さて、それよりも少し前。
「さぁ、だいぶゲートインが遅れていますが、何やらターフ内で軽く言い争いをしているようですね……」
実況席にて、実況を担当する男性は、遅々として進まない状況に、しかし大きくは焦らない。むしろ恒例、とも言えるそのバチバチとした状況に、余裕に似た微笑ましさすらも感じていた。
「今回の有マ記念大会も粒揃いのようですが、果たして誰がその栄光を勝ち取るのでしょうか! 解説の中村さん、いかがでしょう?」
「そうですね~、どの子も目が離せないですが、私が特に注目しているのは――」
名を呼ばれた解説の男性は、その目を、自身の注目するウマ娘へと向けていた。それは――黒いミニハットでも、薄紫の長髪でも、白い芦毛の小柄でもなかった。
「5番のサファイアミザールですね」
「おぉ、それは意外ですね! 理由を聞いてもよろしいでしょうか」
「えぇ、もちろん3番ライスシャワー、7番メジロマックイーン、10番タマモクロスからも目が離せませんが……ここ最近の彼女の伸び具合は凄まじいものがありますからね」
解説の男性は、これまでの彼女の活躍を脳裏に思い出しながら、続ける。
「何らかの事情で、三月の弥生賞以降動きを見せていなかった彼女ですが――九月の紫苑ステークスに突如として出走し、トップを掻っ攫って以降、続くセントライト記念をも制覇、更には菊花賞でも上位入賞を果たし、その名を一気に轟かせました。今回のレース、ダークホースとなる可能性は十分にありますよ!
とはいえ、10番タマモクロス、並びに7番メジロマックイーンは、今回をラストランとすることを表明しています。そう簡単に前は譲らないでしょうけれどね……どちらにせよ、面白いレースになると思いますよ!」
「そうですか~――おっと! さぁ、各ウマ娘、少々遅れましたが、ゲートインが済んだようです!」
果たして――
ターフ上の彼女らが、ようやく全員、ゲートに収まる。
「――、――」
通例通り。それから、一番人気から三番人気のウマ娘の、簡単な紹介が入り――
「――さぁ、出走の準備が整いました!」
実況の声が迸り。
一瞬にも。
永遠にも見紛う静寂が、競技場を満たした。
そして。
そして――
「――さぁゲートが開いた!! 出走です!!」
ゲートが開き。
ウマ娘たちが、一斉に、ターフを駆け始めた。
「さぁーて始まったね!」
レースの開始を見届けて、まず口を開いていたのはミスターシービーだ。
「さてさて誰が勝つのかなぁー? 順当にマックイーンかな? それともタマモがぶち抜くかな? ライスが掻っ攫うかな? はたまたミザールが喰らうのかな……!」
「けど、クラシック級ってアイツだけだろ? さすがに一着は無理なんじゃねぇか」
カペラは、それに冷静な分析を口にするが、シービーはにやりと微笑むだけだった。
「わかってないなぁ。レースの実力は、単純なキャリアだけじゃ測れないもんだよ。っていうかもしかして、あの子に勝って欲しくないの?」
「は!? い、いや、そういうわけじゃねぇけどさ……」
「ちなみに私は勝って欲しくないですよ。なんか虫唾が走るので」
「オメーってやっぱ結構ガサツな性格してるよな……」
「それ普通に悪口ではないですか……?」
カペラのヒスイへの評価に、イクノは冷静に口を挟む。その傍ら、コハクはブライアンに両手を伸ばしていた。
「んー、ぶらいあん、肩車」
「もう試合は始まってるぞ。集中しろ」
「んー! かーたーぐーるーまー!!」
「……今日だけだぞ」
「はは。その台詞、もう一週間くらい聞いてるよブライアン」
「ブライアンに肩車頼む子初めて見た……」
「ですよね! ちょっと羨ましいです!」
「いや、羨ましくはないかなボクは……」
「おい、なんか起こりそうだぞ!」
コハク、ブライアン、シービー。そしてテイオーとスペがやり取りをする中。
指を差して言っていたのは、ターボだった。
それに応じて――全員の注目が、ターフ上に集まる。
……いやぁ。
すごいなぁ、これ。
自分一人だけクラシック級だから、『特別扱い』されることは、正直ちょっと予測していた。
思い通りに走らせてはくれないだろうなと、タカを括ってもいた。
だから、衝撃も驚きも、最小限に済んだけれど――
「……」
クラシック級にぶち抜かれるのが、そんなに嫌なんだろうか。
出走早々、私の周囲には、もうなんか、団子にも見紛うほど、選手たちが密集していた。
全員が口裏合わせて、私を潰すために力を合わせています……そう言われても信じちゃうくらいの密度。
