『いいか。まず結論から言うが』
『今回もだいぶ、熾烈な戦いになるぞ』
『何せ、出走者全員、目が離せない猛者ばかりだ』
『……正直、何かの冗談じゃないかとすら思ってる』
「……」
『だが、ここまで来た以上、もう引くわけにもいかない』
『とりあえず一人一人確認してくから、頑張って頭に叩き込んでくれ』
『まずは――一人目』
「――お久しぶりです、ミザールさん……」
さなかで。
声を掛けられる。
女性にしてはかなり低めで。
ゆっくりとした、特徴的な声。
「こうして、ターフでお話するのは……『菊花賞』以来でしょうか……?」
「あー、まぁ。確かにそうですね」
菊花賞。
あれもあれで熾烈を極めたレースを思い出しつつ。私は、その人に改めて目を向ける。
艶のある黒い長髪。
ロングコート。かっちりとしたスーツみたいな服に、黄色いネクタイが映える。
「……カフェさん」
その丸い金色の瞳は。
恥ずかしがるでも、懐かしがるでもなく。朴訥と、私を見つめていた。
『――『漆黒の幻影』、マンハッタンカフェ』
『前の菊花賞で一度だけやり合ったな。覚えてるか? あの時は、あいつとタキオンの独擅場だったから、あんまりわからなかったかもしれないが』
『文字通り、影から忍び寄るような、隠密的な差し方は、その気配を察知するのも難しい』
『くれぐれも『死角』に用心しろよ。気が付いたら前に出られてる、なんてことも往々にしてあるからな』
「……お元気でしたか? また共に走れること、嬉しく思います……」
「出来れば、もっと心穏やかな時に会いたかったですけどね」
「いつでも『実験室』にお越しください……おもてなししますよ……まぁ、
タキオンさんがいない時、をお勧めしますが……」
「――おいおい、ちょっと待ちたまえよカフェ」
そんな風に、会話する私たちに。
また別の影が、現れる。
「人の与り知らない場所で、イメージダウンを図るのはいただけないなぁ」
「イメージダウンではありません……れっきとした警告です……」
「それをイメージダウンと言うんだよ! ひどいなぁ。私がまるで人でなしみたいに」
「そう言っているつもりですが……」
「あはは……」
苦笑いを返す先には。
袖の長い白衣に、栗毛のふわふわボブカット。ハイライトの見られない、特徴的な瞳。
『――二人目。『光速の探求者』、アグネスタキオン』
『菊花賞でカフェと競り合っていたやつだ。まぁーこいつはとにかく速い。その一言に尽きるな。それだけじゃなく、見た目通り頭も回る。こちらが先行していたはずが、全ては向こうの手のうちだった……なんていうことがザラにある』
『近くにいたら、その挙動からはくれぐれも目を離すな。奴の一挙手一投足が、全て計算のうちだと思っておけ』
「やれやれ、キミ、くれぐれもカフェの言うことは、鵜呑みにするんじゃないよ。私は見た目通りの善良な市民! なんだからねぇ」
「すべての善良な市民に……謝った方がいいですよ……」
「オーケイ、その是非はレースで示そうじゃないか! ……そういうわけで、くれぐれもよろしく頼むよ、『怪物』クン?」
「……お、お手柔らかに、どうぞ」
……カフェさんと同じく、タキオンさんとまともに絡むのも初めてだなそういえば。っていうか、世間的に強いって言われる人って、なんかこう、一癖も二癖もある人ばっかりだな。
もっとこう……マックイーンさんくらい、『普通』っぽい人って、いないのかなぁ……
「――あ~、先輩が後輩いじめてる~」
と、思っていると。
そんな、のんびりした声と。
「ふふっ、盤外戦術はほどほどにしてくださいね、皆さま」
落ち着いた声。
「ン~! デスが、ゲートイン前の檄の飛ばし合いは、淑女の嗜み、とマックイーンさんが言ってマシたー!」
騒がしい声に。
「それ、だいぶ誇張入ってない?」
呆れた声。
「大丈夫ですよ、ミザールさん! いざとなったら、私たちが守ります!」
楽しげな、声――
「……お変わりないようで、皆さんも」
その集団に。
私は、冷汗を垂らしながら答えた。
何せ彼女ら、言葉は優しいながらも――
威圧感は、とんでもなかったからだ。
『三人目。『トリックスター』、セイウンスカイ。――』
『四人目。『不死鳥』。グラスワンダー。――』
『五人目。『怪鳥』。エルコンドルパサー。――』
『六人目。『不屈の帝王』。トウカイテイオー。――』
『七人目。『日本総大将』。スペシャルウィーク。――』
……あぁもう。
もう、情報過多だ。凄すぎる。
こうまでずらっと、名だたる猛者が並んでなお。
まだ、出走者は半分くらいだもんな……
「もう~、風評被害甚だしいな! 付き合いきれん! では私はこれで!」
「逃げましたね……」
「完全に何かしてる時の逃げ方だね~」
「待ちなサーイ! 悪人はエルが逃がしマセんよーっ!」
「もう、エルったら、出走前なんですから、セーブしてくださいよ……」
「あははは……まぁ、変に緊張してるよりはいいですよねっ」
