「ほんなら、抜いてもうてもかまわんからな」
「はは……冗談」
白い稲妻、とまで言われるお方をそう簡単に抜けるものか……そう思いながら始まった併走だけど……
「……」
「……?」
……?
あれ。
なんか、タマちゃん先輩……遅くない?
まさか本気で走ってる、とは思わないけど。これくらいの速さなら――
「――っ」
本当に抜け――
「――」
……る、と思って。
グッと力を入れて、加速しようとした瞬間。タマちゃん先輩も、同じタイミングで加速する。
ぬ――抜けない。
「……っ」
絶妙に抜けない距離を保たれて、もどかしい気持ちになる。ペースを上げつつも、もう一度、力を入れ、抜こうと試みるが、
「――っ!」
やはり同じタイミングで加速され、抜けない。
そういう親心、ならぬ先輩心なのか。こうして直々にトレーニングをつけてもらっているのか、ただ、こちらにちらと目をやった彼女の目は――悪戯っぽく綻んでいて。
……やばい。
もしかして私、弄ばれてる……!?
「――くっそ……!!」
その悪態が聞こえたかはわからない。何しろ何度も、彼女を抜こうと試みるも……やはり抜けない、もどかしい状態が何度か続き……
1000mは、あっという間に終わり際に近づいてきた。
「へいへいっ、どしたんどしたん? こんなんでもうグロッキーかっ?」
「も、もぉ! あんまりいじめないでくださいよーっ!」
「ごめんごめん、なんかだんだん楽しゅうなってもーてなぁ」
って、っていうかこんな無茶苦茶な走りしといて、まだそんな話せる余裕あるのか。や、やはり稲妻の名は伊達じゃないな……!
「ほんなら、もう一周いくで! 辛いんなら――」
とか思ううちに。
併走は残りの1000m、に差し掛かるが。
「――楽しそうですわね」
その時。
別の聞き慣れた声が、そこに介入してきていた。
「私も混ぜてくださいな」
「――!」
目の前のタマちゃん先輩の隣に。
薄紫の髪が躍る。
「――マックイーンさん!?」
「マック!? な、なんでこないなとこに……!」
「ふふっ、私もちょっと退屈でして。走りに来たんですけれど。居ても立ってもいられなくなって」
「ははっ、とんだ暇人やな!」
「お互い様ですわ!」
――や。
やばい。なんだこれ。
ターフの名優、白い稲妻。テレビの奥でしか観たことのなかった、異名コンビと――
私、今、併走してる!?
否。
併走させて、いただいてる……!?
「――しかしびっくりしましたわ。私ここに来て、目を疑いましたの」
雰囲気は柔らかい。
「あぁ? なんでや。そないに珍しいか併走が」
私もそれに押されて、ちょっと楽しかったけれど。
「えぇ、珍しいですわ。だって――」
その気持ちは――
刹那。
……吹き飛ばされることとなった。
「――有マで惨敗した負け犬が、新人さんをいびって遊んでるんですもの」
「――……」
「……」
ピシ。
空気が、固まる。
走っているさなか。固まった空気に、肌が引き裂かれるかと思った。
「……」
しばしの沈黙。
タマちゃん先輩は……何も、言わなかったけれど。
「――あ?」
その声が。
低く、威圧的なものに変わる。
……
背後からでもわかるくらいに、怒りに、染まっていた。
「あらあら。失言でしたか?」
にも関わらず。
マックイーンさんは、けらけらと笑っている。
「なんや自分。ウチに喧嘩売りに来たんか?」
「いえいえそんな。私はただ事実を言っただけですわ」
「最近のご令嬢っちゅーんは、言っていいことと悪いことの区別もつかんのかい」
「ついていますわよ? ついているからこそ、今こうして言ったわけではないですか」
「……ホンマえぇ加減にせぇよ自分」
「そう思うのでしたら、」
その時。
マックイーンさんが、力を入れたのが分かった。
ぴり、と。
再度、空気が、変わる。
「――追い付いてみなさい」
そして。
彼女は、一人、疾走を始める。
「――ジョートーや!!」
そして、タマモクロスさんもまた――煽られるまま、疾走する。
私は呆然として。
しばし、ジョギングみたいな走りしか出来ていなかったけど。
「――ちょ」
――ヤバいことになった!!