お陰様で、私は『差す』ことが上手く出来ないし。
流れに乗って、順当に走るしか出来ずにいる。
まぁ、仕方のない話ではある。
ここ最近、結構『活躍』してたからな。
生憎と菊花賞は一着を逃したけど、それ以外の二つでは、危なげない一着。
調子を取り戻す――という意味では、絶妙にうまくいったと思う。
これはその代償か。人気者の性か。
有名人となれば――誰もが、一度は辿らなければならない道か。それでも、菊花賞なんかは、ここまでマークきつくなかったんだけどなぁ。
「……」
……まぁでも。
悪くは思わない。
いいね。この緊張感。ピリピリする。
これくらいやってくれないと――
面白くない、ってもんだよ。
でも、このまま走り続けていても、何にもならないのもまた事実。
本当の目標が来年とは言え、無様にぶっちぎりの下位、なんていうのも格好がつかない。
せめて少しでも外に出られれば、と思うんだけど、それすらも許してくれなさそうだ。
はは。
世知辛いレースだ。
「……でも」
でも。
みんな、いいのかな、そんな立ち回りで。
確かに重要だと思う。自分に、自分たちにとって、直接驚異的な要素を排除しようという考えは。
誰もが取る、基本的な戦術だろう。だから別に、それ自体に不満を漏らすつもりはない。
でも。
でもさ。
みんな――本当にいいのかな。
私『なんぞ』に、そんなにかまけていて。
……だって。
確かに私は、世間様には、すっかり『栗毛の怪物』なんて異名が、板についてるみたいだけど。
こと、今回のレースに関していえば――……
怪物は、
「――快適ですわね」
それを証明するように。
それは――バ群から突き出ていた。
「隙だらけですわ?」
宙を踊る薄紫――
マックイーンさんが。
最初の坂路手前で、悠然と、先頭に躍り出ていた。
『さぁ最初の坂路手前、7番メジロマックイーン一気に先頭に躍り出た!』
バ群全体に衝撃が走る。
敢えて言葉にするならば、『しまった』、だろうか。
誰もが意識していないわけではなかった。意識せざるを得ない存在ではあった。その認識から、除外したわけが、あるはずがなかった。
それでも、彼女の先行を許してしまったのは、その意識があまりに希薄だったからに他ならない。
優雅なまでに、その姿は疾走する。
誰もがそれに反応し、逃すまいと速度を上げる。
しかし――その反応速度には、一人一人差異がある。
全員が完全に、完璧に反応出来るわけではない。
必然――そうなれば、出走者ごとに速度の差異が出来る。
必然――そうなれば、出走者間に距離が出来る。
必然――そうなれば、バ群が前後に伸び。
必然――そうなれば。
『抜け出す』ための『隙間』が出来る――
「――ッ」
それを。
サファイアミザールは――
冷静に、刈り取っていた。
「――!」
そうして彼女は――
固められた集団からすんなり抜け出し、2番目に着いていた。
「おっ――っははははっ!」
それを見ていたシービーは、いかにも楽しげな笑い声を上げていた。
「いいねいいね! お手本みたいな抜け出し方だ!」
「マックイーンをマークしていなかったのはそういうことか……」
「あれだけ『固め』られたのですから、単に出来なかっただけかもしれませんが。結果は同じですね」
それに、ブライアンとイクノディクタスが続く。
メジロマックイーン――最強格と名高い
一度独走を許せば、その底抜けのスタミナと速度で、誰も追いつけなくなってしまう。
だからこそ、本来なら強くマークすべき存在であったのだが。
サファイアミザールは、それを敢えて選ばなかった――なぜなら。
「え? マークしなかったってどういうことだ?」
「マックイーンさんを敢えてマークせず、自由にさせることで、抜け出すための『きっかけ』としたんですよ。尤もその作戦も、自分がマークされているという確信がなければ、打てない手ではありましたが」
「……? よくわかんないけど、とにかく凄いんだな!」
ツインターボの天真爛漫な返事に、イクノディクタスは、そうですよ、と答えるに留まっていた。
「でもでも、的確に隙間を縫える技術がないと難しかったですよね! すらすら行って、すごいですよ!」
「ってかアレ、まんま
うきうきと話すスペシャルウィークに、苦笑いするテイオー。各々、感想を口にする中で――
「……」
ガーネットカペラは。
「……」
ヒスイレグルスは。
「……」
コハクダブルスターは。
口を開いていなかった。
親友が、思いのままにターフを駆け巡る姿に――
完全に、釘付けになっていた。