――情けない。
自分で、自分をそう思っていた。
あの日。
ウチは、いつも通りにテレビを観とったけれど。
そこでいきなし飛び出した発言に、しばらく時間を忘れとった。
「タマ、」
オグリにそう声を掛けられなかったなら。
きっと、ずっと硬直したまま、そこで動けへんままやったやろう。
彼女は、珍しく悪戯っぽい笑顔を浮かべとって、そこには悪気の欠片も感じられへんかった。
「ごめん。サプライズというやつだ。タマを驚かせたくて」
「あ……そ、そうやったんやな……」
その企みは、結果として成功した。
ウチも、それに精一杯の笑顔を返したけど。
きっとそれは、自分で思っとったより、硬いものやったんやろう。
「……タマ?」
「え……な、なんや?」
「いや……」
オグリは、何かを察したように。
気まずそうに、こう言ったんや。
「……タマも、『来る』よな?」
「……」
ウチは。
それに、すぐには答えられへんかった。
自分の中でどう思っとるか。どう感じとるか。本当ははっきり伝えとればよかった。
でも――オグリのその瞳が、あまりに透き通っていて。
純粋な、悪も、罪も、この世のどす黒い何もかもをなんも知らへんみたいな瞳に貫かれたら、
そう答えるのが、自然と躊躇われてもうて、
「――あ、」
ウチは。
また精一杯に笑顔を浮かべながら、言ったんや。
「当たり前やん……!」
……その約束は。
その強がりは。
結局、ウチにとっての、呪いとなってもうた。
身体の調子。
家族の行く末。
そういうあれこれを考えた時、どうしてもこのレースを走り続ける意味っちゅうもんに疑問符がついてもうた。
もうえぇんちゃうか。
辞めてもえぇんちゃうか。
勇退、っちゅうやつで、逃走とはまた違う。自分でもよく自覚しとった――だからそれをさっさと言えばえぇのに。
「――オグリ」
「ん?」
彼女と会うたび。
相対するたびに。
そのための勇気は、萎んでもうて……
「……いや、き、今日の昼飯は、なんやろなーって」
「……さぁ、私も、わからない」
早く言わな。
早く決めな。
そんな思いばかりが堂々巡り。
想いは山積し。
時間は過ぎ。
気付けば――そんな選択の出来るタイミングは。
とうに、通り過ぎとった。
……そんなあやふやな気持ちでレースに臨んでも。
いい結果なんか、出るはずもない。
トレーナーから、苦言を呈されたこともあって。
本当に――自分が、情けなかった。
……そんな折やった。
『あいつ』を見つけたのは。
「――おっす」
たまたま食堂におったから。
声を掛けた、彼女。
少し関わるだけ――そう思っとったのに、関わるごとに、なぜだか放っておけない気持ちになってもうた。
安堵感、安心感、傍でちょっと支えるだけで、自分の中の、足りない何かが埋まるような感覚がしとった。
自分の中の空虚を。いつか解決せなあかん問題を。あいつと絡んどる時だけは――忘れられるような気がしたんや。
『いやだからなんでそうなるねん! ウチがナチュラルに新人いじめてるみたいに言うのやめてくれへん!? ――……』
情けない。
『いやホンマ、トレーナーに無理言って来た甲斐があったわぁー!! ――……』
情けない。
『ごめんごめん、なんかだんだん楽しゅうなってもーてなぁ ――……』
「――ッ」
情けない。
ホンマに――情けないッ……!!
『有マで惨敗した負け犬が、新人さんをいびって遊んでるんですもの』
せや。
ウチは負け犬やった。
『こんなにぶっちぎりで走っても詰まらない。全盛期の勢いはどこいきましたの?』
先輩の威厳なんか、どこにもなかった。
『過去に縋って未来にも行けず。現実に腐るあなたが新人に先輩気取り? ……片腹痛いですわ』
……ホンマに。
その通りやった。
『先輩!! いいんですか!?』
『このまま本当に、本当の意味で別れが来ても!! あなたは幸せものです!! まだ本人が手の届くところにいてくれてるんですから!!』
『恐れてたら何も始まりません!! 怯えてても何も起こりません!! 恐れずに、怯えずに、話をして、『折り合い』をつけてきてください!! それでもう一度……もう一度!!』
『最高にカッコいいタマちゃん先輩を!! 見せてください!!』
最後には。
後輩にまで、気を遣わせてもうてなぁ。
『……『約束』守れんで……ごめん……』
汚名の返上。
『……それから解放される、いいことがあったんだな』
名誉の挽回。
『タマが決心出来て、良かった』
『……私は私で、こっちで、頑張る。だからタマも……タマで。そっちで、頑張れ』
『……応援してる ――……』
「……おう」
だから。
だから――行く。
「――ッ!!」
走る。前へ進む。
過去を、後悔を、過ちを、誤りを――
振り払うために。清算するために――
行く。
観客席の最上階から。
オグリキャップは、その様子を見守っていた。
レースの最終盤。
とうとう先頭に追い付いた彼女の姿を。
「……タマ」
食い入るように。
見つめていた。