、結局は追い付かれなかったものの。

 レース終わり――息を整えつつ、振り返ったナリタブライアンの元に。

 彼女は――飛び込んできていた。

 

「――っ」

 

 さすがに、そんな展開は予想外だった。

 ブライアンは、その勢いを殺せず。

 背後へと――倒れてしまっていた。

 

 背中に走る、控えめな衝撃――

 ほどよい硬さの地面との接触に、鈍い痛みを感じながら。

 

「――えへへーっ! 捕まえたっ」

 

 彼女は、視界の下から現れた。

 その姿を見つめた。

 

「これでわたしの勝ちっ! そうだよねっ。あ、でもレースは負けか。まぁ、いいや! 楽しかったからっ」

「……お前なぁ」

「えへへー! 勝ち勝ちー! わたしの勝ちーっ!」

「いや……そうは言ったがな……」

 

 無邪気にはしゃぐコハクと、呆れた声で返すブライアン。

 二人の姿は、和気藹々としたものだったが。

 次々とゴール板を通り過ぎては、それを確認した周囲には。

 少しばかりの緊張が漂っていた。

 

『前例』を間近で経験しているがために――

 何が起きてもいいように、誰もが、自然、身構える。

 

「――ブライアン! 平気か!?」

 

 それを証明するかのように。

 駆け寄ってきたルドルフは、即座にブライアンへと声を掛ける。

 焦燥に駆られた瞳と。

 コハクの、透き通った瞳とが、そこでかち合う。

 

「……あれ」

 

 ルドルフは。

 常に厳格な佇まいで、何事にも滅多に動じない。

 気の抜けた声など、そうそう聞けるものではないのだが――

 それでも彼女は。

 面食らったかのように、どこか間抜けな声を漏らしていた。

 

「……?」

 

 そんな彼女の気持ちもいざ知らず。

 コハクは、不思議そうに首を傾げている。

 

「……だれ?」

「シンボリルドルフ。私たちの……頼れる会長だ」

「しんぼる……え?」

「というか、」

 

 訊き返す彼女に、ブライアンは、上半身を起こしつつ、言う。

 

「そろそろ降りろ。起きれないだろう」

「ん、ごめんなさい」

 

 ブライアンの苦情に、コハクは素直に従い、彼女の隣へと座り直した。その、異常とはあまりに無縁な様子に、周囲の緊張も、徐々に薄れ始める。

 

「……君、」

 

 ルドルフは。

 その変化に押されるように、口を開いていた。

 

「もう……大丈夫、なのか?」

「ん? 大丈夫……?」

「いや……ちょっと待ってくれ」

「……??」

 

 彼女は、コハクの元へと歩み寄り、同じように膝をつく。間近でその瞳を観察するが――そこには、自分の姿が映るばかりだ。

 

 大多数のウマ娘と、同じように。

『普通』の瞳があるばかりだ。

 

 ――あの。

 最初、会った時に覚えた、あの。

 

 深淵を覗き込むかのような、嫌な感じは――

 もう、ない。

 

「……『あの子』は」

 

 それを確認して。

 慎重に、ルドルフは訊ねる。

 

「『あの子』は……どうなった?」

「え? あの子?」

「そう。その……君の、もうひとつの……」

「……とぱーず君のこと?」

「たぶんそれだ。いなくなったのか? もう……」

 

 それは確認だった。彼女は、本人格とはもう一つの、凶暴な人格を有していた。

 今、目の前の彼女は、明らかに変わっている。

 その人格は――今もまだ、宿っているのか。

 それとも、消えてしまったのか。

 

「どこにも、いないのか?」

「んーん」

 

 その問いかけに。

 彼女は、首を横に振って、応じる。

 

「いるよ、今もまだ」

「……! いるのか!? まだ――」

「うん。わたしの胸の……ここんとこに」

 

 それに、ルドルフは、思わず顔を強張らせて詰め寄るが。コハクは落ち着いて、自分の胸――さらに言えば。

 心臓の辺りに、手を当てて、答えていた。

 

