「……、デビュー戦を機に、あなたの走り方は大きく知られるようになりました。『怪物』の再来と持て囃されたのも記憶に新しいでしょう。その割にあまり警戒されませんでしたが。
それを聞いてタマモさんは、あなたに無意識に重ねてしまっているのかもしれませんわ。親友の姿を。世間をにぎわせた、あの『怪物』の姿を」
「……、まぁ、お話は分かりましたけれど」
うん。なんとなく、タマちゃん先輩の現状とか、あの、違和感極まりない関わり方とか、その理由とか……合点はいった。けれどそれでも、ひとつ、わからないことがある。
「私に……どうして、ほしいんですか?」
「……」
問いかけに、マックイーンさんは躊躇ったようだけれど。やがて言っていた。
「……タイミングが合ったら。言うべきだと思いますの。『自分はオグリキャップではない』、と」
「……」
それは。
彼女にとっては……この推測が正しければ……残酷な、言葉。
「冷酷かもしれませんけれど。色々と重要な時期の彼女にとって、こうして立ち止まっている時間は、無駄以外の何物でもありませんわ」
マックイーンさんも、心苦しそうだったけれど。
その端々に、友愛の情が滲み出る。
「酷な役目かもしれませんが……」
「……まぁ、本人が言わなきゃ、意味ないですからね」
突っ撥ねることは出来たけど。
彼女の言いたいこと、考えていることも……私は、また理解出来た。
「……、わかりました。やって、みますね」
「……、ありがとうございます」
苦しいながらも、笑みに口元を綻ばせるマックイーンさん。途端、つきものが取れたように息を吐いていた。
「では、私はちょっと温泉に行ってきますわね。まだ開いてるようですので」
「あ……はい。じゃ、先に戻ってますね」
優雅に手を振る彼女を見送り、先に部屋へと戻る。
並べられた布団には、依然としてタマちゃん先輩が眠っていて、未だ魘されてるみたいだけれど、顔色はだいぶマシになっているみたいだった。
それを見て、口元が綻ぶのを感じながら、広縁の方へと足を向ける。
「……グリ」
その時だった。
タマちゃん先輩の、唸りに似た声が聞こえたのは。
「オグ……リ……」
「……タマちゃん先輩」
「行かんで……くれ……」
その声には。
やがて、涙声が混じり始めて。
「ウチを置いて……行かんでくれ……」
「……」
……その言葉に。
きゅっと、胸を締め付けられた感じがした。
時間というのは無情で。
私たちがいくら悩もうと、苦しもうと、『その時』を運んでくる。
中山競技場は。
京都ジュニアステークスを遥かに上回る熱気に包まれている。
『――! ――!!』
白熱する実況。
「――、――!!」
熱狂する観衆。
「――、――……」
死に物狂いで。
走る、私達――
『さぁ最終直線! 先頭を走るのは6番サファイアミザール!! そのすぐ後ろ、1バ身もない距離から、14番フランジアが追い縋る!!』
もう最後まで来れば、設計も計画も関係ない。
走るだけ。
走るだけ。
とにかく、前へと、走るだけ――
『どっちだ! どっちだ!! 今年のホープフルステークス、決めたのは――……』
ゴールラインを過ぎて。
栄光を齎されたのは。
『――サファイアミザール!! 6番サファイアミザールだ!! 京都ジュニアステークスでの快勝から、堂々の二連勝を決めたぁー!!』
……自分だと知って。
叫ぶことも出来なかったのは……
単なる疲労だけでなく。
「……、……」
快感が。
楽しさが。
その行動をも、飲み込んでしまっていたからだろう。きっと。
――その一方。
『メジロマックイーン速い!! メジロマックイーンさすがの豪脚!! 他を寄せ付けない――!!』
裏舞台――もとい、表舞台にて。
『決めたぁー!! これが名優! これが女王!! メジロマックイーン!! 危なげなく、有マ記念を連破してみせました!!』
明暗は。
明確に、別れた。
『――12着、ズールセブンジーンズ。13着、アスラック。14着――
タマモクロス。15着――』
「……、……」
タマモクロスは。
膝に両手を突き、息を整える。
悔しさ。
悲しさ。
苦しさ。
不甲斐なさ。
――何よりも。
虚しさ。
その全ての同居する、ぐちゃぐちゃな感情の中――
目の前に。
誰かがやって来たのを感じて、彼女は顔を上げる。
「……」
メジロマックイーンは。
そんなタマモクロスを、冷たく見下ろしていたが。
「……、」
やがてそんな視線すらも切り、背を向け、その場から歩き去る。
タマモクロスは、その背を追う余力も、呼びかける気力もなかった。
ただそこで、一人、歯を噛み締めるしか出来なかった。
年末年始のあれこれが収まり。
時間が出来て、グラウンドまで来ている。
