……やばい。
これは、さすがに、やばい……!!
彼女を用心しろとは言われていた。何をしてくるかわからないとも言われた。
でも――でも、こんなの、こんなの予想外だ。いや予想出来てたまるか!
まさか彼女が――
ピンポイントで、私を潰しに来るなんて――!!
どうする。どうする私……!!
今まで通り、いつも通りに仕掛けちゃってもいい。でもあの子、私にわざとバ脚を見せて、その上で私を抜かせなかったということは。
あんな風に、意味深にこちらを見てきたということは――
私の考えが、全部読めてるってことだ。
お前の考えなんか、全部お見通しだぞってことだ。
お前のことは。
何があっても、徹頭徹尾、抑え込んでやるぞ――ってことだ……!!
「……、……!」
でも、でも――
当たり前だけど、前に出ないと、トップになんてなれない。一着なんて、取れるはずがない。
でも、でも――
私の動きは読まれている。彼女に完全に監視されている。地力でも拮抗している以上、仮に先団まで出られたとしても――
最後の最後で、
競り負けることは、全然有り得る――!
かといって我武者羅に速度を上げれば、それもそれで共倒れ。
あの子はいいかもしれないけど――
そんな終わり――私は、認められない……!!
「――、――……」
どうする。
どうする、どうする、どうする……!!
あまりに出口のない問いかけの連続に、あの、何度も練習した楽曲のフレーズが思い浮かぶ。
どどどどどーすんの、とか、場違いに響きやがり始める中――
「――!」
そんな私の脇を。
漆黒の影が、通り抜けていた。
「――すみません……」
『彼女』は。
通り抜け際、ちらとこちらを見つつ、そう言っていた。
「横槍……失礼しますね……」
「っ……!!」
……くそ。
カフェさん、しっかり差してくるじゃないか……!!
↑UP! 9th マンハッタンカフェ
↓DOWN… 10th サファイアミザール
カフェさん、ライスさんに負けず劣らずの差しのプロとは思ってたけど、まさかここまでとは。
私が思考の海にどっぷり浸かっていた、っていうのもあるだろうけど、全然追い上げてくる気配なかったぞ……
この真っ黒な衣装といい、声といい、雰囲気といい……
まるで――そう。
まるで、『影』みたいな抜き方……
を……
……
……
「……あ」
……そうだ。
それだ。
いや、それか……!?
いや待て、でもそれって、賭けとしてはかなり難しいような……今は有マだぞ、そんな博打当たるかどうかなんて……
堅実にいけば道は開けるかも、それを期待して、順位を維持した方が……
いやでも、結局あの子に監視されちゃってる時点で、私の勝ち筋なんてもうほとんど――
――っ。
つべこべ言ってられない。
レースは一瞬で終わるんだ。悩んでる暇なんてない。
うまくいくかどうかなんて、わかんないけど――!!
「……行こう」
『ソレ』で――
行くしか、ない――!!
そんな、苦悩するサファイアミザールの前方――
中山競技場、最初の坂路。
出走者のスタミナを容赦なく奪うその坂道に――
コハクダブルスターは、僅かながら出遅れを見せる。
「――っ」
それでも遅れまいと、息を入れ直し、目の前の緑の影に追い縋った。
その健気で一途な姿を――スズカは、確かに見る。
「……疲れたなら、休んでいいのよ?」
「黙ってて……」
最初から飛ばし過ぎたのか。
コハクに、先ほどまでの元気はない。
それでも、坂路の終端、彼女に追いつき。
「――ッ!」
二人、ほぼ並んで、次なる1コーナーへと向かい始めた――
「――遅いですよ」
その時。
だった。
「――!?」
冷え切った刃物のような、凛としたその声色と共に――
二人の視線が、引き寄せられる。
その影は――緑がかった、黒い長髪を靡かせていた。
「休憩なら――端に寄ってください」
――ヒスイレグルスは。
容赦なく、二人の前に出ていた。
↑UP! 1st ヒスイレグルス
↓DOWN… 2nd サイレンススズカ
↓DOWN… 3rd コハクダブルスター
トレセン学園第一グラウンドにて――
一通りの体力テストの結果を見た南坂は、満足そうに頷いていた。
「……やはり、あなたの『最高速度』には、目を見張るものがありますね」
「はい」
顎に指を添えながら、その姿を見る。
褒め言葉にも――
彼女は、表情一つ変えず。何の感動も得ていなさそうだった。
「……それだけでなく、全ての能力が高水準で纏まっています。これがジュニア級だなんてにわかには信じがたいですね。名実ともに優等生、ということですね」
「はい。ありがとうございます」
「……」
「……?」
本当にこっちの言葉が届いているんだろうな、と、心配にもなる。
そんな思いから、彼は体力テストのシートの隅に、若干コミュニケーション難、と素早く書き足していた。
「ともあれ、これなら他のことにあまり気兼ねすることもありません。そのあなたの最大の武器を、堅実に磨いていきましょう」
「……昔」
「はい?」
ヒスイは、そんな南坂の、一端のトレーニング方針に、ぼそりと言っていた。
「何度かレースはしたのですが。短距離走では、いつも最下位に甘んじていました」
真っ直ぐと。
彼の瞳を見つめて。
「……何故でしょうか?」
「……最高速度が速くとも、そこに達するまでが遅ければ、真価を発揮できずに終わってしまいます」
そんな、どこか純朴な瞳に、南坂は、にこりと笑いながら答えていた。
「先ほど、あなたの能力は高水準にまとまっているといいましたが。それらは最高速度に比べたら見劣りしてしまうものです。あなたには加速力が足りていない……つまり中距離、長距離で、その強さを最も発揮できるというわけです」
「……短距離でも勝つには、どうすればいいでしょうか」
「いやいや。神は二物を与えませんから。そちらは潔く切った方が……」
「お願いします」
優しい微笑みを苦笑いに変えた南坂は、ヒスイにそんな風に返すが。
彼女は、頭を深々と下げていた。
「……トップとは言いません。ですが、せめて最下位に甘んじないような……コツがほしいです」
「……」
顔を上げた彼女は。
なおも真っ直ぐに、南坂を見つめる。
その直向きで、揺らぎない姿勢を見た彼は――
シートに書き足した文言を、横線で、掻き消していた。
「……わかりました」
それから、人差し指をぴんと立てると。
「では、こうしましょう」
彼女に、言う。……