と、ようやく自覚して。慌てて、二人を追いかけ始めた。
タマモクロスは、同じシニア級として、メジロマックイーンの走る姿など、これまで何度も目にしてきていた。
その光景を目に焼き付けてきたし、共にレースを走ったこともあった。
そのうちの何回かでは、自分が追い抜き、追い越し、勝利をもぎ取っていた。
確かに、直近の有マでは、自分は目も当てられない結果を残してしまった。
いつもは温厚なトレーナーにすら、苦言を呈されてしまったほどだ。
だがあれは本調子ではなかった。本気を出し切れていなかった。今ならば。今走ったならば。あそこまで無様な姿をさらすことはないだろうし、それゆえにもっといい結果を出せるだろう。
何なら、目の前の彼女から、一着をもぎ取ることだって可能なはずだろう。
なのに。
それ、なのに――
「――、……」
なんやこれ、と、タマモクロスは歯を食いしばる。
自分は手を抜いていない。むしろ、先ほどまでの併走で、身体は暖まっている方だ。
本当なら、追い付くどころか、追い抜けるくらいの勢いのはずなのに、
追いつけへん、と。
目の前を走る女王との距離が。
全く縮まらない――と。
トレーニングを疎かにしたつもりはない。身体が鈍っている感覚もない。
そうなる要素などないはずなのに。
何故。
何故追い付けない。
何故追い抜けない。
何故、
勝てない。
「――っ、」
どうすれば、と彼女が考え始めた時、マックイーンの姿が、急に近づく。
追いつけたのか、と彼女は一瞬は考えるが、その要因について、ひとつ思い至る。
不自然なくらいの接近、突然の距離の縮まり。
考えられるのは――
「――詰まらないですわ」
彼女が。
『手を抜いた』ことだった。
「あ……!?」
「こんなにぶっちぎりで走っても詰まらない。全盛期の勢いはどこいきましたの?」
「うっさいねんッ……黙っとけ……!!」
「……、本当に、詰まらない」
タマモクロスの決死の呼びかけにも関わらず。
マックイーンは、黙らなかった。
「今のあなたになら……『八割』くらいの力でも勝てそうですわ」
「――! この……!!」
実際。
それだけ減速されても、タマモクロスは追い抜けない。
先ほど自分がしたように。先ほどのサファイアミザールのように。
追い抜こうとしても――絶妙に距離を保たれ。
追い抜くことが――出来ない――
「――わかりますよ、あなたがなぜそんなに弱くなったのか」
そのさなかで。
マックイーンは、なおも言う。
「オグリさんでしょう?」
「――ッ」
それを聞き。
タマモクロスの歯ぎしりは、更に強くなる。
「今のあなたは、宛ら親を無くして彷徨う赤ん坊ですわ。そんなに怖いのですか? 目標がなくなるのが」
「黙っとけッ、言うたのがッ、聞こえんかったかッ……!!」
「DTLに行こうにも、身体の限界と家庭の事情が重なり、追うことも出来ない。自分も知らない場所へ行ってしまう親友に、まるで拒絶されたようで、あなたは何も出来ずに腐るしかない」
「ホンマに!! 舌噛むで自分!!」
「本当にくだらない」
マックイーンは。
止まらない。
停まらない。
止まらずに――
「過去に縋って未来にも行けず。現実に腐るあなたが新人に先輩気取り? ……片腹痛いですわ」
「――……」
タマモクロスの息が。
上がり始めたのは。疲労からだけではなかった。
「今のオグリさんがあなたとろくに話さないのは、失望しているからかもしれませんわね」
「……黙れや……」
「本当は胸の内を明かし合いたいのに。勝手に突き放して勝手に落ち込んでるあなたに、幻滅しているからかもしれませんわね」
「黙れや……!!」
「お互い別々の道でも頑張れるように。本当は励まし合いたいかもしれないのに――」
「黙れっちゅうんが、聞こえんかッ!!」
タマモクロスは。
力の限り、地を踏みしめる。
お互いの距離は――それによって、少しだが、縮まる。
「わかっとるわ、わかっとるわウチかて!! こんなことじゃ駄目いうことくらい、自分に言われんでも!! でもしゃあないやんけ!! 何にもならへんねん!! どないすればいいかもわからへんねん!! 目標立てても!! それ目指してみても……!!
