――でも、と。
私は、気を取り直していた。
試合が思い通りに運んだのはいい。けれど喜ぶのはほどほどにしておかなくては。
だってここは――有マの舞台。
クラシック級とシニア級の入り乱れる、混沌とした戦場。
誰もが、その栄冠を求めて、本気の本気で食らいついてくる。
況してや――私以外の出走者たちは、みんなシニア級だ。
こんなもんで。
こんなもんで、終わるわけがない。
そう――彼女らが。
終わらせるわけがないんだ。
「――」
……ね。
そうでしょう――と。
私は、すぐ斜め後ろの方に目をやる。
そこには――想像通り。
漆黒のドレスと。
青薔薇の映える、黒いミニハットがあった。
「――
ライスさんは。
冷静に、冷徹に、冷酷に――私に、追い縋っていた。
何の因果だろうか、とライスシャワーは考えていた。
かつて自分は、ほかならぬメジロマックイーンの背を追い続けていた。
あまりにその意識が先行し過ぎて、私生活にまで踏み入ったこともあったが。
その甲斐もあってか、最終的に、彼女を打ち破ることが出来ていた。
今、自分はその務めから解放されて。
自由に『戦う』ことが出来る。
その意志の赴くまま、選んだ結果として――
今度は。
『後輩』に『ついていく』ことになろうとは。
「……」
彼女の頭の中には、既に勝利のパターンが組み上げられていた。
このままマックイーンを放置していても、何にもならない。
ミザールもそれをよく理解しているはず――ならば、遠からずマックイーンに追い縋ることになるはずだ。
マックイーンは確かに、最強のステイヤーとしてその能力が磨き上げられ。
常識外れのスタミナと速度は、他を寄せ付けない。
それでも完全にいつまでも走り続けられるはずもなく――実際、自分が『ついていった』結果として、彼女はペースを乱し、その栄光を自分に譲り渡していた。
今の彼女が、どれだけ動揺してくれるのかは読めない。
それでも、自分とミザール、両方に詰め寄られれば、少しは動揺してくれるはず。
そして――ミザールも。最近の成長は目覚ましいが。それでもまだクラシック級。
追い抜こうと思えば、追い抜くことは出来るはずだ。
つまりは――二人が『垂れて』きたところを狙って、抜き去ってトップを掻っ攫う。
自分と他。双方の実力を信頼しているからこその――作戦。
だから、ライスは追い縋る。見逃さずに、ミザールを捉え続ける。
来るべき時に備え、注意を向け続ける。
「さぁレースは中盤に差し掛かり、先頭を走るのは7番メジロマックイーン!」
レースが進むのに比例して、実況にも熱が入る。
「その後ろに5番サファイアミザール、3番ライスシャワーと続きます!」
それを間近で耳にしながら、解説は目を見開いており、気付けば口元に笑みすらも浮かべていた。
「いやぁー、面白い展開になってきましたね! まさか本当に『クラシック級』が前に出てくるとは……!!」
「これはなかなか想定外の事態ではないでしょうか。背後の出走者たちも、心なしか『掛かって』見えます!」
想定外。それは解説にとっても同じだった。出走前にあぁは言ったものの、飽くまで『彼女』は、ダークホースになる『可能性がある』というだけだった。
まさか、本当にダークホースになるなぞ、考えてもいなかった。
それは決して、彼女を嘗めていたとか、見下していたとかではなく――
彼女が。
自分たちの想像するよりも、ずっとしっかりと、『仕上げて』きていたからに他ならない。
「……」
何があったのか。
解説は、冷汗を垂らしながら、刹那の思考を巡らす。
彼女の爆発的な成長は把握していたつもりだったが、実際に目にしたそれは、それこそその想定をはるかに上回るものだった。
それはまるで――
彼女が、まだ何かを。
その先に、まだ底知れない何かを、目指しているように見えてならなかった。
「これは……まさかがあるかもしれませんね……!」
「そうですね~……!!」
解説の、手に汗握る言葉に。
同調する実況。
だが――レースの状況は。
「――!」
そんな彼らの予想を、更に裏切るように。
動いていた。
間もなく終盤に差し掛かろうというタイミングで――
稲妻が、
迸っていたのだ。
青天の霹靂。
晴れ渡った空に、突然走る雷のこと。
転じて、急に起きる変動、大事件を指す。
そのレースは――
だいたいの下バ評を裏切っていた。
もちろん、一番人気から三番人気は、よく名の知れた、歴戦の猛者が名を連ねた。
そのため、上位に彼女らが上がってきていることは、大多数の観客にとっては想定内のことだ。
想定外だったのは――
それよりも、下。
入賞ラインよりも、下――つまりは四位以下。
そのラインを巡る攻防だ――
『――!!』
観客は熱狂する。
これだから勝負はわからない、と、熱は湧き上がっていく。
誰が予想しただろうか――いや、誰かは予想していたかもしれない。
今回の有マ記念、唯一のクラシック級出走者が――
三位争いに加わる構図が出来上がるなど。
「っ……!」
歯痒く。
歯痒く、あるウマ娘は、歯を食いしばる。
もちろん、『彼女』を甘く見ていたわけではない。警戒すべき相手だと踏んでいた――だからこそ、最初こそ強くマークしていたのだ。
絶対に前には出さない、出られても『掛からせて』やると、強く意気込んでいたのだ。
にも関わらず――
目の前にした現実は、非情で無常。
気付けば、その彼女は、自分たちよりも遥か前方を走っており。
あの、『黒い刺客』との競り合いに臨んでいる。
――レベルが違う。
ぞっと、悪寒すら覚える。
これでまだクラシック級、というのが、にわかには信じがたい。
もし彼女が、このまま順当に育ち、完璧に仕上がったのだとしたら――
一体。
どんな『怪物』になるのか。
期待と恐怖で、身震いしていた。
「――、」
だからといって。
だからといって、みすみす、勝利を渡すわけにはいかない。
自分だって、腐ってもシニア級なのだ。地力では勝っているはず。
無様でも、泥臭くとも――
追い越そうと思えば、追い越せるはず――!
だから、彼女は力を入れた。
だから、彼女は強く踏み込んだ。
目の前で、次元の違う争いを繰り広げる二人に、
割り込もうとした――
――レースの、終盤戦。
第三コーナーにて――
結果として。
それは叶わなかった。
「――!?」
――突き抜けるような、青空の真下で。
新緑の芝の上を。
白い霹靂が――走っていた。
「なっ――!!」
それは。
次々と、出走者を追い抜き。
みるみるうちに。
前へと躍り出て。
コーナーの中ごろを過ぎた頃には――
「――!」
先頭――
優雅に踊る薄紫。
メジロマックイーンの姿を。
捉えていた。
『――捉えたッ!! 10番タマモクロス!! ここで驚異の追い上げ!! 先頭の7番メジロマックイーンを、あっという間に射程に収めたぁッ!!』
「――ッ」
メジロマックイーンは、背中越しにそちらに目を向ける。
そこで揺れる白髪の間、見えた瞳は――
確かに、彼女の瞳を捉え。
「――」
「――」
お互い。
まるで示し合わせたように。
不敵に、笑い合っていた。
『さぁレースは間もなく第四コーナー!! 勝負の行方は、最終直線に託されましたッ!!』
熱のピークに達した実況が、競技場内に響き渡る。