……そうは言っても、限度ってもんがありそうだけど。本当にG1レースの出走前なのか、これが……
「――本当に重賞レースの出走前なの? これが」
とか思ってたら。
更に現れる、別の影。
「アンタたち、さすがに緊張感無さ過ぎじゃない?」
「そうか? 俺の目には、スカーレットがビビってるように見えるぜ?」
「う、うっさいわね! ビビってないわよ全然!」
――走ってみたい。
かつて、そんな風に小さく願っていた、橙のツインテールと、外ハネしている鹿毛。
『八人目。『ミス・パーフェクト』。ダイワスカーレット。――』
『九人目。『常識破りの女帝』。ウオッカ。――』
「――っていうか、アンタの方こそビビってるんじゃないの? そんな風に炊きつけて。そんなことしたってアタシには無駄なんだからね!」
「へっ、どうだかな。後で吠え面かかないように、精々準備しとけよ!」
「ふん、そっちこそね!」
「今日も夫婦漫才が微笑ましいですな~」
『誰が夫婦か!!』
「あはは……」
スカーレットさんとウオッカさん、スカイさんのひと言にも息ぴったりで、なんか、夫婦かどうかは別として。微笑ましいのは確かだった。
「――なんだなんだ!? なんか楽しいことやってないかそこ! ターボも混ぜろ!」
そして、更に。
「でもいいのかしらね。出走前にこんなことしてて。係員さんに怒られないかしら」
近づいてくる、もう二つの影――
『十人目。『全力大逃げ娘』。ツインターボ。――』
『十一人目。『異次元の逃亡者』。サイレンススズカ。――』
「まぁー、いいんじゃないの別に? 言い争ってるわけじゃないし~」
「おぉー! ばんがいせんじゅつってやつだな! よし! ターボも頑張るぞ!」
「頑張らなくていいのよ、別に……」
スズカさん、苦笑いしている。なんかこの二人の取り合わせ、珍しいな。
「そういえば、ミザールちゃん」
「え、なんですか?」
とか思っていると。スズカさんが言っていた。
「……あそこ。何か話したげにしてたわよ――」
その指が。
指し示す先には――
「『お友だち』が」
「……」
……見知った姿が。
見慣れた姿が。
そこに、ある。
「……ちょっと行ってきますね」
それだけ言って、私はそちらへ駆け寄る。彼女らは……
その服装が、『いつもと違う』こともあって。
がらりと、印象が違って見えた。
「おーおーなんだ、人気者。そっちで話してなくていいのか?」
「い、いやいや。来たら勝手に寄って来たって言うか」
「虫みたいな言い草ですね」
「へ!? いや、別にそんなつもりで言ったんじゃ……!!」
「むしー!」
「虫じゃないって!」
いつも通り。
緩くて、どこか懐かしさすらあるやり取りをする。
嬉しさを噛み締めながらも。
同時に――警戒も、解かなかった。……
『十二人目。『紅い閃光』。ガーネットカペラ。――』
『十三人目。『百獣の王』。ヒスイレグルス。――』
『十四人目。『芦毛の彗星』。コハクダブルスター。――』
……クラシック級。
今日集まった仲では、彼女らは、ただ三人だけのクラシック級だ。
それでも――既に、そんな呼ばれ方が定着している。
実力のほどは――言うに及ばず、といったところだろう。
「……もう、みんな……」
だからか。
出てくる言葉も――ちょっと、火力が高めだ。
「そんなこと言っても……先は譲らないからね?」
「はっ。どうだかな。今にそんなこと言えねぇようにしてやるぜ」
「なるほど。今ここでボコボコにするわけですね。あなたらしい戦術です」
「オメーはなんで毎回そんな物騒な方向に考えが行くんだよ! 普通に怖いわ!」
「ぼこぼこー!」
「オメーも復唱してないで否定するなりしろ! 自主性どこいった!」
「……、」
……でもまぁ。
いつも通りで、良かった。
それこそ、緊張で動けない、とかだったらどうしようかと思ったけど。
どうやら、杞憂に終わりそうだ。
「……あれ」
でも。
私は、そこで気が付いた。
「カペラちゃん、そのパーカー……」
「ん? あぁー……」
そう。
カペラちゃんは、勝負服の上に、見覚えのあるパーカーを着ていたのだ。
ところどころ薄汚れた――『フード』の乱雑に取り外された。
真っ赤なパーカー。
「……まぁ、色々あってな。着ることにした」
「え……?」
「さ。無駄話はここまでにして、行きましょう」
意味深に彼女が言う中。
容赦なく、ヒスイちゃんが言う。
「ん。時間の無駄~」
それにコハクちゃんが着いていき。
「はぁ!? おいこら! 別にあたしだけのせいじゃねぇだろ! 待てこら!」
カペラちゃんも、怒号と共に同調していた。
「……」
なんだかんだで、そんな感じで。
ゲートに向けて、歩き出す三人。
……気になることはあったけど。
ひとまず私も、それに着いて。
歩いていこうとした。
「――……」
その時。
一陣の風が吹く。
漂う、張りつめた空気に。
自然と、私は、そちらを見ていた。