ヒスイレグルスが前に出て、観衆の熱狂が高まる。
それを目撃したスズカが、コハクが、そのままにしておくはずがない。
負けじとそれに追い縋るも――
速度の乗り始めた彼女の背には、そう簡単に追いつけない。
「っ――!」
速いわね、とスズカは唇を噛む。
ここは一旦勝負から降りるべきか、とも思う。
コハクダブルスターはスタミナを消費し過ぎた。きっと終盤で垂れるだろう――そう踏んで、もはや問題にならないと彼女は考えた。
ならば焦らず、スタミナを温存するべきシーンか、と。
彼女の最高速度は驚異的だが、中山の最終直線は、第二直線ほど長くはない。
次の直線で追い縋り――
最後に抜く。
――よし。
これが、ベスト――そう思い至り。
力を出し過ぎない方向に、舵を切り出した――
「――やっぱさぁ、生意気だよねキミたちって」
瞬間。
可愛らしいながらも、悪寒を誘う声が。
一同の肌を、撫でる――
「一体誰の許可で――」
刹那。
鹿毛の影が、出走者の間を縫って、通り抜ける。
一陣の風のように、一気に順位を上げてきた、それは――
白い、威厳を感じる衣装を身に纏っていた。
「――!」
ヒスイもまた。
それを、視界に捉える――
「――ボクの前に出てんの?」
トウカイテイオーは。
そんな彼女に、威圧的に、呼び掛けていた。
→KEEP 1st ヒスイレグルス
→KEEP 1st トウカイテイオー
↓DOWN… 3rd サイレンススズカ
↓DOWN… 4th コハクダブルスター
「――え」
だが、ヒスイは動じない。
異名として、同じ『王』を背負う者として――
飽くまで動じず、冷静に、答える。
「むしろ――
「……ジョートーだよ」
それににやり、と笑ったテイオーと共に。
先団の速度が、引き上げられる。
その背後――
「――やい『けんきゅーしゃ』!! いい加減前譲れっ!」
「あぁすまない――苦情はレースの後で聞くよ!」
→KEEP 5th アグネスタキオン
→KEEP 6th ツインターボ
ツインターボと、アグネスタキオンが。
「そろそろ諦めたらどうデスかっ! スカーレットさん!!」
「アンタこそっ!! さっさと諦めなさいっての!!」
→KEEP 8th エルコンドルパサー
→KEEP 8th ダイワスカーレット
エルコンドルパサーと、ダイワスカーレットが。
ほんの少し遅れて、続く。
「……、」
サクラチヨノオーもまた。
それに続くが。
坂路で、速度が落ちたのを見抜いたのか。
「――!」
マンハッタンカフェが、無情に追い抜いていた。
「――っ」
焦り、駆け出そうとする心を――
彼女は、必死に抑え込む。
……いい。誰に抜かれても。どれだけ順位が下がっても、と。
自分の目的は――そこではないのだから、と。
「……」
とにかく、とにかく『あの子』を。
前に行かせなければいい――と。
背後へと、目をやっていた。
「――……」
――その時。
彼女は、目を見開いていた。
同時、身体が、胸の奥底まで、冷え切るような感覚――
なぜなら。
そこに。
彼女の。
すぐ背後に――……
サファイアミザールが。
いなかったからだ。
「――!?」
バカな、と、彼女は反対側を確認する。しかしそこにも――彼女はいない。
一瞬だけ見えた最後方にも、その姿は見つけられない。
明らかに。
明らかに――そこにいない。
ならば、どこにいるか。
棄権したわけでも、故障したわけでもないだろう。
一体、
どこに――
……と。
目を、前へと向け直した時。
「――……」
……揺れていた。
何度も見てきた。
あの、栗毛のポニーテールが。
――サファイアミザールが。
彼女らの、前に出ていた。
↑UP! 9th サファイアミザール
↓DOWN… 10th マンハッタンカフェ
↓DOWN… 11th サクラチヨノオー
「――!?」
――なんで。
なんで、なんで、なんで――!?
それを見たチヨノオーの思考が、高速で巡る。
そんなバカな、と、目の前の現実を、理解しようと努める。
だって――だって、おかしいじゃないか、と。
ついさっきまで、彼女はそこにいた。確かに、自分の背後にいたはずだ。そして今、自分はマンハッタンカフェに抜かれただけ。彼女が抜くタイミングなんて、どこにもなかったはず。
というより、追い抜くなんて行動をしたら、そこですぐに気付いている。
なのに、気付けなかった。目を離していなかったのに、先行を許した。どうして、どうして――
何がいけなかった。
何を見落とした。
彼女が抜けるタイミングなんて。
意識から外れるタイミングなんて。
どこ。
にも――……
「……」
否。
と。彼女は、そこで思う。
抜けれるタイミングがなかった。
本当に?
本当に、そうなのか? と。
思い起こす。
さっき、何が起きたのかを。
自分は、坂路を走り始めて。
速度が少し落ちて。
マンハッタンカフェに、追い抜かれた――
……
それだけ?
本当に、それだけ?
自分は。
あの時。
本当に。
「――っ」
そして。
結論に、至る。
まさか。
まさか、まさか、まさか――と。
彼女はまさか。
『隠れたのか』と。
『マンハッタンカフェの陰に隠れて』。
『自分の視界の死角に入って』。
『彼女の動きに合わせ、追い抜いたのか』、と――
にわかには信じ難かったが。
現状は。
それ以外に、説明が、出来なかった。
「……っ」
やられた。
やられた、やられた、やられた――……
もう駄目だ。こうなっては駄目だ。全ての作戦は、彼女に抜かれないことが全てだったのに。
抜かれてしまっては。
もう。
元も、子も――
「……お嬢……」
そんな彼女の姿を。
チヨノオーのトレーナーは、深刻そうな表情で、見守っていた。
……あぁ。
心の中の。
どす黒い感情が、霧散していくのを感じる。
今まで積み上げてきたモノが。
今まで積み重ねてきたコトが。
がらがらと、崩れていく感覚が、する……
あれだけ、努力したのに。
あれだけ、頑張ったのに。
今日、ようやく、そこに、手が届いて。
あなたに。
手が届くと。
そう、信じていたのに。
「……」
その背中は。
自分が思っていたよりも。
ずっと。
ずっと。
遠かった。
あぁ。
あなたは、そうやって。
また、私の。
一歩先を行く。
追いつけない?
もう、何もかも、手遅れ?
これだけ努力したんだもの。これだけ頑張ったんだもの。それでも、追い付けないなら……
もう、これ以上は。
無理?
意味がない?
足掻いても。
どうにも――ならない――……?
「……」
……
「……」
……
「……っ」
……否。
否。
否。
否。
否――!!
まだだ。
まだ、終わってない。
まだ、果たせてない。達せてない。何一つ、成し得てもいない。こんなところで、こんな場所で、こんな、状態で――!!
終われるか。
諦められるか。
捨てられるか――
こんな終わり。
私は、
認めない――!!
「――てよ」
だから。
だから、言う。
「待てよ……」
だから、私は。
心の底から、再び湧き上がってきた。
黒く、暗い感情に、押されるままに。
「――まだ、」
それに。
煽られるままに――
――吠えた。
「まだ勝負はッ!! 終わってませんッ!!」
そして。
悠然と前に出た、その影に向かって――
疾走する。