「……今もまだ、いる」

 

 穏やかな瞳で。

 慈しむように――言う。

 

「ずっと……わたしを、見守ってる」

「……」

 

 ルドルフは。

 その言葉の意味を、直感的に理解していた。

 その優しげな言葉に。

 心配はもはやいらないと、確信し。安堵していた。

 

「……そうか」

「コハクちゃん」

 

 安心しきった声で。

 ルドルフが、言うと同時。

 歩み寄ってくるのは、栗毛のポニーテール。

 

「――あ、みざーるちゃん!」

 

 それを確認したコハクは、ぱあ、と表情を明るくすると、とてとてと彼女の元に駆け寄り。

 ブライアンへそうしたように、その胸へ飛び込んでいた。

 

「えへへー! 久しぶり! 元気してた?」

「え、あ……元気してたけど……あれ……?」

「? どうしたの?」

「あ、いや……」

 

 サファイアミザールは、これから説得する、という気概で近付いてきていた。

 ルドルフが深刻そうに話すものだから。

 気持ちを整え、決心を胸に、近寄ったのだが。

 

 それを、あまりに緩い空気に、無邪気に壊されたものだから。

 呆気にとられ、困惑した声しか発せられない。

 

「えっとその……想像となんか、違ってたというか」

「想像? 変なの! まるでわたしが変みたい! あははー!」

「いや、まぁ、その……えーっと……」

「……」

 

 微笑ましい。

 母と娘のようなやり取りに、ルドルフは慈愛の笑みを浮かべ。

 周囲もまた、それに当てられたのだろう――漂っていた緊張は、その場からすっかり追い出されていた。

 ともあれ。

 一件落着か――と、気を取り直す。

 

「――さぁ、みんな撤収だ!」

 

 そして、一つ拍手をし、思い思いに会話する彼女らに、呼び掛けていた。

 

「なんかまぁ……事後処理とか色々あるだろうが、ひとまずいい! 一刻も早くここから出るぞ!」

 

 そう。悠長に過ごしていることはない。

 なぜなら、自分たちが今いる場所は。 

 今、立っている場所は。

 

 本来なら、今の時間。立ち入ることすら、許されない場所なのだから。

 

 

『……』

 

 

 すると、その場に居合わせた誰もが、現状を思い出したのだろう。

 わ、と慌てふためいて、我先にとそこから退場し始める。

 調子がいいな、と苦笑しながらも、彼女もまた、『彼女ら』に目を向ける。

 

「……我々も出るぞ。警察でも来たら面倒だ」

「むしろ来ないのが不思議だがな。……ほら、行くぞ」

「――うー」

 

 それに従い、ブライアンも、ミザールも歩き出そうとするが。

 

「……もう動けない……おんぶー」

「お前なぁ……」

「あはは……ごめんなさい。コハクちゃんって、こういう子なので……」

 

 呆れたように言うブライアンに、ミザールは申し訳なさそうに言った。

 

「今日だけでいいので……付き合ってやってくれませんか?」

「……」

 

 平身低頭に頼む彼女に、ブライアンは、息を吐いていた。

 

「……ほら」

「ん……ありがとう」

 

 コハクダブルスターは、促されるまま。

 彼女の背中に収まる。

 

「……」

 

 それが、よほど居心地よかったのか。

 彼女は――収まるなり。こてん、とすっかり身を預け。

 

「……、……」

 

 寝息を、立て始めていた。

 

「……コイツ」

「あの、ほ、本当にごめんなさい……今日だけ、今日だけでいいんで、我儘を聞いてあげてください」

 

 もはや呆れを通り越し、苛立たしげに言うブライアンに、ミザールは、祈るように再三頭を下げた。

 

「……色々、ありましたから」

「……」

 

 その言葉に。

 ブライアンもまた、再三息を吐き。

 

「……今日だけだぞ」

 

 ぶっきらぼうに言うと。

 会場の外へと、ゆっくり、歩き出していた。

 

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