――そう、あの日。
私は、声を押し殺して泣いていた。
全てが、なんとか繋ぎ止められたことが、嬉しくて。
それでも、あと一歩のところで負けたことが悔しくて。
ボロボロの身体で。ズタズタの心で。
それでも再起して、大層な夢を目指して走り始めたのだ。
……遠い、遠い、夢のお話。
叶えられないかも、と何度思ったことか。
出来ないのかも、と何度挫折したことか。
もう無理なんだと。
何度、絶望したことか。
でも、それを乗り越えて。
それを、踏み越えて。
ここにいる。私は、私たちは、今、ここにいる。
もう気兼ねはない。気にすることはない。暗くなる要因なんて、ない。
行くだけ。
もう、行くだけ。
あとは走り続けて――
自分にとっての、最善を、掴むだけ。
あの日の自分のために。
あの、心苦しい悲しみのために――
勝利を。
もぎ取るだけ!
「……」
だから。まずは状況確認だ。
冷静に、落ち着いて。
状況を確認し、作戦を組み立てる――……
レースが開始し。
真っ先に先頭に躍り出たのは、サイレンススズカだ。
逃げ戦術としての常套手段。
まずとにかく先頭に立つこと――
自分が今まで、何度も繰り返してきた立ち回り。
堅実で、確実な走り方――
「――!」
しかし。
それを見ていた西崎は、目を見開く。
ついで、眉を顰め、冷汗を垂らしていた。
――感じてはいた。
予感はしていた。
だが、いざ『それ』を目の当たりにすると、苦い気持ちにならずにはいられなかった。
やはり、と。
やはり、そう簡単にはいかないか――と。
なぜなら。
「――……」
スズカのすぐ背後――
1バ身も無い距離に。
長い芦毛が、揺れていたからである。
『――しかし飛び出したサイレンススズカの背後――!』
実況は、その状況を、如実に伝えていた。
『10番コハクダブルスターぴったりとくっ付いた!!』
その、無邪気ながら――冷徹な瞳が。
橙の髪を、冷酷に映していた。
「――さて、体力テスト、お疲れ様」
コハクダブルスターが編入して、しばらく。
チームリギルの総括トレーナー――東条は、彼女の能力に関する、一通りのデータを取り終えていた。
「最高速度、加速力……それとパワー。これらは申し分ないけど、スタミナと……あと学力に少々問題がありそうね」
「……ごめんなさい……」
「ふむ……」
データを分析する中で、東条は、不自然なほどの能力の偏りに着目する。
最高速度と加速力が高い、とは言ったものの、ひときわ目立っているのはそのパワーだ。
例の暴走事件で何となく想像は付いていたものの、実際目の当たりにするとその高さはすさまじい。
それと学力に関しても、全てが悪いというわけではない。
国語、社会、理科、英語は壊滅的だったというのに、なぜか数学だけはずば抜けていた。
そのあまりの能力の偏りに、東条は見覚えがあった。もしかしたら彼女は――
――『サヴァン』、というのに近いかもしれないわね。
東条は、うぅむ、と無言で悩む。難しい問題だと。彼女の元から持っている素質を、さらに伸ばしてやるべきか。
それとも、その素質を補う形で、他の能力を伸ばしてやるべきか。
ともあれ、メイクデビューはまだ先だ。ひとまずレースの様子を見てから決めるか――と、彼女が考え至った時。
「……?」
コハクの様子が、目に入っていた。
彼女は。
両手を握って、縮こまっていた。
「どうしたの?」
「……お」
東条が問いかけると、コハクは目を逸らし。
消え入りそうな声で――言っていた。
「……怒らない、の……?」
「……」
よく見ると。
彼女のその手は、小刻みに震えており。
その先にある出来事に、怯え切っているように見えた。
「……、」
東条は、そんな彼女の頭に、ぽん、と手を置いていた。
「……どうして怒る必要が?」
その行動に、一瞬こそコハクは大きく身体を震わせるも。そこから続く、優しく頭を撫でる動きに、彼女の顔を見上げていた。
「無知は恥ずかしいことではありません。無知であるのを自覚しながら、知ろうとしないのが恥ずかしいの。知らないことがあるのなら、これから知ればいいのよ」
「……とれーなーさん」
「まぁ、同じ間違いを四度も五度も繰り返したら、さすがにちょっと怒るけど」
ゴゴゴゴゴ……と黒いオーラをまとい始めた東条に、コハクは思わず目を逸らす。それに苦笑いした東条は、彼女から手を離した。
「それじゃ、もう少しトレーニングをしてみましょう。まず――」
そして、再度。確認のために、彼女に別のトレーニングを課す。……