全部……虚しくなんねん……!!」
だが。
その距離も――また、少しずつ、開いていく。
「……どないすりゃえぇんやウチは」
それでも、彼女は追い縋るが。
「ウチはこれから……何目指して走ってけばえぇねん……」
その走りに、先ほどまでの覇気は、もうない。
「なぁ、教えてくれ……マック……」
それはもはや。
追い縋るというよりも。
彼女に――
「ウチは……どないすりゃえぇんや……?」
「……」
マックイーンは応じない。
横目で見ていた彼女を、最後まで見届けて。
前を向く。
そんなことに――答えなどない。
ただ終わりがあるだけだ――残酷で冷酷な。
それが終わり、という終わりだけが。
「――、」
だから。
マックイーンは走る。
ただ前だけを向き。
後ろは振り返らず。
ならば先へ行く――とばかりに。
足に、力を入れ――
「――!?」
――その時だった。
そんな二人の間を、一陣の風が通り過ぎる。
それは、二人の前にたちどころに躍り出ると。
彼女らが、その正体を認識するより前に。
「――喧嘩はッ、止めてくださぁぁぁいッ!!」
それは。
精一杯の力で絶叫していた。
――サファイアミザールだった。
私の絶叫のお陰か、二人はやがて停止してくれていた。
呆然とした目で……なんならタマモクロスさんは、薄っすらと涙目で、私を見ている。
私は……私は。瞬間的、かつ爆発的な加速のために上がった息を整えながら、立ち止まってくれた二人と、相対していた。
「け、喧嘩……しないでください、二人とも……!!」
「……ミザールさん」
「マックイーンさん!!」
「は、はいっ!!」
何が何だかわからない、とでも言いたげに言う彼女に。
私は、思いの丈をぶつける。
「メジロ家のお嬢様なら、
「は――はいっ!!」
「タマちゃん先輩!!」
「……え」
文字通り、抜け殻のように。
呆と立っていたタマモクロスさんにも、私は、ぶつける。
「オグリさんと話しましょう!!」
「――は!?」
思いの丈を。
同じように。すると。
彼女は我に返り。頓狂な声を上げていた。
「こんなしょぼい走り方するタマちゃん先輩、見たくないです!! オグリさんがいるならちゃんと話し合って、お互いの想いを確認しましょう!!」
「しょ、しょぼいて……」
「それともなんですか!? 怖いんですか!? オグリさんと話すのが!! 唯一無二の親友が、確かに自分とは違う場所に行ってしまったと実感してしまうのが、怖くて仕方がないんですか!!」
「……」
……図星なのか、俯いてしまうタマモクロスさん。
私は、そんな彼女に近づいて。
ガっと、両肩を掴んだ。
「――なんで怖いんですか。怖くないじゃないですか、全然」
「……へ」
「親友が更なる大舞台に行くんですよ!! すごいことじゃないですか!! 祝福してあげましょうよ!! 盛大に!! ……いや、もう一年くらい経っちゃってますけどなんだかんだで!! それでも、それでも!! 笑顔で送り出してあげるのが、親友の役目だって私は思います!!」
「……」
でも。
呼びかけにも関わらず。彼女はまだ不安を拭えないようで。私は……記憶の棚から、昔にお父さんに聞かされた言葉を引っ張り出した。
「……昔、お父さんが言ってたんです。出会いがある以上、別れは絶対にあるものだって。別れは辛いことだし、哀しいことです……でもそれは、決してそればっかりじゃない、って言ってました。それは……」
それは、
「……神様が、また別の素敵な出会いのために用意してくれた、『祝福』なんだって」
「――……」
「だから大事なのは、別れた時に何をするかじゃなくて、別れるまでに何をするか、なんだって!!」
私は、彼女の両頬に手を添える。
思ってた以上に弱々しい顔に、正面から相対して、目を、逸らさない。
「先輩!! いいんですか!? このまま本当に、本当の意味で別れが来ても!! あなたは幸せものです!! まだ本人が手の届くところにいてくれてるんですから!!
恐れてたら何も始まりません!! 怯えてても何も起こりません!! 恐れずに、怯えずに、話をして、
そう。
もう一度――
「最高にカッコいいタマちゃん先輩を!! 見せてください!!」