休業中――特別『やること』がなくて。
走ろうと思って、準備運動をしているところ。
突き抜けるような青空に。
そよ風が渦を巻いていく。
嘘偽りなく美しい。
冬の日の一日だ。
「……」
でも、自分の胸の内が、それと同じくらい晴れやかか、と言われると……
正直、そうではなくて――
「――おーい、ミザールー!」
「!」
ボーっとしていると。
背後から、もうすっかり聞き慣れた声が、私を呼んでいることに気が付いた。
その影は……制服姿で、私の方へと、駆け寄ってくる。
……タマちゃん先輩だった。
「なんやなんや。自主練かぁ? まだ冬休みなんに真面目やーん。あ、それとも単に暇なんか?」
「あぁー、まぁ。気晴らしにはなるかなって」
「気晴らし? なんや困ったことでもあるんか」
「無いと言えば……嘘になるというか」
「……なんやなんや」
にんまり、と笑みを深めたタマちゃん先輩は、バシバシと腰辺りを12ビートくらいで叩き始める……
「いっちょ前に悩み事かー? 可愛いとこあんねんなー、自分! ほんなら、ウチが聞いてあげんこともないでー?」
「いやー……えっと」
「?」
あどけない顔で小首を傾げるタマちゃん先輩。その透き通った瞳に捉えられると、やっぱり……言葉が詰まってしまった。
悩みの一端を。
自分が握っているだなんて、夢にも思ってなさそうな目。
「……、」
さすがに、それを今ここで砕く勇気は、私には無かった。
だから――代わりに、と。私が今ぶち当たっている悩みのもう一つ。
ぶっちゃけ、タマちゃん先輩よりも大きめの悩みを、口にすることに決める……
「……実は」
「ん?」
……果たして。
「――はぁ!?」
タマちゃん先輩は、いかにも信じられない、と声を上げていた。
「トレーナーと連絡がつかない!?」
「はい……」
残念ながらそれは、本当の話だった。……そう。
年末のホープフルステークスが終わってからというもの、彼から、一切の連絡が来なくなってしまったのだ。
いつもなら学園内の『いつものとこ』で、ラジコンがどこからともなく現れ、レースの復習やらフィードバックやらトレーニング計画やらを申し付けられるっていうのに。
今回は……いつまで経っても。より正確に言うならば、一週間以上経っても。
ラジコンどころか……電話の一つもないのだ。
こちらから連絡を取ろうにも……彼の着信は常に非通知。
折り返そうにも、折り返しようがない。
理事長さんにも掛け合ったけど、提出された番号もアドレスも全て繋がらず。
手詰まり、というわけである。
「なんやねんそれ……」
タマちゃん先輩は、ありえないものを目の当たりにしたみたいに、というか実際に目の当たりにし、絶句する。
「た……確かに自分、まだジュニア級やけど、仮にもGⅠ勝ってんねんぞ……? 一緒に喜ばんトレーナーがどこの世界におんねん……いや、目の前におるけど実際……」
「実際現れたことはないですけどね」
「ま、まぁ。世の中広いしな。そういうトレーナーが一人や二人おってもえぇって思うけど……な……なんやろな……この感じ……」
ぶつぶつと言うタマちゃん先輩は、胸の辺りに手を当てる。その表情が、今までにないくらい、曇る。
「なんか……ざわざわするわ……」
「……実は私もなんです」
その感覚に、共感する。
胸がざわざわする。確かにそうだった。
こんなこと、あの乱雑なトレーナーさんなのだから。別にいちいち、気にしなきゃいいのに……
……なんなんだろう。
この感じ。いつもと違う。
今までと、違う。
なんというか、な、何か……
とてつもなく悪いことが、
これから起きるような。
「――あぁぁぁ、もぉっ!!」
刹那。
タマちゃん先輩が、荒々しく絶叫する。
「こんなうじうじ考えとってもキリないわ! 走ろ!!」
「え」
「今準備してくるさかい待っとけ!!」
「あ、あの、ちょっと!?」
……引き止める間もなく、タマちゃん先輩はドドドドドー……と姿を消す。言われるがまま、待つこと十分ほど。またドドドドド、とタマちゃん先輩は、ジャージ姿で戻ってきていた。
「ほんなら、軽く『2000m』くらいいっとこか」
体操をしつつ、タマちゃん先輩は提案してくる。別に大丈夫だけど……まさか、こんな思い付きで、偉大な先輩方と併走することになるとは思ってもみなかった。
そう、偉大な先輩と……
偉大な……
……
『タイミングが合ったら。言うべきだと思いますの。『自分はオグリキャップではない』、と』
「……」
「なんや、そないに暗い顔するくらいなら、とっとと走るで」
「……、はい」
マックイーンさんの言葉が脳裏に過ぎっても。
私はそれを口に出せないまま、タマちゃん先輩に促されるまま。
共に、走り始める。